転校生 S
作 : Ophanim
第22話 鏡像体




 「全くもうっ!!いつになったら・・・。」

 アスカはいらいらと研究所の自分の部屋の中を歩き回った。

 動物園の熊にしては上品な長い金髪が歩みに合わせてゆらゆらと揺れている。

 「アスカさん、実験出来ましたよ〜・・・。あ、またですか?」

 白衣も凛々しいレイチェルがにこにこしながら部屋に戻ってきて、アスカの姿を見て目を丸くした。

 髪を掻きむしってそこら中当たり散らしたせいか、美しい髪がもしゃもしゃとからまって痛々しい。

 強く噛みすぎて鬱血した唇からは微かに血が滲んでいて折角の美人が台無しだ。

 レイチェルは今にも机を殴りつけそうだったアスカの手を取って椅子に座らせると、自分もその隣に腰掛けた。

 「あぁあぁ、もうこんなにしちゃって・・・。」

 レイチェルは優しくアスカの髪を梳った。

 しばらく怒りで肩を震わせていたアスカだったが、レイチェルに髪を梳かしてもらっている間に少し気が紛れてきたのか、絞り出すようにして言葉を発した。

 「あたし、もうずっと言ってるのに・・・。」

 口に出している間にまた怒りがこみ上げてきたのか、そこで言葉が詰まり、膝頭を握りしめる手に力がこもる。

 細身の足に爪が食い込む前に、レイチェルの手がアスカの手に添えられる。

 「えぇ。判ってます。判ってますよ。」

 レイチェルはようやく整ってきたアスカの髪を撫でつけながらそう慰めた。

 「ですけど、私はフレッチャー先生の言うことが正しいと思います。」

 レイチェルは少し首を傾げながら、それでもしっかりと自分の考えを口にした。

 最近ようやくレイチェルは自分の好みや考えについて言及するようになってきている。

 もっとも、”誰の意見に賛成です、反対です”といったものが多いのでまだまだ研究者としてやっていくのは困難なのだが。

 「あぁ、『向こうにも都合があるから期待はするな』っていうあれね?その割には全然・・・。」

 「それじゃないです。」

 レイチェルは申し訳なさそうにアスカの言葉を遮った。

 アスカは目をぱちくりさせてレイチェルを見た。

 その言葉や口調にどことなく非難の気配が感じられたからだ。

 「ど、どういうこと?それじゃ、何が正しいっていうの?

 アスカはパニックを起こしてレイチェルを見つめた。

 その視線の中で小さくなっていたレイチェルだったが、それでも顔を上げて口を開く。

 「その・・・『そこまで小さな数字に拘る必要はないよ。』っていう方です。」

 一瞬アスカの右手が上がりかけて止まる。

 だが、それだけでレイチェルは身を固くしてそれ以上動かなくなってしまった。

 裏切られたと感じた怒りで固まったアスカと、その波動に飲まれて動けないレイチェル。

 二人が生ける彫像を作っていた時間はそれほど長くはなかっただろう。

 だが、その時間にアスカの心の中を駆けめぐった感情のうねりは100や200では足りない。

 (どうしてこの子はそんなことを言い出すのっ!

 (でも、今怒るわけにはいかない・・・。)

 (裏切られた?)

 (フレッチャーの言い分が正しい?って、どういうこと?)

 (この子のために研究テーマを分けてしまったから余計に発表用データが必要になったんじゃないの・・・。それを・・・。)

 (あ、でも、それ言い出したら、あいつらと同じだわ。いけないいけない・・・。)

 (だけど、どうしてこんな時期にこんなことを言い出すのよっ!

 無限に続くかと思われた感情のループは、唐突にシンジの顔が浮かんできたときに止まった。

 シンジがマナの所に電話を借りに行ったことを、ろくに吟味もせず咎めたことから今の状況が始まっている。

 何はともあれ、レイチェルに根拠を聞くのが先決だ。

 「どう・・・いう・・・こと?」

 苦労して怒りの感情を抑えたアスカの顔は、しかし、余計に恐ろしいものだったようだ。

 レイチェルは俯いたまま顔を上げてくれなかった。

 その様子を見ていると、何故か不思議な気持ちになる。

 憐れみとも、怒りとも、愛情ともとれる、一言で説明できない感情。

 言葉に出した途端にその中の一つに決まる、なんとも言えない曖昧な鼓動。

 「怒らないから。聞かせて欲しいだけだから・・・。」

 アスカがそう口にしたことで初めて、愛情、に決まる。

 「ほんとですか?

