転校生 R
作 : Ophanim
第27話 望ましきもの




 「碇君、次の土曜なんだけど、空いてるかな?」

 不意に声がかかったが、シンジは笑顔で応える。

 「午前はもう予定が入ってます。午後でよろしかったですか?」

 「あぁ、夜がいいんだ。パーティがあるんでね。晩ご飯はご馳走するから来ないか?」

 快く頷いて、握手をして別れる。

 パーティ好きのイタリア人達は毎日のように自宅でパーティをする。

 週末ともなれば”参加しない”と言った方が”何かあったのか?”と心配される位だ。

 だが、その分家族や綾波に手紙を書く時間が減る。

 加えて、向こうは”2ヶ月に一度”くらいの感覚で珍しい日本人受賞者を呼んでいるつもりだが、何せこっちが一人しかいない以上、こっちにしてみれば”毎週どこかに呼ばれている”状態だ。

 食費が浮いて嬉しいが、下手な演奏会にどれだけつきあっても上達は見込めない。

 それよりももっと練習したい・・・。

 と。

 以前のシンジなら思っていたかもしれない。

 だが、レイにあのことを指摘されてからは違う。

 むしろ積極的にこういう素人の会に出る。

 先方にしてみれば素人楽団に卵とはいえプロが参加してくれるのはとても有り難いことだ。

 シンジとしても、実際に相手に接しながら音楽本来の楽しみを感じられる。

 それに、嬉しいこともある。

 珍しい日本人、ということを除けば、先方にしてみればプロの卵なら誰でも良いはずだ。

 それなのに、シンジを誘う声は他の誰よりも多い。

 例えば、同じ弦楽器をやっているマナよりも、だ。

 女性でしかも美しい、加えて珍しい日本人、という”呼べる”3要素を持っていながら、何故シンジが好まれるか。

 それはまさにレイが指摘したことを実践しているからだ。

 楽しめるように

 素人楽団は当然常に練習をしているわけではないので激しく間違う。

 そんなとき、シンジは自分の音を主張せず、さりげなく速度を落として取り戻すのを待つ。

 チェロが主役の曲でない限り、必要以上に表に出ない。

 ミスをしない自信のある曲の時は、可能な限り聴衆の表情を見る。

 楽しんでいるか、聞き入っているのか、飽きてきているのか、上の空なのか、曲のおかげでリラックスできているのか・・・。

 コンサートを聴きに来る客は程度の差こそあれ、”聴くために来た”客だ。

 曲を聴くことが目的で、彼らに応えるためには正確に、美しく、情感豊かに弾き上げることが何より大事だ。

 だが、素人楽団は違う。

 彼らは自宅でのちょっとしたBGMを、潤いを、余興を求めている。

 その分要求も雑多なものになる。

 ポピュラー音楽をやってみろ、と言ったり、クリスマスソングの助っ人だったり、その目的は様々だ。

 逆に、その分、彼らの表情がダイレクトに伝わる。

 彼らを満足させるのは、鹿爪らしく席に座っている客を相手にするよりも、別の意味で難しい。

 だけど、とシンジは考える。

 『音楽が楽しくなくて、音楽を聴きたいと思う人が居るだろうか?』

 そもそも、チェロをやっていると楽しいから続けられたし、そう思って弾いたから渚先生に認められたのだ、と思う。

 何年に誰が作った作品だ、と言う知識は確かに大事だが、音そのものを楽しむことに比較すれば些末な問題だ。

 技術も、楽譜通りに弾くことすらも、楽しむことの妨げになってはならない。

 音楽から楽しみを取ったらただの音だ。

 音楽はあくまでも『音楽』であって『音学』とは異なる。

 それを教えてくれた、もう一人の、彼の愛しい人は、今遠い空の下で、苦境に喘いでいる。

 そんな時に傍にいられないのは苦痛だ。

 だが、父との約束、”一流になるまで日本に戻らない”というのは彼のけじめでもある。

 中学すら途中で放り出した(もっとも、結局イタリアで通うことになっているのだが)彼にとって、堂々と彼女を迎えに行くためにはそれなりの結果が必要だ。

 そして、こうやって方々から声がかかることは、決してマイナスではない。

 事実、素人楽団以外からも”是非彼と組みたい”というコンサートマスターがちらほらと現れている。

 自分のパートが終わっても少しも気を抜かない、スカウトの目に留まるための派手なだけの演奏をしない、全体の音に対して協調性を保ち、バランスを取ることで曲全体を引き締めてくれる、など、この年齢の少年に与えるにしては最大級の賛辞が惜しみなく浴びせられている。

 大きな公演に呼ばれる日も近いだろう。

 その時こそ、胸を張って彼女に言える。

 「大丈夫だよ。何があっても。僕が綾波の分まで働くから。」

 そう言える自信がついたら、日本に帰る。

 その日が一日も早く来ることを願って、今日も練習に打ち込み、楽団に加わる。

 慌てて走った一歩よりも、確実に歩んだ一歩を求めて。



 ぴんぽぉん・・・。

 「はぁい・・・。」

 私はとてとて、と玄関に走った。

 「おかえりな・・・じゃないわ。こんばんわ・・・。」

 てっきりお父さんだと思ったら、お義母様だったわ・・・。

 「お邪魔して良いかしら?」

 ?

