| 転校生 SS |
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| 作 : Ophanim |
| 第4話 愛は手を差し伸べるように |
きぃっという軋み音をあげながら扉が開く。 「うわっ・・・。俺、この音嫌いなんだよな・・・。」 研究室の入り口に泣きそうな声があがった。 「だったら来るなよ。全く・・・経済学部の方だったらエアコンだって入っているしさ?」 僕は試験管を振る手を止めずに彼を出迎えた。 「だぁめだめ。教授が電気代けちって使わせてくんないよ。その点、理学系は曲がりなりにも冷暖房完備だからな。」 そう言うなり勝手に椅子を動かして腰掛けると、研究室の冷蔵庫から勝手に缶ジュースを取り出した。 「あ、それ、僕のだぞ?」 一応所有権を主張してみる。 「だから取ったんだよ。他人のは取れないじゃないか。」 予想通りの答えが返ってきた。 「なぁ、今日はサークル行けないのか?」 ・・・試薬を持つ手が止まる。 「そろそろ行こうや。今日は新入生の歓迎会をやるんだからさ。」 ジュースを飲み干しながら、答えを待っている。もっとも、答えは一つしか許してもらえないだろう。 「いや・・・それが・・・どうも・・・。」 「だめだって!!定期公演、近いんだからさっ!」 うん・・・と、僕は生返事をする。だけど、自信が無いんだなぁ・・・これが・・・。 数週間前、卒業生壮行公演の時に言われた言葉・・・。 ”君の演奏は上手だけど、聞いていて疲れるね。なんだか「聞かされている」って感じだったよ・・・。” あの言葉を聞いて以来、僕は自分の演奏に自信が無い。仲間達はそんなことは無い、って言ってくれている。実際、譜面を見てもどこにもおかしな所は無い。それでも、その言葉が気にかかっていたのは、自分が薄々感じていた、超えられない壁の正体を言い当てられたような気がしたからだ。 悩みに悩んでいる間に、4月が来た。 この春から大学の研究室に配属された僕は、ますます音楽から遠ざかるようになっていた。実験が忙しくなり、習う内容も急に実践的で高度なものになったので、サークル活動をしている場合ではなくなったからだ。 ・・・穿った言い方をするなら、あの言葉が示していた”自分の限界”を知ることから、逃げていたのかもしれない。 「あのことか?」 図星を突かれて言葉に詰まる。 「あのOBの言ったことなんて気にすんなや・・・。あいつ、お前が巧いからひがんだだけだって。」 ・・・そう・・・かな? そうでも無いような気がする・・・。 「じゃ、こうしよう。今日だけ来い。後は顔出さなくてもいいから。」 その言葉の全てが嘘だ、と知っていたものの、僕は今日だけ騙されてみることにした。 やっと講義が始まるわ・・・。 私は期待感と、それ以上の脱力感に襲われながら講義棟に向かった。 大学って、もっときりっとしたところ、っていうイメージがあったのに・・・。 受験者の実力や能力を試しているのか、それとも記憶力を試しているのか判らないような大学入試を終え、ようやく最先端の講義を受けられる、という希望にあふれていたのがほんの一ヶ月ばかり前。そこから今日まで、やれ入学手続きだ、アパート探しだ、オリエンテーリングだ・・・。 おまけに、大学の構内は新入生歓迎コンパの案内がそこかしこに貼り出されていて、つい昨年まで新設の高校にいた私にとっては華やかさよりも 「き、汚い・・・。」 という印象が強かった。 「しかも、コンパって何よ?私たちはまだ未成年なのに・・・。」 ぶつくさと独り言をつぶやいてみる。 講義棟の中にもがあふれていたが、そのほとんどは新入生勧誘のためにビラを配っている学生だ。しかも、廊下をふさぐように立ちはだかっている。 「すみません、講義に遅れてしまうので、道を開けてください。」 ”新入生ですか?テニスサークルに入りませんか?” ”それよりも、英会話なんてどうでしょう?” ”オリエンテーリングクラブに入会希望の方はいませんかぁ?” 「えーと、C−303・・・。」 ・・・私はまるで商店街の呼び声のような個性の無い勧誘に耳を貸さず、逃げるように教室に飛び込んだ。 がらがらがら・・・。 扉を開けると・・・中もがらがらがら・・・。 ・・・何これ? 私は喉元まで出掛かっていた”遅れてすみません”の言葉を飲み込んだ。 教室の中にはぽつーんと一人の女の子だけが座っていた。 「あら?あなたも来ちゃったの?」 その子はにっこり笑うと、私に話し掛けた。 「・・・他のみんなは?」 まだ誰も知り合いはいないけど、とりあえず、”みんな”、そう言ってみる。 「他のみんなはもう出ていったわ。先生がね、今日は最初の講義だから外でお花見でもするかって。」 その言葉に愕然とする。 