転校生 S
作 : Ophanim
第5話 もろもろの国人は騒ぎ立ち






 僕はキョウコおばさんに連れられてドイツに入った。ベルリンの郊外にある大きな市立病院に行き、6階の病室に向かうエレベーターに乗る。

 「主人がとんでもないことを言ったそうね・・・。ごめんなさいね・・・。」

 キョウコおばさんが僕に謝ったのはドイツに向かう電車に乗ってすぐだった。

 「は?え?ああ・・・あれですか?別に気にしてませんから・・・。」

 僕はしばらく考えてから答えた。機嫌取りした訳じゃなく、本当に思い出せなかったからだ。だって、僕がショックを受けていたのはアスカの言葉の方だったから・・・。でも、おばさんはそうは思わなかったみたいで、しばらく謝り続けていた。

 「それより、アスカに何があったんですか?助けてって、どういうことなんです?」

 おばさんがあんまり謝るので僕は話題を変えることにした。

 「そう、そのことなんだけど・・・。アスカ、あれからずっと部屋にこもりがちで・・・。最初は大人しく3人で過ごしていたんだけど、一言も自分から話さないの。私はあんな事でアスカがシンちゃんと別れてきたとは知らなかったから、てっきり長旅の疲れだと思って・・・。」

 しかし、そのうちにアスカは父、プリンツがいる部屋には顔を見せなくなっていった。食事時になってもなかなか部屋から出てこない。父親が食べ終える頃にようやく食卓につき、ついばむように食べるとすぐに部屋に戻って鍵をかけてしまう。そういう状態が続くうちにプリンツの方も意地になってきてアスカが来るまで食堂に長居するようになっていった。するとアスカはますます部屋にこもる。3度の食事が2度になり1度になり、ついには食堂に姿を現さなくなった。

 「さすがの私も”これは何かおかしい”と気がついたわ。主人とアスカは似たようなところがあって、一度こうと決めたら意地になってしまうのね。さんざん問いつめた結果、これでしょう?私は怒ってしまって一度は本当に離婚を考えたけどねぇ・・・。」

 結局この場はプリンツが折れ、キョウコ、そしてアスカに謝った。
 だが、今度はアスカの強情さが仇になる。
 アスカは遂に部屋から出なくなった。食事は毎食部屋の前に置かれていたが、アスカはそれに手をつけることもなく日々を過ごした。

 「中からの応答が無くなってから、ようやく私たちは鍵を壊して中に入ったのよ。栄養失調で餓死寸前のところで病院にかつぎ込んだの。」

 キョウコおばさんの話に、僕は胸の奥底から憤りが溢れてきた。

 「どうしてもっと早くそうしなかったんですかっ!?」

 でも、おばさんは力無く首を横に振った。

 「シンちゃん、私だってあの子の親よ。そうしたいのは山々だったけど、そしてたら、あの子はきっと自殺してしまうわ。少なくとも今は、あなたよりもあの子のことを知っているつもりだから・・・。」

 僕は歯が砕けるのではないか、と思うほど強く歯を食いしばった。
 確かに、アスカならやりかねない。
 だが、やりかねない、と言うだけでそれをしなくてもいいんだろうか?
 助けに行けば、恐らくアスカは心の中で喜んでいるだろう。
 口では”余計なことすんじゃないわよ!”と言いながら、心の中では、助けに来てくれたことを、その事実を、喜ぶだろう。きっと、誰も助けに来ないことに一層寂しさを募らせていたに違いないんだ。
 少なくとも、僕が知っているアスカはそうだ。
 確かに僕を殴ったり蹴ったりしたけど、いつも手加減していた。
 だけど、あの時だけは本気で叩かれた。
 だから、今も後悔している。
 自分がしっかりしてさえいれば・・・。

