| 転校生 S |
| 作 : Ophanim |
| 第16話 困難 |
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何事も始まりが肝心よね?
アスカは何度も自分に言い聞かせた。
短い時間ではあったが、昨日まではこの部屋を、アスカ一人で使っていた。その結論として、このアパートは独りで住むには確かに広すぎるようだ、と判断した。ダイニングを一部屋と数えたら3部屋もある。
(ダイニングは共用するでしょ?残りを留学生とあたしで一部屋ずつ使うとして、あたしはこっちがいいかな。こっちは狭いけど窓がすぐ側で快適そう・・・。あ、でも、シンジが遊びに来るかもしれないから、やっぱり広い部屋の方がいいかな?)
そこまで思ったとき、アスカははっと我に返った。
「と、とにかく、どっちにしろ、あたしよりも年上なことは間違いないのよ。」
取り敢えず関係のないことを大声で叫んでみる。
シンジはここには呼ばない、って決めたんだった。そうしないと、一人でいることに耐えられなくなりそうだったから・・・。
アスカはきゅっと唇を噛んだ。
でも、いつの間にかシンジのことを考えている自分がいた。
気を抜くと、寂しさが襲ってきそうだ。そして今はそれに勝てそうもない。
(違うの。嫌いになったとか、そういうんじゃないんだから、いいのよ。将来のために必要だから、こうして別れて住むの。気にしなくても良いの・・・。)
何度も自分に言い聞かせる。
そのアスカの思考を遮るように、「こんこん・・・」という遠慮がちなノックの音がした。恐らく留学生だろう。
「はぁい。」
返事をしたは良いが、一向に部屋に入ってくる様子がない。
「開いてるわよ?」
「あ、は、はい。その、私、今度ここに一緒に住むことになった、その、留学生の・・・。」
”そいつ”は扉の向こうで自己紹介を始めた。じれったくなったアスカが扉を開けると、そこには・・・。
「レイ?」
「え?あ。はい。私、レイチェル=サンダースって言います。よろしく・・・。」
レイチェルはそう言ってぺこり、と頭を下げた。
よく見ると、髪の色は綺麗な金髪だし目の色だって普通の青。似ているところと言えば色白なところだけだ。それなのにどうしてレイと間違えたんだろう?
アスカは訝しげにレイチェルの姿を吟味した。
何度目かにレイチェルの瞳を見たとき、その中に何かを期待して待っている光を見た。
「あ、あぁ、えーと、あたしはその、アスカ。蒼龍=ラングレー=アスカ、アスカ、で良いわよ。」
焦って自己紹介をする。
「はい。判りました。よろしく、アスカさん。」
レイチェルはにっこり微笑んだ。
(あぁ・・・そうか、この雰囲気がそっくりなのね・・・。)
アスカは納得した。相手が気がつくまで辛抱強く待っている。微笑みがとても静か。仕草や所作がそっくりなのだ。
アスカが一人微笑む、その背後で扉が閉まる。
レイチェルは、と言うと、また部屋の外に取り残されてしまった。
(レイに比べるとちょっとのんびりしてるわね・・・。あれ、・・・もしかして、荷物がいっぱいあるとか?)
アスカはもう一度扉を開けた。
「どうして入ってこないの?」
「そのぉ・・・。靴で入って良いんですか?」
レイチェルはしきりに床を気にしている。
「いいわよ。別に。」
アスカは再び首を傾げた。
レイチェル=サンダースという名前から東洋系の雰囲気は感じられない。にもかかわらず、どうしてこの子は・・・?
