| 転校生 S |
| 作 : Ophanim |
| 第17話 鏡の間 |
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「レイチェル〜っ!」
玄関先にアスカの怒号が響く。
「はい?」
”自分の部屋”の扉を開けて、レイチェルが顔を覗かせた。
キッチンと繋がっているダイニング。
そのダイニングに直結しているのがレイチェルの部屋だ。
玄関からは少し奥まった位置に当たる。
「どうして先に帰るのよっ!」
アスカは、むっかー、と身体中から怒気を発散しながらダイニングのソファーに座り込んだ。
その間僅か10秒。
玄関とダイニングを仕切るものがないからだ。
本来は間仕切りがあったはずだ。
その名残が天井にある。
カーテンで仕切るタイプなのだろうが、アスカが面倒がって取り付けていなかったらしい。
そのうちカーテンを買ってきて張ろう、とレイチェルは考えていた。
「ど、どうしてって・・・。アスカさん、楽しそうだったから・・・。」
スーパーも閉まってしまうだろうし、と困ったように眉を寄せる。
今日はジャガイモの良いのが買えたし、葉ものも程度の良いものが手に入って喜んでいたところだった。
「だ、ど、どこをどう見ればあたしが楽しそうに話してたのよっ!?あんな奴・・・。」
アスカは鳥肌が立つような思いでさっきまでいた研究室の、粘着質な会話を振り返った。
『君の考えは素晴らしいよ。素晴らしいが、如何せん・・・。』
『どうだろう?ここらで一つ共同で・・・。』
『なんなら、今度一緒にパーティにでも・・・。』
・・・思い出したくもない・・・。
ぶるぶるっと頭を振ると美しい髪がそれにつれてなびく。
(要するに、体よく女連れでパーティに行きたいってことじゃないのっ!)
アスカはむかむかとする感情をどうにかこうにか押し込めた。
一人暮らしならここでものに当たり散らせば多少はすっきりするのだろうが、残念ながら今は二人だ。滅多なことは出来ない。
だが、その分レイチェルに話して発散することが出来る。
ん?
?レイチェル・・・話す???
「・・・そう言えば、レイチェルは研究室ではあんまり話さないわよね?」
家にいると結構会話が弾むのに・・・。
アスカは首を傾げた。
二人で暮らし始めてから一週間ほど経っていたが、研究室でレイチェルと会話している自分を思い出せない。
お昼ご飯を一緒に食べようとしても、いつの間にか姿を消している。
そのせいでアスカはいつも研究室の”お兄さん”達からの誘いを一身に受けてしまうのだ。
「わ、私はぁ・・・普通ですよ。」
レイチェルはくるっと踵を返すと部屋の中に戻っていった。
それも一瞬のこと。
すぐにエプロンを片手に舞い戻ってくる。
「待ってたんですよ、アスカさん。さ、今日もニンジンの皮剥いてみましょう。」
なんとなく誤魔化されたような気もするが、まぁ、食後にでもまた聞いてみればいい、とアスカは考えを変えた。
実際、疲れてお腹が空いているのも確かだった。
アスカはため息を一つ吐き出して、自分のエプロンを取りに戻った。
「慎重に・・・あ、擦り落としたらだめですよ?ずるですからね。」
レイチェルは、アスカが包丁を握り直したのを目敏く見つけて先手を打った。
むぅ、とアスカが口を尖らせる。
アスカが”開発”した、『包丁の刃でニンジンの表面を撫でるようにして削り落とす、または、擦り落とす』方法は、アスカの練習にならないと言うことで禁止にしている。
「だって、レイチェルだってその方が美味しいって言ったじゃないぃ・・・。」
アスカが口を尖らせたままで文句を言ってくる。
口調に甘えた雰囲気があるのは、レイチェルが同年代だからだろう。
素直な感情が遠慮会釈無しにぶつかってくる。
「皮の近くに一番栄養がありますから。」
レイチェルは努めて涼やかに答えたが、その答えはアスカの問いには正しく対応していなかった。
が、それは”わざと”だ。
何故なら、それが”必要”だからだ。
「だったら・・・。」
「でも、一本切るのに1時間かけたらだめです。」
案の定、更に自説に固執したアスカに、『表面から栄養が流れていく時間が長くなるのはいけません』、と説明を加える。
レイチェルは、アスカにはこのような”補足説明”こそが重要だ、と言うことをこの1週間くらいの共同生活で早々と見抜いていた。
あれはニンジンの千切りをしようとしていたときだった。
アスカが『実家でニンジンの切り方を「均一」にするために定規を使ったら怒られたのよね・・・』と呟いたのを耳にしたレイチェルは即座にアスカに対する正しい対応法を理解した。