 蚊の鳴くような声がレイチェルが動いていることを教えてくれた。

 「本当よ。ただ、どうしてそう思ったのか聞かせて欲しいだけ。」

 アスカはゆっくりと、出来るだけゆっくりと、優しく聞こえるように話した。

 ようやくレイチェルの顔が上げられる。

 「その・・・生物系の論文をたくさん読んだんです。そしたら、あちらはいつも似たような条件で実験されていたので、より精密な実験が必要なんじゃないかな、って・・・。」

 レイチェルは自信が無さそうに答えた。

 だが、その一言でアスカの目からはぼろぼろと滝のように鱗が落ちていた。

 (なるほどねぇ・・・。)

 アスカが求める分子レベルでの情報は、確かに生物学の分野では魅力的かもしれない。

 だが、ここ、光工学の分野ではそれよりもむしろ、安定して同じ物を生産するための手法を開発する方がはるかに重要だ。

 だいたいにおいてまず最初に「適性温度」が前提にある生物分野と「操作条件での悪環境」まで考慮に入れなければならない工学分野で同じ精度が必要になるはずがない。

 アスカが気にしていた小数点以下数桁もの精密な情報は温度の揺らぎや分布による分子振動によってあっさり変化し、誤差範囲の海溝に埋没するだけのまさしく”無意味”なデータに過ぎない。

 先輩達の戯れ言も今にしてみれば”冗談”で済まされる範囲だったと言うことになる。

 「ありがとう、レイチェル。あたし、目が醒めたわ。」

 アスカは依然として身を小さくしている友人を抱き寄せた。

 「え?あ?はい。あの・・・私、役に立ってます?」

 レイチェルはくるくると目を回しながら訊ねてきた。

 「勿論よっ!

 アスカは最後により一層きつくレイチェルを抱き締めた後、体を離した。

 「でも、論文の読み方、違うわよ、レイチェル。」

 論文は一つのテーマについて複数の論文を比較して初めて意味を成す。

 ランダムに読んできて、しかも、結果や経過ではなく実験条件だけを比較しても余り意味はない。

 「あ、そうですか?」

 じゃ、今度は結晶学の論文も読んでみます〜、と言うレイチェルの言葉を笑い飛ばしながら、アスカはレイチェルの手を取って家路についた。

 二人は本当に良いコンビだ。

 (でも、このままじゃ駄目だわ・・・。)

 アスカは傍らのレイチェルを盗み見ながらそう考えた。

 今は良い。

 二人がお互いを補い合って二人分以上に働きをしている。

 だが、レイチェルもアスカもいずれは卒業する。

 その時に再び二人一緒にいられるとは限らないのだ。

 そして、アスカの未来よりもレイチェルのそれの方が暗澹としている。

 (レイチェルの過去について、調べてもらえるようにマリーに頼んでおこう・・・。そうすれば、もっと色々なことが判ってくるかもしれないし・・・。)

 「あ、アスカさん、星が綺麗ですよ?」

 レイチェルに言われてアスカも空を仰ぎ見た。

 そう言えば、運命は良く星に例えられる。

 幾億の星の中に、どれほどの運命が隠されているのだろう。

 レイチェルは一体どの星の下に生まれついたのか?

 (そうね。まずはレイチェルの家族について探ってみようかしら?)

 アスカはそんなことを考えながら歩いていた。



 深夜。

 研究所とは逆の光景が繰り広げられる。

 「おかえりなさい、あなた。」

 「はい、今帰りましたよ〜。」

 部屋の隅から部屋の中央へと動いてくる、レイチェル。

 睡魔と戦いながら、無理にも笑顔を作って彼女を迎える、アスカ。

 最近数は減ったものの、突然深夜にベッドを抜け出して徘徊を始めるレイチェルを慰めるのが、アスカの役目だ。

 節約を口実に同じ部屋に寝るようになって観察が容易になった。

 その結果色々と判ったことがある。

 まず、レイチェルは決してこの部屋を出ない。

 扉の鍵を開けて一旦扉を開き、”出かけたつもり””帰ってきたつもり”を同時に演じてまた閉じるのだが、物騒なことに”そこで鍵を再びかける”と言う動作が抜けている。

 この間アスカがレイチェルの部屋に入れたのも頷ける。

 「今日の晩ご飯は何かな〜?」

 「え、え〜っと・・・ふ、普通にソーセージとキャベツの千切りです〜。」

 咄嗟に料理の名前が出てこないのはまだまだ修行が足りないと言うことだろうか?

 レイチェルはころん、と転げるように床に正座した。

 「そうですか〜。」

 少し残念そうだが、それを口にすることはない。

 繰り広げられる”おままごと”をアスカなりに分析してみると、これはどうもレイチェル自身の家庭、それも彼女が3歳頃の時期に実際にあったことの記憶を辿っているような感じがする。

 それというのも、パターンこそ複数あるもののレイチェルから出される言葉がいつも同じで、アスカの言葉が彼女の記憶と余りに異なるとレイチェルが目を覚まし、その日の”おままごと”が終了するからだ。

 その先を知りたければ、アスカはレイチェルが自演するのを待つしかない。

 「あの子は元気だった?」

 「えっ!?え、えぇ。えぇ・・・。」

 初めての言葉がレイチェルから出て、アスカは思わず”待つ”原則を忘れて反応してしまった。

 (し、しまったぁ・・・。千載一遇のチャンスを・・・。)

