転校生 S
作 : Ophanim
第一話 旅立ち






 今日はバカシンジがイタリアに向けて出かける日だ・・・。
 でも、あたしは見送りになんて行ってやらない。留学だなんて大事な事、あたしに相談もしないで決めたってところが気に食わない。あたしがドイツに行った時はちゃんとシンジに相談してから決めたのに・・・。

 がさっと外で何か音がした。
 その音だけで、あたしは扉の向こうにシンジが来たのが判った。
 もうかれこれ半年近くも一緒に住んでいれば、さすがにね。それだけ一緒にいればシンジの足音の癖ぐらい誰でも判るわ。
 ・・・でも、ゲンドウ叔父様とユイ叔母様の足音は判らないんだけどね。
 もぉ、バカシンジッ!何か言いたい事があるならさっさと入ってくればいいのにぃ・・・。ほんっと愚図なんだから・・・。

 「・・・あ、あのさ、アスカ・・・。」

 バ、バカシンジ!中に入ってこないつもり!?

 「僕が何も教えなかったのを怒っているっていうのは・・・よく判っているつもりだけど・・・。で、でもさ。今日ぐらい出てきてくれてもいいじゃないか・・・。」

 シンジ・・・。
 あたしは思わず出て行きたくなる想いをどうにか堪えた。今ここで出て行ってしまったら何にもならない。ここはどうしてもシンジの方から入ってきてもらわなければならない・・・。そう、どうしても・・・。





 「ねぇ、アスカってば・・・。」

 シンジは我慢しきれなくなってアスカの部屋に入った。
 そこで彼は信じられないものを見た。・・・というより、見られると信じていたものが見られなかった。
 当然中にいて然るべきアスカの姿が無かったのだ。
 そればかりか、ついこの間まで部屋の過半を支配していたアスカの持ち物までが、全て忽然と消えてしまっていたのだ。
 部屋の中には、そこにもともとおいてあったものだけがあった。部屋の真ん中にぽつんと一つ、小さな炬燵があるところが物悲しい。
 部屋の中は塵一つ無く綺麗に掃除されていた。

 「いつもは僕が掃除しないといけないほど散らかしていたのにな・・・。」

 シンジはそう呟いて、アスカが寝ていたベッドに腰掛けた。

 「やっぱり、アスカってやる気になればなんでもできるんだな・・・。掃除も、洗濯も、料理も・・・。あ、あれ?」

 シンジはベッドの上に残された手紙を見つけた。
 アスカの字だ。
 飛びつくようにして手紙を手にとって、早速開封しようとする。

 「・・・ア、アスカ・・・。そこまで怒ってたのか・・・。」

 シンジはがっかりしたようにうめくと、開きかけた手紙を持ってしょんぼりと部屋を出た。
 アスカの手紙の宛名は『碇ゲンドウ・ユイ様』だったのだ。





 『叔父様、叔母様。あたしの勝手な都合に付き合ってくれてどうもありがとうございます。でも、シンジがいない日本に未練なんてありません。あたしはもうヨーロッパに帰ります。短い間でしたが、本当にありがとうございました。なんだか、本当のお父さん、お母さんと一緒にいるみたいで、とても楽しかったです。これからも、いつまでも末永くお幸せに。身体に気をつけて、長生きして下さい。』

ユイは潤んだ目で手紙を読み上げた。

 「アスカちゃん、喜んでいてくれたみたいでよかったわね、あなた。」

 ユイはゲンドウの方を見て無理に笑った。が、それもゲンドウがユイに笑いかけるまでの短い間しかもたなかった。ユイは崩れるようにゲンドウにもたれると、嗚咽を漏らし始めた。
それを聞くシンジの表情は暗い。

 (アスカ・・・。いつのまに帰ってしまったんだろう・・・。来たときも一人で来たくらいだから、帰りも全部一人で出来たんだろうな・・・。)

 すっきり諦めてしまえればいいのに・・・。
 それでも、シンジはあの最後のアスカの言葉が耳にこびりついて離れない。

 『あんたを追いかけてここまできたのに、あんたがあたしを置いて行ってどうすんのよっ!どこまで行ったって、あたしはあんたを追いかけるんだからっ!!』

 それに自分はちゃんと応えたのではなかったか?

