転校生 R
作 : Ophanim
第26話 大事なこと




 ぴんぽぉん・・・。

 「はいはい、今出まぁす。」

 チトセはそう答えながら玄関を開けた。 

 「あ、初めまして。綾波さんのお母さんでいらっしゃいます?」

 玄関に立っていたのは見知らぬ男女。

 「はい、そうでございますが・・・。そのう・・・どちらさまで・・・?」

 チトセは一応丁寧に応対しながら値踏みをするように相手を観察した。

 なにしろ格好が格好だ。

 女性はこの寒い中濃い紫のコートの下に、なんとアロハシャツのような派手な柄のシャツを着ている。しかも、薄曇のこの天気、すっかり暗くなったこの時刻にサングラス!

 その隣にいる男性も”胡散臭い”

 不精髭にこちらもまたサングラス。しかもまだ産まれたばかりらしい赤ん坊を抱いている。

 格好も格好なら態度も態度。偉そうに腰に手を当てる女性に人を食ったような男性。

 レイ、信じているわよ、と念じながらじろじろと相手を見つめ、相手の出方を待った。

 「申し遅れました。あたし、綾波さんの・・・。」

 「あ、葛城先生。」

 廊下の奥からその娘の声がした。

 三角巾に箒と塵取りを持つその姿に、我が娘ながらよくもここまで、と思えるほど愛しさを覚える。

 「レイちゃぁん、元気だったぁ?」

 葛城、と呼ばれた女性が手を振ると、レイは嬉しそうに手を振って応えた。

 「再三紹介が遅れて申し訳無いです。あの、あたし、レイちゃんの担任をしています、葛城ミサトと申します。」

 「加持ミサトだよ。すみません、奥さん。夜分にお邪魔してしまって・・・。私はこれの夫で加持リョウジと申します。娘さんのことでお話があって来ました。」

 加持は妻の言葉を補うように説明した。

 「それはそれはご丁寧に・・・。あ、散らかっておりますが、どうぞ、上がって行って下さい。」

 チトセは少々疑問を残しながらも二人・・・いや、三人を家の中に入れた。

 「ごめんなさいね、こんな遅くに・・・。」

 ミサトはレイにへろへろっと手を振ると加持の先に立って中に入った。

 「レイ、ちょ、ちょっとちょっと・・・。」

 チトセは台所からレイに手招きをした。

 「なぁに?お母さん・・・。」

 レイが台所に入るとチトセは扉をぴしゃっと閉めた。

 「あのさ、私の記憶だと、葛城先生って、あなたの担任だけど新婚旅行に行ってすぐに産休とって休んだ先生じゃ無かった?」

 チトセはレイの耳元で自分の記憶を口にした。

 「え?うん、そうよ?でもそれがどうかしたの?」

 レイは不思議そうに聞き返した。

 「なんだか、軽薄そうな先生だし、ご主人の方もへらへらしてて・・・。あんな先生で大丈夫なのかしら?」

 チトセはちらちらと隣室を窺った。

 「んもうっ!葛城先生はいい先生なの!見た目で判断しないでよっ!

 レイは自分を普通の生徒と同様に扱ってくれたミサトを悪く言われたのでちょっとむっとして答えた。

 「でも・・・ねぇ・・・。」

 それでも初対面のチトセには不安だ。レイの転校当日に仕事があって学校に行かなかったことが災いしている。

 あの日、青っぽいレイの髪に不満を露にした本来のクラス担任に対し、それなら自分のクラスに、とレイを庇ってくれたのはミサトだ。以来、ミサトのクラスには多少経歴や容姿に問題のある転校生が優先的に送りこまれるようになった。

