転校生 R
作 : Ophanim
第25話 弱き翼




 ふぅ・・・。

 ため息を一つついた。

 玄関の扉を開ける前の、深呼吸・・・。

 元気に中に入るの。

 無理をしてでも・・・。

 がちゃ

 「た、ただいま・・・。」

 あれだけ心の準備をしても、こんな声しか出なかった。

 それでも、とても静かな家の中には私の声は大きく響いた。

 ころころ、と扉を開く音がして、お母さんが顔を出した。

 「あ、おかえり・・・。」

 お母さんが微笑んだので、私もちょっと笑ってから部屋に上がった。

 階段を上がる私にお母さんが

 「お茶淹れるから、着替えたら降りておいで。」

と声をかけてくる。

 「ココアが良いな。」

 私は明るく注文をつけて部屋に戻った。

 誰もいなかった分だけ部屋は少し寒い。

 電気を点けて、カーテンを引いて、暖房を入れてから着替え。

 鏡を見て、目が赤くないのを確認する。

 ・・・こういう時は、瞳が紅くて助かるわ・・・。

 そう考えて、少しおかしくなる。

 ほら、役に立つことだって、あるじゃない・・・。

 私は少し元気を取り戻して居間に降りて行った。



 こんこん、と音がして、マサハルの部屋の扉が開いた。

 非常に異常なことだった。

 山城がマサハルの許可が出る前に中に入ってきたのだから。

 一瞬で表情を強張らせたのは、その非礼を責めるのではなく、事が恐ろしく重大なことを示しているからだ。

 「どうした?

