転校生 S
作 : Ophanim
第7話 美姫の囁き、小悪魔風


 

 今日は練習を早く切り上げよう・・・。

 僕はそう決めるとすぐに帰り支度をした。

 同じ部屋にいた仲間たちがチラッとこっちを見たけど、すぐまた練習に戻っていく。イタリアでは、帰り際には必ずみんな声をかけてくれたけど、ここ、ドイツは違う。さすがというかなんというか・・・。みんな真剣だ。そして、みんなライバルだ・・・。

 (こんなとこで生活してたら、アスカみたいにいつも一番を狙っててもおかしくないよな・・・。)

 僕はそんなことを考えながらアスカがいる病院に向かった。

 アスカは大人しく布団の中で眠っていた。

 眠り姫だな・・・。

 そんなことを思いながらアスカの顔を眺めた。

 僕の顔が影になったせいか、眠り姫はあっけなく目を開いてしまった。

 「きゃっ・・・もぉ・・・何よぉ・・・。」

 どアップの僕の顔を見た寝起き姫は頬を膨らませると布団の中に隠れてしまった。

 「練習は?」

 アスカは布団の中からもごもごと話しかけてきた。

 「ん。早めにやめた。」

 「だめじゃない。ちゃんとしないと・・・。」

 体が弱っていても、相変わらずアスカは厳しい・・・。

 「楽器、持ってきた?」

 遠慮がちに栗色の髪が出てくる。アスカの髪はちょっとしたショートカットくらいまで伸びていた。だけど、家にいた時は自己流カット、病院に入ってからは全く切っていないだけに、前髪が伸び放題で目がすっかり隠れている。

 「うん。ここに直行したからね。それにしても、さすがにドイツはすごいね。みんな僕にさよならも言わないで練習してたよ?」

 僕は苦笑いしながらアスカにさっきの光景について話して聞かせた。

 「あんた馬鹿ぁ?それが当たり前なのよ?はい、楽器出して。ここで練習しなさいよ。」

 アスカは苦労しながら身体をベッドの上に起こして僕に指図した。

 「ここでぇ?・・・いいけどさ・・・。」

 僕は言われるままにチェロを出し、少し照れながら曲を弾き始めた。初めのうちこそ緊張したけど、そのうち軌道に乗り始めて最後はかなりうまくいったと思う・・・。

 「まだまだね・・・。」

 ?

 アスカは腕組みしながら難しい顔をしていた。

 「ま、まだ?そうかなぁ???」

 僕はアスカが納得するまで何度も挑戦したけど、結局どこが悪いのか判らずじまいだった。

 そうこうするうちに、消灯時間が近づいた。

 「じゃ、僕、帰るから・・・。」

 アスカは名残惜しそうにしていたけど、そっと手を振って僕を見送った。

 「アスカ・・・。」

 少し涙ぐんだようなアスカの表情に、たまらなく切なくなってまた椅子に戻る。

 「明日も来てくれる・・・?」

 アスカ・・・。

 「当たり前じゃないか。時間があったら何か作ってきてあげようか?」

 僕は思わずアスカの手を握った。

 アスカは小さく首を横に振った。

 「ううん、いいわ・・・。嬉しいけど・・・。でも、その分、早く来て・・・。そうすれば、もっと長く一緒にいられるでしょう?」

 ・・・。

 「そう、だね・・・。」

 ゆっくりと、アスカが目を閉じる。

 さっきまでの威勢はどこへ行ったのか神妙な顔つきで唇をすぼめているアスカの顔を見ていたら無性に悪戯したくなった。

 「退院するまでお預けだよ。」

 僕は人差し指をちょっと嘗めると、それをアスカの唇に押しつけた。

 「もぉっ!この馬鹿シンジっ!!

 何をされたのか判ったアスカは頬を膨らませて怒りだした。

 「あははは!その調子。アスカ、早く元気になってね。」

 僕は笑いながら病室を後にした。




 次の日も、僕はチェロを持ってアスカの病室に入っていった。

 「あ・・・。」

 アスカが困ったような顔をしている。

 「どうしたの?」

 僕はチェロケースを傍らに置きながら笑いかけた。

 「今日も弾きに来たよ。」

 僕はチェロケースを開けながらそう話した。

 突然、後ろからぽんぽん、と肩を叩かれた。

 「はい?」

 僕は振り返って、怖い顔をした看護婦さんに気がついた。

 「あの、あたしが・・・。」

 アスカが大きな声・・・今のアスカにしては大きな声をあげた。それからアスカは看護婦さんと何やらやり取りをして、何度か頭を下げた。

 「すみません、これから良く言って聞かせますから・・・。」

 何て言っているんだろう?

 僕はとりあえず、看護婦さんに向かって笑顔を作った。

 「シンジ、それ、しまってよ。昨日、うるさかったって。」

 ・・・え?