 「それでね、シンちゃん、あなたさえ良ければさっきの話・・・。」

 「だめです。それは、アスカと相談して決めます。」

 僕はまだアスカに許してもらっていない・・・。
 エレベーターが止まった。
 僕は病室の前で深呼吸をした。




 「アスカ・・・。」

 キョウコはおそるおそる声をかけた。

 「ん?キョウコか?」

 だが、その声に反応したのはプリンツだった。
 プリンツは薄暗い部屋の中でアスカの傍らに腰掛けていたが、立ち上がって内側から扉を開いた。

 「・・・来たのか・・・。」

 シンジを見て、プリンツは短くそう言った。

 「ええ。」

 そのシンジの声に、アスカはぴく!と反応した。

 (え?シンジ・・・?まさかね・・・。)

 アスカは壁を向いて横たわったまま動こうとしなかった。父親の顔を見ないように・・・。

 「アスカ・・・シンジ君だよ・・・。」

 だが、このプリンツの声だけは何よりも効いた。

 「えっ!?

 初めて・・・。
 この病室に入院してから初めて、アスカは体を起こした。それも、弾かれたように素早く・・・。

 「シンジ・・・。」

 アスカの顔に輝くような笑顔が一瞬現れ、そして、消えた。

 「何しに来たのよ・・・。」

 アスカは再び布団に潜ってしまった。落胆するアスカの両親とは裏腹に、シンジは何かを確信したような顔つきになった。

 「アスカが大変だって聞いて来たんだ。」

 「あんたの知った事じゃないわよ。出てって・・・。」

 アスカは布団の中から答えた。

 「アスカ・・・。」

 プリンツが困ったように声をかける。

 「みんな出てってよっ!!

 久しぶりに出たアスカの大きな声は、しかし、拒絶の心・・・。

 「出ましょう。」

 シンジは全員を促した。

 「しかし・・・。」

 プリンツは困惑気味に反対した。

 「ここは任せて下さい。みんな、出て下さい。アスカ、また来るから。」

 シンジはプリンツを押し出すようにして、自分も部屋を出た。

 「シンジ君、すまなかったね。急に呼び出したりして・・・。それにしても困った娘だ・・・。」

 プリンツはいらいらとしながらそう言った。

 「そんなことはないです。アスカはとてもいい子ですよ。」

 シンジは廊下にあったベンチに腰掛けた。二人もそれに倣う。

 「親を困らせて、どこがいい娘なんだ!」

 プリンツは吐き捨てるように言った。

 「怒らないで下さい。アスカはもう、一人前の女の子です。大学だって出ているし・・・。」

 「それがどうした。大学を出ようが働こうが、アスカが私の娘であることに変わりはないのだ。」

 シンジの言葉が終わるのをプリンツは待とうとしなかった。シンジは苦笑しながら、ええ、そうですね、と答えた。

 「だったら、親を困らせるのは良くない娘だろうが?だから・・・。」

 「同じ事を考えてあげて下さい。その前に、アスカを困らせませんでしたか?」

 今度はプリンツの言葉をシンジが遮った。

 「なんだって?」

 プリンツはシンジが何を言っているのか判らなかったようだ。

 「アスカを追いつめませんでしたか?」

 がつん、と衝撃がプリンツの頭を走り抜けた。

 「う・・・。そ、そんなことはない!」

 だが既に主導権はシンジに移っている。

 「そうでしょうか?日本に来たときのアスカは、僕に会いに来た、というよりは何かから逃げてきたような感じでした。」

 「ば、馬鹿なことを言うな。」

 だが、そう言うプリンツの顔は青ざめてきている。

 「いえ、聞いて下さい。何もないのにアスカが黙って日本に居残るとは思えません。アスカは心配してもらいたかったのかもしれませんよ?それに、電話や電気を止められる前に、連絡を取ろうとはしなかったんですか?そうすれば、アスカと連絡が取れなくなって、アスカが滞在を勝手に延長してもすぐに気がついたんじゃないですか?」

 プリンツはこめかみの辺りをぴくぴくと震わせながら聞いている。

 「アスカはきっと助けて欲しかったんだと思います。でも、不器用な、強がりの子だから、言葉に出来なくて、態度で何とか伝えようとしていたんだと思います。」

 シンジはベンチから立ち上がった。

 「もう、アスカを困らせないで下さい。自分の都合でアスカを”大人”にしたり”子供”にしたりしないで下さい。もし今度、アスカを困らせるようなことがあれば、その時は僕がアスカを助けます。」

