転校生 S
作 : Ophanim
第6話
雛鳥たちは小さき翼をはばたかせ







 北ドイツの夜は早い。
 あっという間に病室は真っ暗になってしまった。
 あたしの心のように・・・。

 確かに、あたしはシンジの足手まといだったのかもしれない。
 無理にシンジを先生・・・渚先生から引き離したのは、あたしだ。一番大事な時期だったのに・・・。
 そのくせ、料理が出来るわけでもない。

 「アスカぁ、卵割っておいてくれない?」

 あたしの記憶の中のシンジが、あたしに声をかけている。

 「あたしに料理させるわけぇ?」

 あたしはのんびりテレビを見ながらお菓子を食べている。

 「あ!アスカぁ・・・ご飯の前にお菓子なんて食べちゃだめだってぇ・・・。」

 シンジは眉を顰めながらあたしに“お小言”を言う。

 「だぁってお腹すくんだからしょうがないじゃん。あんたがさっさと作っておけば良かったのよっ!

 あぁ・・・もぉ・・・。
 思い出せば自分でも恥ずかしいほど屁理屈・・・。
 いつもそんな感じで、シンジ一人に毎食作らせてた。手伝いもしなかったし・・・。
 それだけじゃない。
 仕事で遅くなって帰ってきたとき、シンジも練習が長引いて偶然遅くなったことがあった。当然、ご飯は出来てなくて、

 「あたしがお腹すいて倒れたらどうすんのよっ!

って文句を言ってしまった。お腹がすいていて、いらいらしていたのかもしれない。でも、シンジは怒らなかった。そればかりか、それからは練習を早く切り上げてきてくれるようになった。
 就職先で食事が出ない、ってこぼしたら、

 「じゃあ、お弁当持っていけばいいよ。みんな持ってきているんでしょう?」

って言ってくれた。

 「あたしはいいわ。朝、眠っていたいから。」

 あぁ・・・なんてぐぅたらなあたし・・・。

 「いいよ。僕が作っておくから。朝ご飯と同じおかずでいいかな?」

 「いや!

・・・しかも、わがまま・・・。

「あはは。判ったよ。じゃあ、なんとかしてみるよ。明日、お弁当箱選びに行こうか?」

 シンジ・・・どうして怒らないの?
 あんたが怒らないから、あたし、どこまでも甘えてしまう・・・。
 鬱陶しくないの?

 それでも・・・。
 それでもシンジは、あたしの言う通りにしてきた。
 あたしが帰る前に夕食を作って待ってたし、朝はあたしより早く起きてお弁当まで作ってくれた。それも、いつもにこにこと、笑顔で・・・。
 そういえば、夜は洗濯と掃除をしていたっけ。あたしが練習させないから・・・。

 「ぅううぅううるさぁああいっ!!

 あたしはヒステリックに叫んだ。

 「ごめんよ、アスカ。でも、今日だけ我慢して。明日までにこれマスターしないとまた補習になっちゃうんだ。」

 シンジは困ったように眉を歪めた。

 「補習すればいいじゃん。」

 あたしはつっけんどんに言い放った。

 「そうはいかないよぉ・・・。補習になると帰りも遅くなるし・・・。」

 「あ、夕ご飯が食べられないのは困るなぁ・・・。じゃ、取り直せば?」

 ・・・あたしって本当に自分のことしか考えてなかったのね・・・。

 「アスカぁ、無理言わないでよ・・・僕だっていつまでも父さんや母さんの世話になれないんだよ?」

 「だから、その分はあたしが働いているんじゃない。あんた馬鹿ぁ?」

・ ・・馬鹿はあたしよね・・・。

 「さぁ、もう寝るわよっ!

 あたしはシャワーから戻ってきてすぐにそう宣言した。

 「アスカ、先に寝なよ。僕はもうちょっと練習するから・・・。」

 結局シンジは音を出さずに手だけで練習していた。あたしはその時はちょっと腹が立ったんだと思う。

 「だから、落としてもいいってさっき言ったでしょっ!無駄な足掻きしてんじゃないわよっ!暗くしないとあたしだって眠れないじゃないっ!!

 あたしは問答無用で電灯を消した。
 シンジは何かぶつぶつ言っていたけど、結局布団に入ってイメージだけで練習をしたみたい。
 そんな状態でもシンジは頑張って何とか補習を免れた。

 毎日がそんな感じだった。
 練習時間が欲しくて眠る時間も惜しいくらいだったシンジ・・・。なのに、練習は早く切り上げて帰ってこなくちゃいけないし、家での練習は夕方、夕食を作った後、あたしが帰るまでのちょっとした時間だけ・・・。夜になればあたしが練習させないから、洗濯とか掃除とかして時間をつぶす・・・。
 これじゃ、あたしと一緒にいればいるほど、シンジのためにはならない・・・。
 甘えていたのは、あたしの方。
 シンジがいないとダメだったのは、あたしの方だった。
 あたしのせいだよね・・・。シンジが、練習できないの・・・。
 折角頑張っているのにね。
 あたし、邪魔だよね・・・。
 ごめんね、甘えてばっかりで・・・。