「でも、アスカさんは履き替えてますよね?」
レイチェルは視線をアスカの足に落とした。つられてアスカも自分の足を見る。
(あ、そうか・・・。つい癖で家の中用のサンダルに履き替えちゃったんだ・・・。)
アスカの家はドイツでも靴を履き替える。
それはキョウコが日本人でプリンツも日本に居住経験の長い日本通という事情もあるが、その方が掃除が楽、というより直接的な理由もあった。そして当にその理由でアスカは靴の履き替えを日常的に行っていたのだ。
「あ、こ、これはあたしの習慣で・・・。」
「それじゃあ、私も履き替えます。その方がお掃除楽ですから・・・。それで、その、取り敢えず、今日の所はアスカさんのを一足貸してもらえません?」
レイチェルはそう言ってまたにこっと笑った。
・・・完璧すぎる・・・。
むぅ・・・とアスカは心の中で口を尖らせた。指先を彩る絆創膏を眺めながらため息をつく。
最初が肝心、と思っていたのに、すっかりペースを握られ通しだ。しかも、ぼーーーーーーーっとしてみえる外見と裏腹に、要所要所をしっかり押さえている。
「アスカさん、どちらの部屋が良いですか?あ、いいですよ。私はどちらでも。」
「アスカさん、教科書、持ってます?持っていたら見せて欲しいんですけど・・・。」
「料理は出来るんですか?え?自信がない。うふふ、そんなこと言って・・・。判りました。それじゃ私が作りますね。」
レイチェルが来てからずっとこんな感じだ。
先に住んでいた人間として”何も知らない留学生を指導し、その代わりに料理その他をやってもらう・・・じゃなくて、教えてもらう”というアスカの目論見は脆くも崩れ、”先に来ていたけど何も出来ない居候”のような形になってしまった。
(・・・ま、実際そうなんだけどさ・・・。)
心理的にいたたまれなくなって、あたしも手伝うから、などと出来もしないことを言い出したのが間違いだった。
つい最近キョウコの手伝いをしたんだから大丈夫、と安請け合いをしたところ、レイチェルの鞄から出てきたのは、日本で見慣れた「包丁」と似てはいるものの、一風変わったナイフだった。
使い方が判らず、取り敢えず包丁を使うように力を入れたところ、内側に鋭く切れ込んできて指を切ってしまった。幸い爪を経由して滑ってくれたためか、傷は絆創膏程度で済んだが、レイチェルは顔を真っ青にして謝り続けた。
さぁーーーーっという油の揚がる音がしたかと思うと香ばしい香りが立ちこめてきた。
放心していたアスカもその香りで空腹に気がつく。
外には夕闇が迫っていた。
「冗談だと思ってたんです。ごめんなさい。」
レイチェルは料理を運び終わると静かに頭を下げた。
「い、いいの、いいの。あ、あたしが・・・ぶ、不器用なだけ・・・。」
こんな自虐的な言葉を発することになるなんて・・・。
しかも、自分があれだけ注意していた”初日”に・・・。
アスカの目に悔し涙が浮かぶ。
「い、痛むんですか?」
「違うわっ。・・・さ、食べるわよ。折角作ってもらったのに冷めたらね・・・。」
アスカは心の底からにじり寄ってくる惨めさを押し戻すようにレイチェルの手料理を頬張った。
ふと、レイチェルが自分を見ていることに気づく。
「な、何よ?」
アスカは内心の動揺を押し包んだ。
「そのぉ・・・。美味しい?ですか?」
「え?あ、あぁ・・・えぇ。美味しいわよ。レイチェルは料理が上手ね・・・。」
今度あたしにも教えてね。
その言葉がどうしても出てこない。
たかがそれだけのことなのに、他愛もない言葉に過ぎないのに・・・。
「そうですか?良かった。どんどん食べて下さい。実は二人分って作ったことなくて、つい作り過ぎちゃったんです。」
レイチェルは嬉しそうに破顔すると自分の皿を手に取った。アスカはそこで初めてレイチェルが自分の言葉・・・料理に対する評価・・・を待っていたことを知った。
レイチェルの料理は美味しかったが、アスカには食べれば食べるほど惨めさが増していくように感じた。
「さ、後片づけしますね。」
「あ、あたしも手伝う。」
アスカは即座に立ち上がった。
「アスカさんは怪我してますから座っていて下さい。」
レイチェルは困ったような笑い顔を作った。キッチンが案外狭いので一口に”手伝う”と言われても困るのだ。
「そ、それじゃそっちまで運ぶわ。」
「ありがとう。助かります。」
レイチェルは笑顔で礼を言うと先に立ってキッチンに向かった。
アスカは使い終わった皿やコップを両手で一つずつキッチンに運ぶ。
「あ、あとさ・・・その・・・敬語、使わなくて良いわよ。あたし、まだ15歳だし・・・。」
あら?そうなの?
