転校生 S
作 : Ophanim
第9話 すれ違う心




 

 ふんふふんふふん・・・。

 思わず鼻歌が出てしまう。

 「お、姉ちゃん、今日も楽しそうだなぁ?」

 リハビリでいつも一緒になるお爺さんが話しかけてきた。

 「えぇ?そう?まぁ、もうすぐ退院だしねぇ。」

 あたしはうきうきした気分で応じた。

 そうなの。

 もうすぐ退院。

 シンジが合格してからってもの、体調が良くって・・・。

 看護婦さんに話したら、”夜更かししなくなったんだから当たり前!!”って怒られちゃった・・・。ロマンが無いわねぇ・・・。

 でも、本当にあれから調子良くなったんだからぁ!・・・ってあれから夜更かししなくなったのもほんとだけどさぁ・・・。

 ま、なんにせよ、こうして毎日少しずつでも体力がついてくのが判るのはいいわ。

 やりがいが出るもの。

 今は、この前まで何だってこんなのが出来なかったんだろ?って感じさえする。

 「いいわね。蒼龍さん。この調子なら週明けにも退院ね。」

 看護婦さんが”お墨付き”を出してくれた。

 やったぁ!



 シンジが今日もやってきた。

 あたしは早速退院の話をした。

 「あ、そう?良かった良かった・・・。」

 シンジは嬉しそうに笑った。今日も果物を持ってきてくれてる・・・。

 そんなに食べたら、太っちゃうわ。

 「いいんだよ、太っても・・・。早く良くなってくれればいいんだし・・・。」

 シンジったら・・・。

 「あ、あたしがいないからって、サボってないでしょうね?」

 照れ隠しにちょっと怒ったふりをしてみる。

 「サボってないよぉ・・・。」

 シンジは困った顔をしながら蜜柑・・・うーん・・・これだと、オレンジかな?を剥いてくれた。

 「だめ!白いのも取ってよ。」

 あたしは普段は気にせず食べるオレンジの筋まで気にするふりをした。

 「えぇ?これ、皮ごと食べるつもり?包丁で開くからさ、皮は食べないでよ?」

 あ、しまった・・・。

 蜜柑じゃないって自分でも言ってたのに・・・。

 「ぜーんぶ剥いてね。」

 なんとか時間を稼がないと。最近シンジ、帰るの早いんだもの・・・。練習、忙しくなってきたのかなぁ?

 「ねぇ、あたしが退院したら、ミュンヘンに行こう?」

 あたしはシンジがオレンジの房に包丁を入れる作業に没頭してるのを見ながらそう提案した。

 「ミュンヘン?随分遠くない?ここからだと、1000kmくらい南じゃないの?」

 シンジは驚いた目であたしを見る。

 「そんなにはないわよ・・・せいぜい500kmくらいよ?」

 確か、そう・・・。

 「うーん・・・無理っぽいなぁ・・・。最近休日練習もあるしね。」

 シンジは剥き終わったオレンジを皿に並べながらそう言った。

 「はい、アスカ。これ食べてね。」

 え?もう帰っちゃうの?

 「とにかく、もう一回考えてみて?一緒に行きたいの。」

 あたしはベッドから降りながら話しかけた。

 「うん。判った。あ、いいから。風邪なんかひかれても困るからね。」

 シンジはあたしをベッドに戻した。今は夏よ?ひくわけないじゃない・・・。

 「油断したらだめだって。夏風邪は長くなるからね。前だってそうでしょ?」

 ・・・今年既に一回ひいているだけにあたしの立場はちょっと弱い・・・。

 仕方ない、ここは素直に・・・。

 それにしても、最近のシンジ、そっけないような気がするんだけどなぁ・・・。

 あたしはベッドの上からシンジを見送った後、小さくため息をついた。

 まぁ、いいや。

 もうすぐこんな生活ともさよなら。

 あたしは目を閉じた。

 瞼の裏側では、もう既にシンジと一緒の暮らしが始まっていた。



 「退院、おめでとう!

 「おめでとう!

