転校生 S
作 : Ophanim
第3話 別離 







 それは突然やってきた。
 とは言っても、いつかは必ず来るとは思っていたけど・・・。
 アスカはあんまりそういうことには気を使わない子だし・・・。
 でも、いざ来てみるとうろたえてしまう。
 どうしたらいいんだろう?
 僕らはまだ、子供なのに・・・。
 やっぱり心のどこかでは恐れていた事が判ってしまう・・・。
 罪を・・・。
 子供なのに、大人の真似をした罪を・・・。
 背伸びの、償いを・・・。



 その日、僕は早めにレッスンから帰ってきた。
 最近アスカが少し疲れ気味で心配だったからだ。

 (何か美味しいものを作ってあげないとな・・・。アスカ、好き嫌い多いからなぁ・・・。)

 そんな事を考えながら、僕はそれなりに楽しかった。お互いに支えあっている、という意識が持てるからだ。
 両手に野菜や肉の入った紙袋、肩にはチェロを提げてぎしぎしという階段を登る。狭い階段なので、今人に来られるとすれ違う事が難しい。
 ふと、背後に人の気配がした。

 「あ。すみません。すぐ登りますから・・・。」

 僕は後ろを振り向かずにそう言うと、素早く階段を登った。
 そこで一旦休んで、二人の部屋の前までよろよろ歩く。

 ぎぃーっ・・・。

 こちらもまた年代ものの軋むドアを開ける。

 「ふぃー・・・。さて、何を作ろうかな・・・。」

 僕は中に入ってすぐに袋を開けて買ってきた野菜を冷蔵庫に詰め始めた。

 ぎぃーっ・・・。

 突然入り口の扉が開いた。

 「あ?アスカ???早かった・・・。」

 僕は慌ててそっちを見た。
 そしてそのまま動けなくなった・・・。



 「あぁあ、遅くなっちゃったぁ・・・。」

 あたしはぴょんぴょんと水たまりを飛び越えながら家路を急いだ。雨はふっていなくても、水を打ったり、洗濯水を通りに流したりする人が多いので水たまりは当たり前にある。しかも、舗装されていない石畳の通りだったりするともう大変だ。つるつる滑るし泥もはねる。

 「まぁったく、あいつ、人をこき使ってさぁ・・・。」

 あ、いけないいけない・・・。
 愚痴はシンジに言わないと・・・。
 そうすれば、シンジが慰めてくれる。
 一緒に怒ってくれる。
 そうして、あたしを誉めてくれる。
 それが、とても嬉しい・・・。
 あたしはいつのまにか緩んでしまった頬を撫でた。きっと赤くなっているんだろうな・・・。早く落ち着けないと・・・。こんな所シンジに見せたら、恥ずかしい・・・。
 通りの向こうにあたし達の部屋が見える。暖かい光が窓から漏れている。

 (ただいま、シンジ・・・。)

 あたしは深呼吸を一つすると、歩調をゆっくりに落とした。呼吸を整え、部屋に続く最後の細い路地に入った。
 その後に続く、悲劇も知らずに・・・。



 「あの・・・。コーヒー、いれます・・・?」

 シンジはいたたまれなくなって落ち着き無く立ち上がろうとしたが、相手の反応が無いのでますます居心地が悪くなった。

 (困ったなぁ・・・。)

 シンジは重苦しい空気に押しつぶされそうになりながら、かろうじてため息を一つついた。

 (どんな顔すればいいんだろう・・・?)

 足が痺れてきた・・・。
 お腹もすいた・・・。
 喉はさっきから乾きっ放しだ。

 「あの・・・。」

 「たっだいまぁーっ!

 シンジが立ち上がりかけたのとアスカが扉を勢い良く開いたのとはほとんど同時だった。
 アスカの目が大きく見開かれた。
 シンジのいる位置からでも、アスカの身体が小刻みに震えだした事が判った。

 「・・・パ、・・・パパ・・・。

 アスカは震える声でシンジの傍らに座っている人物を呼んだ。

 「アスカ、探したぞっ!!急にいなくなって・・・。自分がどれだけ心配かけたか判っているのかっ!?」

 アスカの父、蒼龍=プリンツ、ラングレーは怒りで震えながら、力任せにアスカの腕を握りしめた。

 「い、いやっ!放してっ!!