 「えええええ?じゃ、今の、僕のせい?」

 「そうよ。だから、悪いけど、今日はもういいわ。」

 アスカは眉をひそめながらそう言って、また身体を布団の中にしまいこんだ。

 「参ったな・・・折角練習早めに切り上げてきたのに・・・。」

 僕はのそのそとチェロをしまいながら独り言を言った。

 「そうよねぇ・・・昨日のあれじゃ、他の人に迷惑よねぇ・・・。」

 アスカはため息をつきながらそんなことを言った。

 「なんだよ、それ・・・。僕だって頑張ったんだぞ?」

 僕はちょっとむっとしてアスカに文句を言った。

 「え?なんのこと?」

 アスカはきょとんとした顔で僕を見返した。

 「そりゃ、アスカが聞いたらまだまだかもしれないけどさぁ・・・。でも、そんな言い方しなくてもいいだろ?」

 僕はチェロを片付けてしまうと、持ってきたりんごの皮を剥き始めた。

 「あ・・・そう・・・。じゃ、明日から、練習中のシンジの曲を録音して持ってきてよ。」

 アスカはちょっと考えてからそう提案した。

 「録音?」

 「そうよ。あたしが夜の間に聞いておいてあげる。次の日までに採点しておくから。いい?」

 アスカは涼しい声で説明した。

 僕が練習中の曲をテープに録音する。

 アスカはそれを病室で聞いて、出来を判断する。

 そして、その結果を僕が次の日新しいテープを持ってきたときに僕に伝える・・・。

 「む、無茶だよ。練習時間って本当はすごく長いんだぞ?」

 僕は毎朝の音合わせから曲に入るまでの手順や実際の練習の段取りについて説明した。

 「僕の弦は練習が終わったら毎日緩めちゃうんだよ。その方が長持ちするし、張りっぱなしだと少しずつ音が歪んでしまうんだ。本当に少しずつだからかえって気づかなくていざ本番で失敗、何て話も聞くし・・・。」

 その他にも、上級者の演奏を補助したり、その演奏を観客席から聞いて研究したりしないといけない。イタリアにいた頃は、他に掃除や先輩の食事の準備をしないといけなかったんだけど、ここではそんなことはしなくていい。

 練習が必要なのは、より下手な人間だ。上手な人間は、もっと高度な練習をするものだ。

 その代わり、完全な実力主義。

 さっき僕が先輩、と言わずに上級者、と言ったのは、年齢の低いものや年季の浅いものでも、技術さえあればどんどん前にいるものを追い越していってしまうからだ。

 「だから、最初の音合わせの部分は要らないわ。実際に曲に入ってからの分でいいの。」

 アスカはまだ良く判ってないみたいだ・・・。

 僕は更に説明を加えた。

 確かに本番では課題曲と自由曲の2曲を演奏する。その合計は実際のところ20分程度だ。

 だけど、課題曲は何種類かの種類がある。その全てを一通り練習しないといけない。そうすると練習全体ではどうしても2,3時間はかかってしまう。

 「大丈夫よ。」

 アスカは自信満々だ。アスカの身体が心配なのに・・・。

 「だって、消灯10時だよ?6時ぐらいから聞き始めないと、全部は終わらないし・・・。」

 その後何かレポートのようなものを書いていたら、とてもじゃないけど眠れない・・・。

 「なぁに言ってんのよ?あたしがだめだと思ったらそこで終わりよ?」

 え???

 「だから、始まって2分であたしがだめだと思ったら、その日の分はそれでもうおしまい。あたしに”合格”って言わせるためには、テープに録音している間中ずっと失敗しちゃだめなの。判った?」

 アスカぁ・・・。

 「それ、厳しいなぁ・・・。」

 僕は頭を掻きながら苦笑いをした。

 「だぁめ、やりなさい。」

 アスカは僕に録音の出来るテープレコーダーを手渡した。しかも、二つある・・・。アスカがここで聞くのと、僕が録音するのと・・・。

 い、いつの間に準備したんだ・・・。

 「パパに頼んで買ってもらったのよ。」

 僕が驚いたのを見て、アスカが小さな声で説明した。

 そうか・・・。

 少し、問題はあったけど、ちゃんとお見舞いに来てくれたりしてるんだ・・・。

 僕はちょっとアスカのお父さんを見直した。

 この調子なら、アスカと仲直りできる日も近いかな?

 「あ、でも、そんなことしなくても、僕S−DAT持ってるよ?」

 僕はごそごそとバッグの中を探ろうとした。

 「だめ!S−DATは禁止。ちゃんとテープでとりなさい。」

 アスカは厳しい口調で話した。

 「い、いや、もちろん、とるけどさ。S−DATだったら、一つ買えばすんだじゃない?」

 僕は意外にアスカがテープにこだわるのに驚いた。

 「だって、あれって、自分で編集できるじゃないの。」

 アスカは頬を膨らませた。

 ・・・そのくらいが・・・いいよ・・・。今は、ちょっと、痩せ過ぎだよ・・・。

 僕はちょっと胸の奥が痛んだので、無理に笑ってごまかした。

 「テープだって編集しようと思ったら出来るよ。大丈夫、そんなことしないから。」

 「約束できるの?」

 アスカはじーっと僕の目を見た。

 「するする。なんなら、指切りしてもいいぞ?」

 僕は右手の小指を差し出した。

 「そうねえ・・・じゃ、指切り・・・。」

 アスカは少し照れながら小指を出した。指が震えてる・・・。

 指を絡める。

 う・・・。

 僕は左手ですばやく目をこすった。

 「どうしたの?」

 アスカは僕の様子を見て不思議そうにしている。

 「い、いや別に・・・。」

 細い・・・。

 僕の記憶の中のアスカの指より、ずっと細くなってる・・・。

 早く・・・一人前になるんだ・・・なんとしても!




