転校生 S
作 : Ophanim
第14話 当惑


 

 「ただいまぁ・・・。」

 僕はなかなか言い慣れない言葉を口にした。

 「おかえりなさ・・・あら?一緒じゃなかったのね?」

 キョウコおばさんはちょっと目を大きくしてそう言った。

 「一緒って・・・アスカ、ですか?いいえ。練習場には来ていませんでしたけど?」

 僕は心の中で”おじさんと一緒になることはないよなぁ”と確認しながら答えた。

 「えぇ。変ね。今日はあの子、朝から変だったけど、私があなたとの話をしたら神妙に聞いていてね・・・。それから出ていったから絶対あの子、あなたの所に行ったと思ったんだけど・・・。」

 キョウコおばさんは不思議そうに首を傾げた。

 「えーと、僕、部屋に戻っても良いですか?荷物をおいたらまた来ますから。」

 このまま玄関先に立っているのも馬鹿馬鹿しいので、僕はそう断ってから部屋に戻った。

 部屋着に着替えて階段を下りる。

 階段の下でキョウコおばさんが待ち受けていた。

 「そういえばあの子、一回戻ってきたみたいなのよ。でも、それからまた大急ぎで出ていって・・・。よそ行きの格好してたから、私てっきりあなたと仲直りのデートに出かけたと思っていたんだけど・・・。」

 「あははは。そもそもなんて喧嘩してませんよ。」

 僕は不自然にならないように笑ったけど、おばさんには全て判っているみたいだ。

 「誤魔化さなくても良いわよ。あの子があんな風に機嫌悪いときは他に理由無いもの・・・。」

 にこにこしながら図星を突くおばさんの言葉に、僕は苦笑いをしながら逃げ道を探した。

 ふと、くんくんと鼻を動かすと、キョウコおばさんの作った料理のいい匂いがする。

 「美味しそうですね。おばさん、料理も上手なんですね。」

 「上手かどうかは・・・。でも、好きなのよ。私も。」

 料理するのがね、と微笑みながら付け加え、キョウコおばさんは僕に椅子を勧めた。

 どうやらうまく誤魔化せたみたいだ。

 安心した僕は勧められるままに椅子に座った。

 それにしてもキョウコおばさんが料理好きとは知らなかった。これまで毎日の食事は朝、夜と店屋物のメニューが並び、僕たちはそれを淡々と食べていた。そのテーブルにプリンツおじさんはいつもいない。まるで僕を避けるかのように朝は僕たちよりも早く起き出て夜は僕たちより遅く戻る。僕が来たせいかな・・・?と思ったけど、そうでもないらしい。アスカもキョウコおばさんも何も変化を感じていないようだったし・・・。でも、一家の主も手作りの料理も抜きの食事は、僕には少し不思議な光景だった。

 そんなわけで、つい昨日までキョウコおばさんにもアスカにも料理を作る気配が全く無かった。キッチンは一度も使ったことがないようにぴかぴかだったし・・・。だから僕はてっきりアスカと同じように料理が嫌いなものだと思っていた。

 「さ、冷める前に食べてしまいましょう。」

 えぇっ!?

 「あ、あの???ぷ、プリンツおじさんがまだ戻ってませんし・・・。アスカも・・・。」

 「あぁ・・・。うちの人はいつものことだから良いのよ。」

 キョウコおばさんはまるで平気な様子だ。折角の手料理なのに、やっぱりいつも通りなのかな?・・・ってことは、この料理、僕とアスカのためだけに?そ、それはちょっと気が引けるなぁ・・・。

 「え・・・でも、やっぱり・・・。」

 遠慮した僕に、キョウコおばさんは寂しそうな視線をくれた。

 「シンジ君もやっぱり外で食べる方がいいのかしら?」

 キョウコおばさんの声もどこか寂しそうで、諦めたような響きがあった。

 「いいえ、とんでもない。外食は食費だって馬鹿になりませんし・・・、それに、家で食べた方が楽しいし、栄養だって・・・。」

 だけど、それはやっぱり家族みんながそろって食べるからで、家で食べる料理が無条件でよそで食べるものより美味しい訳じゃない。もしもそうなら、コックとかシェフとかいう仕事は、その意義が激減してしまうだろう。