 『追いかける必要は無いよ、アスカ。アスカも連れて行くさ。言ったろう?いつまでも、一緒にいたいって・・・。』

 その後の長いキスは嘘だったのか?
 それとも、自分が見た都合のいい夢だったのだろうか?

 「・・・ンジ。シンジ!

 父の声ではっと我にかえる。

 「そろそろ出かけるぞ。」

 ゲンドウはそう言って立ち上がった。ユイはハンカチを目に当てながらゲンドウの腕にすがって立ち上がる。
 シンジはのろのろと立ち上がった。まるで身体全体が鉛で出来ているようだ。アスカがいないだけでこんなにも気分が変わるとは・・・。自分の中でアスカの存在が大きくなっていた事に今更ながら気がついた。
 が、全ては後の祭だった。





 空港には人が溢れていたけど、知り合いの顔がないのでとても殺風景に感じる。出発の日が平日になってしまったから、みんなは空港には来られなかったんだ。ま、前の日に学校でお別れは済ませてあるから別に構いはしないけど・・・。
 僕は空港の入り口で父さんと母さんにお別れを言った。

 「辛くなったら、いつでも戻っていらっしゃいね。」

 母さんは涙声で僕を抱きしめた。

 「こ、こら。ユイ、そうじゃないだろう。・・・シンジ、行くからには成功するまで帰ってくるな。何も学ばずに逃げ帰ってくるようなら、お前の居場所は無いと思え。」

 父さんはわざと恐い顔を作った。

 「な、何てことを言うの、あなた。」

 母さんは驚いて父さんを見上げた。でも、父さんは何も言わずに僕の荷物を持って先に歩きだした。母さんは慌てて僕達を追いかけてくるけど、父さんはそれには構わずどんどん行ってしまう。普段では考えられない事だ。
 母さんから見えないところまで来ると、父さんは僕を振り向いた。

 「おい、シンジ。さっきはあんな風に言ったが、成功の価値は人それぞれだ。日本では学べない何かを学んでくるだけでも充分成功と言えるのだから、無理はするな。ただ、あんまり頻繁に帰ってきて母さんを心配させるなよ。」

 父さんはそう言って僕の肩を叩いた。

 「父さんこそ、母さんにあんまり迷惑かけちゃダメだよ。」

 僕は笑いながら父さんに右手を出した。父さんは力いっぱい僕と握手をした。母さんが追いついて来た時にはもう出国ゲートは目の前だった。結局二人は日本の国境ぎりぎりまでついてきた事になる。でも、これで本当にお別れだ。

 「じゃ、行ってくるよ。」

 僕はそれだけ言ってゲートをくぐった。振り向けば父さんと母さんがいるだろう。でも、僕は振り向かないつもりだった。振り向いたら、きっと涙が出る。涙が出たら、行きたくなくなる。それでは何も変わらない。
 僕は、生まれ変わるつもりで、飛行機を目指した。
 もう一度、産まれるつもりで・・・。





 「えーと、僕の席は・・・。」

 僕はきょろきょろしながら自分の席を探した。

 「あ、あれだ・・・けど・・・。」

 僕の席は二人がけの座席の窓側だった。

 でも、そこには黒いサングラスをかけたショートカットの女の子が座っている。
 栗色の髪だ。

 ・・・まるでアスカのようだ・・・。

 きっとこれから僕は、栗色の髪を見る度にアスカの事を思い出すんだろう。
 少ししんみりとしていた僕は、自分の背後に容赦無く迫る人の波に押されて我にかえった。とりあえずその女の子の隣に座る。

 「あ、あの、すみません。そこ、僕の席なんですけど・・・。」

 僕は勇気を出してその女の子に声をかけた。

 「うるさいわね。あんたなんかそこで充分よ!」

 ・・・・・・。
 ど、どうしてこう、見ず知らずの女の子からもなめられるかなぁ・・・。僕は栗色の髪の女の子とは相性が悪いのかな?

