転校生 S
作 : Ophanim
第18話 深淵の闇




 「・・・以上です。何か質問はありますか?」

 アスカは暗がりの中に声をかけた。

 ぱち、っと音がして部屋が明るくなる。

 研究室の内部でたまに行われる中間発表。

 これまでの研究内容を簡潔にまとめたものを作り、先輩や教授に対して発表して問題点や今後の方針を議論するための物だ。

 対外的な発表をする前に、一旦場慣れさせる、と言う目的もあって、ここグゥイン=フレッチャーの研究室ではこういった中間発表でもオーバーヘッドプロジェクター(OHP)を使った本格的な発表をさせていた。

 余りに数が多いと負担になるが、一旦まとめることで本人も忘れがちな本来の研究の目的や、自分が今やっている作業の位置づけがはっきりするのでリフレッシュになる。

 質問や注文があればそれがまた新たな発見や興味に繋がることもある。

 だが、アスカの発表はあまりにもしっかりと出来ていたため、誰もそれに対して注文を付けることが出来ないでいた。

 「無ければ、ですね。今後の方針について相談したいんですけど、あたしはもう少し精度の高い分光器で分析したいんです。フレッチャー先生。もう随分前からお願いしているんですけど、まだですか?」

 アスカは席の一番奥に座っていたフレッチャーに向けて話しかけた。

 「その分析機器に関しては委託の形を取るしかない、って言ったはずだが?」

 「あたしは自分でデータを取りたいんです。自分で。」

 アスカは”自分で”のところを強調して繰り返した。

 その言葉には、全て自分でやりたい、という責任感の陰に、『他人の手を経由したデータは信用できない』というニュアンスが隠れている。

 更に穿ってゆけば、『他人にやらせるより自分の方が遙かに上手くできる』という自負が透けて見える。

 「そんなことをやっていたらいつまで経っても研究は終わらないぞ?」

 研究室の先輩の一人、パース=ホーキンスが首を傾げながら説明した。

 「実際終わってるじゃないですか?」

 アスカはついさっき見せたばかりの”まとめ”をもう一度OHP機器にかけて示した。

 「いや、そうじゃなくて、うまく行ってるときはそれで良いかも知れないけども・・・。」

 「そうだなぁ。いつもうまく行くなら楽だもんな〜。」

 ホーキンスの同期、ハーミス=フューリアスも苦笑いしながら同意した。

 (そりゃ、あんたらがちょっと時間があるとコーヒー飲んだりしてちんたらやってるからじゃないのっ!!

 と、怒鳴りつけたい衝動をどうにか抑える。

 その代わりに引きつった笑顔の一つも作っているくらいだ。

 ただ、アスカもこれで曖昧に引き下がるほど可愛らしくない。

 「あの、生物系に行けば良いのがあるって聞いたんですけども?」

 先輩達の言葉を無視するかのように、彼らの頭越しにフレッチャーに話しかける。

 「あぁ。あれは向こうの機材だろう?」

 「頼めば使わせてもらえないですか?」

 生物系の装置を使えば、今の分析装置よりも微細な分析が可能になる。

 それこそ、今より二桁は精度を上げられる。

 「そこまで小さな数字に拘る必要はないよ。」

 フレッチャーは苦笑いしながら応えた。

 彼の意見にホーキンスやフューリアスも同調した。

 「ん、でも、まぁ、アスカがどうしてもデータ取りに行くっていうなら俺も一緒に頼んでも良いぞ。」

 ホーキンスは短く刈り上げた金髪をごしごしと擦りながら応えた。

 「パースはどうせ発表のネタが一つ増えるからいいな、と思ってるんだろ?」

 フューリアスは机を挟んで反対側に座るホーキンスをからかった。

 「おお。よく判ったな。」

 「判らいでか。」

 そんな二人の掛け合いで、笑いに包まれる研究室の中、ただ二人だけがその渦の外にいた。

 下手くそなお多福のお面でもかぶっているように、あからさまな作り笑いの下で必死に怒りを堪えるアスカと、その次に自分の発表が待っていて笑うどころではないレイチェルだ。

