転校生 R
作 : Ophanim
第29話 桜、咲く




 わぁ〜、という歓声はない。

 それでも、ほっとしたような雰囲気が彼女らの周囲を満たしている。

 「どう?」

 「あった。」

 ほころぶ笑顔はまだ少し早い桜に負けないほど美しく、生命力に溢れていた。

 綾波レイの15の春は、それまでのごたごたと全く対照的に、あっけなく訪れた。



 おろおろと歩き回る姿は動物園の熊よりもなお情けなかった。

 真に対照的に、それまで平穏だった学園は一足飛びに混沌のど真ん中に追いやられていた。

 理事長室に届く、抗議の電話とFAX。

 その集大成が、今彼が目にしている手紙だ。

 ”今度の公立高校入試において県下で最も高い得点を記録した女子、綾波レイさんは貴学園の推薦入試において不合格とされています。貴学園が掲げる自由な校風などの趣旨から判断し、彼女の特異な容姿によるものではないと推察いたしますが、そう致しますと、何らかの不正が行われていたのではないか、と言う疑念を抱かざるを得ません。大変残念なことではございますが、如何なる理由で不合格と判断されたのかが明らかになるまで当グループが行ってきた寄付は凍結させていただきます。 大和グループ代表 大和マサノリ。”

 大和の寄付が凍結すれば虹越学園の経営は一気に苦しくなる。

 まして、今回の騒動は、細波のように噂となって広まっている。

 このままでは来年以降の入学者が激減する可能性が高い。

 困った。

 だが、あの子の成績が良いのは判っていた。

 万が一にもこうならないように、公立をも受けられないように方々に情報を流したはずだ。

 吉野校長が”念には念を入れるべきだ”と主張したし、それに同意もした。

 だが、何かがおかしい。

 たかが一企業に過ぎない虹越学園の入試ぐらいでこんな詳細な情報が流れるはずはない。

 そう言えば、あそこの次期総帥が確か、まだ、高校生・・・。

 吉野が流した噂を聞きつけたか?

 いや、あれを聞いていれば尚のこと受験させることに反対してくれるはずだ。

 だいたい、いつの間に公立の受験票が発行されたんだろう?

 それ以前に、どうして面接後の会話の内容が漏れているんだろう?

 記録を見ると、面接会場に指定した部屋に出入りしたのは面接官と受験者以外ではイタリアから雇ったサッカー部の外国人講師だけだ。

 彼は日本語を理解できないはずだし・・・。

 だが、いくら考えたところで既に起きた事象は変えようが無く、過去に戻れない以上どれほど叫んでも、泣き喚いても、悲観的な事実は変わらなかった。

 そして、その事態は紛れもなく、彼ら自身が選んだ結末だった。



 「レイ、挨拶、お父さんに見てもらった?」

 お母さんが私に声を掛けてくる。

 「もう見てもらいました〜。もう、ほとんど私の言葉残ってないんだもの・・・。」

 私はちょっとむっとした声で応える。

 「それはそうだろう。新入生の代表があんな弱気なことばっかり発表したら駄目だ。」

 お父さんは全く取り合うつもりがない。

 お母さんもすっかりお父さんの味方。

 もう・・・。

 「じゃ、じゃ、せめて、私がいつも使ってる言葉に直しても良い?」

 「それは良いけど、書き終わったらまた見せるんだぞ?」

 はぁい、と応えてまた書き直し。

 う〜ん、やっぱり、お母さんに言われた通り、パソコンで書いた方がいいかも・・・。

 書き直しがかさむと一から書き直しの手書きは厳しいわぁ・・・。

 この機会に覚えるのも良いかもしれないわね・・・。

 ぴんぽぉん

 玄関のベルが鳴る。

 きっとお義母様達だわ。

 私は浮き浮きしながら玄関まで飛び出していった。

 「はい!・・・あ・・・。」

 目の前に立っていたのは”おめでとう”と身体一杯に喜びを湛えたお義母様ではなく、見知らぬ、神妙な顔をしたスーツ姿の人達。

 「あ、し、失礼しました。父にご用でしょうか?」

 私はぺこっと頭を下げて、すぐに後ずさりした。

 一瞬だけど、この目の前の人が、顔をしかめたから・・・。

 「はい。そうさせていただければ幸いです。」

 身なりからしてとても地位のありそうな人が、私に向かってそんな言い方をする。

 なんだろう?

