転校生 SS
作 : Ophanim
第二話 無断欠席






 勉強をしていて頭がすっかり煮詰まってしまったときには、通りの見渡せる窓を開いて新鮮な空気を入れる。こうすると少しひんやりとした風が入ってきて、部屋にこもった嫌な空気を全部新しくしてくれるような気がする。
 空には夕闇が迫ってきているけど街はまだ明るい。
 あたしは二階の窓からじっと空を見上げた。時々は遠くを見た方が目にもいいっていうし・・・。
 そう、星を見ると目が休まるんだって。
 誰かがそう言っていた・・・。
 ?
 誰か?
 ・・・・・・。

 「馬鹿馬鹿しい。」

 あたしはその誰かが関西弁で話していたのを思い出してその話が本当かどうか怪しいものだ、と思った。

 「ふぅ・・・。」

 あたしは深呼吸をしながら通りを見下ろした。

 「あれ?」

 あれってうちのお姉ちゃんじゃないかしら?
 男の人と一緒に歩いている・・・。
 家じゃあんなに真面目なのに・・・。
 あぁあ、あんなににやけちゃって・・・。
 あ、手を振ってる。
 もうすぐ帰ってくるわね。こうしちゃいられないわ。覗き見していたのがばれてしまう・・・。
 あたしはそっと窓を閉めると静かにカーテンを閉めた。

 「ちぇっ!」

 失敗したわ・・・。
 電灯をつけてからカーテンを閉めれば良かった・・・。
 あたしは暗くなった部屋の中で馬鹿みたいに手を空中に振り出して電灯のスイッチを探した。



 夕食後、お姉ちゃんがあたしの部屋にやってきた。

 「ヒカリィ・・・?あのさ、あんた、なんか編み物関係の本持ってない?」

 そう言いながら勝手にあたしの本棚を漁るお姉ちゃんに少し苛立って、あたしはさっき仕入れたての情報でお姉ちゃんを攻撃する事にした。

 「なにすんの?さっきの”彼”にプレゼント?」

 効果覿面!
 お姉ちゃんは真っ赤になってあたしの口を塞ぎに飛んで来た。

 「なっ!何よっ!ど、ど、どぉしてあんたが知ってんのよぉっ!!」

 あたしはお姉ちゃんの手を逃れると、ベッドの上に逃げ込んだ。

 「へっへーんだっ!さっき窓から見てたのよっ!手をこぉんな風にひらひらさせちゃってさぁっ!」

 あたしはさっきのお姉ちゃんの手の振り方を大袈裟に真似してみせた。

 「べ、別にいいじゃない。・・・私の勝手だもの・・・。」

 お姉ちゃんは珍しく歯切れが悪く、ごもごもと口の中で文句を言っただけだった。あたしはそれを”自分の勝ち”と判断して更に攻撃することにした。

 「だらしないったらありゃしないわ。こぉんなにふにゃふにゃににやけちゃってさぁ・・・。」

 ああ、いい気分・・・。お姉ちゃんにいつもやりこめられてるからたまには、ね・・・。

 「そんな事言って・・・。そのうちあんたにも好きな人とか出来るんだから・・・。そうなったときに相談乗ってあげないわよ?」

 ぐぐっ・・・そう言われると弱いなぁ・・・。
 ほんの少し怯んだあたしの反応を見て、お姉ちゃんはあっという間に形勢を逆転した。

 「あ、そんな顔をするところを見るとヒカリ、あんたも誰か好きな人いるわね?人の事は散々に言っていたくせにあんたも隅におけないわねぇ!」

 コ、コダマお姉ちゃん・・・。
 あたしはいつの間にかベッドの隅に追いつめられていた。
 しかたなく、あたしは今のあたしを取り巻く状況について説明する事にした。

 「えーとね、転校生が来たのよ・・・。」

 あたしは膝を抱えてぽつりぽつりと話はじめた。

 「ふんふん。で、その子を好きなのね?」

 早速お姉ちゃんは茶化しに入る。

 「・・・やっぱり話すの止めようかなぁ・・・?」

 「あ、嘘嘘。続けて。」

 お姉ちゃんは慌ててあたしの機嫌を取った。まぁ・・・いいか・・・。

 「あのね、碇君っていう転校生なんだけど、前に話した綾波さんと仲良くなったのね。」

 あたしの言葉にお姉ちゃんは驚いた。

 「え?綾波さんって前にあんたが言ってたあの不良の?」

 目を丸くするお姉ちゃん・・・。ううう・・・あたし、よっぽど酷い事を言ったのかなぁ・・・。言い難いなぁ・・・。

 「それがねぇ・・・。あたしの勘違いだったみたいで・・・。」

 「ええっ!そうなの!?それじゃあんたが一方的に悪いじゃないの・・・。」

 案の定、お姉ちゃんはさっきよりももっと驚いた。

 「うん・・・。

 あたしの声はとても小さい。今頃になって、自分が相当酷い事をした、という恐怖にも似た想いがしてきた。
 碇君に言われるまで、あれは綾波さんが吸うものだ、と決めてかかっていた。
 言われてみれば、あたしは別に綾波さんが煙草を吸っている場面を見たわけではない。
 もしかしたら、ママが綾波さんに聞いてきたようにお使いだったのかもしれないのだ・・・ううん、今はむしろ、あれはお使いだったに違いない、という思いの方が強い。
 そんな不確かな情報であたしは人一人をどうしようもないところに追い込んでしまったのではないだろうか・・・。