 かんぱーい・・・。

 僕達は炭酸入りのジュースでアスカの退院をお祝いした。

 「ダンケシェーン・・・。あぁ、生き返るわぁ・・・。」

 「たかがジュースで何を言っているんだ、お前は・・・?」

 プリンツさん・・・アスカのお父さん・・・は、にやにや笑いながら、アスカをからかった。

 「だぁってさ、病院だとこんなの飲ませてくれないのよ?」

 アスカはぷくーっと顔を膨らませてジュースを飲み干した。

 「パパはさぁ、ビールの方がいいんじゃないの?」

 「いや、昼間から飲むのはどうかな・・・?」

 「いいからいいからぁ・・・。」

 アスカは微笑みながら席を立とうとした。

 「あら、あたしがやるわよ。」

 キョウコおばさんがアスカを制して冷蔵庫に向かう。

 うーん、こういうのが家族なんだろうな。

 しかし、いろいろな意味で、この前の合格は大きかった。

 アスカは元気になったし、僕も心のゆとりが出来た。

 おじさんもおばさんも喜んでくれたし、奨学金も手に入るようになって、ちょっと後ろめたい気持ちも無くなった。

 お世話になっている分、下宿代を払おうか、とも思ったけど、おばさんからかえってたしなめられてしまった。

 ”そんなつもりで一緒に住もうって言ったわけじゃないのよ?”

 おばさんが悲しそうな顔をしたのは単に僕の言ったことが寂しいだけでは無いだろう。

 僕やアスカがそうやって気を遣う、ということを、”早くここを出て行きたい”気持ちの現れのように感じてしまうからだと思う。

 おじさんはドイツ人だから子供がお金を稼げるようになったらさっさと自立して家を出て行けばいい、って思って普通なのかもしれない。

 おじさんは僕がお金をもらえるようになったら、僕を見る目が変わった。

 いや、決しておじさんがお金に卑しい、と言う意味じゃない。

 ドイツという国は職業というものに関して貴賎が無い。・・・うーんと、無いことは無いんだけど・・・。何て言うのかな、日本とは捕らえ方が違う。

 例えば、僕のような音楽家。

 チェロでもなんでも、頂点を極めれば”マイスター”と呼ばれるようになるんだけど、このマイスター、チェロのマイスターだろうがバイオリンのマイスターだろうが、給料は一緒。それだけじゃない。パンを焼くマイスターも、車を作るマイスターも、煙突掃除のマイスターだって、とにかく、マイスターと名前がつけば、給料は同じなんだ。

 だから、給料をもらえるということが、一人前への第一歩みたいな感じに思われてるわけで、僕が奨学金をもらう=誰が見ても将来性がある、という意味になるらしい。

 だから、おじさんにしてみれば、自分の娘には僕の才能を見抜く眼力があったことになり、逸早く僕を選んでいた娘を見直すとともに、僕に対する態度も微妙に変化した、ってわけだ。

 こういう文化的背景があるなんて知らないでアスカと一緒に暮らしてたんだ。いきなり連れ戻されても不思議は無い。

 あの時のおじさんの心境としては、”自分の腕に自信が無いから試験を受けられない。だから、こそこそ隠れるようにしている。娘も馬鹿だ。こんな将来性の無い奴を相手にする必要は無い。もしもそれが判らないほど子供なら、尚のこと任せておけない。”って感じだな・・・。

 あはは、あの時の態度も無理無いや・・・。

 この前受かって無かったらこれが全て逆に出るわけだから、本当に良かったよ、全く・・・。

 今なら、僕達が二人で住むよって言ってもおじさんは止めないような気がする。

 むしろ積極的に応援するだろう。

 頑張れ頑張れ、早く家を出て行けるようになれ・・・ってな感じで・・・。

 でも、おばさんは逆だろうなぁ・・・。

 おばさんは日本人だもんね。

 子供が自分たちから離れよう、離れようってしてるのを感じると寂しいんだろうなぁ・・・。

 うん。やっぱり将来は日本に帰ろう。

 僕だって自分の子供が自分から自立することだけを考えているなら、やっぱり寂しいもんね。

 アスカはどっちなんだろう?

