転校生 S
作 : Ophanim
第21話 若い翼




 けたたましい電話の音で会話が中断される。

 「あ、ごめん。またちょっと待ってね。」

 メアリー=レッドフィッシュは済まなそうにアスカに手を合わせてから受話器を取り上げた。

 (はぁ、忙しそうね・・・。)

 アスカは暇つぶしに手元の資料を読み直すことにした。

 中間発表で充分な合格点をもらったアスカはフレッチャーの勧めで学会に出てみることにしたのだ。

 その分野でアスカが出られそうな手頃な学会を見繕ってもらうためにマリーの所に来たのだが、なにしろこの時期はそう言う手合いが多くて忙しいらしい。

 それでもマリーはアスカのために優先的に一覧表を作ってくれていた。

 一番近い国際会議がフランクフルトであるが、レベルが少し高めで審査で蹴られる可能性が高い。

 次はボストンだがこれも良くてポスターにかかるかどうか。

 後はどこも似たようなもので、スペインから東京まで全世界に広がっている。

 現実的にアスカが口頭で発表できそうなのはドイツ国内の小規模な研究会くらいだろう。

 如何にあの中間発表が良く出来ていたと言っても、なにしろまだ研究を始めて半年も経っていないのだ。

 「ごめん、いいわよ。」

 マリーの電話が終わった。

 「あのさ。口頭発表したかったら、近くが良いのかな?」

 「そうねぇ・・・。無理なく、だったらちょっと待つけどここの大学でもちょっとしたのを主催するわよ?」

 人数合わせのために使わせてもらうかもしれないし、とマリーは小声で耳打ちした。

 学会を行う、と告知はしたものの人数が集まらなかった場合、身内の研究室からなんとか発表者を補充するのは良くやられていることだ。

 「う〜ん、それはその時また協力するから。ここでやるんだったら結局研究室で発表したのと変わらないし。」

 旅券の期限もあるからやっぱりフランクフルトかな〜、とアスカが口に仕掛けたとき、再びマリーの電話が鳴って会話が中断された。

 (シンジがまだ日本にいるなら東京でも良かったけどな・・・。あ、ベルリンって無いのかな?・・・ちぇ、こう言うときに限ってないのよねぇ・・・。)

 まぁ、フランクフルトにして、レイチェルでも誘って行けばいいわ、と気持ちを切り替える。

 その時、アスカの心に稲妻のような感覚が走った。

 (レイチェル!

 彼女はアメリカから来たはずだ。

 この機会にレイチェルの両親について調べることが出来るはず・・・。

 「・・・ごめん。で、どうするの?」

 「あのさ。レイチェルのご両親って、どこに住んでたっけ?」

 アスカはリストの中からアメリカの地名だけを拾いながらマリーに尋ねた。

 「え?里親の事かしら?」

 マリーの言葉はアスカの身体から聴覚を奪ったかのようだった。

 さとおや?

 なんのこと??

 「あれ、言ってなかったっけ?レイチェル=サンダースでしょう?孤児院から大学に入った、っていうちょっとした有名人だったから当然知ってると思ったのよね。ごめんごめん・・・。」

 音の消えた世界の住人となっていたアスカだったが、辛うじてマリーの声を拾い集めることが出来た。

 「ど、どこ?どこの?孤児院?」

 「んと、ボストンよ。」

 一覧表を上から下まで見回す。

 残念ながら、リストアップされた学会の候補の中でボストンで開催されるものは件の国際会議以外になかった。

 だが、それならかえって迷いが無くて良い。

 「そこにするわ。」

 アスカはそう言って立ち上がった。

 今のまま申し込んだのでは審査で落選するかもしれない。

 もっとデータを増やさなくては・・・。

 「は?アスカ、孤児院に入るの?」

 マリーは不思議そうにアスカを見上げた。

 『馬っ鹿じゃないのっ!?』

 そう言いかけて思い留まる。

 マリーは電話で話が中断されたり、他の事務の用事があったりしてとても忙しかった。

 飛んだり撥ねたりするアスカの話の内容にぴったり着いてくることなど出来なかっただろう。

 「あ、学会の話よ。」

 アスカはリストの上から2番目に大きく丸を打ってマリーに預けた。

 「えっ!ここレベル高いわよ?口頭なんて多分無理・・・。」

 「いいのいいの。」

 アスカはひらひらと手を振って気にしないように伝えると、足早に研究室に戻っていった。



 どかん、と机を蹴る音の後、しばらくしてから乱暴にドアを蹴り開ける音が響いた。

 (なんだか騒々しいなぁ?)

