| 転校生 S |
| 作 : Ophanim |
| 第24話 ボストンの午後 |
-
その日。
アスカは少し早めに学会会場を後にした。
聞きたかった発表はまだ残っていたが、その午後のことが気になって少しも内容が頭に入らないのだ。
これなら午後に備えて少し身体を休めた方がましだ。
アスカはホテルに戻ってくると学会用の明るいブラウスやスーツを脱ぎ捨てて、落ち着いた色のブラウスと上着を取りだした。
ふと、ベッドに放り投げられた服に目がいく。
「皺になるとレイチェルが大変だからね・・・。」
ちょっとだけ考え直して脱ぎ捨てた服をハンガーに掛け直した。
ついでにシャワーも浴びてしまうことにする。
学会会場は禁煙だが、廊下やロビーで遠慮無しに吸う人が多くて髪や服に臭いが付く。
慣れない言葉遣いに疲れた頭もリフレッシュしたいところだ。
軽くシャワーを浴びた後で、髪に備え付けのドライヤーをかけながら、今日が自分の誕生日だったことを思い出した。
去年の誕生日はシンジが、そして今年はレイチェルが人生の岐路に立っている。
その前はアスカ自身が日本で大きな決断をしていた。
どうも自分の誕生日は何やら重大な選択を迫られるような運命を担っているのかもしれない、などと考えてみる。
(ま、冗談だけどね。)
シャワーを浴びてさっぱりしたせいか、気分が大きく変わった。
深刻になることはない。
何が明らかになってもレイチェルへの友情が揺らぐはずがない。
ただ、より効果的に彼女に接したいだけだ。
晴れやかな気持ちで着替えを済ませる。
ミュンヘンから大事に持ってきた鞄も持った。
「さ!アスカ、行くわよ!」
鏡の中の自分に向かって一声かけて、アスカはホテルの部屋を後にした。
聖セバスチャン教会はすぐに見つかった。
治安の悪そうな通りに挟まれて、一本だけ小綺麗に生まれ変わったような細い通りがあり、その始点が目指す教会だったからだ。
真新しくぴかぴかと光る十字架がかえって安っぽく見える。
薄暗がりの礼拝堂の中を進んでいると不意に声をかけられた。
「蒼龍さんですか?」
この声は、電話のあの声だ。
アスカはゆっくりと声の出所を探した。
礼拝堂にはアスカが一人いるだけ。
となれば、逆に可能性は限られる。
アスカは祭壇に向かって返事をした。
「はい。お電話差し上げた、アスカ=ラングレー=蒼龍です。」
アスカの返事の余韻が消える頃、祭壇の陰から司祭が顔を出した。
ゆっくりと近寄ってきて、十字を切る。
「懺悔室にでも行きますか?」
アスカは冗談っぽく笑顔を作って握手を求めた。
「いえ、その必要はないでしょう。私がルロイ=レキシントンです。この教区の司祭をしています。今日はよろしくお願いします。」
その最後の言葉の意味はよく判らなかったが、アスカはルロイと軽く握手をしてから、連れだって別棟へ続く扉をくぐった。
聖セバスチャン教会は建物自体は新しいが、それは最近建て替えたからで、実際はそれなりに歴史がある教会だ。
付属の修道院と孤児院が向かい合わせに併設されている別棟には、一般の礼拝者は入れず、アスカのような特別な事情でもなければ滅多に入棟が許されない。
現在は数十名の修道尼と十数名の孤児が共同で暮らしている。
実は自分は雇われ司祭で建て替え前のことについては全く知らない、といった話を道すがらルロイは説明してくれた。
ルロイはアスカを修道院の一室に案内した。
質素な、古い木の机と椅子がおいてある、小さな部屋だ。
「ここで待っていて下さい。ヘレナ=ジョンストンを呼んで参ります。」
ルロイはアスカが椅子に座ったのを確認して、部屋を立ち去ろうとした。
「ところで、あたしはもう会っても良いんですか?あたしという人間が判らないから電話じゃ無理だって聞いたんですけど。」
面接でもあるのか、と身構えていたアスカが拍子抜けしたのも無理はない。
ここまで何事もなかったかのようにすんなりとことが運んでいるからだ。
「面接なら済みましたよ。さっき会ったじゃないですか。」
ルロイはにこやかに微笑んだ。
不思議そうな顔をするアスカに、更に説明を加える。
「急に声をかけても身構えることもなければ、十字を切られて動揺することもありませんでした。レイチェルの名前を一度も出さなくても用件を急かすこともありませんでした。あなたは本当にあの子のことだけを考えている。」
なおも傾げた首が戻らないアスカに最後の説明。
「それに、その他の細かなあなたの情報は、同居が決まる前に調べられていましたから。」
アスカは最初の説明で納得できなかった自分の不信心を、ちょっとだけ反省することにした。
待つと言うほどのこともなく、目当ての女性は一人で姿を現した。
尼僧服に身を包んでいるので正確な年齢は判らないが、肌の張り艶を見ると確かに若い。
もっとも、若いと言っても20代ではないだろう。
アスカの母ほどの年代か?