 お義母様は少し紅い顔をしている。

 熱があるのかしら?

 「えぇ、勿論。お母さん、お客様だよぉ・・・。」

 私はお母さんを呼んで、自分はその代わりに台所に入った。

 玄関から何やらお話の声がして、二人は応接間に入って来た。

 「な、何でそんなに飲んでるのよ?」

 「まぁ、いいじゃないの?」

 どさっと音がしてお義母様が自分のハンドバッグを放り投げた。

 ???

 ぱさっと乱暴にコートを脱ぎ捨てる。

 どうしたのかしら?

 お義母様はちょっと紅い顔をして私に近づいてくると、私にいきなり抱き付いた。

 「でもね、レイちゃん、私は信じていたからね。」

 お、お義母様は少しお酒臭い・・・。

 「な、何をですか?」

 私はお義母様から少しでも体を離そうとして腕を突っ張った。

 「あなたが実力で受験するって決めてくれるって信じてたのよぉ・・・。」

 そ、それをどうして知ってるんだろう???

 「あ、あの、お水持ってきますね?」

 お義母様の身体から出るお酒の臭いだけで酔ってしまいそう・・・。

 一体どのくらい飲んだらこうなるのかしら?

 「私は酔ってないから大丈夫よぉ・・・。」

 ・・・酔ってます!

 私はお母さんと一緒に、苦労しながらお義母様をソファに横にした。

 「この間から色々なお客さんが来て大変だわ。」

 お母さんがくすくす笑いながらお義母様に毛布をかけた。

 この間、ミサト先生達が来た時はトモミちゃん(加持先生のお子さんね)のおむつを交換しないといけなくなって、お母さんがミサト先生におむつの替え方を教えて、それがいつの間にか私の赤ちゃんの頃の話になって・・・って感じですっかり話しこんじゃって。

 結局お夕飯をご一緒して、お酒も少しだけ召し上がって行かれたと思ったんだけど・・・。

 今日のお義母様のはそんな量じゃないと思う。

 「でも、この間の先生も、やるわねぇ・・・。変な先生だとばっかり思っていたけど。」

 お母さんも同じようなことを思い出していたみたい。

 「ほぉらね、ミサト先生はいい先生なのよ。」

 私は自分のことのように胸を張ってお母さんを見た。

 「あら?私は男の先生のことを言ったんだけど?ほら、何て言ったっけ?うーんと・・・。」

 お母さんが頭をつついて考えている。

 もう、物覚えが悪くなってるんだから・・・。

 「はぁい!私、知ってる!!!えっとねぇ、加持君!

 お母さんは目を丸くして驚いた。

 それを答えたのはお義母様だったから・・・。

 「加持君はねぇ・・・ろっても優秀よ?」

 お義母様はろれつが回らないのに上機嫌で起きあがった。

 「らからぁ、今日もまたお仕事たのんらった・・・。」

 ぱた・・・。

 そこまで言ってまた唐突に倒れる。

 だんだん酔いが回ってきているみたい。

 家のすぐ近くに来るまでお酒を飲んでいたのね、きっと。

 「これはだめだわ・・・。レイ、ちょっとユイを見てて。私、客間にお布団敷いてくるから。あ、それと、碇さんちに事情説明して、”今日はうちに泊めます”って、お電話しておくから。すぐ戻ってくるけど、それまでにだめそうだったら、これね。」

 お母さんは金だらいを私に預けると、急ぎ足で部屋を出て行った。

 「お義母様・・・どうしてこんなになるまで飲んだんですか?」

 私がお義母様の背中をさすってあげようとして近づくと、お義母様は突然顔を上げた。

 「なーーーーーに言ってんのよぉ!!レイちゃんがとーーーーっても良い子だったのが嬉しかったからに決まってるじゃないの!!

 ばちばちばち・・・。

 い、痛い・・・。

 お義母様は笑顔で私の頬っぺをぺちぺち叩いた・・・つもりなんだろうけど、力の加減が全然出来てなくて、すっごく痛い・・・。

 「う、嬉しいですかぁ・・・。そうですねぇ・・・。」

 私は自分でも良く判らない答えをした。

 こういう時、どうやって相手をしたら良いのか判らない・・・。

 「んも〜っ!くぁわいぃ〜〜〜〜。

 ぼこぼこぼこ・・・。

 ・・・これは・・・撫でてくれているつもり・・・。

 い、痛いよぉ・・・(涙)。

 「虹越、来年は苦しいわねぇ、経営。」

 あ、虹越って、私が最初に推薦を受けた高校ね。

 でも、そんなはずないわよね?

