転校生 S
作 : Ophanim
第二話 始まりの日々






 アスカが僕と一緒に住むのに借りる予定のアパートはアスカに聞いてみると”ワンルーム”だった。

 「どうして二人で住むのに一部屋しかないのさ?」

 僕はアスカに問いかけた。

 「や、安いからよ!」

 アスカはどもりながら返事をした。顔は向こうを向いたままだ。

 「でも、二部屋でもっと安いところもあるよ?」

 僕はアパートの情報が書いてある雑誌を広げて物件を指さした。

 「ば、ばっかじゃないの!?そういう所は治安が悪ぅーーーーーいのっ!もうっ!だから馬鹿シンジだって言うのよっ!!ここは日本じゃなくてイタリアなんだからっ!マフィヤとかギャングの本場よ?ああ、もうこれだからシンジを一人でイタリアになんてやれないって言ってたのよぉ・・・。」

 ・・・な、渚先生達と一緒に住めなくなったのはアスカのせいじゃないかぁ・・・。
 僕は内心抗議したけど、真っ赤になって怒っているアスカに逆らう勇気は無かったので口に出すのは止めた。それに、アスカが言うんだからきっとそうなんだろう・・・。

 イタリアでは(・・・というよりも、日本以外の国では)、自分の身の安全を自分で守るのは当然、と考えられているようだ。部屋にはどんな小さな小部屋にも必ず鍵がついているし、メインの玄関には玄関を完全に開かなくとも牛乳や新聞、ピザなどを受け取れる小窓がついている。

 「それよりもまずは内装ね。カーテンやカーペットは新調しないとね・・・。それにえーと・・・。」

 アスカはぶつぶつと部屋の中を見回している。
 何しろ、この部屋は古い・・・。
 天井には雨漏りのシミのような模様がいたるところについている。
 でも、年期が入っている代わりに、生活に最低必要なものは全部備え付けられている。
 ガステーブルやシャワー、トイレなどの生活必需品から鏡、冷蔵庫や照明など、普通はついていなさそうなものまでついている・・・というか、残っている。
 イタリアの人はみんなのんびりとしておおらかだ、と聞いてきたけど、案外本当なのかも知れない。
 ただ、研究の環境については随分厳しいみたいで、アスカも今の職場にいつまでいられるか判らない。場合によってはここを離れる事も考えなければいけない。
 それはまぁ、そのうち考えるとして、今重要なのは・・・。

 「どうするのさ?」

 イタリアに着いたその日、いきなりその問題はやってきた。

 「どうするもこうするもないわ。あんたがなんかしたら、蹴り飛ばすだけよ。」

 なんかって・・・。

 「ワ、ワンルームを借りることにした時にこれも考えておくべきだったわね。し、失敗したわ・・・。」

 アスカはそう言ってちっと指を鳴らそうとして、失敗した。

 「失敗って・・・。こ、このくらい想像つくじゃないか・・・。」

 僕は指を押さえて痛がっているアスカに抗議した。だって、僕はそんなつもりは少しも無いのに・・・アスカが自分でやった事じゃ無いか・・・。

 「と、とにかく。買い物に行こう。カーテンやなんかはもういいから。先にベッドを見に行こう。」

 僕はアスカの手を引いて立ち上がらせた。

 「ベ、ベッドはそこにあるわよ!でも、カーテンは無いの!!だからカーテンを買うの!!」

 確かに、アスカが言うように、この部屋についていたカーテンはぼろぼろでその役目を果たしそうに無い。女の子のアスカにしてみれば、着替えたりするのに外から見えるのが嫌なんだろう。

 そして、確かに、窓際の日当たりの好い所に木製のベッドが一つある・・・そ、一つ!!

 「だけどね!!」

 しまった・・・。
 目の前が暗くなってから気がつくんだよなぁ・・・。

 「う、うるさいわねっ!!だからあんたが何もしなければ済む事でだって言ってるしょうがっ!!!」

 僕はアスカのぐーぱんちを綺麗に食らってからゆっくり後悔した。



 「アスカ・・・寝た?」

 僕は自分の声にびくびくしながらアスカに声をかけた。
 夜ももう随分遅い。
 でも、僕は全然寝つけなかった。
 いくら僕にそんな度胸が無いと言っても、同い年の綺麗な、それも大好きな女の子と同じ部屋で初めて夜を一緒に迎えたら、とてもじゃないけど眠れない。
 結局僕が床で寝て、アスカがベッドに寝る事に落ち着いたけど、床は結構冷たくてさっきからトイレに行きたかったんだ。

 「ね、アスカ、寝たの?」

 僕はもう一度声をかけた。
 急に立ち上がって変に思われたくなかったんだけど・・・。
 返事は、無い・・・。

 (よし・・・。)