アスカは最初の情報に対しては非常に素直に話を聞くのだが、そこから先の解釈を自前でやってしまうので、気がつくと結果がずれている、という場合がままある。
炒め物をするのに水を切らずに野菜を入れようとしたのは、『炒める時間を短くしないと栄養分を損なう』という話を先に聞いていたからだ。
それとアスカが独自に持っていた、『水溶性の栄養分は水洗いするたびに流れ出す』という情報を組み合わせると、『野菜を水洗いしたら、可能な限り短い時間で鍋に移し、即刻炒めて完成させなければならない』という命題として完成してしまうのだ。
だがそこで、『油を引いて、かつ高温にしているのだから、水を充分に切らないと高温の油の飛沫が飛んで危険だ』と説明すれば納得してくれる。
可能ならば、『栄養分は主に切り口から流れ出すので、泥は先に落としておいて、切るのはその後にする。水切りをした水はスープに入れるなど出来るよう工夫する』とフォローしてあげると良い。
このように、アスカには『何故この方法が他の方法より優れているのか』という理由を説明する必要がある。
そしてそれには、栄養素やら反応温度などといった、多少小難しい論理を持ち出しても全く平気だが、『経験則』や『慣れ』などの曖昧な理由では決して納得しない。根が真面目なので、そう言った論理は”誤魔化し”に聞こえるのだろう。
「ねぇ、だったらさ。日本のサラダみたいに生で食べたらいいんじゃないの?」
切り終わったニンジンをオリーブオイルで炒めるレイチェルの手捌きを見ながらアスカが疑問を口にする。
「ええ。その方が確実に栄養が取れますね。熱で分解することもないし・・・。」
でも、と続ける。
「一旦炒めた方が消化がいいんです。胃腸も分解に無駄なエネルギーを必要としませんから、結果的に少ないエネルギー摂取で活動できることになります。」
植物性のオリーブオイルも同時に摂れますから、と更に補足する。
「ふ〜ん・・・。」
気のない返事だが、これは判った証拠。
自分の意見と違うことを受け入れる前の儀式のようなものだ。
「さて。お夕飯にしましょうか?」
アスカのニンジン切りとレイチェルの料理は同時に始まったが、アスカが千切りを終える前に料理はあらかた完成し、結局アスカのニンジンサラダが最後だ。それも仕上げはレイチェル・・・。
「・・・いいんですよ?」
「気にするなっていうのは無理よ?」
無言でフォークを突き刺したアスカを、レイチェルはいつものように穏やかな表情で宥めたが、今日は無理だったようだ。
「でも・・・。」
「ここに来てもう1週間経ってるのに、全っ然進歩してないなんて、あたしのプライドが許さないわよっ!」
頬を膨らませる同居人を、レイチェルは苦笑混じりに見つめた。
”もう一週間”どころか、”たった一週間”でアスカの料理技術は格段の進歩を遂げている。
もともとそうそう不器用でもなく、化学の実験が出来るほど手順をよく判っている人間が、料理だけが出来ない、と言うことほど不思議なことはない。
試料の調整から分析機器への投入に時間を掛けると結果がずれてしまう実験などざらにある。
これを避けるにはしっかりした下準備と流れるように実験が出来る手順を把握している必要があり、それはとりもなおさず、美味しい料理を作るための基本中の基本だ。
レイチェルは話にしか聞いたことがないが、素材の味を活かす、と言う意味ではレイチェルの料理よりも、アスカが時に説明してくれる”日本の料理”・・・和食、の方がシビアなはずだ。
下準備から料理に移るまでの手順を誤ると料理全体の味を壊すものが多いだろう。
そこに行くと、最後はとりあえずドレッシングや油をかけてしまうヨーロッパの料理は遙かに楽なはずだ。
それを”出来ない”というのは、恐らくは”しなかった”だけだろう。
あるいは・・・。
(お母様か誰か、料理の上手な人がいて、アスカさんは特に何を覚える必要もなかった、と言うこと、ね・・・。)
そしてその人物はきっと、教えるのがひどく下手だったか、教えなくても良い、と考えていたかのどちらかだろう。
(考え方の問題ですが、こうやって一人で生きていく、というケースが現実に出てくることを鑑みると、教えておくべきなんでしょう。)
だとすれば、それを出来る自分は幸せだ。
何しろ、彼女は今めきめきと伸びている。
料理に限らず、講義においても、研究においても、その興味の赴くまま、ありとあらゆるものの最先端を吸収している。
