転校生 S
作 : Ophanim
第27話 和解の時




 ちりちりちり

 「はいはい、今出ます。」

 疲れたようなため息を伴って、キョウコは立ち上がった。

 生憎とシンジはまだ部屋にいない。

 いれば真っ先に電話を取ってくれるのだが。

 「はい、ラングレーです。」

 「あたしは蒼龍だよ、ママ。」

 流暢な日本語が聞こえてきて、一瞬訳が判らず目がくらくらする。

 丁度その時、玄関が開いて遠慮がちな『ただいま』が聞こえてきた。

 「アスカ、アスカなの?良かった。丁度今シンジ君が・・・。」

 「いいの。あたし、少しママと話したいから。」

 ほんとに少しだけだけどね、と余計なことを付け加えるが、その一言を割り引いてもキョウコの瞳は暖かくなる。

 「・・・元気にしてた?」

 「ママこそ、元気出してよ。折角あたしが電話しているのに・・・。」

 口が一つしかないのが恨めしい。

 言いたいこと、話したいことが殺到しているのだろう。

 それらは余りに多すぎて、どうも詰まってしまっているようだ。

 「・・・やっぱり、シンジ君と代わるわね。」

 10年以上も続いていた娘への畏怖の感情はそうそう消えてくれないようだ。

 キョウコは娘との会話の余韻を楽しむよりも、姿を隠す方を選んだ。

 「待って!それじゃ、一つだけ・・・。」

 アスカは慌てて引き留めた。

 今言わなければ、レイチェルに会わせる顔もない。

 「なぁに?」

 嬉しさを押し殺して、努めて平静を装う。

 そうすることで、ようやく娘と対等になれる。

 敢えて怒ってみせることで、どうにか娘を引き留められる。

 キョウコはずっとそう接してきた。

 娘の才能を愛する余りに。

 「あのね。ママ。色々ありがとう。あたし、ママが大好きだから。そのうちそっちに帰るから待っててね。」

 「研究が忙しかったら別に良いのよ。」

 そんな言葉を返そうとして、返せない。

 見せかけの冷静さはやはり見せかけでしかない。

 内から湧き上がる感情に押し流されてしまう。

 「・・・ありがとう、アスカ・・・。いつでも良いから・・・ずっと待ってるから・・・。」

 キョウコの口から出たのは、涙混じりのそんな言葉だった。

 暖かな母娘の心の触れ合いは、無粋な機械音に遮られた。

 「あ〜〜、カード無くなる〜〜。」

 アスカのそんな声を最後に、電話はつ〜つ〜としか言わなくなった。

 キョウコは静かに受話器を置いた。

 「アスカからですか?」

 背中にかけられた声に少し罪悪感と優越感を感じる。

 「えぇ。すぐまたかかってくると思います。」

 キョウコの言葉通り、しばらく待つと再び電話が鳴った。

 今度の電話は恋人のためのものだ。

 キョウコは静かにその場を後にした。

 「あ〜、もうこのカードで最後なのよ。もう売ってないって。名残惜しいけど、シンジと代わってもらえる?」

 「アスカ、僕だよ。」

 「えっ!?

 アスカの声が自然に一オクターブ高くなる。

 柔らかだった時間が溶けるような甘い時間に変わる瞬間だ。

 「今どこ?いつ頃帰れるの?元気にやってる?学校は楽しい?」

 矢継ぎ早に放たれるシンジの質問。

 「今ぁ?うん、ミュンヘンなの。帰りはクリスマスかなぁ?判らない。ん。元気だよ。ん〜、楽しいわよ。」

 それに答える言葉から、周囲の視線も顧みずにごろごろと甘えるアスカが透けて見えそうだ。

 シンジもキョウコの気遣いのおかげで遠慮なく甘い時間を満喫している。

 「あ、そうだ!

 アスカはあっと言う間に減っていくカードの残り度数に急かされて、大事な質問をしなければならないことを思い出した。

 「シンジ、そっちでパパとかママから何も言われてない?あたしがいないのに下宿って・・・。」

 あははは、とシンジは苦笑いをした。

 そう仕向けた張本人が、今頃になって何を言うんだろう?

 その問題なら、アスカがいなくなってすぐにプリンツと話している。

 「出ていけと言われてたらここにいないよ。」

 シンジはそう言ってアスカを安心させながら、その日のことを思い出していた。

 『あの子の今回の行動で改めて発生した問題については、君ともじっくり話をしないといけない。』

 そう言われて始めた男同士の直談判。

 「出るつもりはあるか?」

 プリンツは緊張で固まっているシンジに遠慮のない言葉をぶつけてきた。

 シンジは来るべきものが来た、と半ば観念した。

 「迷惑でしたら、出ます。」

 プリンツはハトが豆鉄砲を食らったような顔をした。

 それから静かに首を振って呟いた。

 「どうして日本人はこう、余計なところまで気が回るんだ?私はただ、君が今後もここにいたいのかどうかを確認しようとしただけだ。それがどうしてそうなるんだ?キョウコもそうだが、日本人は少し自分たちの能力について認識した方がいい。初めは気味が悪いほどに良く気がつく彼女に惚れた。だが、いつしか、自分も”言葉の底に沈む雰囲気”を理解することを求められていることに気がついた。そんなことが出来るのは東洋人くらいだろう?我々には、そんなものを生活の一部に持ち込むなど、想像もつかない。超能力者でもない限り無理だと思っていたことを要求されるなら、話さない方がいい。そう思っていたら、今度は”話さないことが示す意味”を問われた。一体私に何をしろというのだ?」

