| 転校生 S |
| 作 : Ophanim |
| 第23話 遡流の旅 |
-
「アスカ、マリーが呼んでたぞ。学会のことで。」
久しぶりに研究室に顔を見せたパース=ホーキンスがアスカに伝言を伝えた。
彼はこの間学位論文の審査を提出し終え、あとは審査結果を待つばかりの気楽な身分だ。
審査、と言う以上、駄目なら駄目で厳しいはずだが、ここではそれは建前の話に過ぎない。
実際の審査が行われる以前に、厳しい書類の予備審査が幾度と無く繰り返され、新たな注文を付けられ、それら全てをクリアして初めてこの最終の審査が開かれる。
ここに至るまでには充分な選別がされているのが現実だ。
つまり、『審査が行われる』とは合格発表を待つばかり、と言う意味なのだ。
「あ、はい。ありがとうございます。」
アスカは一瞬レイチェルの方を見てから答えた。
彼女に気付かれないように、そっと研究室を出る。
(合格したのかしら?それだといいけど・・・。)
アスカは逸る気持ちを抑えつつ、事務室に急いだ。
事務室に着くなり、マリーの机の元に駆け寄る。
「どうだった?」
勢い込んで聞くアスカの前に、マリーはそっと印刷されたメールを差し出した。
『not accepted』
太字で書かれた部分が厳しい現実を現している。
参加拒否、より一段階ましなのが救いだ。
当日欠員があれば発表しても良い、と但し書きがされているが、その順番も3桁になんなんとしていれば、まずお鉢が回ってくることはないだろう。
「はぁ・・・。漫画や小説みたいにうまくは行かないわね・・・。」
アスカはさばさばした表情で結果の書いてある紙を畳んだ。
もともとレイチェルに”無駄です”と指摘された段階で、望みがかなり低くなっていたことは判っていた。
どうでも良いデータに拘りすぎた申込書の内容は、今考えると全くと言っていいほど意味のない文章が羅列されていたことになる。
むしろ、それを正確に見抜いて『落選』の決定をした学会の慧眼に改めて背筋が伸びる思いだ。
「マリー、ありがと。」
「あ、ちょっと待ってよ。」
照れ隠しもあって、そそくさとその場を離れようとしたアスカを、マリーが呼び止めた。
「なぁに?」
「あのさ。アスカ、実はボストンに行きたかっただけなんじゃないの?」
マリーがアスカの耳元で囁く。
「う、うん。そう言う面もあるわね・・・。」
図星を突かれて、少し赤面しながらアスカは答えた。
旅費さえ工面できれば自費ででも行こうと思っていたほどだ。
そう言う面、どころか、それが全ての理由なのだ。
「それじゃあさ。急なんだけど、来週で良ければ、フレッチャー教授の鞄持ち、ってことで行ってもらえないかな?ボストン。」
パスポートはあるのよね?と確認をするマリーの手をしっかり握りしめる。
「え?え?それ。ほんと?」
「えぇ。本当は私が頼まれてたんだけど、ちょっと仕事終わりそうにないのよ。見てもらえれば判ると思うけど。」
マリーは肩をすくめて机の上を見回した。
冗談や言い訳でなく、本当に終わりそうにないほどの書類の山がマリーの机の上に積もっている。
アスカへの配慮だけで仕事を譲る、と言うわけでは無さそうだ。
「どうしたの、これ?」
「あぁ。もう・・・。ボストン行ってもらう代わりに、アスカからも教授にそれとなく頼んでおいてよね?あの子の申請してくる論文送付依頼の数、とんでもないことになってるって・・・。」
マリーは恨めしそうにアスカに懇願した。
申請書の差出人の名前に同居人の名前を見つけたアスカは、あぁ、なるほど、と一人納得した。
インターネットの普及で大学の研究室から足を運ぶこと無しに論文を読めるようになったとはいえ、それはまだ一部のもの。
また、ある程度基礎の部分の論文は古いものに根ざしていることが多く、それらはまだインターネットで読むことが出来ない。
加えて、他の大学の図書館にしか保管されていない雑誌や論文、資料もまだたくさんある。
そう言ったものは互いの大学同士で編集社と契約し、複写しあって共有するのだが、その許可申請は一つの論文毎にいちいち取らなければならないので大抵の学生はその時点で諦めるか、極力その数を減らそうと努力する。
(レイチェルが諦めるはず無いものね・・・。)
アスカはマリーに申し訳ない、と思いながらも内心おかしくて仕方がなかった。
「判ったわ。掛けあってくるから。」
一生懸命笑いを堪えて事務室を後にする。
「本っっっ当に頼んだわよ?」
この分だと出張どころか休暇まで無くなりそうなマリーの悲痛な叫びをBGMにして、アスカは研究室に向けて走り去っていた。
「アスカさん、着替えは持ちました?洗剤とか小分けにして持っていくと着替えを少なくできますよ?あ、歯ブラシとかはホテルについているって聞きましたよ。あ、あと、あと、寒いときにはマフラーで口を隠しちゃうと良いですよ?」
