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| 第25話 素質の違い:Bパート | 目次 |
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ぶんぶん、と木剣を振るう。
体調は良いはずなのに、最近どうも治療の調子が良くない。
この奇妙な現象は最近始まったものではない。
思い返せば、祐一と一緒にあの狐を治療したときも変だった。
あの時も特に休養が足りなかったわけでもないのに、最初の一太刀では治せなかった。
仕方なく神木の実を取りに行ったが、あの程度の傷を治せないはずがなかった。
それなのに、木の実に頼らなければならなかった、あの時から…。
(…あの狐、ただの狐じゃなかった…。)
舞は反省することしきりだった。
人に…動かす者に…名前を与えられて長い時間を共にしたのだから、素質のある狐なら妖狐にならない方がおかしい。
まして、あの狐は子狐だった。
ということは、幼い狐を妖狐に仕上げるために、己の霊力を殆ど全て吸い上げられてしまったことになる。
舞の行動は軽率だったといえる。
危うく命を落とすところだった。
身震いを一つして、そっと目を閉じる。
その頭上からひらり、ひらり、と木の葉が舞い落ちる。
風で散らされた木の葉の中には、まだ生命を保っているものがある。
精神を統一してその声を聞くのだ。
そしてそれを木剣で叩く。
当たっていれば、木の葉は命を永らえさせ、耳に入る命の声が大きくなる。
出来なければ次第に周囲の声は大元である一本の木だけになる。
舞なりに考え出した自主トレだ。
霊力も筋力同様、鍛えればそれだけ強くなり、一日当たりの回復力も大きくなる。
だが、自己流では無理があるのか、それとも妖狐を産み出すには舞の力が及ばなかったのか、力の回復度は限りなく遅い。
結果として治療を行うときはあの木の実に頼ることになり、依存度が増していく。
(これが…堕ちるということ…紡ぐ者の意のままになってしまうということなのね…。)
それは抗う者の資格を失うことを意味し、場合によっては神木が使役している妖狐達に狩られることにもなりかねない。
あの狐の治療から一年近く経った今もこうして調子が戻らないと言うことは、あの時の治療で舞が生きていくために必要な霊力以上に霊力が吸い上げられたことを意味している。
それは判りやすく言えば”霊力の前借り”だ。
時に重篤な患者を治療しなければならない、従う者や抗う者にのみ許された機能だ。
動かす者や妖狐などにはその機能が与えられておらず、力を使い過ぎてなお使いたければ、”宝珠”を代償に神木に命を牛耳られることになる。
神木の決定に従うことが基本の”従う者”ならば、いくらでも前借りが出来るため、元々長く与えられている命の寿命を越えて働くことも決して不自然なことではない。
だが、抗う者は、自らの霊力の残りと患者の傷とを慎重に見極めながら治療を行う必要がある。
抗う者は常に抗わなければならないのだから。
しかし、母親を見て育ってきた舞は、これまで後先のことなど深く考えずに力を使ってきた。
それが致命的な失敗を生む土壌になったわけだが、前借りしている今の状態なら命を牛耳られているも同じ。霊力の供給を絶たれたら、舞の命は絶たれてしまう。
そうならないために、こうした地道なトレーニングは欠かせないのだ。
「舞〜っ!」
不意に静寂が破られ、現実の世界に引き戻された。
最近とみに修行の邪魔をされる、同い年の女の子が手を振りながら駆けてくる。
「どうかした?」
「見て見て。お花!」
そう言うと、佐祐理は有無を言わさず、舞の手を引いて元来た方へと走り出した。
花が咲いているところまで連れて行くつもりだ。
この、新しくできた友人も、舞の力を恐れなかった。
恐れるどころか、両手を叩いて褒めちぎってくれた。
「もうちょっと先だからね!」
「う、うん。」
佐祐理に手を引かれる舞はぎこちなく頷いた。
(また、来てくれた…。)
なかなか人と接することに慣れない自分を気にする様子もなく、佐祐理は自然に接してくれている。
そればかりか、自分の家の一角に舞専用の治療室まで作ってくれた。