 アスカは身体全体を使って父の腕をふり解くと、シンジの所まで走っていった。シンジの背中に隠れて父の様子を盗み見る。

 「・・・アスカ、どういう事なの?」

 シンジは話の全体が見えないので困惑を強めていた。
 アスカがしぶしぶ、プリンツが感情を抑えながらそれぞれ話した内容を総合するとつまりこういう事らしい。

 アスカは碇家にはドイツに帰ったかのように報告し、ドイツの自分の両親にはまだもう少し日本にいる、と嘘をついていたのだ。
 イタリアへの碇家の仕送りは現在の住所に転送される仕組みになっていたのではじめのうち問題は発覚しなかったのだが、そんな安直な嘘がいつまでも通用するわけはなく、蒼龍家からの国際電話でアスカが日本にいない事が判ったのだ。

 「だって、急いで出てきたからあたし達の居場所を確保するだけで精一杯だったのよ・・・。」

 アスカはシンジに申し訳なさそうに謝ったが、どうも論点は少しずれている。

 「アスカ・・・。もういいだろう?帰ってきなさい。」

 プリンツは今度は一転して猫撫で声を出した。

 「いやよっ!あたしはシンジと一緒に住むのっ!!」

 そう、もうシンジ抜きの生活なんて考えられない・・・。

 「聞き分けの無い事を言うんじゃ無いっ!」

 「いーやーよっ!」

 二人の意見が交差する事は永遠に無い、と思われた。
 が、こうなればやはり歳の差が出る。
 プリンツは攻撃の矛先を変えた。

 「碇君、君からもアスカを説得してくれないか?」

 シンジは突然自分の名前が出て目を白黒させた。

 「だってそうだろう?親にしてみれば歳端もいかない娘を職にもついていないような男にやるわけにはいかないよ?君だってアスカに食べさせてもらっているようでは心苦しいだろう?」

 痛いところを・・・。
 シンジは無言で頷くより他無かった。

 「そ、そんなの関係無いじゃんっ!!馬鹿シンジっ!あんたもそんなの気にすんじゃないわよぉ・・・。」

 アスカはシンジの意外な行動におろおろとした。

 「いや、アスカ・・・。やっぱり、こういうの・・・良くないよ・・・。」

 シンジは苦しそうに顔を歪めながら、声を絞り出した。

 「え?なに?なに言っているのよ・・・。ねぇ・・・シンジぃ・・・。」

 アスカは涙を浮かべながら、シンジの顔をのぞき込もうと身体を乗り出したが、シンジは顔を逸らしてそれを拒んだ。

 「うん、よく言った。碇君、君はなかなかしっかりした子のようだ・・・。」

 プリンツは腕組をして納得したように頷いた。

 「だ、だめよぉ・・・。ねぇ、シンジ・・・。一緒にいたいよね?」

 アスカはもう泣き声になってシンジの翻意を促した。

 「一緒にいたいのは山々だけど、親に反対されているようならだめだよ。それに、やり方がフェアじゃ無い。嘘は、ダメだよ。アスカ・・・。」

 アスカは雷に打たれたかのようにびくっと身体を震わせると、まじまじとシンジを見た。

 「そんな・・・そんな風に思っていたの?・・・こ、これは二人の問題じゃないのっ!パパの気持ちは関係無いでしょうっ!!

 アスカは一瞬の静寂の後、嵐のように怒り出した。両手でシンジをぽかぽかと殴り出す。しまいには足まで出して蹴りだした。シンジはアスカの気の済むまで、全く無抵抗に殴られ続けた。
 やがてアスカが叩き疲れて小休止すると、シンジはアスカを優しく抱き寄せた。

 「そうだよ、アスカ。二人の問題だ。だから、僕は、アスカを家に返す。」

 アスカはもう一つ、力を込めてシンジの頬を張った。

 「馬鹿っ!!

 ぱしっという音が響きわたる・・・。

 「・・・あ・・・。ごめんなさい・・・。」

 その音でアスカは、我にかえったかのように大人しくなった。アスカが叩いたことでシンジは唇を切ってしまったのだ。

 「・・・もしかして・・・あたしのこと、嫌いになった・・・?」

 アスカはこわごわと、シンジの口からは聞きたくない言葉を口にした。

 「そうだよね・・・。乱暴だし・・・料理とか洗濯とかしないし・・・一緒に住むっていってもキスもまともにさせないしね・・・。愛想つかされても、しかたないよね・・・。」