 「それなら、座って頂戴。先にいただきましょう。」

 キョウコおばさんは嬉しそうにそういうと二人分の食事を運びにキッチンに消えた。

 僕も諦めて浮かしかけた腰を落ち着けた。

 考えてみれば、折角作った料理、美味しいうちに食べた方が作ってくれた人への一番の感謝。それは僕がイタリアでいつも思っていたことだよね・・・。

 着々と目の前に広げられていく料理の数々に、僕は目を見開いた。

 すごい・・・。

 こんな料理、僕も真似したい・・・。

 「さ、召し上がれ。」

 いつの間にか自分も席についていたキョウコおばさんは簡単に胸の前で十字を切って手を組んだ。

 僕は一瞬呆けたようにその光景を見た。

 なんだろう?

 それが日本の”いただきます”に相当する、と気がつくまでかなり長い時間がかかってしまった。

 「あ!そ、その・・・あの・・・い、いただきます!

 僕は大慌てで手を合わせると、ぺこっと頭を下げた。

 料理はどれも派手ではなかったけどしっかりと下地が出来ていて、僕が作っていた”おままごと”程度のものとは比較にならないくらい美味しかった。例えば、付け合わせで出てきたパスタ。普通のミートソースに見えるのに、味がまろやかだ。僕が作ったのは雑味が混じって後味が悪かったのに・・・。

 「え?どうしてこれがこんな味になるんですか?」

 「んん?あ、それはね、下味にトマトを使っているからよ。」

 キョウコおばさんは上品に口を押さえながら、それでも即座に答えてくれた。

 「へぇ!変わるもんですねぇ。」

 「パスタとトマトの本場にいたのに、そんなことも知らなかったの?もったいない・・・。」

 ・・・こういう答え方をするのは、さすがにアスカと母娘だけのことはある、と妙なところで納得してしまった。

 「おかわりは?」

 僕の皿が一つ空いたのを見たキョウコおばさんがすかさず聞いてくる。

 「あ、えーと・・・どうしようかな・・・。」

 アスカの分も残しておかないと怒るだろうしなぁ・・・。

 「まだまだあるのよ。アスカの分も別にあるから。」

 僕の心を読みとったのか、キョウコおばさんは台所の鍋を示してそう言った。確かに、あのパスタ鍋なら一気に4人分は簡単に作れると思う。少なく美味しく作るのは難しいから、きっと多めに作ってあるんだろう。イタリアではそれで苦労したからなぁ・・・。

 「それじゃ、お願いします!

 何も気兼ねすることが無くなった僕は喜んでお代わりを申し出た。

 「うふふ、大声出さなくてもちゃんと聞こえるわよ。」

 「す、すみません・・・。」

 キョウコおばさんは僕から空の皿を受け取るとそっと席を立った。

 「・・・やっぱり、一緒に食べてくれる人がいると作り甲斐があるわね・・・。」

 そのキョウコおばさんの独り言は、僕がイタリアで身に凍みて感じたことと全く同じものだった。



 こんこん・・・。

 返事はない。

 予想した通りのことだけど、ちょっとがっかりだ。

 今日は朝からアスカの顔を一度も見ていない。イタリアでもここでも、同じ家に住んで一日一緒に暮らせるようになってから、帰ってきてアスカの顔を見るのが僕の一番の楽しみだったのに・・・。