 「だいたいあんたはいつもぐずぐずしてるから悪いのよ!少しは要領よくやりなさいよ!おかげであたしの方が先についちゃったじゃないの!!」

 ???

 「え?え?あ、あの?どちらさまですか?」

 僕は訳も判らず、妙に不機嫌な女の子に尋ねた。

 「何わけ判んない事言ってんのよっ!!このバカシンジ!あたしに決まってんじゃないの!あんたよくもあたしをおいていったわねっ!!」

 そういうと女の子は口を尖らせてサングラスを取った。その蒼い目は紛れもなくアスカ・・・。

 「ア、アスカ!?髪、切っちゃったのっ!?」

 アスカ自慢の長い髪はすっかり短く切られていた。

 「き、気分転換よ。そ、それとも、シンジは長い方が好きだったの?」

 アスカは首筋をさすりながら目をそむけたりこっちを見たりしている。今まで髪に隠れていたうなじが露になって恥ずかしいんだろう・・・。

 「い、いや。そんな事無いよ。ショートカットも似合うと思うよ・・・。」

 お世辞じゃ無い。
 アスカくらい端正な顔をしているとどんな髪型をしても良く似合う。

 「あ、当たり前じゃない。あたしを誰だと思っているのよ。そ、それよりもおいてけぼりとはひどいわねっ!」

 アスカは顔を真っ赤にしながら、ぷいっと外を見た。

 「ど、どこにいたのさ・・・。さっき部屋に行ったときはいなかったし・・・。」

 僕がそういうと、アスカは何事もなかったかのように、

 「炬燵に隠れていたのよっ!!」

と応えた・・・。
 隠れてたら見つけられなくて当たり前じゃないか・・・。

 「そ、それにしても思いっきり短くしたね。あ、綾波よりも短いんじゃない?」

 僕がそう言うと、アスカは少し悲しそうな顔をした。

 「髪を切った理由はね、二つあるの。」

 消えそうな声でそう呟くと、アスカはこっちを見た。

 「失恋したあの子の代わりにあたしが髪を切ったのが一つ。」

 目が少し潤んでいる。
 そうか、綾波もだったのか・・・。でも、アスカがあの手紙を出したことで最終的に今の立場が決まったんだな・・・。お互いの心境が判るアスカにしてみたら、自分が失恋するのも成就するのもどちらも辛かったんだろうな・・・。
 僕はそっとアスカの肩に左手を回して、頭を撫でてあげた。堪えきれなくなってアスカは声を押さえて泣きだした。幸い、隣の列には誰もいないし、離陸の音でアスカの泣き声は消されている。
 誰にも見せない涙を、アスカは僕の前ではいとも簡単に流す。信頼されていることを、甘えられていることを感じる。

 しばらくするとアスカは泣き止んで、すっかりもとの元気なアスカに戻った。
 それからは色々な話をしながら飛行機の旅を楽しんだ。アスカが隣にいてくれたおかげで退屈しなくて済んだ。

 「あ、あのさ。アスカ、向こうに行っても会ってくれない?た、たまにでいいからさ・・・。」

 最初の給油地での休憩中に、僕は思いきってアスカにお願いしてみた。だめでもともと。今言わなかったら一生後悔する。
 アスカはきょとんとした顔をしている。

 「シンジ?あんた、何言ってんの?」

 ま、まずい。
 僕は必死でアスカを説得した。

 「あ、あのさ。アスカはドイツに行ってしまうわけだけど、ほ、ほら。ヨーロッパの国はパスポート無しで行き来出来るだろ?だ、だからさ、僕も行くけど、アスカもたまには会いに来てくれないかな?」

 それを聞いたアスカは急に怒り出した。

 「じゃ、何?あんた、何も判ってないのね?」

 今度きょとんとするのは僕の番だった。

 「あんた、イタリア語話せるの?そんなわけないわよね?英語だって満足に話せないくせに、イタリアに行って何するつもりなの?普段の生活はどうすんのよ!?だからこの天才少女のあたしがあんたと一緒に住むんじゃないの!!」

 へ?

