| 転校生 S |
| 作 : Ophanim |
| 第25話 悲劇の終焉 |
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「突き抜けた能力は時に身を滅ぼすんです。」
ヘレナはアスカの目を見据えながら続けた。
レイチェルに会う前なら、その言葉はまるで自分に言われているように感じられたことだろう。
だが、幸いにも、と言えばよいのか、今のアスカにはその言葉を客観的に聞き流すことが出来る余裕がある。
アスカは小さく頷きながら、ヘレナの次の言葉をじっと待っていた。
「娘の超人的な能力を知ったご両親は舞い上がってしまって、あの子に徹底して躾と教育を施し始めました。それはもう、虐待に近いほど・・・。」
(あ・・・。)
アスカはシャワー浴びて浮き上がってきたレイチェルの背中の傷痕を思い返した。
あれは、”それ”だったのか・・・。
「・・・ご存じのようですね。では、話が早いです。」
アスカの表情の変化からヘレナはアスカが既に薄々勘付いていたことを知った。
いつの間にか固くなっていたヘレナの表情が、まるで、重い荷物を下ろした後のように和らいでいく。
実際彼女の気持ちは重かったのだろう。
レイチェルが何をされたかを説明することは、他人のこととはいえ余り気分の良いものではない。
それを回避できたのだから、気も楽になると言うものだ。
「まぁ、そんなひどい躾が行われるようになって以降、あの子はすっかり自分の殻に閉じこもるようになってしまったようです。あの日が来るまでは・・・。」
ヘレナは一旦カップの白湯を飲み干してから、一気にそこまで話した。
それからまた自分で自分のカップに白湯を注ぐ。
「あの日、と言いますと?」
アスカのその質問は当然予期されるものだ。
だが、ヘレナは片手を上げてアスカに待つように指示を出し、深呼吸をして気持ちを整えた。
どうやら佳境らしい。
アスカも息を飲んでヘレナの次の言葉を待った。
「あの子が9歳の頃です。その年、早くも高校卒業の資格を取ることが決まって珍しくお祝いをすることになったんです。ところがいつまで待っても頼んだ料理が来ません。待ち切れなくなったご両親が、家にあの子を待たせて道路に出た、それが最期でした。」
ヘレナは目を閉じている。
何かに耐えるかのように、身じろぎもせず、じっとしている。
アスカもいつの間にか背筋をぴんと伸ばしていた。
先ほどよりも長い沈黙が流れていたが、今度はアスカも急かさない。
ただじっと、時の流れに身を任せる。
ようやくヘレナが口を開いたのは、それから更にしばらく経ってからだった。
「ご両親は居眠り運転で突っ込んできたトラックに撥ねられて亡くなりました。レイチェルを一人残して。」
アスカは無言で頷いた。
特に心を揺さぶられることもない。
”孤児”院に預けられる以上、その事態は予想できたことだ。
悲しい話だが、目新しくはない。
「でも、彼女の悲劇はそれだけではありませんでした。引き取ろうという親戚が一人も現れなかったんです。」
今度のヘレナの言葉は聞き逃せない。
アスカは仰天して大声をあげた。
「ど、どうしてですか?あんなに優秀なのに・・・。」
さっきは微動だにしなかったアスカの心は今や嵐の夜の海に浮かぶ小舟のように振り回されていた。
行き先も、それを収める術も判らない。
唯一の灯りであるヘレナの次の言葉に全てを託し、アスカはすがるようにヘレナの目を見つめた。
「一つには、”畏怖”でしょうか。自分が引き取ったせいで、彼女の将来を台無しにする可能性がありますから。彼女の才能は知れ渡っていましたし。成功を約束されたように見えて未完成の少女を引き取るのは、ある意味分の悪い賭ですからねぇ・・・。」
ヘレナは諦観したように話した。
それは、アスカには、”納得”できる。
(そう言えば、ママもあたしに対するとき過敏なほど慎重だったわね・・・。)
実際にキョウコは慎重に慎重にアスカに接していた。
手を上げても良い場面では躊躇が先に立ち、きつく言わなければならない場面では常にその時を逃した。
それでもここまで来られたのはキョウコがアスカの実の親だから、と言う以外に理由が思い当たらない。
何かあっても一生責任を持って面倒を見る覚悟を持てる人間は意外と少ないんだな、と、アスカは少し寂しく思った。
だが、ヘレナの様子では、それはさしたる理由では無さそうだ。
アスカは感傷を置き去りにして再び意識をヘレナの言葉に集中させた。
「もう一つ、実はこっちの方が主な理由になりますが、彼女は”殺人”を犯したのではないかと疑われたのです。」
「えぇっ!?どうしてそうなっちゃうんですかっ!?」