 「どこで遊んでるのかなぁ・・・。」

 その言葉を口にしてみて初めて不安が心の中に湧き起こった。

 アスカはもう子供じゃない。

 誰が見ても振り返るような美少女だ。

 そんな子が夜遅くまで戻ってこない・・・。

 何か事件に巻き込まれたか、既に事件の中心にいるか・・・いずれにしても、ただごとではない。

 キョウコおばさんの態度が余りにも普段と変わりなかったので僕もつい「しょうがないなぁ」程度に考えていたんだ・・・。

 「今・・・何時・・・?」

 恐る恐る時計を見る。

 8時を回っている。

 見間違えじゃないことを何度も確認する。

 外はまだ明るい。

 そのことが僕の感覚を狂わせていた。

 緯度が日本より高いから夏のドイツは夜まで明るいんだった。

 僕は大慌てでキョウコおばさんを呼んだ。



 「いないって。」

 キョウコおばさんはすっかり憔悴しきった様子で話した。

 「他に・・・他に心当たりの友達っていないんですか?」

 「さぁねぇ・・・あの子、しばらくドイツを離れていたし・・・。あんまり友達を作るのが得意な子じゃないから・・・。」

 キョウコおばさんは額に手をやって小さく頭を振った。

 「一体どこに行ったんでしょう・・・?」

 僕の言葉は無意識のうちにある可能性を避けるように流れた。

 ”行った”んじゃないかもしれない、という可能性を・・・。

 「さぁ・・・。でも・・・。」

 ぴりりりりり・・・。

 予想外に電話が鳴って僕たちは飛び上がって驚いた。

 キョウコおばさんは一旦息を落ち着けてからそっと受話器を取った。

 「はい、ラングレー・・・。あぁ・・・えぇ、判りました・・・あっ!・・・その、アスカが・・・まだ戻らないんです・・・でもっ!・・・はい・・・はい・・・。」

 キョウコおばさんは小さくため息をつきながら頭を振った。

 相手は多分プリンツおじさんだと思う・・・。

 「あの・・・おじさん・・・なんて・・・?」

 聞くまでもないことかもしれないけど、なんとなく、聞いた方がいいような気がした。その方がおばさんが楽になるように思えたから。

 「ん・・・。今日も遅くなるからご飯はいいって・・・。」

 おばさんの力の無い微笑みが少し痛かった。でも、僕がその痛みを感じることで、少しでもおばさんの痛みを和らげることが出来たなら、それはそれでいいと思う。

 「・・・その・・・アスカについては・・・?」

 恐る恐る聞いてみる。

 「・・・しっかりした子だから放っておいても大丈夫だろうって・・・。」

 電話機の前で力無く正座をしているおばさんの姿に、僕は声をかけずにいられなかった。

 「そうですね。きっとそのうち戻りますよ。友達と会っていたりするとつい時間を忘れることだって・・・。」

 明るくそう言いながら、ちら、と時計を盗み見て「それは無いかな?」と考える。

 心の奥から沸き上がる不安を、そんな月並みな言葉で振り払うことは出来ないようだ。

 僕は腹を決めた。

 「おばさん。アスカの部屋、開けてもらっていいですか?もしかして、どこに行ったのか、その行き先が判る痕跡のようなものが残っているかもしれないし・・・。」

 僕をまじまじと見つめていたおばさんの目に少し希望の光が灯る。

 「そうね・・・。怒られるかもしれないけど、場合が場合だし良いわよね・・・。」

 おばさんは小さく、自分に言い聞かせるように呟いた。

 「お願いします。アスカが怒ったら、その時は僕が責任持って怒られますから・・・。」

 僕は本気でそう言ったんだけど、おばさんはそれが妙に可笑しかったみたいで、くすくす笑いながら立ち上がった。

 良かった。少し元気になって・・・。

 「アスカ、いい?開けるわよ?」

 返事がない部屋の中に一声かけてから、キョウコおばさんは扉を開けた。

 ほんの僅かな期待も空しく、アスカの姿は無かった。

 僕達は慎重に部屋の中に足を入れると、部屋の中央でぐるりと部屋中を見回した。

 特に変わった様子もないし、置き手紙の類も無い。

 「何にも無いわね・・・。」

 キョウコおばさんが呟いた。

 「そうですね・・・。」

 ある程度予想できたとはいえ、今では僕もかなり気持ちが沈んでいた。

 「やっぱり・・・警察に・・・。」

 とうとうキョウコおばさんがその言葉を口にしてしまった。

 そうなるともう不安が止まらない。

 「と、と、取り敢えず、ぼ、僕、僕の友達と連絡取ってみますよ。その後にしましょう。」

 僕は慌ててキョウコおばさんを制止した。

 警察に電話をする・・・その行為は、アスカに何か良くないことがあった可能性を自分で認めることになる。

 それは嫌だ。

 出来ることは全部やっておきたい・・・。

 僕は震える手で友達の電話番号が載っている手帳を開いた。



 ・・・・・・。

 ・・・・・・。

 ・・・・・・。

 カヲル君もコンラートもシュミットも知らないのか・・・。

 後残ってるのは・・・。

 霧島さん・・・だけか・・・。

 女の子同士だから・・・何か知ってるかも・・・。

 最後の希望を託して、僕は一つ一つ、丁寧にキーを押した。 




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