レイチェルは少し興奮気味にぱたぱたと動き回っている。
まるで自分が出かけるかのようだ。
散々荷物を減らすように忠告している割には、ぎゅっと押し詰めた旅行鞄はレイチェルが詰め込んだ荷物で既に一杯になっていた。
「大丈夫よ。たったの一週間じゃないの。」
明らかに一週間分以上の着替えを詰め込まれた上、洗剤まで持たされそうな勢いのアスカはレイチェルの暴走を止めようとやんわり話した。
「駄目です!もし雨に降られたり、何かあったりしたらすぐに着替えが必要になっちゃいます!」
レイチェルはぶるぶる、と首を振って危険を主張した。
(何かって何よ・・・。)
アスカは内心苦笑しながら鞄を開き直した。
それはともかく、この重さでは重量制限に引っかかりそうだ。
多少のオーバーは大目に見てくれそうだが、帰りにシンジやレイチェルにお土産を買ってくる余裕くらいは欲しい。
それに、どうしても持っていかなければならない資料もある。
「レイチェル、あたしがいない方がいいの?もっと長く部屋を空けた方が良かった?」
少し意地悪だな、と思いながらも、アスカは早めに殺し文句を使うことにした。
案の定ぱたぱたしていたレイチェルの動きがぴたっと止まる。
「わ、私・・・そんなこと思ってません・・・。」
あっと言う間にうるうると目を潤ませるレイチェルの手を握りしめる。
「判ってるわよ。だけども、だったらそんなに着替えいらないでしょ?」
アスカはにこにこしながら、鞄の中から服を少しずつ取りだした。
レイチェルはその様子を見ながら手に持った洗剤の袋と見比べていたが、やおらアスカが取りだした服を取り上げてその重さを比べ始めた。
「・・・そう、ですね・・・。洗剤の方が軽いですね・・・。」
レイチェルは首を傾げながらもアスカの意見に賛成する。
その様子を見ていて、アスカはレイチェルに伝えておかなければならない言伝が色々あることを思い出した。
「いい?あたしがいない間、IRのチャートを取って、似ているピークを書き留めておくのよ?それから、試薬の注文を忘れないで。2番が切れそうだったから。あとは、実験後の消毒忘れないでね。」
アスカは手近の紙を取って今後の研究の流れを簡単に指示した。
フレッチャーの許可をもらい、二人で共同研究をするようになってから、二人の研究スキルは飛躍的に向上した。
基本的にはアスカが出してきたアイディアに従って研究を進めるのだが、アスカも万能ではないからたまに解読不能な現象が起きたりする。
そうなるとレイチェルの出番だ。
広範な分野から大量の情報を集めてきてアスカに報告、それをアスカが分析し、新たな見解を引き出す。
それをまたレイチェルが記憶している過去の論文その他の情報と突き合わせ、論理に矛盾や破綻が起きていないかをチェックする。
アスカの分析自体も稀に自己矛盾していることがあるので、レイチェルの存在抜きにはもはや研究そのものの存続が怪しい。
「あ、それと、論文頼む量を少し減らしてくれってマリーが頼んできたわよ。」
「駄目ですよ。必要ですもの。」
レイチェルはむ〜、と頬を膨らませた。
とはいえ、実験の時とは逆に、アスカから見るとレイチェルは余りに”畑が違いすぎる”論文や資料を集めようとしていたりする。
アスカが”これに関連した論文が必要”と指示を出したときでない限り、レイチェルが機械的に集めてくる資料のほとんどが役に立たない。
もっとも、その中にブレークスルーになる情報が含まれている確率も無くもないのだが・・・。
「昔の論文のデータは急がなくても変わらないから大丈夫よ。でも、どうしてもっていうなら、それじゃあ、あたしがいない間だけでも論文集め、休んでもらえる?」
論文として発表されている以上、例え最新の論文でもそのデータが変わることは無いのだが、レイチェルを安心させるためにそう言ってみせる。
アスカの思惑通り、レイチェルは小首を傾げながらもゆっくり頷いてくれた。
どこかでこうやってリセットをかけていかないとレイチェルの探索範囲は広がるばかりだ。
「それじゃ、明日の朝早いから、今日は早目に眠るわよ?」
アスカは少し軽くなった鞄にこれ以上余分なものが詰まらないよう、しっかりと鍵をかけて立ち上がった。
ふぁぁぁ・・・。
アスカは本日何度目かの大欠伸をした。
昨日の夜はまんじりともしなかった。
アスカがいなくなる、ということが影響したのか、レイチェルは徘徊こそしなかったものの、悪夢を見てうなされた。
おかげでアスカは折角早めにベッドに入ったもののいつもよりもより少ない睡眠時間しかとることが出来なかった。
加えてこの時差だ。
ミュンヘンとボストンでは6時間の時差がある。