「え?だって、手紙にはそんなこと一言も・・・。」

 僕は目をぱちくりしながら聞き直した。

 「あんた馬鹿ぁ!?そんな事書けるわけないでしょ!恥ずかしい!だいたいあたしはドイツに帰るなんて一言も言ってないわよ!!」

 ・・・・・・。

 「だ、だからって・・・一緒に住むって・・・そんな事考えられるわけないじゃないか!!」

 僕がそう言ったら、アスカは突然半泣きになってしまった。

 「シ、シンジ・・・。あの時あたしを連れて行くって言ったのはやっぱり嘘だったのね・・・。」

 そ、それはこっちも同じだよぉ・・・。

 「だ、だって、アスカここの所なんだか機嫌悪くて顔も合わせてくれなかったじゃないか・・・。あ、でも、それは綾波の事があったからか・・・。ごめん。僕が悪かったよ・・・。」

 僕はアスカに頭を下げた。そして笑顔で顔を上げる。目の前が急に暗くなった。
 ごーーーーーーーーーーーーーん!!
 ・・・アスカにぐーで殴られた・・・。

 「あ、あんた馬鹿ぁっ!?あたしが怒ってたのはねぇ!」

 原因はやっぱり僕にあった。
 渚先生が僕のために向こうに用意してくれたアパートは音楽専攻の学生が住む寮のようなもので、基本的に一人で住むものだ。だから、僕はアスカに何かの拍子に
 『お金を稼げるようになったらアスカを呼び寄せる。』
的な発言をしていたらしい。アスカによれば、それは僕の
 『アスカも連れて行く。』
という言葉に矛盾するのだ。アスカにとって、その僕の言葉は”今すぐに”一緒に出かける事を指しており、
 「あんたのへぼ演奏でお金を稼げるようになるまでなんて待てるわけないじゃないの!」
ということになるそうだ。
 だからアスカはめちゃくちゃ怒っていた訳で、同時にどうすれば二人一緒に住めるかを考えて色々と裏で動いていたらしい。

 「あんたはあんなボロアパートじゃなくてあたしと一緒に別の住むの!もう場所は確保してあるから。あたしの荷物も送ってあるし!ついでにあたしが働く研究所も決まっているから、渚のあほが言ってた”アルバイトしながら練習”なんてやめなさい!!」

 アスカ・・・。
 僕は、目の前で悪態をつきながらも僕の事を第一に考えてくれていたアスカが愛しくなった。

 「え?ちょ、ちょっと!ば、馬鹿シンジ・・・?ね、あの、恥ずかしいってば・・・う、嬉しいけど・・・。」

 気がつくと、僕は力いっぱいアスカを抱きしめていた。ぎゅっと音がしそうなほどきつく抱いていたので、アスカは苦しそうにもがいている。

 「ご、ごめん。嬉しかったから・・・。」

 僕は慌てて腕を解くと、理由にならない理由でアスカを納得させた。

 「もぉ!愛情表現だけは一足先にイタリア人ね、全く・・・。」

 アスカはぶつぶつと、嬉しそうに小言を言った。僕が見つめると、アスカは恥ずかしそうに髪をかきあげる仕草をしようとして・・・もうその髪がない事に気がついて、所在無げに指をくるくる動かした。
 そうだ、もう一つの理由を聞いてないや・・・。

 「ねぇ、アスカ、髪を切ったもう一つの理由は・・・?」

 アスカが落ち着くのを待って、僕はアスカに聞いてみた。するとアスカは顔を赤くして、消え入りそうな声で囁いた。

 「え?どうしても?どうしても聞きたい?」

 アスカは照れ臭そうに言い淀んだ。僕が頷くと、アスカは何度か深呼吸をした後、僕の耳を引っ張って自分の口元に持って行って囁いた。

 「もう一つは、シンジ、あんたと一緒にいた時間の分だけ伸ばすためよ・・・。」


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