 プリンツはベンチから乱暴に立ち上がると、足音荒くどこかに行ってしまった。
 それを見送ったシンジは小さなため息をついた。

 「あの・・・。」

 キョウコがシンジに声をかけた。

 「あ・・・おばさん、ごめんなさい。おじさん怒ってしまったみたいで・・・。」

 シンジはキョウコに頭を下げた。

 「いいのよ。あれで結構あなたのこと気に入ったんだと思うわ・・・。それよりも、今言ったこと、お願いね・・・。」

 キョウコはシンジに笑いかけた。

 「あの子、寝言であなたを呼ぶのよ・・・。私や主人の名前はもう呼ばないのに・・・。ふふ・・・少し、妬けるわね。」

 キョウコは寂しそうに微かに微笑んだ。

 「おばさん・・・。」

 シンジはどうしていいのか判らずにおろおろとした。

 「だから、アスカをお願いね・・・。」

 キョウコは立ち上がってシンジに頭を下げた。慌ててシンジも頭を下げる。

 「いえ・・・その・・・なんて言うか・・・。」

 沈黙が流れた。
 シンジは何か言葉を探して目を白黒させていたが、ふと思いついてキョウコに話しかけた。

 「おばさん、おばさんの家って近くですか?」

 キョウコは目を丸くしていたが、とりあえず頷いた。

 「少し借りたいものがあるんですが、いいですか?使わせてもらっても・・・?」

 「え、ええ・・・構わないけど・・・。」

 その声を聞いたシンジはキョウコを促してアスカの実家に向かった。その途中、キョウコはシンジに話しかけた。

 「シンジ君・・・。」

 「な、なんでしょう?おばさん・・・。」

 シンジは先を急ぎつつ答えた。

 「そのうち、お母さん、って呼んでくれるわよね?」




 (シンジ、来ないかな・・・。)

 あたしはもぞもぞ、と布団から顔を出した。

 (来ないわよねぇ・・・。あたしがみんな出てって言ったから・・・。馬鹿ねぇ。シンジだけは特別なのに・・・。でも、今のこんな顔も見られたく無いから、良かったのかな・・・。)

 泣きたいくらい情けない。でも、涙も出ない・・・。
 折角シンジがわざわざイタリアから来てくれたっていうのに・・・。

 (あいつ・・・練習とか、どうするんだろう・・・?馬鹿だな・・・あたしなんかのために・・・。)

 コンコン・・・。

 「アスカ、入るよ・・・?」

 (え?シンジ!?)

 あたしは慌てて布団をかぶった。シンジは扉を開けて入って来た。
 だめだよぉ・・・。泣き顔なんだから・・・。

 「出てってよぉ・・・。」

 あたしは本心の半分を口にした。

 「そんなこと言わないでさ・・・。ご飯、持ってきたよ・・・。」

 シンジ・・・。
 あたしはシンジが部屋に残ってくれたのが嬉しかった。
 でも、食欲が無い・・・。

 「いい・・・お腹、すいてない・・・。」

 ごめんね、シンジ・・・。

 「食べてないって聞いたよ?」

 「でも・・・食べたくないの・・・。」

 「そう・・・折角作ってきたのに・・・。」

 え?

 「し、シンジが作ったの??」

 あたしは思わず布団から顔を出した。

 「う、うん・・・。おばさんに台所、借りてさ・・・。」

 シンジは目をぱちくりさせている。でも、あたしもびっくり・・・。シンジは小さなお握りを何個も作ってきてくれた。

 ぐぅ!

 やだ、恥ずかしい。お腹がなっちゃった・・・。
 食欲なんて、本当に無かったのに・・・。

 「ほら、お腹すいてるんじゃない。はい、食べて。」

 シンジはあたしの寝ているベッドに腰掛けた。

 「さ、さっきまでは本当に食欲無かったんだから・・・。」

 シンジはあたしの言い分なんて聞こえないみたいにいそいそとお握りを取り出した。

 「はいはい。これ、どう?アスカが食べやすいように小さくしたんだけど・・・。」

 シンジってば・・・。

 「や!」

 あたしは照れ隠しにぷぅっと頬を膨らませた。

 「アスカぁ・・・。」

 シンジは困った顔になった。
 ふふ。楽しい・・・。

 「食べさせてくれないと、いやっ!」

 い、今ならいいよね?甘えても・・・。

 「もぉ・・・判ったよ・・・。はい、あぁんして・・・。」

 シンジぃ・・・。本当にするの?