昨夜は早めにベッドに入ったこともあって、昨日なら寝ていたはずの時間が来てもまだこちらは午後の2時〜3時。
つまり丸一日以上起きているも同然だ。
「アスカ、疲れただろう?もしも身体がきつかったらウェルカムパーティは出なくても良いぞ?」
フレッチャーが欠伸の多いアスカを気遣って優しい声をかけてくれる。
彼の荷物持ち、と言う名目でついてきていながら、アスカが持っているのは自分の荷物だけだ。
アスカが『荷物持ちですから、持ちます』と主張したら『女の子に本当に荷物持ちさせたら私が笑われる』と言って笑い飛ばされてしまった。
紳士と言うものに対する認識はなにもイギリスの特権ではなく、ヨーロッパでは共通しているようだ。
「折角美味しい料理が出ますから、出席させてください。でも、お言葉に甘えてお昼寝だけはさせてもらおうかと思います。」
アスカはにっこり笑ってそれに応えた。
ウェルカムパーティではアルコールとちょっとした料理が出るのが普通らしい。
まだお酒の飲めないアスカも一体それがどんなものなのか興味はある。
会場を兼ねたホテルについてすぐにチェックインを済ませ、自室に引き上げてきたものの、まだこちらは昼の日差し。
カーテンを引けば多少ほの暗くはなるが、とても”一の二の三”で眠れる環境にはない。
とりあえずシャワーを浴びて足下の疲れをとり、髪を乾かしているとフロントから電話が入った。
「蒼龍様でございますか?聖セバスチャン東地区教会からお電話が入っていますが・・・。」
「あ、ありがとう。繋いでもらえます?」
アスカは軽くバスローブを羽織ると器用にバスタオルで髪をまとめあげた。
少し薄暗かった室内に、メモをとるため照明をつける。
「はろ〜、こちら、先日連絡差し上げたアスカ=ラングレー=蒼龍です。」
電話の受話器に向かって、少し無理にテンションを上げて声をかける。
シャワーを浴びた後眠気が更に増していて、本音を言うとちょっときつい。
「ハロー、こちらは聖セバスチャン東地区教会のルロイ=レキシントンです。なんでもレイチェル=サンダースのことでご相談とか?」
電話の向こうの声は初老の紳士を思わせる落ち着いた声だった。
その声だけで相談相手に安心感を与えるようで、アスカの疲れも癒されるようだ。
この声はこういう職業に就いたから身に付いたのか、それとも、先天的にこういう声だったからこの職が向いていたのか?などと関係のないことを考えてしまう。
「えぇ。実はちょっと気になることがありまして・・・。」
「いや、その件については直接担当したシスターとお話になって下さい。電話ではあなたがどのような人なのか窺えませんから。」
その言葉でアスカは一瞬怯んだ。
裏を返せば『会えばどんな人間か判る』と、絶対の自信を持って言っている事になる。
これから対峙する人物の性格が少し判ったような気がした。
アスカが黙っているとルロイの方から更に声をかけてきた。
「こちらはいつでもよろしいですから、ご予定をお聞かせ下さいますか?」
ちらっと学会のスケジュールを開く。
どうしても聞いておきたい発表が目白押しなのだが、幸いにして3日目の午後はオプショナルツアーが組まれていてまるまる空いている。
「当方は3日後の午後ならば時間がとれます。それでよろしいでしょうか?」
アスカはメモ帳に聖セバスチャン東地区教会まで交通手段や道順、目印になる建物などを次々に書き込んでいった。
「それでは、後日・・・。あ、すみません。担当になった方のお名前はなんと言いますか?」
電話を切る直前、何となく気になって今日のうちに聞いておくことにする。
シスター、と言う以上は女性なのだろうが、名前を知っているのと知らないのとでは質問を予想するときに差がでそうな気がするのだ。
「担当ですか?ヘレナ=ジョンストンという比較的若いシスターですよ。」
短く礼を言って受話器を置いて、ごろん、とベッドに横になる。
(決戦は、3日後・・・。)
何となくそんな表現がしっくりきた。
まずは”面接”に通らなければならないようだ。
その後ヘレナと会話をして、それで、どうするのだろう?
自分にはルロイ=レキシントンのような”会えば判る”という自信はない。
だが、自分には願いがある。
レイチェル=サンダースを守りたい、と言う強い願いが・・・。
(とにかく、全ては3日後・・・今は寝る・・・。)
アスカはベッドに潜り込んだ。
無意識に右側の端に寄ろうとしてはた、と今日は堂々と真ん中で眠っても良いのだ、と気がつく。
ベッドの中央に移動して両手両足を伸ばし、大の字を作ってみる。
(・・・広すぎるわ・・・。)
アスカは結局ベッドから落ちそうなほど端に寄って眠りについた。
その左側はいつもよりも広く空けられていた。
Mail or Back to Index