 前の学校でいじめに遭っていたシンジ、帰国子女で日本語の書き取りに問題のあるアスカ、銀髪のカヲル・・・。

 だが、その場にいなかったチトセにはそれは判らない。

 「そんなに気になるなら、もういいわよぉ・・・。じゃ、お母さん、こっち来ないでね。」

 レイは茶碗に4つお茶を淹れると、一つをチトセに押し付けた。残った3つをお盆に乗せると、うきうきとミサトのいる応接室に入って行った。

 「あの、ミサト先生、新婚旅行はどうでした?」

 早速一番聞きたい質問を浴びせる。

 「途中からつわりが酷くて最悪!まぁ、この子も産まれてからは大人しいからいいんだけど・・・。」

 ミサトは加持の腕で眠る愛娘の頬をつついた。

 「あ、可愛いぃっ!!・・・お名前、なんて言うんですか?」

 レイは目を輝かせてにじり寄った。

 「トモミ。いいでしょ?」

 ミサトは加持からそっとトモミを受け取り、顔が良く見えるように傾けた。

 「うん、可愛い・・・こんにちわ、トモミちゃん・・・。」

 レイは囁くようにトモミに挨拶をした。

 「ところで、レイちゃん、高校の件、残念だったわね。」

 ミサトの言葉に、レイは傍から見ても明らかなほど身を震わせた。

 「さ、さぁ・・・。で、でも、もう、諦めてますから・・・。」

 レイは表情が引きつるのを感じながらもなんとか微笑を浮かべた。

 「あらあら・・・。随分とまぁ・・・物分りの良いことで・・・。でもね、物分りが良すぎるのもどうかと思うわ。」

 ミサトはむずかるトモミをあやしながら話した。

 「とりあえず受けてみるって言うのは?」

 「もう・・・受けてきました・・・。」

 レイは力の無い言葉の上に儚げな微笑を浮かべた。

 「推薦でしょ、それ。普通の受験はしないの?」

 ミサトは少し意表を突かれたような顔をした。

 「遠回しに、点数が足りていても不合格にする場合があるって言われました。」

 遠回しばかりでは無い。

 素行が悪いなどの理由で不合格になっている実際の例を幾つか挙げてもいたのだ。

 「ふぅん・・・でも、どうなの?正直に言ってごらん。行きたいの?行きたく無いの?」

 ミサトはつまらなそうに椅子に深く座り直した。

 「行きたい・・・です。でも・・・。」

 ミサトは右手でトモミを器用にあやしながら左手でレイの口をつまんだ。

 「受ければ良いじゃない。受けるだけなら、大丈夫のはずでしょ?」

 それはそうだ。

 もっとも、受験票が送られて来ない、という可能性もある。

 形式的に、ではあるが書類審査があるからだ。

 面接で指摘されたのもその点だ。

 「そんなの、形式だけよ。本当に。だから遠回しに言ってるんだから・・・。」

 ミサトはレイの説明を一蹴した。

 どうせ無理なんだから初めから受けるな、と口を酸っぱくして説得するのはその手間を惜しむからだ。

 この手間というのは審査の手間では無い。

 書類で不合格にしたことで必然的に生じる各所への説明と抗議への対応だ。

 何時の世でも”前代未聞”の出来事には世間の耳目が集中する。

 たとえ募集要項に明記していたとしても、現実に過去一度も無かった事例を実行すればそれは”異例”である。

 レイに示した過去の事例は”受験”をした後の話だ。

 その者達は当落線上にあるのが普通で落とされたからと言って目くじらを立てた抗議が起こることは考え難かった。

 しかし、今回は違う。

 レイの成績は”どちらかといえば”、というレベルでは無く、はっきり”優秀”だ。

 成績上位者を落としてしまうには根拠が薄弱だ、と思える。

 「だから、自分から辞退して欲しいのよ。それは逆に言うと、まともに受けて合格すれば黙って合格させてくれる可能性もあるってことよ。」

 ミサトは根気強くレイを説得したが、ついさっきまで尋問に近い面談を受けてきたレイの心はどうしても消極的だった。

 「あ、すみません、お茶入れますね・・・。」

 ミサトと加持が飲み干したお茶を注ぎ足しに立つレイを見送って、ミサトはなんとも言えないため息をついた。

 「結局、あたしはあの子に何も良いことをしてあげられなかったわ・・・。」

 ミサトの心を締めつける、一昨年春の大失態・・・。

 レイの転校初日に大見得を切って自分のクラスに受け入れながら、その直後に起きた事件でみすみす孤立させてしまった。

 その失敗を悩み、相談相手になってもらった加持とついには結婚するわけだが、自分が自分の幸せでのぼせている間に、レイの幸せであるシンジはイタリアへ飛び立つという全く予想外の出来事が起きていた。

 これまでは結果的にうまく事態が転がっていたからいいようなものの、このままでは担任失格だ。

 せめて最後に起きたこのトラブルだけでも解決して見せたい・・・。

 しかし・・・。

 レイの瞳は完全に意気消沈していた。

 自分はやはりこのクラスの全員が無事卒業するまで見守るべきだったか?

 だが、クラス担任は毎年のように巡ってくる。

 担任する生徒たちも毎年違う。

 彼らを全て見守っていたら、自分はいつまで自分の幸せを待てば良かったのか?

