転校生 S
作 : Ophanim
第19話 冬の夜




 アスカはごろん、と何度目かの寝返りを打った。

 なかなか寝付けないでいる。

 結局レイチェルはあの日一日だけ『ピザを食べてみたいです』と言ったきり、それから一度も何を食べたいかを言ってこなかった。

 そのピザにしても、この部屋にピザを焼けるオーブンがないのを承知の上で言っているように感じられた。

 アスカは即座に『じゃあ、注文しようか?』と提案したが、レイチェルもまた即座に『いいえ、それじゃあいいです。』と応えた。

 その時はその余りに素早い返答にかえって疑惑を募らせたものだったが。

 (でも、本当にピザが食べたかったのかもしれないわね・・・。)

 駄目元で訊いたのだとしたら、誰でもある程度返事の準備はできているものだ。

 それほど神経をとがらせる問題でもなかった。

 (やっぱり、あの時無理にもオーダーすれば良かったかなぁ・・・。)

 あの日、中間発表でのフレッチャー教授の指摘が気になって、どうしても疑う方にしか頭が行かなかった。

 問題の日から時間が経つにつれて、アスカの心を後悔が占める割合が次第に大きくなっていた。 

 (今よく考えたら、あたしと違って”国外”から来たレイチェルが、ドイツでの生活に慣れるだけでも大変よね?)

 レイチェルは人見知りするのか、今だにお昼やお茶の時間などには姿を消し、雑談に加わらない。

 だから、彼女を他人より良く知っているつもりのアスカでも、その種の悩みがあったかどうかは判断できない。

 が、それを知らないだけでは悩みがあった可能性についても否定できない。

 それなのに、まるでそんな悩みがないかのように、見かければいつもにこにこしていたレイチェルに対し、配慮が少なかったのではないだろうか?

 仕事や雑用を頼んでも嫌がらないレイチェルを見て、何の問題もなく生活しているものだ、と誰もが勝手に判断を下していただけではないだろうか?

 そして・・・。

 (そうだとしたら、一番悪いのはあたしだわ。)

 同じ部屋に住んでいる当人が用事を頼んでいる姿を見れば、誰もがみな”既にここでの生活に馴染んでいる”と感じるだろう。

 しかも、買い物の大半はレイチェルがやっている。

 もし、レイチェルが”こなれたドイツ語を話せないために会話の話に入れない”のだとすれば、多大な苦労をして買い物をしているはずだ。

 (明日また何か好きな物を聞いてみよう・・・。)

 アスカは再びごろりと寝返りを打った。

 毛布の隙間から冷気が忍び込んでくる。

 (うわっ。寒ぅ〜い。)

 寒気と同時に尿意も襲ってくる。

 今寝床を出れば眠気が確実に遠のくのは判っているが、初冬の長い夜を尿意に耐えて眠るのも嫌だ。

 アスカは仕方なくベッドを出てトイレに行くことにした。

 用はたしたものの、トイレの灯りの眩しさも手伝ってすっかり目が醒めたアスカが部屋に戻ろうとしたときだった。

 「はい、いいですよ〜。」

 突然、何の脈絡もなく声が聞こえた。

 (だ、誰?)

 アスカは身を強張らせて身構えた。

 いや、考えるまでもない。

 ここには二人しか住んでいない。

 そしてアスカでなければ、彼女でなければならない。

 それなのに今耳にした声は、いつものはきはきしたレイチェルのそれではなく、間延びした、少し幼い声だった。

 しかも、英語だ。

 耳をそばだててみる。

 先ほどほど大きな声ではないものの、ぼそぼそ、と絶え間なく話し声が続いているようだ。

 (電話?かしら?アメリカに?)

 なぁんだ、とアスカは内心でほくそ笑んだ。

 心配しなくても、レイチェルは馴染んでいる。

 実家に電話するのに、時差の関係で夜中にかけているのだろうか?

 (それとも、案外彼との愛の電話デートだったりして。)

 アスカの顔が自然と綻んでいく。

 そう言えば自分にもそんな時期があった。

 シンジが恋しくて恋しくて、どうしようもなくなって、日本に飛び出したんだった。

 あの時は自分が何をして良いのか判らず、全てに行き詰まっていた。

 大学に戻ることもできず、働くことも出来ず。

 そんな自分が今のようになれたのもシンジと一緒に暮らしたから。

 日本でもイタリアでも、シンジには本当に助けられた。

 もしあの時日本に電話をしていなければ・・・。

 (え?)

 楽しい回想は急激に止められた。

 何かがおかしい。

 あの時、自分が公衆電話から連絡を取れなかったのは何故だったか?

 この間はすっかり忘れていたが、シンジが長い間日本に電話をかけられなかったは何故だったか?

 マナが『国際電話を自分の家でないとかけられない』とシンジに言ったのは何故か?

 (マナのことで焼き餅ばっかり焼いて肝心なことに目がいってなかったっ!)