今度こそ、アスカは飛び上がって驚く以外に何も出来なかった。
嵐を抜けたら大嵐だった、とでも言おうか、とにかく恐慌状態から抜けられるまでにはしばらくかかることだけは疑いない。
「それが彼女の能力が引き起こしたもう一つの悲劇です。」
大荒れのアスカの心とは全く対照的に、ヘレナの心は鏡面のように凪いでいるようだ。
淡々と語る姿に、アスカは力一杯首を振って”判らない”と示した。
そうすれば過去の事実が消える、と信じているかのように。
「実は検屍の結果、運転手は即死だったのですが、彼女のご両親は即死ではなかったことが判ったのです。事故後しばらくは息はあったことが確認されています。だから、すぐに救急車を呼んでいれば助かった可能性も否定できないのです。いえ、むしろ、高いと判定されました。それを彼女はしなかった、つまり、”未必の故意”を疑われたわけです。」
「そんな馬鹿なことっ!あるはずがないわっ!!」
とうとうアスカは耐えきれずに感情を爆発させた。
被っていた猫もどこかに逃げていってしまったようだ。
だが、そんなアスカの反応にもヘレナは淡々としていた。
「彼女が受けていた虐待に近い躾の様子を考えるとあながちその可能性を否定できないのです。しかも、彼女はその日、高校卒業と同じ資格を得ていました。同年代の他の子ならば、『幼い子が親が心配でその場を離れられなかった』という常識的な判断をしてもらえたかもしれませんが、『彼女の知的レベルならもっと適切な対処法があったはずだ』という考えの方が一般受けします。加えて親戚の方々は彼女の能力を一般の人よりも更に高く買っていましたから。」
「・・・詳しいですね?」
アスカは穏やかな言葉に精一杯の皮肉を載せてヘレナにぶつけた。
言外に『そこまで知っているなら少しはレイチェルに味方してよ』と言う不満をブレンドさせている。
だが、ヘレナの受け答えはあくまでも平板だった。
「あの子の話はもうこの孤児院では伝説に近いですから。」
肩透かしを食わされたアスカは、再び荒れ狂う海の中に寄る辺もなく放り出されたような気がしていた。
「こうして誰からも引き取られなかった彼女はここへ来ました。来てしばらくは全く打ち解けませんで、一体どうしたものか、と思っていましたら、実はその時期こそが”見て”いた時期だということが判りました。」
ヘレナの物言いが静かなためか、気持ちは収まらないものの、必要以上に熱くなる心配もない。
疲れはするものの、激昂はしないで済みそうだった。
「結果として最初の1年を無駄にしたものの、ここでの処世術は”聖書をマスターし、勉強して誉められること”と悟ったあの子は、これまで以上の力を発揮して大学に合格し、見事奨学金を勝ち取ってここを出ていくことになりました。それはもう、教会の全ての人が祝福しました。」
初めて。
ヘレナの顔に穏やかな、幸せそうな色が浮かんだ。
余程嬉しかったのだろう。
5年も前のことを目を細めて振り返っている様は見ているだけでも幸せになれそうだ。
「でも、最初の大学の奨学金は1年で打ち切られてしまいまして・・・あの子、最初は”見”ますので・・・。」
「あ、そう言えばそうですね・・・。最初の半期の講義については全く単位が取れない、ってことになりますから・・・。」
ミュンヘンのアスカのような存在のないレイチェルには、より長い”見る”期間が必要だったのだろう。
それは日本のシステムと違い、卒業の見込みが無くなった時点で即放校されるシステムを取る大学が多いアメリカでは致命的だ。
「そういうことですね。そんなわけで、あの子はすぐまたここに戻ってきたんですけど、その時に余った奨学金をほとんどここに寄付したんですよ。そのお金で今の修道院長を呼ぶことが出来まして、ようやくまともになってきましたけど・・・。」
なるほど、とアスカは真新しい建物と、古い木製の机のギャップに納得した。
「あ、ここがこんなに新しいのはそのせいですか?」
「えぇ。勿論、彼女のお金だけじゃあ足りませんが、そう言う美談があると寄付金が集まりやすんですよ・・・。」
ヘレナは申し訳なさそうにそう告白した。
彼女が悪いわけでも、まして何か悪いことを言ったわけでもないが、確かにそんな裏話を聞くと気分が悪くなるので、そう言った態度は好感が持てる。
「意外と現実的ですね・・・。」
「はい。続けますと、奨学金がもらえないと学費も払えませんし生活もできませんので、2つ目の大学に移りました。勿論奨学金を戴いて、です。今度は全てを”見る”必要はないので卒業まではすんなり済みました。ところが、就職が出来ないんです。余り景気も良くないので、学部卒では、と言うのもありますし、いざというとき後ろ盾のない彼女は敬遠されました。」