からからに乾いた大地が水を求めるように、それは端から見ていても好ましいほど非常に”自然な”活動だった。
(私とは、住む世界の違う人だから・・・。)
レイチェルは、口に放り込んだ料理の出来栄えに早くも機嫌を直している同居人を眩しそうに見つめた。
「あたしが洗うわっ!」
(これ以上世話になってたら差が開くばっかりよ・・・。)
夕食が終わってすぐ、綺麗に片づいた皿を持ち上げたレイチェルの機先を制して、アスカは台所に駆け込んだ。
「そ、そうですか?それじゃあ、私は・・・。」
「部屋に戻ってなさいよ?」
一睨みしてからおもむろに洗剤をスポンジにつける。
(・・・っと、その前に最初に水洗いだったわ。)
蛇口を捻ると冷たい水が流れ出し、たまらずお湯の栓も捻る。
(酵素が入っている洗剤はお湯を使うより適温にした方がいいんだったわね・・・って、それは洗濯するときだっけ?ま、まぁ、とりあえず、レイチェルの料理は美味しいから、残さなくて済むのが良いわよね〜・・・。)
レイチェルの料理の味はシンジやキョウコの料理とは一風違った”美味しさ”を出していた。
シンジやキョウコの料理は確かに美味しいのだが、ヨーロッパの血が流れるプリンツやアスカには余りにもあっさりし過ぎていて、食べた気がしない。
うっかりするとどこまでも入ってしまう。
・・・というのはやはり美味しいことの証明なのだろうが、東洋と違って太っていることが必ずしも美徳とされない欧米の価値観の中で生きていく以上、自主的に敬遠せざるを得ない。
プリンツがキョウコの料理を食べない一番の理由がそれだった。
もっとも、アスカの場合は、キョウコが意図的に混入してくる”アスカは嫌いだが栄養をとるには絶対必要な食材”が嫌でプリンツの尻馬に乗っていただけだったのだが・・・。
なにしろ、この場合、”素材の味を活かす”和食は逆効果にしかならない。
(と、とにかく、残さず食べれば、後片付けだって楽になるし、食材も無駄にしないし、いいことだらけなのっ!)
だから、一日も早く料理上手になるのっ!!
でも・・・。
(・・・多分、いつまで経ってもシンジの方が上手だろうとは思うんだけど・・・。)
すいーっ・・・。
ん??
あっ!
間違えてナイフの刃の方を・・・。
「れ、レイチェルっ!」
「はいっ!!きゃーーっ!!も、もしかして、また切ったんですかっ??」
アスカが包丁を手に持って叫んだのを一瞥しただけで、レイチェルは慌てて救急箱を取りに戻ってしまった。
(きょ、今日は違うんだけど・・・。)
そう言う暇もあればこそ、レイチェルはどたばたと血相を変えて走ってきた。
「ど、どっちの指ですかっ!?」
「えーと、その、あの、スポンジが、ね・・・。」
アスカは辛うじてヤスリ部分で繋がっているスポンジを見せた。
まだ新品だったのが災いしたのか、力をいなしきれなかったスポンジはほぼ中央からまっぷたつの憂き目を見ていた。
「あ、怪我じゃないんですか?良かったぁ・・・。ごめんなさい、取り乱しちゃって・・・。」
あははは、と屈託無く笑うレイチェルは、とても綺麗だった。
この一週間で判ったことがある。
レイチェルはいつも他人のことを考えている。
だがそれは、自分を卑下しているのとは違う。
卑屈になっているのとは、全く異質のものだ。
今も、半分脱ぎかけの靴下で走り回っていたのだろう。
変な位置に踵の癖が残ってしまった、お気に入りの靴下の扱いに困っているようだった。
自然に自分のことを後回しに出来る。
そんな彼女の姿を見るたびに、アスカは思う。
果たして自分に、そんなに風に自然に他人の心配を出来る日が来るのだろうか?
「あ、スポンジの買い置きでしたら、上の棚です。今、踏み台持ってきますね。」
レイチェルは結局靴下を脱いで、それを丁寧に折り畳んでいた。
何か別の使い道を探すのだろう。
「その・・・ごめんね・・・。」
「あは。ちょうど良いサイズのスポンジが二つ出来ました。」
レイチェルの返答は実に自然で、笑顔にも無理をした様子は微塵もない。
心底靴下のことなどどうでも良いのだろう。
(あたしとは、人間のレベルが違う・・・。)
日本に残してきたあの子よりも、更に一歩進んだ”人の良さ”。
あの子が成長したら、きっとこういう女性に育つ、と確信させるような佇まい。
アスカは、春の柔らかな光のような笑顔を放つ同居人を眩しそうに見つめた。
彼女達は、お互いがお互いを、同じような気持ちで見つめてあっていることに、まだ気付いてはいなかった。
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