 無力感・・・。

 だが。

 俯いたその時。

 ミサトの肩を抱く、安心感・・・。

 さりげなく、だが、力強く、いつでも戻れる、安住の宿。

 いや、やはり、間違えてはいない。

 ミサトは頼もしい夫を見上げた。

 彼がいたから、もう一度頑張ってみる気になれた。

 彼と一緒にならなければ、今こうして悩む自分もいなかった。

 ミサトはもう一度顔を上げた。

 可愛い教え子を説得するために・・・。



 ミサトが一生懸命説得を続けている間、加持はトモミをあやしながらこの一年の数奇な己の運命について考えていた。

 新婚旅行から帰ってきた時、家の前で待ちかまえていた人が居た。

 ミサトは嬉しそうに挨拶をしたが、こっちはたまったもんじゃない。

 ”所長”が自らご出馬なさるということは、簡潔に言えば、もうお前は予備役じゃない、という意味だ。

 「所で使ってた子を一人イタリアに遣ることになったから、加持君、暇なときはお願いするわね。」

 以来、この、目の前でしおれている女の子のためにどれだけ己の睡眠時間を削ったことか。

 だが、それをやってきたのは何も命令があったからではない。

 彼の隣で必死の説得をしている愛妻が、ことある毎に”あの子はどうしてる?”と聞いてくるからだ。

 彼女が受け持った”問題児”達の最後の一人。

 所長が”私の娘”と公言して憚らない、美しい空色の髪。

 何度”もういい加減にしろ”と思ったことか判らないが、彼の妻も、所長も、彼女の未来を信じていた。

 更に、調べれば調べるほど、彼女が受けてきた過去の経緯に憤りと同情を禁じ得ない。

 そしてこうして再会してみると、彼もまた彼女の静かな魅力に惹き込まれていくのが判る。

 (所長の気持ちも判るな・・・。)

 彼は彼女を”自分の娘”と呼べる所長を、心底羨ましいと思った。



 「お待たせしました。」

 レイが戻ってくる。

 「時に、綾波君。」

 それまで沈黙を守っていた加持が急に口を開いた。

 「はい。」

 「君は動物は好きかな?」

 ?

 突拍子も無い質問に目を丸くするレイ。

 「は、はい・・・好きな方・・・だと思います・・・。」

 実際は生き物を飼ったことはあまり無いが、嫌いでも無い。

 「猫に水や餌をやる時に、一番必要なものは何だと思う?」

 ???

 「んー・・・新鮮なお水に代えること、栄養のバランスを考えた餌にすること?」

 加持は人差し指を立てて左右に振り、レイの答えが間違っていることを示した。

 「違うな。それは”大事なこと”かもしれないが”必要なこと”じゃない。」

 うーん・・・。

 レイは柳のように細い眉をしかめて考え込んだ。

 躾・・・違うの?じゃ、規則正しい生活・・・違う?うーんと・・・。

 なかなか正解にはたどりつけない。

 「降参ですぅ・・・。」

 とうとうレイは白旗を揚げた。

 「簡単なことだ。猫自身の食欲だ。」

 あ、なるほどぉ、と手を打つレイと対照的に、実は一緒に考えていたらしいミサトは椅子から滑り落ちた。

 「あ、あんたねぇ?それは卑怯なんじゃない?」

 「なんだ?ミサト。お前も考えてたのか?」

 加持は眠っている愛娘を起こさないようにゆったりと動くと、鞄を手に取った。

 「だから、綾波君。俺達がいくら頑張っても、君自身に”何が何でも高校に行きたい”という意気込みが無いとあらゆる努力が無駄になるんだ。」

 加持の言葉に一瞬はっと身体を固くするものの、その瞳に浮かぶのは決意の色ではなく、戸惑いの色だ。

 瞳に生気がない。

 しゅんとしているレイの前に、鞄から取り出した紙を出す。

 「ほら。これでやる気出さないなら、後はもう知らん。」

 不思議そうに紙を手に取ったレイの目がみるみるうちに大きくなっていく。

 「え?これって・・・?」

 「書いてある通りさ。入試は受けてもいいっていう校長のお墨付きだ。」

 加持はレイの目を見ないように俯きながら答えた。

 その目を見てしまったら、もらい泣きしてしまいそうだ・・・。

 「で、でも、さっきは・・・。」

 「さっきはさっき、今は今さ。」

 既に涙が滲み出しているようなレイの声を遮る。

 「でも、どうやって・・・。」

 「世の中には、知らない方が良いこともあるのさ。とにかく、後は君の気持ち次第だ。」

 加持は再びレイの言葉を遮った。

 ミサトもおろおろして加持に視線を送った。

 (どうしたの、これ?)

 加持は答えない。

 答えられるわけがない。

 彼が、所長が、その持てる力の全てを注ぎ込んで調べ上げたありとあらゆる”弱味”の数々。

 そのほんの一部をほのめかしただけでほとんどのものが真っ青になる。

 金よりも風評が重要な教育関係者を相手にするには、強烈なネタが安価で手に入る利点がある。

 残りは高校側だが、どのみち面倒なことになる処理が待っている。

 受験票を送らせるくらいの要求なら何の問題もないだろう。

 「はぃ・・・あ、あの、私、頑張りますっ!

 レイは立ちあがると加持に向かってぺこっと頭を下げた。

 「それはうちの女房に言ってくれ。俺はあくまでもこいつのサポートをしたに過ぎない。」

 加持の言葉を受けてレイはミサトにも何度も頭を下げた。

 「あ、あたしは何もしてないから・・・。」

 「いや、君は凄く大事なことをしたさ。」

 戸惑うミサトに加持は言った。

 「君はこの子を信じていた。」


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