| 転校生 S |
| 作 : Ophanim |
| 第26話 寒桜 |
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「どういうことですか?」
勢い込んでくるヘレナを押し止めて、一旦席に着かせる。
アスカはすっかり冷えた白湯を飲み干して喉を潤した。
ポットからヘレナのカップに白湯を注ぎ、自分のカップにも注ぎ足す。
「慣れると白湯も良さそうですね。」
アスカは会話にワンクッションを置くために一旦話題をずらした。
慎重に説明しないと上手く伝わらないだろう。
「え、えぇ・・・。」
ヘレナは無理に笑顔を作ってアスカに話を合わせた。
アスカが注いだ白湯を口に運び、ほぉ、とため息をつく。
どうやら落ち着いたようだ。
これなら大丈夫だろう。
「まず最初に、レイチェルが躾られたことをしっかり守る子であること、するなと言われたことは決してしない子であること、これはよいでしょうか?」
アスカの質問に、ヘレナは一も二もなく頷いた。
今更何を、とでも言いたげだ。
「また、先ほどの話から、彼女が夜に行う”ままごと”は、家族で暮らした最後の想い出をなぞっていると判断できます。ここに録音したレイチェルの台詞がありますから、ちょっと聞いてみてください。」
アスカは大事に持ってきた鞄の中から古ぼけたテープレコーダーを取りだした。
(シンジのオーディション練習の時も役に立ったけど・・・。これも何かの縁ね。)
しげしげとテープレコーダーを一瞥してから再生のスイッチを入れる。
テープから流れてくるレイチェルの声は”幼い頃の声”らしい。
ヘレナの瞳に図らずも涙が浮かんでいた。
一通りテープを聴くと、ヘレナはナプキンで涙を拭いてからアスカに向き直った。
「そうですね。間違いないでしょう。これは幼い頃の記憶をなぞっていると思います。」
アスカはゆっくり頷いた。
「だとすると、やはり彼女は部屋の外で何が起きたのか知ることすら出来なかったはずです。決して部屋を出るな、と言われていたはずですから。」
無意識下の”ままごと”の中ですら逃げるように舞い戻ってくる。
まして”虐待”を受けていた両親の言いつけを破ってまで彼らを追おうはずがない。
「外で凄い音がしたら出るでしょう?」
ヘレナはそれでもまだ信じられない、と言った表情で首を傾げている。
「出ません。鍵がかかっていなくても出ません。断言できます。」
アスカはレイチェルの夜の徘徊の詳細について説明した。
どれだけはっきりした証拠を示そうとしても、”出来なかったことを示す”ことは難しい。
だが、レイチェルは夜には子供に返る。
その”子供のレイチェル”が部屋を出ない。
いや、出られない。
これ以上の説明があろうか?
「・・・まぁ、根拠はこれだけでは薄弱と取られるかもしれませんが、要するにあなたが信じるかどうかです。あたしは信じます。」
アスカの最後の言葉で、ヘレナはようやく納得したように頷いた。
この問題は最初から本人がどう考えるかにかかっている。
ヘレナがどちらを選んだかはもはや本人以外には判らない。
「仮にそうだとして、彼女が親を恨んでいたとしたら・・・?」
ヘレナは不安そうにアスカを見つめた。
良かった。
どうやら彼女は一歩踏み出したらしい。
アスカは大きく息を吐き出してから答えた。
「いいえ。それもないです。彼女は決してご両親を恨んでなんていません。」
「どうして判るんですか?」
ヘレナはアスカにテープレコーダーを返しながら尋ねた。
アスカはそれを受け取り、別のカセットテープを抜き出してセットし直した。
イヤホンを片耳に当てて、”その場所”を探す。
「だって、レイチェル、楽しみにしていたんですから。その日のお祝いを。」
「・・・判るんですか?」
ヘレナは焦れてきたのか同じ言葉を繰り返した。
「判ります。」
ようやくその場面を見つけだしたアスカはイヤホンを抜き取った。
『今日のご飯はピザですよ〜。』
音は少し小さかったが、幸い新しい修道院は音が良く反響してくれた。
アスカは静かに付け加えた。
「あの子は今でもピザを待っています。」
あの日届くはずだったピザを待っている。
渋滞で遅れた配達を見に行った両親が帰ってくるのを、ずっと待っている。
何が起きたかを知ろうともせず、見ようともせず。
読めば理解できる記事を、敢えて”記号”と”絵”の組み合わせと判断することで現実から心を逸らしている。
「・・・・・・。」
それは。
アスカの目の前にいる女性も同じだったようだ。
「だから、名乗り出ても大丈夫ですよ。恨んで何ていませんから。お母様。」
「だけどっ!」