などと慎重に値踏みしながらアスカは目の前の女性に手を差し出した。
「初めまして、アスカ=ラングレー=蒼龍です。」
相手もまたゆっくりとアスカの手を取る。
「ヘレナ=ジョンストンです。初めまして。」
目の前には何故か敵意のようなものを瞳に浮かべたヘレナがいる。
アスカもそれに釣られて、自らの身体を緊張感で満たす。
僅かでも隙を見せてはならない。
「初めに申し上げますが、彼女に”見るな”と頼む依頼でしたらお断りいたします。」
ヘレナは先手必勝とばかりに高らかにそう宣言したが、もしそれが意表を突く目的以外のものだったなら、完全に失敗だ。
なまじ緊張していただけに、ヘレナの言葉の意味が全く理解できないアスカは、ぽかんと口を開けてしまった。
「・・・は?な、何のことですか?」
どうにか意識を拾い集めて声を出す。
緊張感もなにもあったものではない。
こんな様子では会話が成り立つかどうかも怪しい。
なによりもまず、相手が話す言葉が自分に通じるのかどうかを見極める必要がありそうだった。
ところが、アスカのその反応を見たヘレナの瞳からあっさりと敵愾心が消えた。
代わって登場したのは穏やかな笑顔。
「良かった。私はてっきり、あなたがあの子との共同生活はもう嫌だ、と言い出すものかと・・・。」
「とんでもない!」
アスカはそれまで被っていた猫を放り出して相手の言葉を遮った。
「そっちこそ、レイチェルと離れて暮らせだなんて、そんな馬鹿なこと言い出さないで・・・。」
勢いでそこまで言ったものの、ヘレナの優しい瞳に気がついて、急いで猫を被り直す。
「・・・くだ、さい・・・ね。」
「えぇ。判りました。とりあえず、座りませんか、蒼龍さん。」
振り上げた拳のやり場に困っていたアスカは、ヘレナの誘いをこれ幸い、とばかりに、そそくさと椅子に腰掛けた。
机を挟んで向かい合ってこそいるものの、二人の気持ちは今、同じ方向を向いていた。
「その、ヘレナさんはこちらでレイチェルをお育てになったそうで・・・。」
アスカは早速話題をふった。
予想よりも早く着いたものの、余り治安の良く無さそうなこの界隈で日が暮れることは避けたい。
時間を無駄には出来なかった。
「えぇ。こちらに来てからは主に私が教育を担当いたしました。と、言っても、勉強を教えたわけではなく、神の教えについて、ですが・・・。」
あれ?とアスカはちょっと首を傾げた。
シスターが”神の教え”を教えるのは何の不思議もない。
だが、それをあたかも一等下のもののように語ったことに違和感を感じたのだ。
教会の人間は全て神至上主義だと思っていたが、この教会はどうも異質らしい。
「それで、あの子が何か?」
ヘレナの声で会話が滞っていたことに気がつく。
アスカは慌てて口を開いた。
「はい。初めは気がつかなかったのですが、最近になってあの子が夜中になると徘徊をしたり、悪夢を見たりしていることが判ったんです。それから、打ち解けているように見えて、身体が触れそうになると逃げていったりとか・・・ちょっと説明が難しいのですが・・・。」
仮にも教育係だった人を相手に、”手を上げそうになった”とは言えない。
アスカは言葉を婉曲にして状況を説明した。
幸い、ヘレナにはそれで充分だったらしい。
あぁ、と嘆息混じりに納得してくれたようだった。
「それで、私に何をしろと仰るのですか?」
気を悪くしたかな、と思いながら、ヘレナの様子を窺う。
どうもそうではないようで一安心だ。
確かに今は離れているし、相談されても何をしたらいいのか判らないのだろう。
「はい。レイチェルの昔のこと、何でも良いから知りたいんです。知らないよりは知っていた方が何かと適切な対応が取れますし、それに、そ、そのぅ・・・。」
失敗した、とアスカは思った。
勢いでそこまで言ってしまったものの、果たしてその表現が適切かどうか?
妙な誤解を与えないだろうか?