 「それが、どうやら綾波さんの受験の行方が厳しくなりそうなんです。」

 市立の推薦枠が無くなるのを恐れた中学が綾波の推薦を取り消す、というのは予測されたことだし、本人も『辞退する』旨を伝えて事なきを得ていた。

 「この前の虹越のが尾を引いてるのか?」

 山城は小さく頷いた。

 「虹越は吉野が絡んでたんじゃないか?確か?」

 「はい。面接の時はまだ顔と名前が一致しなかったようですが、ここに来て陰で活発に動いているらしいです。私立の道はもう完全にありません。」

 たとえ大検に合格したとしても、格式を重んじるこっち側の世界で、高校に”行っていない”という時点で大きなマイナスになることは疑いない。

 ”嫁”争いの相手、として綾波を認めた、と言うことなのだろうが、間接的でありながらなかなか致命的なことをする。

 普段盗聴を恐れて明確なことを言わない山城にしては饒舌だが、それは同時に、この時点では何も出来ない、と言うことを意味している。

 聞かれたとしても何も出来ないのだから意味がないのだ。

 マサハルに出来ることは血を流すほど強く唇を噛むことだけだった。



 「はい、ココア。」

 お母さんが少し緊張したような顔でココアを持って来てくれた。

 「ありがと・・・。」

 そのお母さんの緊張が伝染して、私もまた口をつぐむ。

 静かな部屋の中に、私達がそれぞれの飲みものをすする音と時計の音だけが妙に大きく響いていた。

 「あの・・・さ・・・どうだった?」

 とうとう、その言葉がお母さんから出て来た。

 私はちょっと息をおいて、口を開いた。

 「うーん、だめみたいね。」

 明るく、明るく・・・。

 「そう・・・。」

 また、部屋が静寂に沈んで行く・・・。

 私は今度はその静けさに耐えられなかった。

 部屋から音が無くなると、どんどん気分まで沈んで行きそうだった。

 「し、仕方ないわよね?高校は、ほら、義務教育じゃないし・・・。」

 お母さんは私の方をじっと見ている。

 「あ、そ、そうそう。どうせなら、碇君と一緒にイタリアに行くのも、良いかもね。」

 それでも、お母さんは何も言わない。

 まじまじと私を見るだけ・・・。

 「だ、大検だったら、どこでも勉強出来るもの・・・。」

 「まぁ、あなたがそれで構わないなら、いいんだけどね・・・。」

 私の言葉を遮るようにして、お母さんは視線を外した。目を閉じて、お茶を口にする。

 余裕を感じさせるその態度は、かえって私を心細くさせた。

 「・・・そ、そう・・・よね・・・。」

 私のことだから・・・。

 自分自身のことだから・・・。

 「うん・・・私・・・頑張るから・・・。」

 ちらっと横目でお母さんを見る。

 悠然とお茶を飲んでいる。

 「わ、私、もう行くね。も、もう今から勉強しないと・・・。」

 ふらっと立ち上がりかけて、私は急に立ち上がったお母さんに抱きとめられた。

 かちゃん、という、お茶碗の割れる音はそれからしばらくして聞こえたような気がする。

 「・・・レイ・・・レイ・・・。お願いだから、少しは甘えて頂戴。無理に平気そうにしているあなたを見る方が、辛いわ・・・。」

 お母さんの嗚咽がくぐもって聞こえる。

 あぁ・・・。

 お母さんも、辛かったんだ・・・。

 良かった。

 お母さんは、私を心配してくれたてたんだ。

 あっと言う間に胸が一杯になった。

 「・・・ぅん、そぅする・・・。」

 ずるずると膝を折っていく。

 私に引きずられるように、お母さんも床に座り込んだ。

 「今まで辛かったんじゃない?ごめんね?レイ。私が弱気になったらあなたにも悪い影響があると思って・・・でも、もう、見ていられなくて・・・。」

 ううん、もう、いいの。

 いいの、お母さん・・・。

 「ありがとう・・・。」

 私はそれだけを言ってお母さんの膝に顔を埋めた。

 お母さんの膝枕・・・。

 いつ以来だろう・・・。 

 お母さんは私の髪を優しく撫でている。

 あぁ・・・。

 とても、落ち着く・・・。

 「レイ。あなたは良い子よ。優しくて思いやりがあって、私の言うことも良く聞いてくれるわ。」

 そんなぁ・・・。

 照れちゃう・・・。

 私はお母さんのお腹に頭を押しつけた。

 はぁ・・・というため息が流れてきた。

 「どうして・・・。どうしてみんなあなたを見てくれないのかしら?」

 髪を撫でる手が一層優しさを増す。

 「こんなに良い子なのに・・・どうして・・・みんな、髪の色ばかり見るのかしら?目の色ばかり、見るのかしら・・・?」

 ぽたっと冷たい想いが落ちて来た。



 私はお母さんを悲しませている・・・。



 どうしようもなく悲しくなる。

 「幼稚園にも行かせてもらえなかったし・・・。小学校でもほとんどの学年で白い目で見られて・・・。お稽古事をすれば、”どうかやめさせて下さい”って頼まれるし・・・。」

 そして、その分お母さんに迷惑をかけてきた。

 例えば着付け。

 私の浴衣を作りに行った時、呉服屋さんは腰を抜かすほど驚いた。

 身体の寸法を測る間ずっと呉服屋さんの手が震えていたのを思い出す。

 結局、折角出来て来た浴衣はだぶだぶだった。

 まぁ、でも、そのおかげで今でも着られるんだけど・・・。

 で、短く直してもらおうにも私の姿を見た家元さんはみんな同じような反応をして尻込みをする。

 仕方が無いのでお母さんは自分で布地を買ってきて自分で仕立て直しが出来るように何度も何度も練習した。

 ようやく私の身体にぴったりになった浴衣だけど、今度は同じ理由で帯の締め方や腰布の使い方等を教えてもらえない。

 だからお母さんは仕立ての練習の合間に着物の着付けも習ってきた。

 着付け一つでこの騒ぎ。

 でも、まだあるの。

 そうそう、美容院。

 私、アスカさんに教えてもらうまで、普通の子は美容院で髪をカットしてもらうって知らなかったの。

 ずっとお母さんが切ってくれていたから。

 昔、床屋さんに連れていったらやっぱり”お断り”されたんだって。

 結局切るのはお母さんの役目。

 私が幼稚園に行っていなかったのが逆に助かったって。

 どんなに失敗しても判らないから。

 でも、一番心配だったのが、病気。

 私はあんまり外で遊ぶことが無かったから怪我の心配は無かったし、そういう面倒を避けるために歯磨きは厳しく言われたから歯医者さんにもかからなかったんだけど、風邪や病気だけはどうしようもなかったみたい。

 とうとう”はしか”にかかっておそるおそる連れて行ったのが、近くの小児科のお医者さん。

 ”どうでしょう?先生”、って聞くお母さんに”心配ありませんよ”って普通に答えた先生。お母さんは逆に気持ち悪くなって、”この子の髪、変じゃないですか?”って聞いたんだって。

 先生はちょっと首を傾げて、

 「そういえば、珍しい色ですね。でも、個性があっていいですよね?」

と、微笑んだそうなの。

 今でも忘れられないって、お母さんが話してくれた。

 

 私がいると、お母さんに迷惑がかかる・・・。



 「こんなに良い子なのにね・・・。」

 ふるふる・・・。

 私は小さく首を振った。

 「私・・・良い子じゃない・・・。」

 私はお母さんの膝から頭を持ち上げた。

 「どうしたの?」

 お母さんは不思議そうに首を傾げた。

 その目から流れる涙の跡が私の心を締め付ける。

 「私、・・・わ、私がいると・・・お、お母さん、苦労してばっかり・・・。」

 じわっと涙が浮かび上がる。

 「わ、私が・・・。」

 ぐいっとお母さんが私を抱き寄せようとするのを振り切るように身体を捩る。

 「私がいるとお母さんを苦しめてしまうの!

 がちっ!

 痛い・・・。

 思わず首を引っ込めた。

 痛かったのは、肩だった。

 お母さんが私の両肩を痛いくらいに握り締めている。

 「そんなこと、無いわ。あなたを育てるのが苦しいとか辛いとか・・・そんなこと、絶対無いからっ!!