 僕はアスカを盗み見た。

 「ん?なぁに?」

 アスカは鳥の唐揚げを頬張りながら僕の視線を敏感に感じ取った。

 「い、いや、なんでもないよ・・・。」

 僕は慌てて目を逸らした。

 そんな・・・自分の子供がどうこうなんて話、恥ずかしくて出来ますかって・・・。

 僕はおばさんが作ってくれた美味しい料理に専念することにした。



 こんこん・・・。

 「はぁい。」

 僕は読んでいた本をしまいながら答えた。

 「あの・・・あたし・・・。」

 アスカだ。

 「あ、いいよぉ・・・。」

 僕はそう答えながら扉を開いた。扉に鍵がかかっているっていうのは、こういう時面倒臭い・・・。

 「ちょっと、いい?」

 アスカは少し赤い顔で僕の顔を見た。

 「いいけど・・・?なんだろ?」

 アスカはころころっと僕の部屋の中に転がり込んできた。

 ベッドに腰を掛ける。

 「あの・・・さ・・・明日・・・空いてる?」

 アスカはうつむきながら小さな声で聞いてきた。

 「あ、ちょうど良かったよ。明日はミーティングだけだから、午後からなら空いてるよ?」

 僕は微笑みながら答えたけど、アスカはそれを聞いて残念そうにした。

 「そう・・・じゃあ、ミュンヘンには行けないわね・・・。」

 どうしてそんなにミュンヘンにこだわるんだろう?

 寂しそうにしているアスカが少し可哀相だったので、僕はアスカの隣に腰掛けた。

 「電車の乗り継ぎでフランクフルト経由にすると、8時間半もかかっちゃうのよね・・・。」

 げ・・・。

 誰が好き好んでそんなこと・・・。

 「ニュルンブルク経由なら、もうちょっと距離は縮むけど・・・でも、幹線鉄道じゃないから、待ち時間がかかるし・・・飛行機でいこっか?」

 「お金無いってば・・・。」

 僕は冷や汗を流しながら答えた。

 「そ、それにさ。無理にミュンヘンに行かなくても、この辺回ろうよ?僕、まだここよく知らないしさ。なんだかいっぱいあるんだろ?ブランデンブルグ門とか、マリエン教会とかさぁ・・・。アスカ、案内してよ。」

 アスカは僕の言葉を聞いて、うん、と生返事をした。

 「あたしも・・・この辺りはあんまり詳しくなくて・・・。」

 「じゃ、じゃあ、なおのことさ。アスカと一緒にいられれば、僕はどこでもいいし・・・。」

 アスカの手を取ってそんな軽口を叩いてみる。

 僕の言葉で、アスカの表情が少し、軽くなる。

 「そ、そうね・・・。でも、いつか、行こうね・・・。」

 ・・・。

 アスカ・・・。

 僕を見つめるアスカの蒼い目がゆらゆらという煌きを湛えている。

 見つめ返すうちに、その瞼がゆっくりと閉じていく。

 僕はそっとアスカの唇に自分の唇を重ねた。

 こういう時は、部屋に鍵がかかるのは、いいなぁ・・・って、鍵、かけてないや!