 「ちゃんと謝ったの?」

 あたしはお姉ちゃんの声で我に帰った。

 「ううん・・・。だ、だって、もともとあんまり話す人じゃないし・・・。

 あたしは心細さでどんどん小さくなっていった。

 「それは良くないけど・・・。ま、それはおいておくわ。でも、それがどうしてあんたの好きな人の問題に絡むの?」

 あたしの様子を見て、お姉ちゃんは少し話題を変えた。このままだと収拾がつかなくなる、と思ったんだろうな・・・。こういう所はお姉ちゃんのいいところだなぁ・・・。

 「あたしの好きな人とその碇君も仲良かったの。今はその件で喧嘩しているんだけど・・・。」

 あたしは今日の二人の喧嘩と碇君の剣幕を思い出した。

 「ふぅん・・・。それは困った事になったわね・・・。」

 お姉ちゃんは私の話を聞き終わると少し考え込んでいた。
 いきなりお姉ちゃんはあたしに

 「でもさ、あんたって調理部にいなかったっけ?」

と聞いてきた。

 「え?でもあれって単に内申の点数稼ぎだから・・・。別に料理が好きってわけでもないし・・・。」

 あたしは突然変な事を聞かれて驚いた。

 「あんた馬鹿?折角調理部にいるんだから、なんかお菓子でも作って望遠鏡室に持って行けばいいじゃないの。」

 お姉ちゃんはいきなりとんでもない事を言った。

 「で、でも、お菓子が下手だったらいきなり嫌われるじゃない。」

 「私がみっちり教えてあげるわよ。」

 そ、そりゃあ・・・お姉ちゃんは色々とお菓子とか作れるからいいけど・・・。毎日お弁当も作っているし・・・。
 でも、いい機会だからあたしもお料理の勉強もしてみようかな・・・。興味はあって色々本も買っているけど、結局今日みたいに使うのはほとんどお姉ちゃんなんだもの・・・。ちょっとしゃくよね・・・。

 「その前に、ちゃんと謝るのよ?」

 お姉ちゃんはさっき後回しにしていた話題に戻った。

 「うん・・・でも・・・。」

 あたしもそろそろ謝らないといけない、という気分にはなっていたけど、やっぱりどうしても踏ん切りがつかない・・・。

 「謝りなさい!いいわね!?

 突然お姉ちゃんは怒り出した。お姉ちゃんが怒るなんて珍しい・・・。

 「わ、判ってるってばっ!!判ってるけど・・・なんて言って謝ったらいいのか・・・。」

 あたしは自分で結構勉強している、と思っていた。
 でも、あたしがやってきた勉強なんてこんな時何の役にも立たない・・・。

 「とにかく謝りなさい。間違いは誰にでもあるけど、それを認める事は意外と出来ないわ。自分が悪い、と判ったときにきちんと頭を下げられる人って立派だと思うわ。」

 あたしにはそのお姉ちゃんの声がとても有り難かった。
 とにかくやってみよう・・・。
 どうにかしてあたしが悪かった事を伝えよう・・・。
 あたしは小さく頷いた。
 お姉ちゃんはもういつものお姉ちゃんに戻って、あたしの頭を撫でてくれた・・・。涙が・・・止まらない・・・。
 お姉ちゃんに甘えるようにしてしばらく泣いている間、お姉ちゃんは種明かしをしてくれた。お姉ちゃんもさっきの彼氏から教えてもらったんだって。
 なぁんだ・・・。
 でも、さすがお姉ちゃん。いい人を見つけたね。

 「いい人なんだね・・・。」

 思わずそう言ってしまった。

 「でしょう!?でもね、でもね。それだけじゃないの。前なんてね・・・。」

 お姉ちゃんはあたしにそう言われたのがよっぽど嬉しかったのか、その後ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとのろけられちゃった。なんだかなぁ・・・。
 自分の事を誉められたときよりもずっと嬉しそう。
 でも、少し羨ましい・・・。
 鈴原もそういう人だといいなぁ・・・。