ヘレナは涙を流しながら大声をあげた。
「だけど、あの子は病院で奇跡的に命を取り留めた私を見ても、ここで再会した時も、決して一度も”お母さん”と呼んでくれなかったのよ・・・。名前すら呼んでくれなかったのよっ!!一言も話をしようとしてくれない・・・。」
どんな些細なことも忘れるはずのない記憶力。
それでいて、決してヘレナの名を呼ばない、レイチェル。
だが、アスカは少しも動揺しなかった。
「ヘレナ=ジョンストン、サンダースさん。あなたこそ何か忘れているでしょう?」
アスカは持参した鞄からクリップで留めた資料を取りだした。
大量のコピーにはレイチェルの成績証明書やら受け入れ承諾書やらが入り交じっていてなかなか目指すものが見つからない。
アスカは探している間、他の話で間を繋ぐことにした。
「レイチェル、今色々論文集めているんですけど、それって最初はあたしがお願いしたんですよね。だけど、量が多くなりすぎて事務の人も困ってて・・・。こっち来る前に『減らして』って頼んだんですけど、最初は断られてしまいました。」
そう言いながら、がさがさとコピーの束をめくっているうちに、求めていた資料に行き当たる。
隠匿されたレイチェルの両親を推測するために集めた失踪者や事故死者に関する資料。
その中で”最有力候補でありながらなお存命中”の一人を抜き出す。
「ヘレナさん。あなたはかつて教師でしたよね?それから、当時は離婚訴訟の真っ最中でした。」
コピーを指し示しながらアスカが説明をすると、ヘレナは辛そうに頷いた。
優秀な子供を持つと、その親権を巡って夫婦仲が悪くなる、と言うのは珍しい話ではない。
レイチェルの場合もご多分に漏れず、だったようだ。
「あなたは彼女を躾るときに『家でも先生と呼びなさい』とか言いませんでしたか?あと、結局旦那さんが親権を持ったらしいですが、彼が『これからはこの人をお母さんと呼んではいけないよ』などと言っていた可能性も否定できません。そうだとすると、少しも不自然なことじゃないんですけども。」
むしろレイチェルの性格から考えて、そう呼ばない方が自然だ。
だが。
「きっとレイチェルも待ってますよ。ヘレナさんがあの子の名前を呼んでくれるのを。『自分のことをお母さんと呼んでも良いのよ』って許しが出るのを待ってるんですよ。」
過去に何があったのかは知らない。
知りたくもないし、その必要も、もう無い。
ただ、ヘレナも”今日もまたレイチェルの名前を一度も呼んでいない”という事実だけがある。
千切れた家族の絆は元に戻らないものなのだろうか?
いや、そんなことはない。
少なくとも『プリンツ=ラングレー』、『蒼龍キョウコ』そして、『アスカ=ラングレー=蒼龍』の三人はそうでなかったことを知っている。
極東の島国で出会った二人の娘は、欧州の父の元から逃げ出しても、最後には親元に帰ったではないか。
崩れたかに見えた家族の絆も、より強い心の結びつきを見つけだしたではないか。
日が傾いてきている。
そろそろ戻らなければならない。
だが、焦ることはない。
彼女はもう踏み出している。
後は時が解決してくれるだろう。
アスカは俯いたままのヘレナを置いて立ち上がった。
「今は帰りますね。今度来るときは、あの子の名前を呼んであげて下さい。」
鞄を閉じかけて、ふと思いついてテープレコーダーとカセットテープを取り出す。
「これ、よろしかったら差し上げます。」
シンジにはもうテープレコーダーは必要ないし、アスカも当面使う当てはない。
(それに、使うときが来たらまた買っても良いわけだし・・・。)
ただ、シンジとの思い出の品をアスカの一存で他人に譲るのだけがちょっと気が引けるところだ。
「あ、いえ。それは余りにも申し訳ありませんので・・・。」
ヘレナは恐縮して断った。
だが、その声を聞いたアスカには、むしろ”置いていくべきだ”と感じられた。
レイチェルとの繋がりが希薄になっている今、ヘレナは『レイチェルが独り立ちしたら自分は用済みだ』と考えているように感じられる。
血の繋がりのないアスカでさえ、一抹の寂しさを感じたのだ。
実の親ならいかばかりか計り知れない。
「それでしたら、お貸しします。また来ますから、その時に返していただければ良いです。」
アスカは半ば強引にヘレナにテープレコーダーを預けると、鞄を閉じてしまった。
「・・・ありがとう・・・ございます・・・。」
ヘレナは静かにそう呟いた。
それはテープレコーダーへの返事なのか、アスカがレイチェルの無実を示唆してくれたことへの返事なのかは、今は全く判断が付かなかった。
日の暮れかかった往来をゆっくりと歩く。