 シンジは抱えていたチェロを床に置いて音の源を求めた。

 (なんだ、またか・・・。)

 コンラート=ローレンツが足音も荒々しく、悪態をつきながら廊下を歩み去っていく姿を見送って、シンジはまたチェロを抱えた。

 もうすぐアスカの16回目の誕生日だというのに、何も出来ないでいる自分が情けない。

 いや、何もしていないわけではない。

 ユイの息子なのにコンピューター関係は全くの苦手のシンジだったが、毎日こつこつとコンピューターの使い方を覚えて、最近ようやくアスカの名前を探すことが出来た。

 アスカはミュンヘン工科大学のグウィン=フレッチャー教授のところで光工学関係の研究をしているようだった。

 だが、詳しい個人情報をそうそう載せるはずもなく、さすがにそれ以上の情報は手に入らない。

 (去年はオーディション合格とかがプレゼントになったんだけども・・・。)

 他にも小物をプレゼントしたが、アスカはオーディション合格の方をより喜んだ。

 (一体どこに居るんだろうなぁ?)

 クリスマスには帰ってくるだろうからそこで聞いても良いんだけど、とシンジが思案を巡らせたときだった。

 「碇君、ディレクターが呼んでるわ。」

 マナがそう言いながら、とっとっと、と軽いステップで近寄ってきた。

 なんだか嬉しそうだ。

 「霧島さん、何か良いことあったの?」

 「うん、碇君がマナって呼んでくれた。」

 そんな冗談とも本気ともつかない事を言う。

 「あれはシュミットとかと一緒に話してたからじゃないか。」

 シンジはそう言って苦笑いをした。

 年齢に多少差はあっても同期なら自然と仲が良くなるものだ。

 ましてシュミット=ザイドリッツやコンラート=ローレンツ、それに霧島マナは年齢も一緒なのでよく一緒に話す。

 会話はドイツ語が普通なので自然と『マナ』と呼ぶことになる。

 それだけのことだ。

 だが、穿って言えば”それだけのことで嬉しそう”なのかもしれない。

 シンジの言葉を聞いたマナはまたにこにこと笑った。

 「冗談よ。でも、碇君、この一年で本当に上手になったわよね。私なんか全然上手にならないのに・・・。」

 マナはふぅ、とため息混じりに話した。

 「そんなことはないよ。霧島さんも間違いなく上手になってるよ。」

 シンジは真顔で断言した。

 音楽が専攻で今後も音楽の世界で生きていくシンジと、同じ資格で来てはいるものの、恐らく3年が過ぎたら”霧島の商品”として日本の大学に連れ戻されるマナでは立場が違う。