そんな反応を期待した。
そうであって欲しかった。
だがレイチェルの言葉はアスカの期待を裏切った。
「あ、私もですから。気にしないで下さい。」
アスカの脳に、がつん、と拳で殴られたような衝撃が走った。
でも、アスカさんの言う通りですよね。私の悪い癖です。早く敬語使わなくて良くなるように、もっと仲良くしましょうね・・・。
着々と洗い物を終えていくレイチェルの言葉を、アスカは夢の中で聞いていた。
・・・?
冷たい?
アスカは額に冷たいものを感じて目を覚ました。
「あ!起きました?良かったぁ・・・。」
ぼやけた視界の中にレイチェルの心配そうな、真っ赤な瞳が浮かび上がる。
「れ・・・い・・・?」
アスカの脳裏には昨年まで一緒に生活していた同級生の名前が浮かんでいた。いつも自分の後ろをついて歩いていた、青い髪に深紅の瞳を持った大人しい少女・・・。
「私が判るんですね?良かった。突然倒れてしまったから・・・。」
その事情を知らないレイチェルはアスカの言葉が自分の名前の一部を言ったものと勘違いしたようだ。アスカの目が焦点を結んでいくに従って、目の前の少女が金髪に青い瞳を持っていることが認識されていく。目が赤いと見えたのはレイチェルが泣いていたからだ。
「あ・・・。えーと・・・。」
「くすっ。れいちぇる、です。」
レイチェルは気を悪くする様子もなく改めて自分の名前を主張してその場を離れた。
「あ、あたし、どうしたの?」
アスカはのそり、と起きあがった。気がつけば、ベッドの上にいる自分がいる。
「疲れたんじゃないかしら?急に倒れてしまいましたから、とりあえずベッドに移動してもらって・・・。あ、呼吸が楽になるように下着だけ取りましたから、寒いかもしれませんよ。」
それで気がついたようにぶるっと一つ身震いをしたアスカは再びベッドの中に潜り込んだ。それを見て安心したレイチェルはキッチンに戻りかけた。
「あたし・・・。」
「はい?」
振り返る。
「何も出来ない・・・。」
枕の中から声がする。
「そんなこと・・・。」
「ずっと、判ってた・・・。本当は、ずっと、判ってた・・・。」
イタリアにいた頃から、いいえ、日本にいた頃から・・・。
学業成績が良くても、生きていく、実際に生きていくためにはそれが意味を成さない可能性があることを、肌で知っていた。
1kgいくらのジャガイモが600gいくらのジャガイモより安いのか?
その計算は出来るだろう。
だが、計算の結果は正しいジャガイモの調理法を導いてはくれない。
難しい化学反応の左右両辺の係数があっているかあっていないか、は、ニンジンとジャガイモを煮るのにどのくらいの塩を入れたらいいのかを示してはいない。
飛沫の拡散係数を導く式は、飛び散った油の危険度を知らせてはくれなかった。
「それでも、あたしは、働くことさえ出来れば気にしなくていいんだって・・・思ってた・・・。」
「・・・私にだって、出来ないこと、たくさんありますよ?」
「レイチェル、あたしに色々、教えてね。」
レイチェルの言葉を無視するように、アスカは言葉を重ねた。
「勿論ですよ。・・・あ、でも、私に出来ることだけですよ?」
相手がそう言いながら、ゆっくり頷くのを見て安心する。
これまで、アスカは自分の苦手を責める相手を、人間誰しも苦手はあるものだ、と論破することで誤魔化してきた。
が、実際に自分の目の前に自分の理想像を突きつけられたとき、人はそれを賞賛できるだろうか?
出来る、と言うことは簡単だが、それが難しいことは”優等生へのいじめ”が無くならないことが示す通りだ。そうできればいいな、という理想の人間は、多くの人の讃美と嫉妬を集めるのが自然だ。
レイチェルの謙譲の言葉さえ、アスカには鬱陶しいほど優等生な発言だった。
だが・・・彼女は、乗り越えた。
目を閉じるアスカに、レイチェルは、「それに、」と続ける。
「その言葉を言える人に、不可能なことはないんですよ。」
レイチェルのその言葉を胸に、アスカは再び眠りについた。
だが、その寝顔は先ほどまでの苦渋に満ちた表情からは一転して、晴れやかな、清々しいものだった。
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