 そして彼女らは今も”未成年”だ。

 好き勝手に国際電話をかけられる環境にないはずだ。

 だから、今レイチェルが話している相手は電話の相手ではない。

 (一体何が・・・?)

 アスカはごくり、と唾を飲み込み、その音の大きさに自らひどく驚いた。

 (い、異常がないか見るだけ・・・。)

 アスカは自分の心をそう納得させてそっとレイチェルの部屋の扉に手をかけた。

 (そう言えば、レイチェルの部屋に入ったこと無かったわね・・・。)

 鍵がかかっていてくれれば諦めがつく。

 しかし、そんなアスカの願いとは裏腹に、レイチェルの部屋のドアノブはあっさりと回った。

 そこには、アスカの想像を遙かに超えた世界が広がっていた。

 この部屋にはもともと調度品として一部屋につき大きさの違う机が二つと椅子が3,4個ついている。

 壁には備え付けの本棚と収納棚、そしてベッド。

 ベッドの下には下着などを入れられる引き出しがついている。

 そして頭が来るところには読書用のランプ、机にもランプが備わっている。

 暖房もついているし、勉強をして寝るだけの生活なら全く不自由はない。

 そう、そういえば、ここに来た頃のアスカの部屋も確かそういうものだった、というのを思い出させるほど、他に加えられた調度品のない、部屋。

 レイチェルはここに来たときのままの部屋に生活していることになる。

 ここに来たとき、着替えらしき物を入れた鞄一つだけの身軽な格好で現れたレイチェル。

 その軽装ぶりから、当然何か後から送られてくるのだろう、と思っていたら、何の音沙汰もなかった。

 とりあえず生活に困っている様子もないし、特に気を付けたことはなかったのだが。

 その、何もない、部屋の中・・・。

 部屋の中央には、パジャマ姿のレイチェルがちょこんと正座していた。

 (寒くないのかしら?)

 最初にアスカの頭にそんな考えが浮かんだ。

 さっきまでの緊張感はすっかり雲散霧消していた。

 部屋の中を隅々まで見回しても不審者の影も形も見られない。

 「おかえりなさ〜い。」

 急にレイチェルが声を上げたのでアスカは飛び上がって驚いた。

 「あ、あ、あのっ!れ、レイチェル、あ、あたしは・・・。」

 「ご飯にします?それとも、先にシャワー浴びますか?」

 アスカが慌てて弁解をしようとするその言葉を遮って、レイチェルの台詞が続く。

 (・・・?)

 「今日のご飯はピザですよ〜。」

 目を凝らすと、暗い部屋の中で動くレイチェルの腕に、古ぼけたぬいぐるみが一つ握られていた。

 レイチェルは先刻からずっとそれに向かって話しかけているのだ。

 (ままごと・・・??)

 アスカは息を殺してレイチェルの所作を見守っていた。

 レイチェルは見れば見るほど”ままごと”としか思えない一人芝居を続けている。

 それにしても、これでは寒いだろう。

 アスカは静かに扉を閉めると、部屋の暖房を入れた。

 (この部屋は色々便利だけど、全室同時に暖める暖房しかついてないのだけが難点よねぇ・・・。)

 多少暖房費はかさんでしまうが、他ならぬ大事な友人のためだ。

 いつも彼女に助けてもらっているのだからこのくらいは構わないだろう。

 (それにあたしも寒かったしね。)

 アスカは出ていったときよりも少し暖まっている自分の部屋に戻ってきた。

 もぞもぞ、とベッドの中に潜り込む。

 (それから・・・。)

 やっぱり近いうちにピザを頼もう、と強く心に誓って、アスカは眠りについた。



 翌朝、朝食の準備をしながら、レイチェルが申し訳なさそうに頭を下げた。

 「昨日、私暖房切り忘れたみたいです。」

 アスカはびくっとしてシリアルに入れる牛乳をつい入れ過ぎてしまった。

 「あ、あぁ。あれ、あたしあたし。」

 バランスを取るためにシリアルを付け足しながら、アスカは慌てて弁解した。

 「え?」

 「昨日寒くて目が醒めちゃってさ。あんまり寒いから付けたのよ。ごめんね。」

 アスカは一気にまくし立てるとシリアルを口に流し込んだ。

 「げほっげほっ!

 「だ、大丈夫ですか?」

 レイチェルに背中を叩いてもらってようやく人心地付ける。

 幸い気管にシリアルの欠片が貼り付いたりはしなかったようだ。

 「あ、ありがと・・・。」

 アスカは更に一息ついてからレイチェルに礼を言った。

 「そうだったんですか。それなら良いんですが・・・暖房費もかかるし・・・。」

 「だ、だけど、冬は寒いから最低に設定してつけようよ!朝の寝覚めも良かったでしょ?」

 本当は深夜にパジャマ一枚で部屋に佇む友人が心配でならないのだが、それは口に出来ない。

 「私はびっくりして飛び起きました。余り良い寝覚めではなかったです・・・。」

 レイチェルはおずおずとアスカの意見に反対した。

 (それはあんたが夜中にあんなことしてたからでしょっ!