今までは母親を訪ねてくる患者の治療を少し手伝う程度だったが、佐祐理とつきあうようになってからは、佐祐理の家で捨て猫や捨て犬、野生動物の怪我を中心に治療するようになった。
佐祐理が舞の意志に関係なく舞を引き回すので、舞はすっかり家に居着かなくなった。
祐一は今も時折舞の家を訊ねてくれているが、舞と時間の都合が合う機会は激減している。
もっとも、学年が違えばそれぞれ授業が終わる時間も違うため、次第に疎遠になっていくのが自然なのかも知れない。
だが、舞はもう一人ではない。
(祐一の言った通りだった…。)
”僕は動かす者で、動かす者は特別じゃない。”
”特別じゃない僕が判ったんだから、他の人にも判るはずだ。”
”だからもう、一人じゃない。”
”いつかきっと、同じように判る人が増えていくはずだ。”
あの日の祐一の言葉が支えになり、そして現実になっている。
もうすぐ中学にも上がるだろう。
そうなれば祐一に会う機会は更に減る。
それでも、舞には新しい友人がいる。
これからも出来ていくと信じられる。
舞は佐祐理に手を引かれながら、自らの幸せを噛み締めていた。
「もうお帰りになるのですか?」
美汐は残念そうに首を振った。
おおよそ小学生とは思えない言葉遣いは、形だけでも羽生の年に近づけようとする気持ちの現れだ。
「ああ。もう山に帰らないといけない。」
希望は苦しそうに項垂れながら答えた。
既に1週間もここに滞在している。
彼の持っている小さな黒琥珀では、これ以上変化を維持するのは困難だ。
神木のもとに行って霊力を補充しなければならない。
そうすればますます神木の支配下に入ることになるわけだが、それもやむを得ない。
このまま堕ちていくとしても、失いたくないものがある。
それが、目の前で目を潤ませている少女だ。
いや、そう言ってしまうには、彼女の体つきに無理がある。
もっと正確に言えば、その少女の純真なひたむきさだ。
彼女は、希望がうっかり漏らした自分の秘密にも動じることがなかった。
能力者ではない彼女がそれを出来た、というその事実に心惹かれるものがある。
自分達の新しい可能性を切り開いてくれるのではないだろうか?
場合によっては、今までに無かった、新しい力を産み出してくれるかも知れない。
それを見届けるためなら、彼女のために本当の人間になるのも選択肢の一つとして魅力的だろう。
彼に名前を付けてくれたかつての主人も、内心はそれを望んでいたのだろうか?
だが、その主人は希望が人間になることを信じ切れていなかった。
今目の前にいる少女なら、あるいは……。
「美汐、私はしばらくここを留守にするのは、嫌か?」
「え?」
しばらく、という言葉に違和感を覚えて、美汐は今までよりももっと心細そうな顔をした。
これまでは、1日過ぎれば戻ってきてくれた。
希望の言葉は今回がそれに当てはまらないこと……長い別れになることを意味している。
もしかしたら、もう戻ってこないかもしれない。
「嫌です…できません…。」
美汐は少しの間考えるような素振りをしていたが、結論は決まっていた。
それを口調から感じ取った希望は、それ以上の説得が難しいことを悟った。
彼女は確かに純真だが、その分思いこみが強く、一度言い出したら容易に考えを変えないことを知っていた。
その性格は希望の計画には必要な物だし、彼自身もそうした美汐の性格を好んでいた。
だからこそ、その性格を矯正しようとは思わなかったのだが、それがこんな形で弊害になるとは……。
「……そうか、判った。では、また明後日に会おう。」
「はい。希望様。」
美汐は嬉しそうな、寂しそうな、複雑な笑顔で希望を見送った。
応える希望の表情も、嬉しそうでいてなお拭い切れぬ憂いを抱えていた。
すっかり遅くなった道を帰る。
最近いつもこうだ。
授業中にわざと騒ぎに参加したり、授業と別のことをしたりして注意されるように仕向ける。
反省文を書かされたり、お小言を食ったりと、色々な理由で居残らされるのが有り難い。
そうなれば名雪は諦めて先に帰る。
友達と遊んでいたりすると、名雪がついてくるからだ。
(買い物もさぼれるし…。)
名雪と一緒に買い物に出ているところをクラスメイトに目撃されてから、夕飯の買い出しに行くのが気恥ずかしくなってしまった。