 虹越高校は自由な校風と実力主義の私立進学校で人気もあるし、過去に有名な卒業生がいっぱいでているし・・・。

 そう簡単には経営問題が出そうにない。

 「何かの間違いじゃないですか?」

 私は頭を押さえながらなんとかお義母様を正気に戻そうと、こっちから質問をしてみた。

 「なんで?」

 お義母様はきょとんとしてソファに正座している。

 良かった。

 少し落ち着いたみたい。

 「だって、あんなに人気のある高校だし・・・。」

 けらけらけらけら・・・。

 お義母様はとても愉快そうに笑い出した。

 「あはははぁ、いいのよっ、これから、苦しくなるんだからぁ!

 ??

 ますます判らない。

 「いいのいいの。レイちゃん。世の中にはね、知らなくちゃいけないことと、知らなくてもいいことがあるんだから・・・。」

 お義母様はまた私の頭に手を伸ばしてぽこぽこやろうとした。

 「・・・。」

 そこで急に口に手を当てると吐きそうな気配を示す。

 「、お義母様、大丈夫・・・?」

 私は慌てて金だらいをお義母様の口に寄せた。

 「なぁんてね。うっそー!

 ぱっと手を放してまた笑い出す。

 んもう・・・。

 ぺちぺちぺち

 「レイちゃんって優しいわよねぇ・・・。うちのシンジにも優しいのかな?」

 な!な、な

 「あ、そ、そ、その、そぉ、そぉ・・・です・・・ね・・・。」

 「んふふふ・・・。可愛い。照れてる・・・。」

 うーんと、えーと、その・・・。

 「用意出来たわ。あら?ユイ、起きて大丈夫?」

 お母さんが帰ってきた。

 お義母様は私を放り出すと、くるっとお母さんの方を振り向いた。

 「あら!チトセさんじゃありませんかぁ!

 お義母様はそう言ってお母さんに抱きつく。

 な、なんなんでしょ???

 私は普段からは想像もつかないお義母様の行動に跳びあがるほど驚いた。

 「はいはい。それじゃ二階に行きますよ。」

 お母さんは全く動じずにお義母様を抱き抱えると、ずるずると引きずっていく。

 慣れてる・・・。

 「チトセぇ、おんぶしてぇ・・・。」

 「はいはい・・・。」

 よいしょ、とお母さんはおんぶしてあげて、階段をとことこ上っていく。

 「うえぇ・・気持ち悪いよぉ・・・。」

 「また調子に乗って呑み過ぎたんでしょ?」

 「うん・・・ごめんねぇ・・・チトセ、ごめんねぇ・・・。」

 「はいはい・・・。」

 うーん・・・。

 お母さん達って、昔はどういう感じだったんだろう・・・?

 今はお母さんよりお義母様の方が強い感じがするけど、昔は逆だったような気がする。

 私は甘え慣れているお義母様と、甘えられ慣れているお母さんを、不思議なものを見ているような目で見送った。



 「・・・お、おはよぉございます・・・。」

 遠慮がちな挨拶が聞こえてくる。

 「あ、おはようございまぁす。」

 私が返事をすると、お義母様はそろそろ、と手を上げて、ふらふら、と手を下に向ける仕草をした。

 ?

 「二日酔いで頭痛いからもっと静かに話して欲しいのよ。」

 お母さんが通訳をする。

 今日は日曜だけど、お父さんはお仕事に出かけている。

 「昨日はごめんなさいね・・・。私、変なこと話してなかった?」

 お義母様は右手でこめかみを押さえながら私に話しかけてくる。

 その姿がとても艶やかだったので、私は思わず頬を紅くしてしまった。

 「え、い、いえ、その・・・。あ、そうそう。私の受けた私立の経営が苦しくなるとかなんとか・・・。」

 ぴろぴろぴろ、ぴろぴろぴろ・・・。

 「あ、いたたいたた・・・。」

 どこからか電話が鳴って、お義母様はまた辛そうに頭を押さえた。

 「レイちゃん、私のハンドバッグ、お願い・・・。」

 私は急いでお義母様のハンドバッグを取って、それをお義母様に渡した。中から携帯電話を取り出して電話に出る。

 「はい。・・・えぇ・・・。あぁ・・・そう。ご苦労様・・・。」

 ふぅ・・・。

 ため息をつきながら、携帯電話をしまう。バッグの中で音がしないようにしてから、ゆったりとバッグの口を閉じる。

 今日のお義母様は一つ一つの仕草がとても気だるそう。

 でも、それがまた色っぽいんだぁ・・・。

 私はうっとりとしながらお義母様の仕草を見守った。

 「その私立の話、他ではしないほうがいいわよ。」

 お義母様は静かに、それでも力のある言葉で私に忠告した。

 「はい。でも、どうしてですか?」

 私はいつもより弱々しいお義母様の姿に、少し安心していたみたい。

 「そうね。レイちゃん。世の中には、知らなくてはならないことと、知ってはならないことがあるのよ。」

 昨日の晩と微妙に違う言葉は、私にそれ以上の追求を断念させるに充分な迫力を持っていた。


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