「その、何でしょうか?」
聞き流してくれ、と言うには余りにも明瞭に言葉を発してしまっている。
ヘレナはアスカの言葉のその先を聞くまで、次の話題に移ってはくれないだろう。
アスカは意を決して、少しだけ顔を赤くして言葉を継いだ。
「それに、好きな人のことは知りたいと思うのが自然だと思います。」
ヘレナが目を大きくしてぱちくりとするので、ますます顔が赤くなる。
それでは一層誤解を招くと判っていても止まらない。
だが、そんな態度がヘレナの安心を誘ったようだ。
「・・・そう、ですね。こんな所に長くいると、そういう”人の自然な感情”っていうのが判らなくなっていくんでしょうね。」
独り言のように自嘲気味に話す。
やはり、この人はここにいることにそれほど価値を認めていない人なのだろうな、とアスカは断定した。
それでも、自分の”好き”を誤解されずに済んだことの安心感から、ヘレナへの信頼の方が強くなった。
アスカが辛抱強く待っていると、ヘレナは少し俯いて呟くように話し始めた。
「あの子は・・・”見る”んです。」
ヘレナはぽつり、と呟いた。
それっきり黙ってしまう。
「あの・・・”見る”とは?」
アスカは堪らず問いかけた。
禅問答をしたくて来たわけではないのだから、もっと具体的に話してもらいたいものだ。
アスカの言葉を受けて、ヘレナの顔がくるっと正面を向いた。
「何かをする前には必ず、人のやることを”見て”いるんです。」
「だから、”見る”って言われても何のことだか・・・。」
アスカは要領を得ない相手に少し苛つきながら問い詰めた。
何かをする前に他人のやることを見てやり方を習うのは自然なことではないのか?
だが、ヘレナはそんなアスカの質問にも動じずに、変わらず静かに口を開いた。
「あの子は、他の人が何をするか、その結果どうなるか、だから自分は何をすれば一番良いか、を全て記憶してから初めて動くんですよ。」
アスカの脳内に電撃が走る。
「あ、あぁ・・・確かに・・・。」
納得・・・。
そう言えば、研究室に入ってしばらくは、全く姿を見せない日々が続いていた。
あれはレイチェルが”見て”いる期間だったのか・・・。
だとすれば、知らなかったとは言え、アスカは非常に良いことをした。
姿の見えないレイチェルを無理に追いかけることをせず、先輩達の馴れ合いにも参加せず、ただひたすら自分の研究に埋没していたのは、レイチェルに”研究生”としての典型を見せていたことになる。
「あの子はそうやって生きてきたんです。普通だったらそんなまどろっこしいことしていたら置いて行かれるんでしょうけども、あの子の場合、記憶のスピードと量が尋常でない。最初はぴたっと立ち止まって全体を見て、それから走り出したとしても、最後は他人を抜いていけるんです。」
確かにあの記憶力は凄かった。
アスカは戦慄すら覚えたレイチェルの記憶力を思い出していた。
(良かった。それなら、あの子はいつかあたしがいなくても独り立ちできる・・・。)
アスカは心の深いところから安心し、その中に微かに混じる寂しさには気がつかない振りをした。
だが、自分の心を欺くのは難しい。
その寂しさを強く感じる前に、アスカは別の質問をして気を紛らすことにした。
「それは、産まれたときからそうだったんですか?」
ヘレナはアスカに白湯を勧めながら頷いた。
「えぇ。何しろ、最初は全く口を利きませんでしたから。話すどころか泣き声すら滅多に上げないあの子を心配したご両親がお医者様に連れて行ったんですが、診断結果はいつも”どこもおかしくない”でした。そんなことが何度か続いたある日、あの子は突然『私は大丈夫です。ちゃんと話せるし耳も聞こえてます。だからもう検査しないで下さい。』って完璧な英語で話をしたんです。それがあの子の運の尽きとも知らずに。」
そこで一拍置いて自分のカップにも白湯を注ぐ。
アスカは何となく白湯に口を付けて、余りの熱さにまた机に戻した。
ヘレナはアスカが熱がった白湯に全く頓着せずに口を潤した。
(熱くないのかしら?)
他人事ながら少し気になる。
遠くの建設工事の音や犬の鳴き声が微かに聞こえるだけの、静かな室内。
その名残を惜しみながら、アスカは敢えて一石を投じた。
「そんなに凄い子なのに、どうして孤児に・・・?」
俯いていたヘレナが静かに顔を上げた。
「逆ですよ。あの子のその能力が、自分で自分の首を絞める結果を呼んでしまったんです。それこそ、全速力で。」
何だろう?
嫌な予感がする。
これ以上聞いていくと、良くないことが起こりそうな気がする。
アスカはそんな自分の予感と好奇心とを秤に掛けた。
だが、結論は既に決まっている。
何故なら、ここにいるのだから。
「どういうことですか?」
アスカは更に一歩を踏み出した。
Mail or Back to Index