 それからの毎日は本当に大変だった。

 アスカの注文は想像以上に厳しく、いざ録音して練習を始めるぞ、と思うと肩に力が入っていきなり失敗したりする。やっとうまくいった、と思って油断するとさっきはうまくいっていた場所で間違えてしまったりする。そうやってなんとか一日終えてアスカのところに持っていくと、昨日の分の、ほとんど聞いてもらえていないテープが渡される・・・。

 「昨日は10点。」

 「げぇ・・・。それ、100点満点なの?」

 「あったりまえでしょ?それでも、前の日より2点上よ?」

 そう言ってアスカが返すテープを見ると、本当に聞いたの?と言いたくなるほど、テープが進んでない・・・。あぁあ・・・折角最後の方に子守唄入れてあるのに・・・。

 「アスカのリハビリの方はどう?進んでる?」

 僕は矛先を変えようと、逆にアスカに質問した。

 「それがねぇ・・・。」

 アスカが顔を曇らせた。悪いこと聞いちゃったかな・・・?

 「まだちょっとかかるのよ・・・。この前、シンジが来てチェロを引いてくれた時があったでしょう?その時、あたしもちょっと焦ってて・・・。看護婦さんが”まだ無理だ”って言うのに少し高度なリハビリに挑戦しちゃったのよ。そしたら、案の定途中で倒れちゃってさぁ・・・。看護婦さんには大目玉だし他の人には迷惑かけちゃうし・・・。あの日、予約入れてた人もいたみたいなのよねぇ。悪いことしたわぁ・・・。」

 そんなことがあったんだ・・・。

 ・・・?

 ってじゃ、なぁに?

 あれって・・・そういうこと???

 「は?なに?なんのこと?」

 アスカは僕の顔を覗き込んだ。

 「アスカがさ、その次の日、僕がチェロ持って行った時、”昨日のあれじゃ、他の人に迷惑よね”って言ったのは、リハビリのことだったの?」

 僕はアスカに説明した。

 「そうよ?看護婦さんに説明されたの。”あなたが早く治したい気持ちも判るけど、他の人の迷惑にならないようにしなさい”って・・・。」 

 アスカはしんみりとした口調で振り返った。

 ごめんよ・・・アスカ・・・。

 「あのさ。僕、自分のこと言われたと思って・・・。ちょっと・・・怒っちゃった・・・ごめん・・・。」

 あの日、アスカの指が震えていたのは、体に力が入らなかったからだ。だから、筋力をつけるためのリハビリが必要だったんだ。

 「いいのよ。別に・・・。」

 そう言ってアスカが微笑む。

 でも、その笑顔は、とても力無く見える。

 儚げで、消えそうで・・・。

 違う・・・こんなの、アスカじゃない。

 アスカは、”なんですってぇ!?あんたそんなこと考えてたの!?許さないわ!罰としてこれから毎日あたしのお世話をするのよ!心をこめて!!”くらいの元気が無いと・・・嫌だ・・・。

 「あ、焦らなくても・・・。無理しちゃだめだよ?」

 僕はそっとアスカの手を握った。

 「無理したいの。」

 アスカはふるふる、と首を振った。

 「だ、だめだって・・・。」「だって、シンジのオーディション、見に行きたいからね・・・。」

 アスカ・・・そんな・・・そんないじらしいこと、言うなよ・・・。

 僕は涙が出そうになるのを、どうにかこうにか耐えた。

 「アスカ、僕、オーディションに合格するよ。」

 僕はアスカの目を見ながらそう宣言した。今の僕に出来ることはこれしか無い!

 「ほんとにぃ?無茶しなくてもいいのよ?」

 アスカは瞳を輝かせて、嬉しそうに僕を見た。

 「いや、合格する!」

 「出来ない!

 「な・・・するって!!

 「無理無理!!

 「ぜーーーーーーったいする!!

 「じゃ、約束してくれる?」

 アスカはまた小指を出した。

 「いいよ。合格したら、何してくれんだ?」

 僕は調子に乗ってそんな軽口を叩いた。

 「あたしがあんたとデートしてあげるわよ。」

 アスカは無理に僕の指に自分の指を絡めてきた。・・・この間よりも心なしか太くなったような気がする。

 「その代わり、合格出来なかったら・・・。」

 アスカがじーっと僕の目を睨む。

 こ、怖い・・・。

 一体何を要求されるんだろう?

 「で、出来なかったら?」

 「合格出来なかったら、あんたがあたしをデートに連れていくのよ?」

 アスカは小悪魔のような微笑で僕と指切りをした。



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