 なるほど、とシンジは苦笑いをした。

 『残るのか?』『残る気はあるか?』『出ないのか?』『出るのか?』

 これらの日本語の質問は全て異なる意味合いを持つだろう。

 だが、ドイツ語で聞かれれば、全て『Ja/Nein』で答えられる”単純な二者択一”に過ぎない。

 「それでは、プリンツさんはどう考えているんですか?」

 シンジは逆に質問をすることにした。

 彼の考えを聞いた方が議論が進みそうだ。

 「この後家族となるつもりがあるなら、いた方がいいだろう?」

 今度は返すプリンツの方が”含みを持たせた”答えをしてきた。

 にやっと笑ったその目の中に”私だって日本人を妻にした以上、理解しようと努力しているんだ”という自己主張が見える。

 だとすれば。

 この答えは重要だ。

 一生を決める。

 シンジは真剣な表情で答えた。

 「勿論、あります。」

 だから、ここにいます。

 彼女を待ちます。

 真剣なシンジの顔をまじまじと見つめていたプリンツが静かに頷いた。

 「その言葉を信じたいし、その言葉が真実である限り、アスカはここに帰ってくるだろう。」

 諾。

 プリンツは立ち上がってシンジに握手を求めた。

 シンジも笑顔で手を取る。

 「喜んで人質になりますよ。」

 「喜んで軟禁するよ。」

 それ以来、誘拐犯とその人質は非常に良好な関係を保っている。

 ”身代金”がミュンヘンから届く日を、二人して待っているのだ。

 その、”美しい身代金が”安心した声を出す。

 「判った。クリスマスには帰れるようにするから。」

 「アスカ、部屋に電話無いの?」

 シンジは早口で尋ねた。

 もうカードが切れる頃だ。

 「ん〜、今度考えてみるね。」

 辛うじてその答えが返ってきたとき、時間切れが訪れた。

 (ま、これで電話が繋がりそうで良かったな。)

 ベルリンのシンジは満足そうだった。

 (あちゃ〜、レイチェルには電話かかってこないだろうから、あたしだけ話すわけにいかないの、って言いたかったんだけど・・・。)

 ミュンヘンのアスカは不満だった。



 キッチンからふんふんふ〜〜ん、とご機嫌な鼻歌が聞こえてくる。

 じゅ〜っ、という炒め物の音をBGMにしているのは、ボストンから帰ってきたばかりのアスカだ。

 一週間ぶりに帰ってきたが、生憎レイチェルの姿は見えなかった。

 恐らく今日も大学にいるのだろう。

 アスカがいなくても普段の生活を守っているとすれば、図書館にこもって調べものをしているのかもしれない。

 それなら、帰ってきたときに驚かせてやろう。

 肉や野菜をざく切りにして、オリーブオイルで簡単に炒める。

 隠し味にちょっとだけ市販のソースを使い、塩と胡椒で味を調整する。

 レイチェルを驚かすために作ってはいるが、ボストンで余り美味しいものが食べられなかったので、アスカの好みを反映させて米を炊いて添える。

 スープは肉に下味を付けている時に出た肉汁に、これまた塩と胡椒で味を調えてタマネギやピーマンを刻んだトッピングを浮かべる。

 後はキャベツかレタスに使い残しの野菜を千切りにして載せて、ドレッシングをかけた簡単サラダを作って出来上がり・・・、などと思っているところに丁度良くレイチェルが戻ってきた。