 マナと同じレベルで上達しているようではシンジの方が立つ瀬がない。

 それでも、マナのバイオリンの上達具合には目を見張るものがあった。

 「そう言ってもらえると嬉しいけど・・・私は先生が良いからねぇ。」

 マナはくすくす笑いながらお礼を言った。

 「へぇ?霧島さんの先生って、ここの他にもいるの?」

 シンジは驚いて目を丸くした。

 午前中に高校に行き、最低限の単位を取って帰ってくるシンジと違い、マナは通常通り全ての授業単位を取ってから午後の後半の練習に参加する。

 それだけでは足りないので音合わせを兼ねてシンジと一緒に居残り練習をするのが日課になっている。

 みっちり練習した上に居残りに付き合うシンジもさることながら、その後更に別の先生についているとなるとマナの上達ぶりも納得できるというものだ。

 「そういうんじゃなくて・・・。」

 「あ。そう言えば、呼ばれてたんだよね?僕?」

 マナが更に一言付け加えようとしたとき、シンジは廊下の窓にディレクターの秘書の姿を認めて立ち上がった。

 「あ、そ、そうだったわね。」

 「ごめん、霧島さん、続きは後で。」

 シンジはどたどたと慌ただしく立ち去っていった。

 やはりなかなか来ないシンジを迎えに来ていたらしい秘書がシンジを連れて戻っていく。

 「碇君と一緒に練習すると、上達が早くて綺麗な音が出せるって言おうとしたんだけどな・・・。」

 練習場にはため息混じりのそんな呟きが響いていた。



 「うわ、これはひどいですね・・・。」

 シンジはディレクターの部屋の扉を見て思わずそう言った。

 元々が古い建物だったせいもあるが、木製の扉は蝶番の所から回復不能なほど砕けていた。

 「そうだろう?修理屋を呼ばんといかんな・・・。」

 ディレクターはちょっと疲れたように頭を抱えるような仕草をした。

 深いため息にもどこか悩みが感じられる。

 「あ、僕は直せませんよ?」

 シンジは困ったように頭に手をやって笑顔を作った。

 ディレクターは一瞬戸惑った後、

 「そりゃそうだ。」

と、答えて、シンジと同じように笑顔を漏らした。

 シンジの気の利いた冗談で、ディレクターの気分が和らいだのが表情で判る。

 少し吹っ切れたような感じさえ見られる。

 「ん、まぁ、掛けてくれたまえ。」

 ディレクターはシンジを立たせたままだったことさえすっかり忘れていたようで、ようやくシンジに椅子を勧めた。

 「はい、それでは。」

 シンジは勧められるままに椅子に座り、相手の出方を待った。

 その様子、一挙手一投足までをしげしげと見つめていたディレクターは、突然にやっと自虐的な微笑みを漏らした。

 「私も馬鹿だな・・・君を取るときそのものが横紙破りだったというのに・・・。」

 一体今の今まで何をしていたのか・・・。

 首を振り降りそんな独り言を言われて自分一人で納得されても、呼ばれたシンジの方はさっぱり判らない。

 なんのことやら、と内心首を傾げるばかりだ。

 「碇君。君を次の若手演奏会のコンサートマスターに指名したい。」

 ディレクターはぐっと身を乗り出して、一息に用件を伝えた。

 「お断りします。」

 「そうか、それじゃあ早速指揮者と連絡を取って君に代わったと・・・。」

 ディレクターはそこまで言ってから違和感に気がついた。

 椅子に座ったシンジは微動だにせず、ただ静かな微笑を湛えている。

 「な、なにぃ??断る??」

 「はい。申し出は大変光栄に思いますが、少なくとも今回はお断りいたします。」

 シンジの口調は穏やかだったが強い意志が感じられた。

 「・・・本気か?コンサートマスターだぞ?」

 恐らく翻意はないだろう、と半ば確信しながら、ディレクターは一縷の望みを掛けて確認した。

 「はい。今回はもう公演まで時間もありませんので、今急に代わっても余り効果は望めないと思います。」

 シンジは”ディレクターの判断が間違いだ”、と言っていると思われないように慎重に言葉を選びながら返事をした。

 「しかしなぁ、コンサートマスターと言えば、毎回その座を巡って足の引っ張り合いがあるくらいの地位だぞ?今回もコンラートが裏で色々努力したらしいという話もちらほらと・・・。」

 「すみませんが、今のお話とは少しずれていると思います。」

 文末で意味が逆転する可能性のあるドイツ語の会話を遮るにはかなりの勇気がいるが、シンジは構わずその嫌な話を打ち切った。

 「だがなぁ、他のメンバーの誰に聞いても君を推すんだよ・・・。」

 「自信がない、と言っているわけではありません。来てくれるお客さんによりよいものをお聞かせするためには、これから準備を始める僕よりも彼の方が適任だ、と思っている、と言うことです。」

 ディレクターはシンジの言葉に思わず息を飲んだ。

 自信がない?

 全く逆だ。

 自信に溢れている。

 今の発言を裏から読めば、『自分はコンサートマスターくらいいつでも出来る』ということになる。

 性格のひねくれた人間が聞けば、『今回はコンラートにやらせておけ、失敗したら代わってやる』と言っているように聞こえるかもしれない。

 だが、シンジの表情からはそんな底意地の悪さは感じられなかった。

 それどころか、純粋にコンサートの成功を願っている、真摯な姿勢が感じられる。

 「・・・それじゃあ、済まないが、コンラートのサポートをするサブマスターでは・・・。」

 「お引き受けします。」

 シンジはにっこり笑って快諾した。

 その様子を見て再び嘆息する。

 技術も性格も人徳も申し分ない。

 「君の半分くらいでもコンラートに余裕があればなぁ・・・。」

 変に伝統に固執したオーディションをしたため、コンラートには常にシンジからのプレッシャーがかかっていた。

 『技術ではトップで合格した、あの回の最優秀者』がシンジに追い抜かれるようではいけない。

 技術で抜かれれば名実ともにコンラートの立場も居場所が無くなる。

 シンジが腕を上げれば上げるほど、コンラートは追い詰められていくように感じたのだろう。

 それが彼が余裕を無くした遠因であることは想像に難くない。

 「彼は大丈夫ですよ。公演が近くて情緒不安定なんでしょう。」

 友人としてはそう信じたい。

 だが、音楽家としてのシンジの意見は先に出ている。

 そして、ディレクターはそんなしがらみよりもドライな決断を選んだ。

 「碇君、次の弦楽四重奏のコンサートマスターは頼んでも良いんだな?」

 敢えてシンジの意見を聞き流して、ディレクターは手元の予定表を覗き込んだ。

 シンジはちょっと首を傾げた後、胸を張って答えた。

 「はい。お引き受けします。」

 その口調にも、その表情にも、気負ったところが少しもないのがかえって頼もしかった。


Mail or Back to Index