 そんな声が喉元まで出かかったが、辛うじて堪える。

 「あぁ、そ、それだったら、べ、別のところで節約しようよ!た、例えば、一緒の部屋で勉強するとか・・・。」

 「・・・暖房費の無駄遣いを照明費では賄えないですが・・・でも、一緒の部屋で過ごす時間を多くするのは賛成です。私、アスカさんといると楽しいですから。」

 レイチェルはそう言ってにこっと笑った。

 冬の日差しも和らぐような穏やかな笑顔。

 その笑顔の輝きの届かぬ陰にあんな姿が隠れているとは。

 それとも、あの闇がこの輝きを産み出しているのだろうか?

 いや、そんなことはない。

 この子はもっと輝けるはずだ。

 レイチェルにはより一層輝く権利がある。

 (あたしはこの子のことをもっと知らないといけない。)

 アスカはシリアルを掻き込みながらそんなことを考えた。

 この子を守るためには、まず、あの行動に隠された何かを解決する必要があるように思うのだ。

 アスカはレイチェルの方を盗み見た。

 その視線の先の彼女はなんだか少ししょげていた。

 「ど、どうしたの?」

 朝から同居人にそんな顔をされて心配にならない方がおかしい。

 アスカは大急ぎでシリアルを飲み込んで尋ねた。

 「・・・だって、私、”アスカさんといると楽しい”って言ったのに、アスカさん全然答えてくれないです・・・。」

 拗ねたように唇を尖らせて俯いてしまう。

 「・・・馬鹿ねぇ、もう・・・。」

 アスカは心底安心してレイチェルの頭を撫でようと手を伸ばした。

 レイチェルは一瞬びくっとした後、ぴくりとも動かずにアスカの次の行動を待っている。

 「あたしも楽しいに決まってるじゃない。じゃなかったらあたしから提案しないでしょう?」

 ごしゃごしゃ、とレイチェルの頭を撫でている間、レイチェルは泣き笑いのような不思議な表情を浮かべていた。

 「そ、そうですかぁ?」

 アスカの手が離れてからも、レイチェルは乱れた長い髪を直そうともせず、訝しげにアスカを見ていた。

 「んもぉ〜、だって、あたしが嫌だったらあたしから”一緒にいよう”なぁんて言うはずが無いじゃない。」

 「それはそうですけどぉ・・・。」

 レイチェルはそう言いながらも、食べ終わるや否や、かちゃかちゃと手際よく食器を片づけていく。

 この調子で先手を取られるのでいつもレイチェルに据え膳上げ膳をやらせてしまうことになる。

 「レイチェル、たまにはあたしが洗うわよ。」

 アスカは大急ぎでシリアルを平らげると、皿をキッチンに運びながら、既に洗い物を始めているレイチェルに声をかけた。

 「え〜、でも、水冷たいですから良いですよ。」

 レイチェルは片時も手を休めずに食器を洗い終えていく。

 このままではどうあってもアスカの出番はない。

 「お湯出せばいいでしょう?」

 流しの蛇口には栓が二つあり、片方からはお湯、もう片方からは水が出るようになっている。

 適当に混ぜ合わせることで適温に調節することだって出来る。

 が、レイチェルはこの冬の朝に完全に水だけで洗い物を済ませているようだった。

 「でも、お湯を使うと・・・。」

 レイチェルは後半もごもごと口ごもったが、言いたいことはそれだけで充分判る

 「あぁ、そんなに気になるなら、暖房の設定はずっと”最低”でいいわ。」

 「え?でも、アスカさんが寒い寒いって・・・。」

 「あぁ、もういいのいいの。」

 アスカはレイチェルの隙を見て流しを占領すると、自分の皿についた牛乳をさっと流し去った。

 スポンジできゅっきゅっと洗う。

 (つ、冷った〜〜い。)

 寝不足気味でぼうっとしていた頭もあっと言う間に醒める。

 (こんなので平気で洗うなんてよぉっぽど躾が・・・。)

 アスカはそこでぐぐっと歯を食いしばって言葉が漏れ出るのをくい止めた。

 (”親”、だ。)

 レイチェルのことを知るには、その出生などを知る必要があるだろう。

 だが、それを本人に訊くには余りにも昨夜の行動が奇怪すぎる。

 折角見つけたキーワードを隠匿されたくない。

 アスカは出来るだけ何気ない風を装って洗い物を終えた。

 「さ、学校行くわよ〜。」

 「あ、待って下さいよ〜。」

 いつもの風景の中にレイチェル一人を取り残すように、アスカは学校へ行く準備をするために歩みを早めていた。


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