 私は”少々お待ち下さい”と答えて部屋に戻った。



 突然の訪問で、当然初対面の挨拶。

 驚きはしたものの、その後の受け答え、敬語の使い方、どれ一つとっても問題はない。

 むしろ、昨今の乱れた中高生に見せてやりたい、と思えるほどの完璧さ。

 ・・・いや、逆に、こういう子もいるのだから、中高生が如何に乱れたとはいえ、完全に否定してはならない、と思わせられる。

 ただ、髪の色だけが・・・。

 確かに、一瞬目を剥くほどの奇異な髪だった。

 だが、果たしてそれをことさらに問題にするほどのことだったのか、今では疑問だ。

 「判らない・・・。」

 そう呟いてみるしかない。

 しかし、仮定の話の中ですら結論を出せない状態で、あの時の結論が正しかったのかどうか議論すること自体にもう無理がある。

 「お待たせしました。どうぞ。」

 迷いを持ったまま、彼らは足を踏み入れた。



 「・・・というわけで、全面的に謝罪いたします。どうか我が学園にご入学いただけないかと・・・。」

 さっきから、私の前で私のことが話されている。

 来た人は虹越学園の理事長さんと副理事長さん、あと、校長先生。

 偉い人ばっかり。

 面接で私を落としたのは間違いだったから入学して欲しい。

 ついては入学金不要、学費免除、奨学金支給、なんでも好きなようにしてよい、と破格の条件を出してくれてる。

 でも、私はどうにも気乗りがしない。

 ううん、一回落とされたから、っていうんじゃないの。

 手の平返したようにっていうのも、やっぱりちょっと嫌だけど、それが一番の理由じゃない。

 ただ、お金がかからないって言うのはお父さんやお母さんに負担掛けなくて済むから、ちょっと考えても良いかな・・・。

 「・・・話は判りました。」

 お父さんが難しい顔をしたまま頷いた。

 「おお、それでは・・・。」

 「あ、レイ。ちょっと新しいお茶を淹れてもらえないか?場所は母さんに聞いて・・・。」

 ?

 お茶のある場所くらい知ってるわよ?

 いつも淹れてるじゃない。

 変なお父さん。

 でも、どっちかというとここにあんまり居たくないから、これ幸い、と台所に移動する。

 お母さんがついてくる。

 「あ、大じょ・・・。」

 「しっ!黙りなさい。」

 お母さんは怖い顔だけで私を黙らせて、一旦扉を閉める。

 「お湯沸かしてちょうだい。」

 私が薬缶を火に掛けている間に、お母さんが茶筒や急須を準備する。

 「どうしたの?」

 「二人でちょっと話せ、ってことだと思うわよ。私もそうした方がいいと思うし・・・。」

 煙草の臭いがお父さん達の部屋から漏れてくる。

 もう、あの部屋禁煙だって言ってるのに・・・。

 「レイ、ちょっと。あなた、もしかして、学費かからないから行っても良いかな、とか、考えてない?」

 ぎっくぅ・・・。

 「う、ううううん。うん、ちょっと、考えた・・・。」

 怒られるかなぁ・・・。

 「ありがとうね。レイ。私達のことを考えてくれて本当に嬉しいわ。」

 お母さんはそう言って笑うと、私の頭を撫でてくれた。

 わぁ。

 良かった。

 それじゃあ、我慢して行っても良いかもしれないなぁ・・・。

 「だけどね、私達が一番嬉しいのは、あなたがあなたの信じる道を生きてくれることなの。」

 お母さんの目が私を射抜く。

 薬缶が”そろそろ沸騰するよ”、としゅんしゅん音を立てているけど、動けない。

 「本当のことを言ってちょうだい。それが、お父さんの言いたいことだと思うし、私もそうして欲しい。お金の心配何てしたら駄目よ?たかが高校3年分の学費であなたの一生を左右するなんて、馬鹿馬鹿しいわ。他の人はどうだか知らないけれど、少なくとも、私達はそう思っているんだから。」