目つきの悪い少年がアスカを舐めるように見ていたが、その隣に立つ人物の存在に気付くとそそくさと去っていった。
「今日はありがとうございました。」
ルロイ=レキシントンは丁寧にお礼を言った。
「いいえ。あたしこそ、色々詳しく判ってすっきりしました。」
だいたいの予想はついていたが、まさかあんなことがあったとは、と思える出来事もあった。
一番恐れていた事態は避けられたし、実りの多い訪問だった。
「しかしお見事でした。良くあそこまで調べたものです。」
「でも、会わないと判らないこともありましたし。」
その機知に富んだ答えに、ルロイも快活に笑う。
大きな仕事を終えたアスカにはルロイの言葉をもじって答える余裕まで出てきていた。
「どうでしょう?見込みはありそうですか?」
ルロイは急に真剣な顔に戻ってアスカに聞いた。
「見込み、と言いますと?」
アスカは首を傾げて長身のルロイを見上げた。
「レイチェルはヘレナを母親と呼んでくれるでしょうか?あるいはその逆でも良いです。きっかけになりそうな何かが起きる見込みはあるでしょうか?」
ルロイの目は真剣だった。
アスカは少し俯いて考えを巡らせた。
レイチェルの両親が事故にあったのは、離婚訴訟が結審した翌日だった。
非常に不幸なことに、親権が移った先の父親の方が亡くなったため、母親が存命にも関わらず、レイチェルの身柄は父方の親戚に移るのが法的には自然となる。
さすがにそれを是として引き取る親戚はなかった。
となれば母親、つまりヘレナに親権を戻せばよいのだが、高校を卒業する特例措置に付随して、”成年”扱いとなったレイチェルは自分で親権の移動先を選ばなければならなかった。
後はヘレナが述べたとおり。
病院で略式の手続きを済ませるばかりになって面会したレイチェルは、頑としてヘレナを母親とは呼ばなかった。
母方の親戚も、そのレイチェルの態度に恐れをなしてか、あるいは実母のプライドを気遣ってか、レイチェルを引き取ると申し出たものはなかった。
こうして母親も親戚もありながら書類上の”孤児”となってしまったレイチェルはとりあえず洗礼を受けた聖セバスチャン教会の孤児院に預けられた。
そこで彼女がまず”見る”ことを知らない最初の担当シスターは余りにも姿を見せないレイチェルに”落伍者”の烙印を押して目付を放棄してしまった。
退院後手続きのやり直しをしようとしたヘレナに突きつけられたのは”結審済み”の壁。
略式の手続きだったが、それでも一度効力を発揮するとなかなかに面倒だ。
夫にも愛娘にも、法にも裏切られた思いを抱えたまま、ヘレナは迷いもなく聖セバスチャン教会でシスターをすることに決める。
そこで偶然に、一人こつこつと勉強に励むレイチェルと再会したのだ。
アスカが彼女が”サンダース”だと確信したのはまさにその点。
レイチェルが聖書や修道院の決まり如きを覚えるのに一年も無駄にするはずがない。
後は芋蔓式だ。
修道院が誇る伝説を”淡々と”語る人もまずいないだろうし、修道院に来る前の話が断定調、修道院に来る直前の話が伝聞推定調という矛盾ぶりも指摘できる。
だが、そんなことはどうでもいい。
ヘレナが自分に心を開かない(ように見える)愛娘に心を痛めながらも、自分に出来る精一杯の尽力をしてレイチェルをドイツに送り出した、と言う事実こそ、親子の愛情を示すものではないだろうか?
アスカはぐっと一つ頷いてからもう一度ルロイを見上げた。
「大丈夫です。きっと。」
その言葉にルロイはにやっと笑った。
どうやら求められていた答えを出したらしい。
「よろしければ理由をお聞かせ下さい。」
少し芝居がかった調子でルロイが尋ねる。
それに合わせてアスカも少し役者のような言い回しを使う。
「なんとなれば、二人とも、善い人ですから。」
丁度タイミング良く街灯が一斉に眠りから覚めた。
一気に明るくなった街並は、まるでこれからの母娘の前途を示しているかのようだ。
「神のご加護がありますように。」
ルロイは立ち止まって十字を切った。
ここまで来れば後は広い大通り。
もう一人でも大丈夫だ。
「ありがとうございます。あなたにも。」
アスカはうろ覚えの十字を切るよりも、深々と頭を垂れる方を選んだ。
こんな所にもキョウコとの繋がりを感じる。
(レイチェルとヘレナもきっと大丈夫よ。)
ドイツに帰ったら一度ベルリンに顔を出しても良いな。
アスカはそう思いながら静かに頭を上げた。
ポトマック川沿いの桜はまだまだ冬の最中であることを主張していたが、アスカの心には早くも柔らかな春風が吹いていた。
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