 「ちょ、ちょっと見ないでよ。照れるじゃないの。」

 「見ながらじゃなかったらどうやって食べさせるんだよぉ・・・。」

 く、口移しとか・・・。
 うぅ・・・じ、自分で言ってても恥ずかしい・・・。

 「わ、判ったわよ・・・自分で食べるわ・・・。」

 「いいから、ほら。あぁん・・・。」

 しょ、しょうがないなぁ・・・嬉しいけど・・・。

 「あ、あぁん・・・(ぽっ)。」

 ぱく・・・。
 美味しい・・・。
 やっぱり病院食なんてねぇ・・・。普通の体調でも食べたくないわよね?
 一回してしまうと、もうそれほど恥ずかしくない。あたしは鳥の雛のようにぱくぱく口を開けて、シンジから愛情たっぷりのお握りを食べさせてもらった。

 「アスカ・・・こんなにやつれて・・・。」

 シンジがあたしの頬を撫でている。
 じわっと涙が出てきた。

 「あ、あんたが・・・。」

 だめ・・・これ以上は・・・。
 愚痴になっちゃう・・・。

 「あんたが、あ、あんなこと言うからぁ・・・あ、あたし、は、あたしは・・・。

 もうだめ・・・止まらない・・・。
 あたしはシンジに抱きついて思いっきり泣いた。さっきまで泣く元気も無かったなんて信じられない。やっぱり、あたしはシンジがいないとダメなの・・・。

 「ごめんね、アスカ・・・。」

 うんうん。
 何でも許しちゃうわ。
 はい、お詫びの印のキスをして・・・。

 「ごめん。でも、あれは間違ってないと思う。」

 シンジはいやにはっきりと答えた。
 それって・・・。

 「親に反対されたまま、あんな状態は良くない。」

 シンジ!!

 「ば、馬鹿馬鹿馬鹿っ!絶交よっ!

 あたしはシンジを殴りつけようとしたけど力が入らなかった。

 「待って、アスカ・・・。聞いてよ・・・。」

 「嫌い嫌いっ!大っ嫌いっ!

 「聞いてよっ!!

 はっとして目を上げると、シンジは凄く恐い顔をしていた。

 「は・・い・・。」

 びっくりした。
 こんなに恐いシンジの顔を見たことがなかった。
 でも、それよりもなによりも、シンジに怒られたことがショックだった。
 あたしはしゅんとなって、思わずベッドに正座してしまっていた。

 「アスカ、僕だって寂しかったんだよ?アスカがいないとさ、心細くて眠れないんだ。ご飯だって一人で食べると美味しくないからあんまり食べなかったし・・・。」

 なぁんだぁ。シンジも同じだったんだ。あたしはそれで入院しちゃったけど。

 「アスカがいつ帰ってきてもいいように、あの部屋、あのままとってあるんだ。僕は今も床に寝ているし・・・。」

 ば、馬鹿ねぇ、ベッドで眠ればいいじゃない。
 あたしだって、そんなところまで独占しないわよぉ。ほ、本当は一緒に眠るつもりだったんだし・・・。

 「でも、もう、いいんだ。アスカ、僕はあのアパートを引き払おうと思う。」

 え?

 「やだ・・・。あたしの帰る場所が無くなっちゃう・・・。」

 寂しい。

 「僕だって寂しいさ。あの部屋があれば、アスカがいつかきっと帰って来ると思ってたんだからね。でも、もういいんだ・・・。」

 え?もう、いいの・・・?
 もう・・・あたし、帰らなくても、いいってこと?
 帰って来るなって、こと・・・?
 さよなら・・・なの・・・?
 そのシンジの言葉に、あたしは足元が崩れるような不安感を感じて呆然とするしかなかった。


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