 「アスカ、君の気持ちは判ったから、話はしておく。ただ、向こうの都合だってあるんだから過度に期待はせんでくれ。」

 フレッチャーは発表資料を片づけようとしないアスカに最後通告をして、レイチェルと代わるように指示をした。

 アスカは固まった笑顔のままこくりと頷いて、ようやくレイチェルと代わるために資料を片づけ始めた。

 レイチェルがアスカを手伝おうと近づいてきたとき、アスカはレイチェルにだけ聞こえるような小声で話しかけた。

 「あったまきた・・・。」

 「判ってます。」

 レイチェルは小声でアスカに応えると、にっこり微笑んで資料を手渡した。

 「今日は早く帰って、美味しいものを作りましょう。」

 ふ、と。

 アスカの心から怒りの割合が急激に減っていく。

 なるほど、彼らは冗談とも本気ともつかない戯れ言を言い合っているに過ぎない。

 自分が怒っているのは筋違いだ。

 アスカの怒りは、”発表のネタが増える”などと下らないことを考えている先輩達と一緒にされたくない、という思いが起こした錯覚の怒りだ。

 アスカの希望は、純粋に”詳細に知りたい”という欲求から来ているものなのだから、気にする必要もないはずだ。

 彼らがアスカを笑っていた、と考えるのは、要するに、他人から良く見られたい、という邪心が見せた幻の揶揄だ。

 「ありがと。」

 そう言って席に戻るアスカの顔には、自然な笑顔が戻っていた。



 「・・・です。私の発表は以上です。」

 レイチェルの発表が終わった。

 またしても研究室は静寂に包まれた。

 辛うじて口を開くことが出来たのはやはり年季の差か、フレッチャーだった。

 「レイチェル。すまんが、一つ一つ結果をもう一度読み上げてみてくれないか?」

 フレッチャーの言葉にレイチェルは微笑んで応える。

 「はい。え〜と、まずこれが、ホーキンスさんから頼まれたX線のデータ解析結果です。次にこれがフューリアスさんの依頼だったIRのチャートです。後、アスカさんが忙しくて手伝って、って頼まれた電顕の写真がこれです。それから、教授の依頼があった・・・。」

 「いや、それは判った。君の研究のデータはどれだ?」

 フレッチャーはレイチェルの言葉を遮って尋ねた。

 「あ〜、このX線回折のチャートと、この計算式の導出過程です。」

 レイチェルが見せた”彼女の研究成果”は、それまで彼女が”発表”した『依頼物』の1/5でしかなかった。

 「な、何をやってるんだ君は???」

 フレッチャーは口をあんぐりと開けてそんなことを言うのがやっとだった。

 怒ることも忘れてしまったようだ。

 「忙しかったものですから・・・。」

 レイチェルはすまなそうに目を伏せた。

 「そ、そんなに他人の手伝いをしてたら終わるものも終わらないだろう?」

 誰でも一日は24時間しか持っていないのだ。

 他人から頼まれたことを優先していたら自分のことが出来なくて当然だ。

 「君達も君達だ。入ってきて間もないからと言って自分の研究を押しつけるなんて・・・。」

 「そ、そんなことはしてませんよっ!

 ホーキンスもフューリアスもフレッチャーの指摘に猛然と反発した。

 「お、俺はむしろ感謝されたんですよっ!?『わぁ、丁度やることが無くなってたんです〜。』とか言われて。」

 ホーキンスは椅子から立ち上がっておろおろと自己弁護をした。

 (レイチェルならいつだってそう言うわよ・・・。)

 アスカはそう思いつつ、自分が頼んだときも『丁度そこに行く用事がありますから〜。』と同じような反応をされていたのを思い出していた。

 まさか、こんなに平行して引き受けていたとは・・・。

 「だ、だいたい、教授だってまだ研究室入って3月も経ってない新入生に仕事頼んでるじゃないですか。」

 「それは、き、君達が研究室に居着かないからだろう??」

 フレッチャーは訳の判らない事を言った。

 それは彼らに頼めなかった理由であってレイチェルに頼んだ理由ではない。

 彼らがいなくても、レイチェル以外にもアスカや他の学生がいたのだから彼女に頼む必然性は薄いのだ。

 やはりフレッチャーも”レイチェルには頼みやすかった”のだ。

 それから長い議論の末、『レイチェルには極力雑用を頼まない』ことで全員の合意を得たときだった。

 「あの・・・。」

 議論の中身の当人でありながら、その議論の最中一度も口を開くことなく立って話を聞いていたレイチェルが悲しそうな声を上げた。

 全員の視線がレイチェルに集まる。

 その圧力に一瞬気後れがしたのか、レイチェルは一旦口を閉ざした後、おもむろに顔を上げて言い切った。

 「その・・・それでは、私は一体何をしたらいいのでしょう?」



 「ごめんなさい。私のせいで遅くなってしまいました・・・。」

 レイチェルがすっかり肩を落として何度目か忘れてしまったほどの言葉を繰り返している。

 「いいのよ。あたしだって変なことで意地張ってしまったし。」

 あたしもレイチェルに何度目か忘れてしまうほどの返事を繰り返した。

 レイチェルはあの後『自分の研究の方針について教えて欲しい』と言ってフレッチャー教授から大目玉を食ったのよね。

 でも、誰でも最初は判らないと思うんだけど・・・。

 あたしはたまたま興味もあったから運が良かったっていうのと、マリー・・・メアリー=レッドフィッシュ、っていう今ここで事務をやってる子と仲が良かったから、研究の内容を前もって知っていたのが、ね。