 僕はそっと身体を起こした。
 途端にアスカがぱっと身体を起こす。

 「な、何っ!?何何なぁにっ???」

 アスカは壁に身体を寄せて身体中にタオルケットを巻き付けた。

 「・・・え・・・い、いや・・・トイレに行こうかと思って・・・。」

 アスカはほぉっとため息をついた。

 「そ、そうだよね・・・。あはははは・・・。ご、ごゆっくり・・・。」

 (な、なんだかなぁ・・・。)

 僕はアスカの対応に驚きながら、そう言ってトイレに行った。

 「あんなに警戒しなくてもいいのに・・・。」

 僕は想像以上に可愛らしいアスカの態度が急におかしくなってくっくっと笑ってしまった。
 トイレを出たら、アスカが立っていた。

 「う、うわああああああああああああっ!」「きゃあっ!!」

 僕は驚いて大声を出し、アスカは僕の声に驚いて悲鳴を上げた。

 「ど、どしたの?」「手、手を拭くタオル、持ってきたの・・・。」

 そ、そういえば、さっき、トイレのタオル掛けが壊れていたから今度買いに行くとか言ってたっけか・・・。
 僕達はお互いに顔を合わせないようにしながら、お互いの寝床に戻った。

 (し、心臓がドキドキ言っている・・・。)

 冗談抜きで、自分の心臓の鼓動で地震を起こせそうなほど烈しい動悸を打っている。多分、アスカも・・・。
 それにしても、アスカ・・・。
 月の薄明かりに浮き上がった白い人形のような美しさもさる事ながら、僕が暗がりでタオルを探さなくても済むように、タオルを持ってきてくれたその細やかな心遣い・・・。

 (いいなぁ、アスカ・・・。)

 僕は肩ごしにアスカが眠っているベッドを見上げた。角度の関係でここからはアスカの身体は見えない。

 (やっぱり、好きだな・・・。)

 僕は心の中でそう言って、仰向けに天井を見上げた。

 (いいや、今日はもう、眠れなくても・・・。)

 買ってきたばかりのカーテンは、サイズが合っていなくて今日は使えなかった。
 明日になったら、綺麗に切って取り付けよう。

 (やっぱり、アスカを他の人に見られたくないや・・・。)

 僕はアスカを独り占めできる幸せを噛みしめて、そっと目を閉じた。



 「くしゅ・・・。」

 アスカがまたくしゃみをした。

 「やっぱりあれかなぁ?風邪の原因・・・。」

 僕がそう言うとアスカは激しく首を振った。

 「ち、違うってば・・・。くしゅっ!か、髪切ったからちょっとね・・・。」

 アスカはそんなことを言っているけど、アスカの風邪の原因はやっぱりあれだ。
 ”あの夜”の朝、僕が目を覚ますと、アスカが掛けていた毛布やタオルケットが残らず僕に掛かっていた。
 アスカにお礼を言うと、

 「あらそう?あたし、寝相悪いから布団を蹴飛ばしたのかもね。勝手に落ちたんじゃない?」

なんて澄ました顔で言っていた。
 でも、布団を蹴飛ばしたらあんなに綺麗に掛からないと思う。やっぱりあれはアスカが僕に掛けてくれたんだ。
 そしてアスカはそれが原因で風邪をひいたんだと思う。でも今度はそうと判ると僕が変な気遣いをすると思ってああいう言い訳をしているんだと思う。
 そのアスカはあんまり激しく頭を振ったのでめまいでもしたのか、ふらふらと身体を横たえた。

 「大丈夫?今何か暖かいもの作るから・・・。」

 僕はおろおろしながらアスカを寝かしつけた。

 「だ、大丈夫だってば・・・。くしゅっ!このくらい、寝てれば治るわよ・・・。」

 アスカは強がりを言っているけど、ここから見ても判るほど顔が赤くなっている。相当熱があるな・・・。

 「寝てなさいって。風邪引いたときくらいは僕の言う事を聞きなよ。」

 僕は無理にアスカをベッドに横にすると、早速お粥を作りにかかった。
 こっちの方ではお米は手に入りにくい。だから家から少し持ってきたんだけど、よくよく考えたらこっちには米に合うおかずや調味料がないからただ余るだけ。
 でも、こういう時なら話は別。

 (そういえば、美味しいお粥の作り方も調理部で何回かやったよなぁ・・・。)