なにそれ? いい加減なのは、学生だけじゃなくて、先生もなの? 私はあまりの失望感に手近の椅子に座り込んだ。 「え?そんなに残念?まだそんなに遠くに行ってないと思うし、追いかければ追いつけるわ。それとも、私も一緒に行った方がいいかしら?」 その子は私の態度を見て少し勘違いをしたようだ。 「ち、違うわよ。がっかりしたの。折角大学に入って、高等な講義を受けられると思ったのに・・・。」 私は首を振りながら文句を言った。 「あら?受けられるわ。心配しなくても、大丈夫よ。それに、最初から高い質の講義を受けても、私、ついていけないわ。お花見って言いながら、最近の学生の学力とか考え方とかを感じ取ろうとしたんじゃないかしら?」 その子は微笑みながら近寄ってきた。 「じゃ、どうしてあなたは行かないのよ?」 私は見えない壁でも作るかのようにつっけんどんな言葉を返した。 「私?あ、なんだかいっぱい渡されてしまって・・・。これからこれみんな読まないといけないから・・・。後から行くつもりなの。」 その子はごそごそと鞄を開くと、両手に余るほどの勧誘ビラを、困ったような嬉しそうな、形容しがたい顔で見せてくれた。 「そんなの・・・邪魔なだけじゃない。勉強に・・・。」 私は正直に自分の考えを伝えた。そう言えば嫌われる、と判っていても、止まらない・・・。今まで、この性格でどれだけ損をしてきたか判らない。でも、このまま変えるつもりも、無い・・・。 「そうねぇ・・・でも、折角戴いたんですもの。読まずに捨てるのも失礼ですし・・・。」 なんだ?この人? 私はここでようやく相手の”世間ずれ”に気がついた。 眉をしかめるようにして、それでも嬉しそうな笑顔で自分がもらったビラを一枚一枚丁寧に読んでいる姿は、優雅というか清楚というか・・・。 「あら?これ、二枚戴いてしまいました。一枚、いかがですか?」 その子は微笑みながら、そっと私にビラを一枚手渡した。さっきまでかたくなに、いえ、意固地に、ビラの受け取りを断っていた私も、何故か自然に受け取ってしまっていた。 「あ、音楽サークルですって。ねぇ、一緒に見学に参りません?」 その子は無くしものを見つけた少女のように嬉しそうに立ち上がった。 「ね、行きましょう?」 思わず頷いてしまった。 「わぁ嬉しい!本当のことを言うと、不安だったんです。一人で見学するの。」 ただ、それだけのことに、この子は本当に幸せそうに笑う。 悪い人では無さそうだ・・・。 当たり前かもしれないけど、私はこの人から少しも悪い印象を受けなかった。 それでも、変わった人であることには変わりない。 私はしげしげと相手を見つめた。 「あら?あなたも?」 急に嬉しそうな顔で破顔した相手は私の手を取ると自分の胸に抱きしめた。 「じゃ、親戚の方なんですね?」 その子が何を見てそう言ったのか・・・。 私には、判る。 その子にも、私と同じ特徴があったから・・・。 嬉しそうに目を細める、その瞳の中心・・・普通の人ならば黒いはずのその目が、真紅の輝きを放っている。 その子はぺこり、と頭を下げた。 「はじめまして、私、碇ユイって言います・・・。」 がらがら・・・。 「おはようございます。」 サークル室にそんな声が響く。 もう午後の日差しも傾きかけてきたけれど、ここに最初に顔を出す時はいつもこの挨拶だ。 「はい、久しぶり。」 僕は無感動に答えると、自分の定位置に向かって歩いた。窓際の、一番目立たない場所・・・。 ・・・? 先客が、いた。 床の一点を睨むように見ている。 恐い顔だなぁ・・・。怒ってるのかな? 僕は恐る恐る話しかけた。 「あ・・・え・・・と・・・。」 その子は僕を認めると、はっとしたようにおろおろと立ち上がった。 「あ、いいよ、いいよ。新入生?」 は、はい、と困ったような顔で俯く。 なぁんだ。 僕はほっとした。 怒っていたわけではなさそうだ。 「へぇ・・・。音楽に興味あるの?それとも、何か楽器やるの?」 「え、えぇ・・・。その・・・バイオリンを、少し・・・。」 泳ぐような視線が僕の顔をすり抜けていく。 振り向くと、そっちにも見慣れない女の子がいた。 この子たちは、二人で来たんだ。 僕は一瞬でそう理解した。 そして、この子を置いて一人が、今後ろにいる子が、飲みものを買いに行っていたんだろう。 「お友達?あ、まぁ、そこ、座っててよ。」 僕は自分でも驚くほど積極的に話しかけていた。不安そうにしている女の子を、恐がらせないように、それでも、逃げ出してしまわないように、気を配りながら・・・。 「僕、六分儀、ゲンドウ。君は?」 「あの・・・い、碇、ユイ・・・です。あの子は・・・私の親戚で・・・チトセさん。廣瀬チトセさん。」 余計なことまで答える辺りに緊張が見て取れた。 「ねぇ、そんなに固くならないで。