 私が身体を固くしていると、お母さんは言葉をつなぐ前に私をしっかり抱き寄せた。

 「あなたには幸せになって欲しいのよ。あなたがあまりにも不当な扱いを受けるのが辛いだけ・・・。」

 ・・・。

 少し気持ちが落ち着いて来た・・・。

 ・・・。

 そうよね・・・。

 私は一度も”浴衣を着たい”とか”どこかに行きたい”とか言ったことは無かった。

 いつもお父さんやお母さんが、”浴衣を買ってあげる”とか”遊園地に連れて行ってあげる”とか言ってくれるだけ。

 そして”問題”はいつも向こうからやってきた。

 それをなんとかしてくれようと、お父さんやお母さんが頑張ってくれたんだったわ。

 私がお母さんを苦しめている、なんて言うこと、それ自体が、ううん、それこそが、お母さんを一番悲しませることになるんだわ・・・。

 「ごめんなさい・・・。お母さん、ごめんなさい・・・。」

 ぶんぶん・・・。

 お母さんが私を強く抱いたまま首を振ったので私は身体ごと振り回された。

 「いいの。私の言い方も悪かったのよ。」

 お母さんがまた私の髪を撫ではじめた。

 そのまま、私達は無言でいた。

 でも、私の、それから、お母さんの心の中は静かではなかった。

 静寂の中で膨れ上がって行く、不安。

 たった一つの、不安・・・。

 先に絶えられなくなったのは、やっぱり、私。

 「ねぇ・・・お母さん・・・。」

 声が震える。

 答える声は無く、お母さんの答えは小さな頷き。

 「お、お母さん・・・。・・・ずっと、こうなのかな?私・・・。ずっと・・・。」

 一旦止まっていた涙が再び溢れ出した。

 今度は不安で。

 止めど無く・・・。

 「大丈夫、大丈夫よ・・・。」

 お母さんは何度もそう言って私の頭を撫でた。

 「就職の時も、また同じ苦労をして・・・子供が生まれても、また・・・ずっと、こんな・・・。」

 もう、止まらない・・・。

 「大丈夫だから、大丈夫。きっと、判ってくれる人はいるから・・・。」

 お母さんは少し涙声になりながら、それでも静かに私の背中をさすってくれた。それからしばらく、私達はそのままだった。私は泣き、お母さんは私の背中をぽん、ぽん、と優しく叩いていた。

 ひく、ひっくと言っていた私の喉が少し落ち着いてきた。

 「落ち着いた?」

 お母さんの笑顔が私を迎える。

 新しい勇気が湧いてくるような気がする。

 「うん・・・少し・・・。」

 身体を起こして涙を拭く。

 「大丈夫だからね。」

 お母さんが私の頭を撫でる。

 「いざとなったら永久就職しちゃいなさい。」

 え?

 「ふふ。来年には16歳でしょ?・・・あ、でもシンジ君が18歳にならないと結婚できないか?」

 あ、もうっ!

 「そ、そんなぁ・・・。またそんなことばっかり言ってぇ・・・。」

 「嬉しいくせに。」

 うふふ・・・。

 それはぁ、嬉しいけどぉ・・・。

 「なんなら今からユイに電話しよっか?

 お母さんは笑顔でそう言って立ち上がろうとした。

 「痛ぃっ・・・。」

 お母さんは顔をしかめた。

 ふと気がつくと、割れたお茶碗の破片がお母さんの足に刺さっている。

 「あ、痛いでしょう?お母さん・・・。」

 「もう、気がつかなかったわ。でも、大丈夫よ。このくらい。」

 お母さんはそう言って立ち上がったけど、足に力を入れたせいか血が滲み出した。

 「ちょっと待ってて。バンソウコウ取って来るから。」

 私は薬箱を取って来ると中からバンソウコウを取り出した。すぐ使えるように袋から出してお母さんに渡す。

 「・・・あんたは本当に気が利く子よ。」

 お母さんはスカートをたくして、足の怪我にバンソウコウを張りながらそう言った。

 「でも、私、本当言うと心配しちゃった。最近お母さん冷たかったから。お母さん、私のこと、どうでもいいと思ってるかと思って・・・。」

 私は照れ隠しにそう言った。

 「そんなわけないでしょ。出来るだけの手助けはするから、遠慮しないでね。」

 お母さんの言葉でようやく私は心から笑うことが出来た。

 なんだか、救われた気分。変なの。自分一人で悩んでいただけなのに・・・。

 ぴんぽーん・・・。

 「あら?お客さん?」

 こんな時間に?

 私達は顔を見合わせた。

 「レイ、私が出るわ。」

 お母さんは慌ててスカートを元に戻すと、一足先に立ちあがった。

 「あ、じゃ、私片付けておくから。」

 「お願いね。」

 お母さんはそそくさと部屋を出て行った。

 私は押入れから箒と塵取り、それに掃除機を出して来て破片を片付けていた。

 この後起こる、運命の出来事を予想もせずに・・・。


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