 ・・・ってこともないのよねぇ・・・。

 レイチェルだって、ここの研究室に応募して取れてるんだから、何の研究をするかくらいは判っていたはずなのに・・・。

 それに、ホーキンスとかフューリアスの研究テーマの手伝いが出来るんだから、この子の研究を先に進めるのはもっと簡単なはずなのに・・・。

 「あの、アスカさん・・・。今日の晩ご飯は何が良いですか?」

 簡単な物しかできませんが、と続けるレイチェルの言葉がちょっと引っかかった。

 ううん。

 その前。

 ”今日の晩ご飯は何が良いですか?”

 さっきの話が少し尾を引いているのは自分でも判ってる。

 だけど、試してみたい。

 ・・・ちょっとカマかけてみようかしら。

 「あたしは何でも良いわよ。レイチェル、何が食べたい?」

 レイチェルはあたしの視線の中で困ったように首を傾げている。

 お願いだから、あなたが決めて。

 さっきの疑いを晴らして。

 自分の手で・・・。

 「え〜?私は良いですよ〜。なんでも・・・。アスカさんが食べたいものを・・・。」

 あぁ・・・。

 駄目だった。

 あたしの質問は疑惑を決定的に深くしただけだった。

 「レイチェル、あたし、さっきフレッチャー教授に言われたこと、まだ忘れてないんだけど?」

 あたしの言葉にレイチェルは一瞬身を固くして目を泳がせた。

 やっぱり・・・。

 あたしは教授が怒ったのは正しかったのだ、と確信した。

 レイチェルは”自分で物事を決定したことがない”。

 そう考えて記憶を辿り直すと、人当たりの良さそうに思えたレイチェルの行動が、全て”他人の決定を引き出すための演技”に思えて来るから不思議だ。

 でも、そんな嫌な想像はしたくない。

 レイチェルは、本当に心から人のことをまず先に考えて行動しているのだ、と信じたい。

 そう思っているあたしが、レイチェルの目に湛えられた涙の海を見て、

 「あの・・・アスカさんも・・・そう思ってたんですか?私のこと・・・?」

なんて言われて心が揺れないはずがない。

 「そ、そんなことはないけど、たまにはレイチェルの好きなのを食べても良いじゃない。あたしの好みはだいたい判ったでしょ?レイチェルの好みだって知りたいわよ。」

 あたしはそんなすぐにばれる嘘をついた。

 誰が聞いても、嘘だって判る。

 その場を取り繕うだけの、出任せ。

 「そうですね。私のことを知ってもらう番、って事で、今日は私の好きなものを食べましょう。」

 レイチェルは・・・。

 レイチェルは、あたしの嘘に、にっこり笑って応えた。

 あからさまな嘘でも、その言葉の表面の意味を信じたふりをして、自分を騙して、本当のような笑顔をくれた。

 あたしは・・・。

 あたしは、自分の嘘に・・・耐えられなかった。

 「レイチェルっ!!

 何の予告も無しに抱きついたら、想像以上に細い、折れそうな身体が、あたしの腕の中で震えていた。

 あたしが大声をあげたことに脅えたのか、細い身体を鉄のように固くして、必死に嵐が過ぎるのを待っているようだった。

 どうしてあたしは、この子を守ってやろうと思えなかったのだろう?

 今までのあたしなら、こういう子を見たら守ってきたのに。

 今は、それがとても怖い。

 それでも、気を奮い立たせてこれまでと同じことを言う。

 「レイチェル、大丈夫だから。あたしが守るから。」

 その言葉がひどく空虚に響くのは、気のせいだろうか?

 「あたしがずっと一緒にいるから。守ってあげるから。」

 口にすればするほど嘘っぽく聞こえる。

 レイチェルは応えない。

 さっきのあたしの嘘と同じくらい、頼りなく聞こえるんだろう。

 自分でも笑ってしまうほど。

 だって。

 ・・・あたしには、レイチェルに比べて特に秀でた成績も性格も特技もない。

 どうやって守るというの?

 そんな問いかけがレイチェルからではなく、自分の内面から湧き出してきて止まらない。

 「ありがとう・・・ございます・・・。」

 あたしはレイチェルが辛うじて応えた言葉にも救われず、ますます深い闇に落ちていく自分を止めることが出来なかった。


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