 薬缶が”もう沸騰したんだよ〜”って言ってくれて、私はようやく動くことが出来た。

 うん。

 判った。

 私の、思ってることを言います・・・。



 「お、どうもどうも。」

 お父さんは嬉しそうに私から熱いお茶を受け取った。

 お客様にはその前にもう渡してある。

 それにしても、煙たい・・・。

 「何だ、そんなしかめっ面して。」

 お父さんはまだ火のついた煙草を持って私の方を向く。

 勢いで煙がこっちに来てますます苦しい。

 「え・・・う・・・け、けほっ。」

 「おお、ごめんごめん。お前の居るところでは煙草は吸わない約束だったな。つい、な・・・。」

 ほんとよ、もう・・・。

 まだ入学説明会とかで制服着るんだから、煙草の臭い付けないでよね・・・。

 「それで、さっきの答えですが、私の口からは言えません。娘が決めることだと思います。」

 お父さんは煙草を灰皿に押しつけながら、平然とそんなことを言った。

 お湯が沸くまで待ってるだけって、本当だったみたい・・・。

 「そ、そうですな。ど、どうでしょう?レイさん。昨今は公立も私立と大差ないほどお金がかかることですし、親御さんのためにも・・・。」

 「すみません。行けません。」

 私は押し切られないうちに自分の結論を答えた。

 「・・・お、お気持ちは察するに余りありますが、レイさんも一度は我が校を受験なされてます。全くお気持ちが離れてしまったと言うことはないのではないかと・・・。」

 端っこの人が頭をハンカチで押さえながらそう言ってくる。

 恐縮してる、ってこういうことなのかしら・・・。

 「はい。違います。とても良い学校だと思ったから受験しましたし、その気持ちは変わっていません。」

 「でしたら・・・。」

 虹越の偉い人達の表情がちょっと緩む。

 脈有り、と思ったんだと思う。

 だけど、違うの!

 そういうことじゃ、ないの・・・。

 「でも、違うんです。」

 ふぅ・・・。

 部屋の中が煙草臭くて息苦しい。

 お母さんが換気扇を回してくれて、少しましになってきたけど・・・。

 それでも、もう少し、空気が欲しい。

 みんなが固唾を飲んで私の言葉を待っているのが判ったけど、でも、もう少し待って。

 ・・・うん。

 深呼吸、出来る・・・。

 私は大きく息を吸い込んだ。

 「私はもう、特別扱いは嫌なんです!

 部屋の中にいるみんなが、はっと息を飲んだのが判った。

 私も、凄く興奮しているのが判る。

 碇君に会う前。

 私の世界は、例えるなら、部屋の中だった。

 いざとなれば、扉を閉じて一人になれる、そんな世界。

 碇君と会ってから、私は部屋を出て、建物の中で色々な人に会うことを覚えた。

 人によっては、部屋に戻ってからもずっとお話し出来るほど仲が良くなった。

 それでも、私の世界はまだまだ、玄関を閉じれば大きな部屋になれる、そんな世界だった。

 今、私は、自分の意志で玄関の外に出た。

 広い世界が広がっていて、これまでのように、都合が悪くなったら隠れられる、私の部屋はずっと遠くにある。

 それでも、今よりもっと良いことだって、あるかもしれない。

 そんな興奮に、包まれている。

 それが、今の私の気持ち・・・。

 「お気持ちは良く判りました・・・。」

 理事長さんが深々と頭を下げて立ち上がる。

 「あ、あ、あの、理事長?特別扱いが駄目なんでしたら、普通に合格、で万事丸く収まるのでは?」

 校長先生が何かとんちんかんなことを言っている。

 「失礼しました。君、馬鹿なことを言っていないで、お暇するよ。」

 首を傾げている校長先生を引き連れて、理事長さんと副理事長さんが席を立つ。

 玄関先で最後に、もう一度ご挨拶。

 「綾波さん。今日はお忙しいところ、大変お邪魔いたしました。レイさん、陰ながら応援させていただきます。」

 この一時間足らずの間に、来たときよりもずっと歳を取ってしまったような3人が背中を丸めて帰っていく様子を見ると、なんとなく可哀想なことをしたような気になってしまう。

 「あの校長先生、首にならないと良いけどな・・・。」

 お父さんはくすくす笑ってる。

 そうよねぇ・・・。

 だって、一度落とした人を”普通に”合格させる、なんて、充分特別だと思うもの・・・。

 私はお父さんと一緒に部屋に戻る。

 春先とはいえまだ寒いのに、お母さんは煙草の臭いを消すために窓を開けて待っててくれた。

 「あ、そうだ。お父さん。ひどいよ〜。煙草・・・私、息苦しかったんだよ、ずっと・・・。」

 「何言ってるの。感謝しなさいよ、あなたも。」

 私が文句を言ったらすぐにお母さんがそんなことを言う。

 「え?どうして?」

 「あなたが煙草に免疫がない、何よりの証拠じゃないの・・・。」

 そう言ってお母さんが微笑むと、お父さんもにやっと笑う。

 なるほど・・・。

 お茶のことといい、煙草といい、意味があったんだな、って思うのと一緒に、二人の息がぴったり合っていることを感じて何だか嬉しくなる。

 「この機会にここも喫煙室にしてくれると良いんだがな〜。」

 「「それは調子に乗りすぎ。」」

 私とお母さんが声を揃えてそう言った後、私達3人は声を揃えて笑った。

 暖かい春はすぐそこだった。


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