 「ごめん・・・あたし、シンジに迷惑ばっかりかけてるね・・・。負担になってるよね?嫌いになったよね・・・?」

 「違う!アスカ、違う!!絶対、違う・・・。

 シンジは凄い勢いで首を振った。あたしの肩を掴んで首を振るからあたしにも振動が伝わってくる。
 くらくらしちゃう・・・。

 「でも、あたし、料理とか出来ないし・・・掃除だって洗濯だって・・・。」

 言っているうちに情けなくて涙が出そうになってきちゃった。
 あたしって、本っ当になんにも出来ないのね・・・。

 「な、何言ってんのさ?」

 シンジは目を丸くしてる。
 いいのに・・・。誤魔化さなくても・・・。

 「だって、邪魔だったんでしょ?だから・・・。シンジ、辛かったら言ってくれればいいのに、いつもにこにこしてたから、なかなか気がつかなくて・・・。ほら!あたし、・・・馬鹿だし・・・。」

 あ、シンジ、また笑ってる。ひどいなぁ・・・。折角素直になってるのに・・・。

 「別に辛いなんて思わなかったよ。新婚さんみたいで、楽しかったしさ。それに、アスカがいろいろ注文つけるの、今に始まったことじゃないじゃないか・・・。」

・ ・・。
そ、そうなんだけどさ・・・。

 「ま、僕も最近気がついたんだけどね。僕、料理とかそんなにうまいわけじゃなかったみたい。一人で食べたら、何を食べてもまずいんだ。掃除だってしなくなったし、お弁当なんて作るの考えもしなかったよ。」

 そんなことないよ・・・さっきのおにぎり、美味しかったよ。

 「だから、本当に辛かったのは、アスカがいなくなったことだったんだ。別に生活が苦しいとかアスカが練習させてくれないとかそんなの全然大したこと無い。アスカに叩かれたことさえも、アスカと一緒にいられなくなってからの寂しさに比べたらどうってことなかったさ・・・。」

 シンジぃ・・・。
 泣き出しそうになるあたしの涙を押しとどめたのは、シンジの言葉だった。

 「それでね、思ったんだ。あの時、アスカの父さんにあんなこと言われても何も言い返せなかったのは、僕がいつまでもふらふらと甘えていたからだ。アスカと一緒にいられることで、どこか安心してしまっていたからだ。もっと早く何とかしようと思えば、何とか出来たはずだ・・・。」

 シンジ・・・。
 恐いよ・・・。
 シンジの目はぎらぎらしてて何だか恐い。
 でも、ちょっと頼もしい・・・。

 「アスカと一緒にいてだめになったっていうなら、それは僕のせいだ。技術がどうこういうんじゃなく、僕がどこかで、“このままいつまでもこの生活が続けばいいなぁ”と思っていたからだ。両親に、アスカに、そして自分に甘えていたんだ・・・。」

 そんな・・・。
 シンジは悪くないよ。
 悪いのは、あたし・・・。

 「僕は、明日にでももうオーディションを受ける!すぐにも受けて、プロになる。そして、アスカを迎えに行く!

 うそ!?
 シンジ・・・本気?

 「本気・・・みたいね・・・。」

 あたしは半信半疑だったけど、シンジの目を見たらそう言うしかなかった。

 「本気さ。きっと通ってみせる。」

 シンジはあたしの目をしっかり見つめながら断言した。
 何だか、ドキドキする・・・。

 「で、でも・・・。あたしと一緒には、住めないのね・・・。親が反対しているから・・・。」

 あたしはシンジの視線から逃れるように目を逸らした。

 「ああ、そうだね。」

 がっかり・・・。
 シンジの決心は固いのね・・・。

 「やっぱり、あたしと一緒だと、練習できないから・・・?」

 料理とか、やっておけば良かったなぁ・・・。
 あの子なら・・・。
 胸がきゅーっと痛くなった。
 あの子なら、きっとシンジの力になれたのに・・・。
 でも、シンジは目をぱちくりさせてる・・・。

 「何言ってんのさ?そんなわけないだろ?」

 ありがと、シンジ。

 「反対されているうちは、二人で住むことは出来ない、って言っているんだよ?」

 あ、そうか。
 あたしって、本当に馬鹿かも・・・。

 「で、でも・・・。たまには、電話頂戴ね・・・。寂しいから。」

 あ、あたしってば、また・・・。
 シンジにばっかり負担になるようなことを言う・・・。いつも笑っているから、ついつい甘えてしまうのね。
 ごめんね。シンジ。あたしからもかけるからね。