 レイチェルが演じているのが自分から見た親の姿だったとしたら、”あの子”はレイチェル自身に他ならない。

 だが、アスカが恐れたように、アスカの言葉はレイチェルの記憶とは異なっていたようだ。

 「あれ?私、また起こしてしまいました?」

 レイチェルが”起きて”しまった。

 「ごめんなさい。ずっとベッドの外にいたんですか?」

 「あ、ううん。今気がついてベッドに戻そうとしたところ。ごめんね、あたし、寝相悪いからさ・・・。」

 アスカは決まり悪そうに項垂れるレイチェルを引っ張るようにしてベッドに戻った。

 夜中も暖房をつけるようになってからは”氷のように冷たい”と言うことは無いが、それでもやはり芯まで冷えた身体はなかなか暖まってくれない。

 「アスカさん、私が起きても寝てていいんですからね。」

 レイチェルは申し訳なさそうにアスカに寄り添ってきた。

 アスカの左手側にレイチェルが眠るのがいつもの二人の位置。

 そしていつものようにアスカの左腕を巻き込むように抱きついてくると、アスカも右手でレイチェルを抱き寄せた。

 「レイチェル、あんたこそ、何かあったらあたしを起こして良いのよ?」

 その拍子にベッドがずれて二人の身体が落ちそうになった。

 「あららら。ロープが外れたのかしら?」

 アスカはどうにか体勢を取り戻して身体を引き上げた。

 その言葉通り、ベッドを繋いでいたロープが見あたらない。

 一人用のベッドを二つぴったりくっつけてあるのだが、それでもその隙間から冷気がベッド全体に侵入してくる。

 だから、ベッドの足をロープでしっかり縛り付けて緩まないようにしている・・・はずだった。

 「あ、ごめんなさい。昨日マットレスを干すのに動かしたとき、ロープ外したままでした。」

 レイチェルはそう言うとベッドを抜けだして、再び暗い部屋の中に戻っていった。

 (へぇ。レイチェルでも忘れることあるのねぇ・・・。)

 アスカはそう思ってから、はた、と思い出した。

 レイチェルがマットレスを干したから、自分がベッドメーキングする、と言っていたことを・・・。

 (・・・忘れたの、あたしじゃん・・・。)

 アスカは毛布をはねのけて、レイチェルを追いかけた。

 二つのベッド並べて、一つを壁際まで押しつけて固定する場所を決める。

 そうしておいて、並べたベッドの足同士をしっかり結びつける。

 このときあまりに力任せにやるとずり上がってしまうので気を付ける必要がある。

 また、ベッドの隙間とマットレスの隙間の位置を心持ちずらすことで隙間同士が連結されることを避ける。

 更にマットレスの隙間を毛布で隠して急造”ダブル”ベッドが完成する。

 が、そこまでしても、僅かな隙間から入る冷気を完全にシャットアウトすることは出来ない。

 しかも、その隙間は構造上どうしても中央付近に来る。

 そこは二人の女神が肌を寄せ合って互いの体を暖めあっている、最も冷えて欲しくない場所だ。

 もっとも、解決法は意外と簡単だ。

 普通のベッドのように二人が離れて横になる分には、元が一人用ベッドなのだから何の問題もない。

 毛布が2倍になってむしろ暑いくらいだ。

 だが、二人はそうしようとしない。

 特にレイチェルは、夜間の徘徊をしないときはずっとアスカの手を抱いたまま寝ていることが多く、気がつくとベッドの隙間に身体を半分落としている、といったことはしょっちゅうだ。

 勿論アスカも無事では済まない。

 朝起きたときに腕が痺れているのはもう当たり前。

 一度レイチェルがアスカの腕を抱いたままベッドから落ちたときには、腕が抜けたかと思うほどの衝撃を受けた。

 朝起きたら肩の辺りが涎で湿っていたことも度々ある。

 それでも、赤子か猫かのようにごろごろと甘えてくるレイチェルを突き放すことは出来ない。

 第一、そんなアスカを微に入り細に入り支えてくれているのはレイチェルその人だ。

 例えば、”涎で汚れた”、と言ってもそれを洗濯してくれるのもアイロンをかけてくれるのもレイチェルだし、肩が抜けそう、と言って苦しむアスカを看病してくれるのも彼女だ。

 日々の食事でアスカに”実践的な”料理を教えてくれたり、洗濯するときのこつを教えてくれるのも彼女だ。

 研究面ではアスカが作った計画に従ってしっかりデータを取ってきてくれるし、下手な論文検索よりも彼女の記憶に頼った方が遙かに効率良く目的のデータを入手できる。

 彼女たちは互いが互いを唯一無二の存在として補い合っている関係にあった。

 そしてそれは同時に、鏡に映した本人を見ているかのように互いの姿を見ながら自分自身を省みることの出来る、希有な関係でもあった。


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