 「あ・・・。」

 僕が中途半端な時間で身体を離したのが不満なのか、アスカは不服そうな声をあげた。

 「アスカぁ!ちょっと・・・。」

 下からおばさんがアスカを呼ぶ声がする。

 ふぅ。

 助かった・・・。

 「あ、はぁい・・・。」

 アスカはスカートの裾をちょっと気にしながら立ちあがった。

 「じゃ、明日・・・。」

 僕はそう言って、アスカを送り出した。

 その瞬間、アスカが少し顔を曇らせたのに、その時僕は気がつかなかった。



 「あ、来た来た・・・。」

 嬉しそうに紅茶色の髪が笑った。

 「碇君、今日、午後、どうするの?空いてたら、一緒に遊びに行きたいな。」

 霧島さんは僕に向かって微笑んだ。

 「今日?今日はちょっと用事が・・・。」

 僕は霧島さんの微笑に少しだけ誘惑されそうになりながら断った。

 「そうなの?なぁんだ、残念・・・。」

 霧島さんは少し寂しそうにしながら微笑んだ。

 僕達はドイツでオーディションに合格した同年代仲間だ。

 霧島さんはバイオリン、僕がチェロだから、弦楽器パートでも一緒。日本人も二人だけ。というわけで、毎日一緒にお昼をとったり、一緒に音合わせしたりしている。

 「今日は、デートなの?」

 霧島さんはミーティングの途中でこそこそと僕に話しかけてきた。僕は軽く頷いて霧島さんに答えた。

 「前に話してくれた子ね?私もその人、見てみたいなぁ・・・。」

 霧島さんは手をもじもじさせながら呟いた。

 「いいよ、そうだ!いい機会だからアスカにも霧島さんを紹介するよ。」

 僕がそう言うと、霧島さんは本当に嬉しそうに笑った。

 「本当?ありがとう、碇君。」

 霧島さんはこっちにほとんど一人で暮らしている。霧島さんが使っているマンションに一緒に住んでいるのは、ドイツ人のおばさんなんだって。霧島さんの隣の部屋に住んで、何かと面倒を見てくれるから不自由は無い。霧島さんの家は、日本でも有名なブランド品を扱っている家で、お金には不自由していない。でも、その分、”霧島家の令嬢として恥ずかしくない”教養と知性を身につけなければならない、と厳しく育てられてきたんだそうだ。後継ぎは弟さんに決まっているし、霧島さんはどちらかと言うと霧島家の広告塔のように扱われていて、霧島さんが身につける洋服や香水、化粧品やアクセサリーは全て霧島家のブランドを使わされているんだって。

 「私だって、他の人みたいに、好きな柄の服とかつけたいのに・・・。」

 そんな話をしてくれる時の霧島さんはとても寂しそうだ。

 本来なら雲の上の人、とでも言うべき霧島さんと知り合えたのは、他に日本人がいなかったせいだろう。

 「あの・・・日本人の方ですよね?」

 そう言って話しかけてくれたのは、霧島さんの方からだ。

 「よかったぁ・・・。もう、心細くて・・・。お父様は合格しても少しも喜んでくださらないし・・・。」

 いきなり泣き出された時はどうしたらいいのか判らなかった。後で説明を聞いたら、霧島さんは試験に合格するため、一生懸命頑張った。合格したら、日本に帰れると思ってたみたい。でも、実際はそうではなく、誰に聞いてもそれは当然、と答えられ、次の試験があるんだから甘いことを言うんじゃない、って逆に怒られたらしい。可哀相に・・・。

 そんな時に僕が日本語を話せる、って判ったものだから、強烈なホームシックに襲われた、と霧島さんは説明した。だから、日本語が判るアスカみたいな女の子の友達が出来たら、きっと喜んでくれる、と思ったんだ。

 「今はもう大丈夫よ?碇君と毎日一緒だし・・・。毎日楽しくって、日本に帰りたくないくらいなの。」

 そう話す霧島さんは、本当に明るくなった。ドイツ人の友達もたくさん出来た。笑顔が人を惹きつけるのは、どの国も共通だ。どの国も・・・?

 初め、一人で・・・歯を食いしばるようにして頑張って・・・それでも、誰にも理解されなくて・・・でも、笑うようになったら、みんなと仲良くなれて・・・。

 どの国も・・・同じ・・・。

 (そうか・・・誰かに似てると思ったら、綾波に似てるんだ・・・。)

 僕は霧島さんの髪を見下ろした。

 綾波の髪とはまるで違う、紅茶色の柔らかそうな髪だけど、醸し出す雰囲気は同じだ。

 「あら?ねぇ、あの人かしら?」

 不意に霧島さんが僕を見上げたので、目と目が合ってしまった。どきどきする・・・。

 僕は目を逸らすようにして霧島さんが指差す方向を見た。

 あ、アスカだ・・・。

 小走りに駆けて来る。

 僕はアスカに向かって手を振った。

 アスカは止まらない。

 僕は微笑みながらアスカが来るのを待った。

 「あ、アスカ。こちら・・・。」

 どかっ!

 勢いを乗せて跳んで来たアスカの拳。

 僕はゆっくりとその場に倒れこんだ。

 何が起きたのか、全く判らなかった・・・。


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