 「いや、すぐ会えるってば。」

 シンジはにこにこしながら答えた。
 随分自信があるのね・・・。

 「でも、イタリアとドイツ、結構離れているわ・・・。待ってて。あたし、退院したらすぐにお金ためてそっちに行くから。」

 そう、シンジに会うためなら、どんな仕事でも耐えられる・・・。残業なんて平気だもん。どうせ家に帰ってもシンジはいないわけだし・・・。あ、でも、休みの無いところはだめ。シンジに会いに行けなくなっちゃうから。

 「な、なんなら、あの近くに別のアパート借りて別々に住んでもいいわ!だから、あそこ、出ないで・・・。」

 シンジはあたしの頭を撫でた。

 「ありがとう。心配してくれて。でも、僕はあのアパートを引き払った後はここに来るつもりだから・・・。」

 あたしは一瞬シンジが何を言っているのか理解できなかった。

 「え・・・?」

 「ここに来るんだ。僕が、ここに・・・。」

 シンジの顔は笑っているけど、目は真剣だ。

 「僕はドイツでプロを目指す。ここにはアスカがいるからね。」

 シンジってば・・・。
 あたしは嬉しくて涙が出てきてしまった。

 「馬鹿・・・。あたしなんかのために・・・。イタリアにいた方がいいんだったら、そうしていいのよ・・・?」

 あたしは心にも無いことを言った。
 あ、シンジがイタリアにいた方がいいなら、そうして欲しいっていうのは本音よ?本当は遠くに行って欲しくないけどね・・・。

 「イタリアにいた方がよかったのは渚先生がいたからだよ。今のままだったら意味無いじゃん。それに、アスカだって言ってただろ?ドイツにはベルリンフィルとか有名なオーケストラがいっぱいあるじゃないか。」

 シンジぃ・・・。
 これ以上言ったら、あたし、本当に泣いちゃうよ?

 「・・・住む場所はあるの?」

 あたしは一応シンジのことを心配するふりをした。そうでもしないと涙がこぼれてしまう・・・。

 「ん。結構いい条件のところがあるんだよ。下宿だけど・・・。」

 げ、下宿ぅ?

 「だ、だめよ・・・そんなとこ・・・。」

 気軽に遊びに行けないじゃない・・・。下宿の人に気を遣わないといけないし。

 「そうかなぁ?結構いいんだよ?下宿代もいらないし、3食作ってくれるって言うし・・・。あ、そうそう、僕が練習する部屋もちゃんとあるんだよ?」

 ?

 「そんないい話あるわけ無いじゃん。」

 怪しい・・・絶対裏があるって・・・。

 「僕もそう思ったから、詳しく聞いてみたら、なんだか病気の娘さんがいるんだって。で、今入院してて寂しいから同じ年頃の子供が欲しいっていう事情らしいよ?」

 娘ぇっ!?それって女の子だよね?絶対だめぇっ!!

 「だ、だめだってばっ!!そんな話断ってよっ!

 あたしはベッドから身を乗り出してシンジを止めた。

 「そう?この近くだからいい話だと思ったんだけど・・・まぁ、アスカに相談してから決めるつもりだったから、まだはっきり返事はしてないんだ。」

 よ、よかった・・・。馬鹿シンジの割にはなかなかやるじゃん。その女の子が儚そうな雰囲気の子で実は料理とかすごくうまくて、シンジに手編みの服とかあげちゃって・・・そんでもって“碇君がいないと私、きっと死んでしまいます・・・”なぁんて言った日にゃ、この馬鹿シンジなんてふらふらぁってその子に・・・。
・ ・・その方がいいかもしれない。
 あたしは強烈な自己嫌悪に陥った。
 あたし、やっぱり性格も悪い。
 あたしのイメージの中で、病気の女の子はあの子に似ていた。
 どうしてその病気の女の子の髪が青いの?
 どうしてその子は目が赤いの?
 シンジはあたしを好きって言ってくれたのに、あたしはまだシンジを信じきれていない。
 シンジ、こんなあたしなんか、止めておいたほうがいいよ・・・。

 「あ、そうそう、これ・・・。」

 シンジはあたしに小さな紙切れを見せた。
 ん?
 あたしの家の住所・・・?

 「ここ、今言った、僕が下宿しようと思ってる所なんだ。”下宿のおばさん”が是非そうして欲しいってさ・・・。僕はアスカと相談しないとダメだって言ったんだけど・・・。アスカが反対するなら止めちゃおっかなぁ?」

 シンジは小憎らしいほど素敵なウィンクをした。
 馬鹿ぁ・・・。
 シンジはにこにこ微笑んでいるけど、あたしは、もう、ダメ・・・。
 シンジの胸に顔を埋めて、わぁわぁ声をあげて泣いてしまった。

 「だから早く退院しておいで。待ってるから・・・。」

 シンジはあたしの髪を優しく撫でながらそう言った。
 あたしは何度も何度も頷いた。
 そうすれば早く治るような気がしたから・・・。


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