 「あぁ〜、お帰りなさい〜。」

 買い物袋を玄関に放り出して、レイチェルが駆けてくる。

 アスカは包丁を置いて濡れた手を拭き、レイチェルに向けて両手を広げた。

 「ただいま〜、レイチェル、寂しかった?」

 「はい〜。」

 研究室や八百屋などで見せたしっかり者の一面とは大きく異なる、甘えん坊のレイチェル。

 どちらのレイチェルもアスカの大事なレイチェルであることに代わりはない。

 「わ、アスカさん、凄い。もうすっかり料理上手じゃないですか。」

 レイチェルはアスカが準備した料理を見つけて目を丸くした。

 アスカもそう言われるとまんざらでない。

 「へへ〜ん。この天才アスカ様にかかれば、ちょちょいのちょいよ。」

 久しぶりにそんな軽口も飛び出る。

 「本当に凄いです。美味しそう!早く食べましょう。」

 レイチェルは手を叩くようにしてアスカの背後に回った。

 そこにはまだ小分けしていない料理がある。

 「あ、待ってよ。まだサラダが出来てないのよ。」

 「手伝いますよ。」

 答えるのももどかしい、とでも言うように、レイチェルは大急ぎで手を洗っていた。

 アスカとしてはここまで来たら最後まで自分で仕上げたかったのだが、レイチェルの言うように、暖かいうちに早く食べたいというのも確かにある。

 「それじゃあ、どうしようかなぁ・・・。」

 「私、使い終わった鍋とか洗いますよ。アスカさんはその間に仕上げちゃって下さい。」

 レイチェルは流しのそばを離れずに声をかけた。

 さすが、と思わず納得する。

 『手伝う』という言葉に”料理を作る手伝い”だけでなく、”料理を作った後の後片付け”まで含まれるとはなかなか考えつかないことだ。

 また、アスカの気持ちにある”全部自分で作りたい”という希望も理解した上での申し出でもあっただろう。

 実際に作ってきた場数が違いがこういうところにも現れるということがよく判る。

 アスカはレイチェルに後片付けを任せ、自分はサラダを仕上げにかかった。

 実はサラダを仕上げためにはまず、まな板を置く場所が必要だった。

 料理を作るために、切った野菜を入れるボールや皿を所狭しと置いていたので、まな板を置く場所がない。

 流しにまな板を渡して切るつもりだったが、その流しをレイチェルに占領されてしまったのだ。

 それでも、レイチェルが使い終わった鍋やボールを次々に洗ってくれるので、アスカが待っていた時間は僅かだった。

 レイチェルが次々にそれらを片づけてくれるおかげでテーブルが空き、そこに皿やカップを置くことが出来る。

 そのカップに出来上がったスープを入れられるのでスープ鍋が空き、空いたスープ鍋はレイチェルが手早く洗ってくれる。

 こんな具合に、盛りつけと後片付けが並行して進むので食べる準備が出来る頃にはすっかりアスカが使い始める前の綺麗なキッチンに戻っていた。

 折角の料理が冷めないうちに食べ始めることにする。

 「いただきま〜す。」

 「作ってくれたアスカさんに感謝です〜。」

 ナイフとフォークを手にとって早速夕食が始まる。

 アスカはテーブルマナーを無視して、まずは一番気になるメインディッシュに手を付けた。

 「ん・・・。味はまぁまぁかしら?」

 炒めているときにも味は見たが、高温になっているときと食べやすい温度になっているときでは味蕾の感じ方が変わる。

 作り慣れてくれば経験で調整できるのだろうが、アスカにはまだそこまでは出来ない。

 一番気になるものに手が伸びるのは自然な行動だ。

 「とんでもないです〜。美味しいですよ〜。」

 いつの間にか全ての料理に手を付けていたレイチェルが目を輝かせて感想を述べる。

 それはアスカには何よりも嬉しいご褒美だ。

 その言葉が嘘でないことは、瞬く間にぺろりと平らげられたレイチェルの皿が証明している。

 レイチェルのペースに引き込まれるようにして食べきったアスカも、自分なりにまともなものが出来たような気がしていた。

 「凄いです、アスカさん。もうこんなに上手になっちゃって・・・。」

 「あはははぁ・・・。ま、まぁ、まだまだレパートリーも少ないし・・・。で、でも、これにデザートなんか付いてたら、フルコースよね〜?」

 アスカは満足と謙遜が複雑に混じった感情をそのまま口にした。

 その途端、レイチェルがぱっと立ち上がった。

 「そうそう!私、デザートになりそうなものも買ってきたんですよ〜。」

 レイチェルは玄関に置きっぱなしの買い物袋に駆け寄った。

 がさごそ、と袋の中を漁りながら、いつも以上ににこにこと笑う。

 「ほら!フルーツ味のヨーグルト、とか、プリンとか。アスカさん、何が良いですか?」

 レイチェルは両手にヨーグルトとプリンを載せて幸せそうに微笑んでいる。

 「へぇ。珍しいわね。レイチェルがそんなお菓子買うなんて。いつもはデザートって言っても果物なのに?」

 アスカも嬉しくなる。

 たまにはケーキやチョコレートが食べたくなるのだが、倹約家のレイチェルが一人で買い物に行けば決して買って来ることはない。

 だが、今回のボストン行きでその理由を知り、アスカもこれからは極力協力しようと心に決めていた矢先だっただけに余計に嬉しかった。

 「だって、ほら、もうすぐクリスマスじゃないですかぁ。だから、クリスマスケーキとかも買ってきたんですよ?」

 ほら、と袋から取り出された、一人分には大きすぎるケーキに、レイチェルの無邪気な笑顔に、アスカは凍り付いたような微笑みを返すことしかできなかった。


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