 調理部にいた事がこんな形で役に立つなんてあの頃は少しも思わなかった。何でもやっておくといつか何かの役に立つもんなんだなぁ・・・。やっぱり若いうちの苦労は買ってでもしろっていうのは嘘じゃ無いかも・・・。
 そう考えれば、アスカが凄い、というのも当たり前の話だ。
 アスカは小さい頃からいつも人の何倍も頑張っていたし、何でも興味を持って挑戦していた。
 僕は、といえば、嫌な事があるといつも”自分には向いていない”とか言って逃げてきただけだった・・・。
 お粥を作りながら、少し自分が情けなくなった。

 「どうしたの?」

 アスカに食べさせて上げるその時まで、そんな気分を引きずっていたようで、アスカに気づかれてしまった。

 「あ、いや・・・。若い頃の苦労は・・・って本当だな、って思ってさ。改めてアスカは凄いね、って思ったんだ。それでね、アスカは僕がいなくても大丈夫だけど、僕は一人じゃやって行けないなって思って・・・。」

 あ・・・。
 また失敗した・・・。
 アスカがかちゃ、と匙を置いた。その、アスカの、少し寂しそうな顔で僕は僕が何かまた失敗した、と判った。

 「あたしはこんなに美味しいお粥を作れないわ・・・。」

 アスカは静かに、諭すように言った。視線はベッドの上に向けられたままだ。

 「あ、でも、アスカなら、頑張ればすぐに上手になるよ・・・。」

 僕は慌てて失敗を取り戻そうとした。

 「それに、綺麗な音も出せないわ。シンジのように誰にでも優しくなんて出来ないし、計画性も無いかも・・・。」

 僕に構わずアスカが続けるので、僕は黙ってアスカの言う事を聞く事にした。

 「ねぇ、シンジ・・・。もし、あたしの出来る事をシンジが全部出来たとしたら、シンジはあたしを置いてどこかに行ってしまうのかな・・・?」

 アスカは急に目を上げて僕の目を見た。僕は本能的に目を逸らそうとしたけど、出来なかった。もし今目を逸らしたら、アスカと二度と判り合えないような気がした・・・。

 「いや。そんな事はない・・・。」

 アスカの問いかけから僕が答えるまでの時間はおそらく時間にしたら一秒もかからない時間だっただろう。
 でも、この一秒は僕の一生分の価値を持っているかもしれない。

 「そうでしょう?だったら、同じよ・・・。二人で出来る事が違うから、お互いが必要になるんじゃなくて?」

 アスカの顔に微笑みが戻った。
 良かった。
 今度は間違えていない・・・。

 「そうだね・・・。アスカの言う通りだ。」

 僕はじわっとなりそうな気分をようやく堪えた。
 かこーん!
 アスカが持っていた匙で僕の頭を叩いた。

 「い、痛いなぁ!アスカ!!何すんだよ!」

 結構痛い・・・。
 涙目になって抗議する僕に、アスカはお粥の半分残った皿をつきだした。

 「・・・冷めた・・・。」

 ・・・あ、あのねぇ、アスカ・・・。

 「な、何よ、その目はぁ!?あんたのせいで冷めたんでしょぉ!!作り直して来なさいよっ!!」

 アスカはそう言って僕を追い立てると、大げさに咳をして布団に潜り込んだ。
 ま、元気が出て来たって所かな・・・。
 僕は素直に引き下がってお粥を暖め直した。急いで暖めて焦げがつかないように火加減を調整する。
 ベッドからアスカが派手に鼻をかむ音が聞こえてきた。

 「アスカ、咳ひどくなった?」

 僕は少し心配になって、火を止めてアスカの所に飛んで行った。

 「な、何でもないから早くお粥持って来なさいよ・・・。」

 アスカは向こうを向いたままで僕に命令した。

 「まだちょっと冷たいと思うけど・・・。」

 さっきよりはましだと思うけど、水を少し足したので充分温かいとは思えない。

 「いいから早く取ってきなさいっ!!」

 アスカは僕を撥除けるようにすると、さっとティッシュを取って・・・
 ・・・目に当てた。
 ごめん、アスカ・・・。
 僕はアスカの気持ちが判ったような気がした。
 僕は黙ってまだぬるいお粥を持って戻って来た。

 「はい、アスカ。ここに置くから。」

 僕はベッドにお粥を置いて、自分もベッドに腰掛けた。背後でアスカが起き上がった。僕はアスカが安心して食べられるように、アスカの背中に自分の背中をつけた。アスカは僕の背中を背もたれがわりに、僕の反対側に足を下ろした。
 アスカはそれほど熱くもないお粥に息を吹きかけながら食べた。

 「今度は少し塩が多かったわ。今度から気をつけなさい。」

 食べ終わると、アスカはそう言ってまた布団に潜って行った。

 「判った。今度から気をつける。」

 僕はただそれだけを言った。
 塩は一度も使ってない。
 それでもやっぱり、気をつけちゃ・・・。
 アスカを不安にさせないように。


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