もっと気楽にしてよ。なんだかこっちまで調子が狂うよ。」 僕は無理矢理笑顔を作って話しかけた。気持ちをもっと、励まさないと、この子・・・ユイさんの持つ雰囲気に押しつぶされてしまいそうだった。上品な、静かな雰囲気に・・・。 「す、すみません・・・。こういう所、初めてなものですから・・・。どんな風にしていれば良いのか、判らなくて・・・。」 ユイさんは泣きそうになっている。 僕は改めて周りを見た。 サークル棟は築うん十年の木造平屋建てだ。隙間風を塞ぐ紙も何年前のアイドルなのか判らない、固まったような笑顔のポスターだ。しかも、それすらぼろぼろになっていて、かえって不気味。壁や床のところどころに染みのような雨漏りの跡があったりして、お世辞にも快適とは言えない。そんなところに、ぽつんと一人置いていかれて、しかも見知らぬ人に話しかけられている。 もう一度ユイさんを見る。 見た感じ、お嬢様、といった印象だ。 ユイさんが自分でも言っているように、”こういう所”は初めてなのだろう。 これではすっかり怯えている、といった方がいい。 顔を顰めて怒っているように見える表情は、緊張の現れだったんだ。 「うーん・・・うまく言えないけどさ。普通にしていればいいよ。リラックスしてさ。多分、これから、お花見に行くと思うんだけど、一緒にどう?」 こわごわ僕を見る眼が品定めの色を帯びる。 「え、えぇ・・・あんまり遅くならないなら・・・。あ、あと・・・その・・・ち、チトセさんが一緒なら・・・。」 ユイさんの目にじわっと涙が浮かぶ。 「あ?い、嫌なら、無理しなくていいよ?びっくりしたんでしょ?建物があんまり古くて。ちょっと、恐いよね?」 確かに、僕も一人でここには残りたくない。ここに夜中まで残るくらいなら、研究室でネズミやウサギの鳴き声を聞きながら寝る方がまだましだ。 「ええ!ええ!!そうなんですぅ・・・。」 びっくりした。 ユイさんは急に泣きだした。 よっぽど心細かったんだろう。 僕は咄嗟にポケットの中を探ったけど、あいにく皺だらけの実験用紙ナプキンしか出てこなかった。それでも無いよりまし。僕はユイさんにそれを差し出して、そっと手を握った。 「恐かったでしょ?外で待とうね?」 こくこく、と頷くユイさん。でも、僕はその柔らかい手の感触に気を取られて、もう他のことは判らなかった。 ここが薄暗い部室だってことも、他の部員が羨ましそうに眺めていたことも、チトセさんが一部始終を観察していたことも、プリンツが僕の方を見てにやにや笑っていたことも・・・。 「それが今じゃ立場逆転だもの、ひっどい話よね?」 チトセはぶーっと頬を膨らませた。 「うるさいわね。私も”世の中”を学んだのよ。」 ユイは平然と答えると、少しは静かにしなさい、とチトセの手をつねった。 子供が同じ中学に通うことになった割には、二人の再会はかなり遅かった。 チトセは姓を”綾波”に変えていたし、ユイの息子、シンジは学期の途中からの編入だった。そしてチトセの娘、レイはしばらく問題行動を起こしていたためシンジが転校してきたことは母親に伝わっていなかった。加えてシンジは転校初日からレイを不良だと勘違いして接触を避けていた。 また、その後二人の置かれた境遇が180度違ってしまったため、PTAの総会でばったり再会した時も初め誰だか判らなかった、と二人は口をそろえて言う。 チトセは今の夫と出会ってから柔和になり、清濁併せ呑む器量を備えるようになっていた。しかし、娘、レイが白子で産まれたことに起因する体調不良や学校社会からの迫害を気にするあまり、常に伏目がちな人間にもなっていた。 一方ユイは相手を思いやる気持ちを保ちながら、余りにも杓子定規に正義感を振りかざすゲンドウの手綱をも取れる強い女性に成長していた。 二人の関係はチトセがユイを連れまわす関係からユイがチトセの相談に乗ってあげられる関係にまで逆転していたのである。 「それで?」 ユイはチトセに続きを促した。 「あのね、うちのレイがあんたとこのシンちゃんを好きらしいのよ?」 目を輝かせて話すチトセに、ユイは静かに首を振った。 「だめね。先約があるもの。シンジは蒼龍さんところのアスカちゃんに”将来もらってあげる”約束をしたのよ?」 ユイは努めて冷静に答えた。 「そんなの、幼稚園の時の話なんでしょ?」 「そういう問題じゃないわ。シンジの相手は、シンジが選ぶべきだ、って言いたいのよ。」 それはまぁ、そうだけど・・・。 口の中でもごもごと呟くチトセを横目で見るように、ユイは外の景色に目をやった。 相手がどっちになるのか、私にも判らない。 でも、これだけはきっと、言える。 シンジはきっと、”心から好きになった人を助けられるように”、相手を選ぶに違いない。 あの日、あなたが私を助けてくれたように・・・。 |