 アスカはうつむいて、自分の口から思いつく限りの自分の欠点を口にした。その方が、シンジから言われるよりもずっといい・・・。

 「そんなことはない。アスカ、そういうことじゃないんだ・・・。」

 シンジは再びアスカを抱き寄せた。
 そのままの姿勢で、プリンツを見据える。

 「お父さん。アスカは一旦家に帰します。僕が迎えに行く日まで・・・。」

 その言葉をどう受け取ればいいのか・・・。
 ふぅ、とプリンツは一つため息をついた。

 「それはプロポーズなのか、碇君?だが、まだ娘をやるわけにはいかないぞ?」

 プリンツの言葉に、シンジは自分がとても重い言葉を言った事に気がついて顔を赤くしたが、それでも、その発言を撤回する気はなかった。

 「いえ。アスカはきっと待っていてくれる、と信じています。」

 アスカははっと身を固くした。

 「信じても、いいよね?アスカ?」

 シンジはアスカに笑いかけた。

 「い、いいけど・・・でも・・・帰りたくない・・・。」

 アスカは父親から身体を隠すように身を屈めた。

 「だめだよ。アスカのお父さんもお母さんもきっと相当心配したんだよ。とにかくきちんとした形でけじめはつけないと・・・。」

 シンジはアスカをなだめるように優しい口調で諭した。

 「でも・・・。シンジ・・・あたしの事、忘れちゃうかも・・・。」

 アスカは何とか帰らなくて良い理由を探そうと頭を巡らせたが、余りいい考えは浮かばなかった。

 「大丈夫だよ。あれだけ長い間会わずにいても今こうして気持ちが通じあったじゃない。日本とドイツに比べたら、イタリアとドイツなんて地続きだし・・・。」

 シンジはアスカの頭を撫でながらそう言って安心させようとした。
 アスカは、無言だった・・・。

 「さ、もういいだろう?アスカ、こっちに来なさい。」

 プリンツはアスカの腕を取ると、無理に立ち上がらせた。

 「痛いってばっ!

 ぷいっと向こうを向いたまま、アスカは再び父親の腕を振り払った。

 「一人で立てるわよっ。帰るならさっさと帰るわよっ!!

 アスカは今度は荒々しく言い放つと、日本から出るときに使った大きな旅行鞄に自分の身の回りの品を乱暴に詰め込み始めた。

 「あ、アスカ、手伝おうか?」

 シンジは畳んであげよう、と手を伸ばした。

 ぴしっ!

 シンジは伸ばした手を引っ込めた。
 アスカがしたたかにシンジの手を叩いたのだ。

 「ばぁかっ!!だいっきらいっ!!

 アスカはシンジに向かってそう叫ぶと、まだ半分も詰めていない鞄を力任せに閉じた。
 彼女の突然の変化についていけずにいる男二人を残して、アスカは部屋を飛び出した。慌ててプリンツが後を追う。
 部屋に一人残されたシンジは、何が起きたのかも判らず呆然としていた。

 (嫌い・・・?アスカ、嫌いって言ったのか・・・?僕を・・・?・・・。)

 シンジはひりひりと痛む手をさすった。
 だが、本当に痛むのは、心の、それもかなり奥の方だった・・・。



 「よかったよかった。アスカが戻る気になってくれて・・・。」

 目の前にいるのは無神経な男・・・。

 「ママもきっと安心するぞ?いや本当に慌てたんだ。誘拐されたんじゃないか、とか家出したんじゃないか、とか・・・。」

 嘘ばっかり・・・。あたしがドイツを出るときには勝手にしろ、とか言っていた癖に・・・。

 「しかし、もういいのか?碇君は、本当に・・・?」

 ずきっ!

 「・・・うん、もう、いい・・・。あんな馬鹿・・・。」

 本当に馬鹿・・・。
 あいつ・・・あたしのこと、少しも判ってない・・・。
 でも、一番馬鹿なのは、あたしかも・・・。

 「そうか・・・よかった。いやぁ、彼には悪いけど芸術家のなりそこないなんてそこら中に掃いて捨てるほどいるからな。不自由な暮らしでアスカを苦労させたくはないからなぁ・・・。」

 ・・・・・・・。
 前言撤回・・・。
 一番の馬鹿は、こいつだった・・・。
 でも、そういえば、シンジも馬鹿だった・・・。
 もし、シンジがさっきの言葉をまにうけて、他の女の子を選んでしまったらどうしよう・・・。
 去年の出来事が頭をよぎる・・・。

 『アスカには釣り合わないって言われたよ・・・。』

 そうだった・・・。
 あいつは鈍い奴だった・・・。
 人の気持ちよりも人の言葉で左右されるんだった・・・。
 あたしは取り返しのつかない事をしたのかもしれない・・・。

 「馬鹿・・・。

 アスカはじわっと湧き出てくる涙を抑えるようにそう呟いた。
 だが、その言葉はシンジに向けたものなのか、自分に向けたものなのか、どれだけ考えてもとうとう判らなかった・・・。 


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