祐一の両親も名雪の母も働いているため、生きていくために必要な役割分担なのだが、これまでは何のことの無かった行動でも、クラスメイトの冷やかしの対象になる。
舞の家に行く機会もめっきり減った。
たまに顔を出してもいないことが多いし、また誰かに見つけられたら面倒だ。
(折角の休み時間も邪魔されるしな…。)
祐一はクラスの男子からの冷やかしと、女子からの非難の双方を避けるため、教師からの強制を選んだのだ。
そうした、女の子と一緒にいることを意識する年頃だということの他に、もう一点祐一の意識に現れない理由もある。
秋子の問題だ。
最近秋子は帰りが遅い。
遅いだけでなく、良く外出をする。
夕食は、食材さえ買ってあれば、春香が毎日作ってくれる。
春香が秋子の外出を助けているのだ。
このところ祐一が役割分担を放棄しているため、名雪が買い物をし、春香が夕食を作るのが相沢家、水瀬家の生活スタイルになっている。
秋子に再婚の話が持ち上がっているからだ。
彼女は未亡人であったが、まだまだ若い。
再婚を勧める動きはこれまでもあったが、仕事も忙しいことからなかなか具体化しなかった。
それがここ最近、俄に現実味を帯びてきたらしいのだ。
祐一の情緒不安定の理由はそこにもある。
秋子は祐一にとって、身近にいる理想の女性像だった。
その彼女が失われることに対する喪失感が祐一の焦燥の源泉になっている。
(今日も…帰ってないんだろうな…。)
祐一は当たって欲しくない予想を心に浮かべながら、とぼとぼと家路をなぞった。
ピアノの生演奏が、落ち着いたクラシックを奏でている。
ナイフやフォークが皿と触れ合って立てる、小さな金属音すら部屋の隅々まで響く。
こんな所で話などしたら部屋中に筒抜けだ。
秋子はさりげなく周囲に気を配った。
いつの間にか他の客がいなくなっている。
「これは?」
立ち上がった拍子に、椅子ががたっと音を立て、部屋中にその音が響き渡った。
「驚かせてしまいましたか?実はこの時間からフロアを貸し切りにしていたんです。」
落ち着いた声で種明かし。
いつもの手口なのに、いつもひっかかる。
切り口の異なる趣向、笑わせられたり、驚かされたり、はらはらさせられたり…。
(語りかける者としては失格…。やはり私は動かす者でしかないのかも…。)
そんな自嘲気味の反省も、明るい気持ちで考えることが出来る。
もう認めても良いだろう。
自分は、この人といるとリラックスできる。
楽しい気分にさせてもらえる。
この人といる時間が、幸せな時間だ。
ただ、こうしたことには付き物の胸のときめきが無いのが気に掛かる。
「それは…大事な話があると考えていいのでしょうか?」
「…ああ。そう考えてもらえると有り難い。」
その、芝居が勝った余裕のある受け応えが、秋子にも答えを与えてくれた。
演出、台詞、立ち居振る舞い。
全てが”計算ずく”に感じられるのだ。
自分の感情までもが、彼によって操作されているように感じる。
だから、心の奥深いところで警戒を解くことが出来ない。
その結果、ときめかない。
「…すみません、気を持たせるわけではないのですが、今日も良い返事が出来そうにありません。」
「そう…ですか…。」
「すみません、いいお話だとは思っているのですが…。」
「わ、判っております。充分承知しております。」
そうしたうろたえた表情が出ると、急に人間的に見える。
秋子はにっこりと微笑みかけた。
「もう少し、時間を下さいね。」
「あ、ああ。」
当てが外れてがっかりしている姿が妙に愛おしい。
母性本能は喚起されるようだ。
「そうそう。病院の件ですけど、そちらはお受けしたいと思います。」
「ほ、本当ですか?」
嬉しそうな顔。
感情が判りやすい、自然な顔。
やはり、いつもこうであって欲しい。
「今日は楽しかったです。またご一緒させて下さい。」
「え、ええ。その、水瀬…さん。」
その余りにぎこちない挨拶に、また笑顔が漏れる。
「そんなに緊張しないで下さい。私の方が困ってしまいます。」
「し、しかし…。」
やりにくそうに頬を掻く仕草は、いつもの彼のそれだ。
「お願いしますね、倉田先生。」
倉田が聞いたその秋子の言葉は、執務室でよく耳にするそれと全く同じものだった。
<続き>