 翌日。
 あたしはいつも通り学校に行った。
 でも、謝るべき綾波さんの姿が見えない。
 きっとまだどこかでひとりぼっちなのね・・・。
 折角謝ろうと思ったのに・・・。
 あたしは所在無げに周りを見回した。きつい視線を感じてつい目を逸らす。
 碇君だった。
 まるでこっちを睨むようにして見ている。
 ごめんなさい・・・あなたにも、謝らないといけないわね・・・。
 でも・・・そんな顔していたら、恐くて行きたくても行けないよぉ・・・。

 と、思っていたら、すぐに碇君は葛城先生に呼び出された。葛城先生がHRを始めても、授業が始まっても、碇君は戻ってこなかった。

 「どうしたんだろう・・・?」

 あたしの心は一分毎に鉛の重りが増えて行くように重くなっていった。
 もしも・・・。
 もしも、二人が自殺でもしたら、あたしは人殺しも同然だ。それも些細な事で・・・。人は武器や凶器を使わなくても人の命を奪えるんだ、と今初めて実感した。本当に、取り返しのつかない事をした・・・。

 「どうしたの?ヒカリ?顔色悪いよ?」

 あたしの近くの席から友達が声を掛けてくる。その声にはあたしを心底心配してくれている温かさがある。
 でも・・・。
 あの子には、こういう声も掛からなかった・・・。
 その寂しさはどんなだったろう・・・。
 そういう、人の痛みも判らない人が、”委員長”?
 お笑いだわ・・・。

 涙が出そうになったとき、碇君が帰ってきた。綾波さんと一緒に・・・。
 あたしはすぐに謝りに行こうとしたけど、二人が無事に戻ってきた安心感で立ち上がる事が出来なかった。
 このままでは・・・。
 今を逃したら、もう謝る機会が無いかもしれない。
 どうしよう・・・。
 あたしは焦った。二人があの、みんなから一区画離れた席についてしまったら、もう、手遅れ・・・。
 ああ・・・一声・・・。
 あたしに、一声掛ける勇気があったなら・・・。

 その時・・・。

 「碇、ちょっと話があるんや。」

 鈴原・・・。
 あたしの中でその後の時間はとてもゆっくり、でも、淀み無く流れた。
 鈴原は自分で思いつく限りの方法で二人に謝った。
 端目には格好が悪く映るかもしれない。
 でも、あたしにとってはその態度は他の何よりも格好が良かった。
 いいなぁ・・・。
 あたしも早く謝らないと・・・。
 が、無情にも今日最後の授業の始まりを告げる鐘が鳴ってしまった。
 あたしは授業が終わって、綾波さんが一人で帰り支度をしているところに近づいて行った。

 「綾波さん・・・。」

 思い切って声を掛けてみる。

 「・・・はい・・・?」

 少し警戒するような声・・・しかたないよね・・・。

 「あの・・・ご、ごめんなさい。あたしの早とちりで・・・。」

 あたしは深々と頭を下げた。その頭越しに、綾波さんが静かな声を掛ける。

 「・・・別に・・・。気にしていないから・・・。」

 そう言われる事は、今はかえって辛い・・・。

 「そ、そんな事言わないで・・・。お願い。この通りよ・・・。」

 あたしは手を合わせて拝むようにした。でも、綾波さんは本当に困ったような顔をしている。

 「洞木さん・・・。私、本当に気にしていないの。私がもっとしっかりしていれば済む事だったし・・・。私がもっとはっきり”吸っていません”って言えば良かった事だと思うわ。」

 綾波さんの一言一言が、彼女が受けた心の傷の深さを反映しているように思える。あたしはその一つ一つを自分の心を、身体を切りつけるようにして受け入れた。
 本当に人は見かけによらない。
 綾波さんがこんなにしっかりした人だとは思わなかった。
 あたしは自分が恥ずかしくなった。
 それと同時に、この人ともっと仲良くなりたい、と思った。

 「ね、今日調理部に来ない?綾波さんも調理部員なわけだし・・・。その・・・碇君もいると思うし・・・。」

 碇君の名前が出た途端、綾波さんの顔が紅く染まった。

 「え?・・・そ、それなら・・・あ、で、でも・・・最初は碇君がいない方が行きやすいかな・・・。」

 恥ずかしいのね・・・。照れ屋なのかな?

 「判った。調理室で待っているから。必ず来てね?」

 あたしはそう言って綾波さんと別れた。

 「さ、部活部活っと・・・。」

 あたしの心は羽のように軽くなっていった。
 ・・・あ!・・・
 今日は塾の日だった・・・。
 ・・・・・・。

 「ま、いっか!」

 今日はきっと塾では決して学べない事があるはず。
 塾では答があると判っている問題の解き方しか教えてくれない。
 でも、人生の問題にはどんな答があるのかさえ判らない。
 この日あたしは初めて塾をさぼった。


Mail or Back to Index