この辺りが文化の違いだろう。
契約社会のアメリカでは、個人の能力に加えて補償能力が問題になる。
孤児では限界がある、と言うことか・・・。
「そこで残る選択肢は大学院進学、となったわけですが、今度こそ完全に手詰まりでした。」
ヘレナからはため息しかでなくなった。
そして、アスカは息を飲むしかなかった。
「そ、そうか・・・。」
「研究は見ているだけじゃ駄目なんでしょう?」
ヘレナの見解はは部外者なりに図星を突いている。
それはまさしくフレッチャーが指摘したことだ。
アスカは決まり悪そうに頷いた。
「特にこの国は生き馬の目を抜くような競争社会ですので、ここにいても誰も助けてくれません。むしろ、良いように使われて後は捨てられる、ということを2回ほど繰り返しました。大学の研究のことは全く判らない私ですが、さすがにこの国じゃ絶対無理だ、という残念な真実が見えてきましたので、思い切ってヨーロッパに行くことを薦めた、というわけです。」
「な、なるほど・・・。」
アスカはレイチェルの余りの波乱の人生に圧倒されていた。
彼女に比べれば、なんと自分の恵まれていたことか・・・。
それに感謝することもなく、ただひたすらに自分の都合だけで飛び出しては逃げ帰り、自己弁護してばかりいた。
自分で呼び込んだ困難の後始末も付けずに放り出してきたものが多すぎる。
今思いつくだけでも、日本でのアパートの未払い分の処理、イタリアの職場へ連絡無しに辞めてしまった後の事務処理、そして、ベルリンから飛び出した後の処置・・・。
特に、イタリアやベルリンではシンジを残してきた。
今はアスカの実家に下宿しているが、アスカがいなくなったら全くの赤の他人のシンジを下宿させていることにいつまで意味を見出せるだろうか?
情けなくて居ても立ってもいられなくなってくる。
早く帰って何かをしなければならない。
まずは、親に感謝をしなければなるまい。
一言だけでも・・・。
(そう言えば、この人もレイチェルの”育ての親”よね?)
アスカはちらっとヘレナを見やった。
「その・・・、心配だったんじゃないですか?目の届かないところに送るの・・・?」
ヘレナはアスカの言葉ににっこりと微笑んだ。
「そうでもないですわ。あなたがいましたから。」
「え・・・?」
思いもかけない言葉が飛び出して、アスカは目を丸くした。
ヘレナとアスカは全く面識がない。
それが、どうしてそんな信頼に結びつくのだろう?
「実は、あの子の受け入れの話をフレッチャー教授に相談したとき、『そう言えば何年か前の卒業生に似たような境遇の人が居るから、うちなら構わないよ』って仰って下さいました。それでもまだ不安だった頃に、あなたも復学するかもしれないという話を聞いたので決断したんです。」
ヘレナはまるで自分のことのように嬉しそうに話した。
それを聞いたアスカも嬉しくなる。
自分がいたことは、無駄じゃなかった・・・。
そんな充実感が心を満たしていく。
「あの子は”見る”前は人見知りもしますので、何回もここで練習しました。最初は鏡に向かって話しているつもりになりなさい、って教えました。それから、色々なケースについてシミュレーションして、日本についての本も読ませて・・・。」
「あぁ、あぁ・・・。」
アスカはようやく、あの日のレイチェルの行動の根元に気がついた。
レイチェルは必死でなぞれる何かを探していたのだ。
だからスリッパにも目を向いたし、倒れたアスカにパニックを起こしたりもしたのだ。
まさか自分の行動が他人に衝撃を与えているなどとは想像も出来なかったのだろう。
「蒼龍さん。あの子は、本当に良い子なんです。だから、あの子がご両親を見殺しにしたなんて信じないで下さい・・・。」
ヘレナは懇願するようにそう言った。
それなら言わなければいいのに、とアスカは可笑しくなって笑った。
恐らく、ヘレナ自身もどこかでそれを疑っているのだろう。
だから言わずにはいられなかった。
それでも、そうではないと信じられる何かを得られるのではないか、とすがったのかもしれない。
だとすれば。
ヘレナはそれを掴んだと言える。
「あ、それでしたら、絶対そんなことはありません。」
アスカは自信を持って断言した。
「え?そ、それ、本当ですか?」
「はい。」
ヘレナは初めて身を乗り出してきた。
アスカは胸を張って答えた。
「レイチェルは躾を守る子ですから。」
それはヘレナも良く知っている。
だが、それが何だというのだろう?
訝しげに首を捻るヘレナの前には、しかし、自信を持って微笑む天使が一人、ゆったりと座っていた。
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