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| 第24話 契約の夜:Dパート | 目次 |
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とっぷりと暮れた夜道を帰る。
この辺りにはまだ街灯もなく、道も両側に草が生い茂る山道だ。
三人の服のポケットはあの後も集めた木の実で一杯だった。
舞や麗のためにも必要だったが、真琴にも食べさせた方がいいという舞の薦めに従って、名雪と祐一も持てるだけ持ち帰ることにしたのだ。
ポケットがぱんぱんに張っていて歩きにくいが、このペースで歩いている間は大丈夫だ。
真琴の歩みはまだひょこひょこと頼りなく、急ごうと思うなら抱えて帰った方が効率がいい。
だが、三人はのんびりと歩いて帰る方を選んだ。
急ぐ用事もなかったし、気の合う仲間と過ごす時間はいつも楽しい。
そして、楽しいときは常に飛ぶように過ぎる。
いつしか三人は分かれ道に来ていた。
舞とはここでお別れだ。
振り向くと、舞が寂しそうに俯いていた。
祐一は名雪と顔を見合わせ、それから元気な声をかけた。
「じゃ、またね。」
「また今度。」
驚いたように顔を上げた舞に、自然と微笑みが浮かぶ。
別れは確かに寂しいが、それはまた会うときの喜びで相殺される。
そう、彼らとは、また会える。
立ち止まった子供達を後目に、真琴がどんどん先に歩いていく。
それを追って行こうとした二人に向けて、舞が声をかけた。
「祐一。」
舞に呼び止められた祐一は足を止めて振り向いた。
祐一の前に、笑顔の舞が立っている。
「なに?」
「祐一は動かす者。」
舞の言葉に祐一は頷いた。
「うん。で、ちゆはあら……暴れる者?」
「あはは。違うよ。抗う者。」
「あがらう?」
「あ・ら・が・う。」
子供にはなかなか難しい表現だ。
祐一は照れ隠しに舌を出すと、そうそう、と頷いてお茶を濁した。
「じゃ、またね〜。」
「あっ……。」
余程罰が悪かったのか、そう言うと祐一はだんだん小さくなる従姉妹を追って駆けだしてしまった。
舞が止める間もなかった。
「行っちゃった…。」
舞はつまらなそうに呟くと、くるりと踵を返して家に向かった。
言えなかった言葉は、心の中にしまうことにした。
動かす力は特別な力じゃないかもしれない。
だけど、あたしにとっては、祐一は特別だよ。
「はい。どちら様?」
麗は夜の来訪者にいつも以上に丁寧な口振りで答えた。
例え夜中であっても、いや、夜中だからこそ。
訪れる患者は診なければならない。
何故なら、この街灯もない、暗い夜道を押してくるほど差し迫った患者である可能性があるのだから。
「夜分に申し訳ありません。猫田権三と申します。」
麗は権三を注意深く観察した。
大丈夫、この人は患者ではない。
見たところ何処も悪く無さそうだ。
だが、そのただならぬ様子から、何事か問題を抱えて訪れたことは間違いなさそうだ。
「どうなさいました?」
麗は権三を屋内に招き入れながら尋ねた。
暦の上ではまだ夏だが、北国の夜はもう冷える。
南北に長い国の実状を鑑みることなく作られた暦など、この界隈では何の役にも立たない。
狐や鳥の声、木の葉の色づき、自らの肌で感じる季節の報せの方が余程実状に合っている。
それを称して田舎者よと嘲笑うのは、自然の理を知ろうとしない不心得者の論理に過ぎず、自らの無知を吹聴しているようにしかみえない。
そして、彼ら無知なる者はその多数が所謂一般の”動かす者”であり、彼らが無意味に他の生物の運命を動かし、無駄に他者の命を狩る。
無駄になった寿命は紡ぐ者の元に集められた後、適宜従う者の寿命に加算される。
そのおかげもあって、本来であれば今頃は舞に役目を引き継いでいるはずの麗がこうして生きていられるのだから、まさに運命の皮肉と言うべきだろう。
ともあれ、権三は麗の家に入った。
患者達の待合室にも使われている広いホールの中央に、焼き肉屋のテーブルよろしく真ん中にストーブが据えられた構造を持つテーブルが置いてある。
冬はそこにダルマストーブが鎮座して暖をとるのだが、今の時期は花がおいてあるだけだ。
二人はそのテーブルを挟んで向かい合って座った。
何かが始まる予感がした。
洗濯機がごりごりっという異様な音を立てて止まった。
「あらあら。」
秋子は洗濯漕に浮かぶ見慣れない物質を手にとってしげしげと眺めた。
子供達の服を他の服と一緒に洗わなかったのは正解だった、と洗濯槽に残る水の色が示している。
「名雪に祐一さん、ちょっと。」
その声に何事かと集まってきた子供達は、秋子の手の平を見て”しまった”という顔をした。
ポケットから木の実を全部出したと思ったのに、何個か残っていたらしい。
「ごめんなさい。秋子さん。僕……。」
祐一は名雪の前に出てぺこりと頭を下げた。
取り出しきれなかった木の実は名雪のポケットにも入っていただろうが、とりあえず秋子の祐一が謝った方が怒られなくて済む。
「怒っているわけではありませんよ。」
秋子は優しくそう言うと、手の平に載せた木の実の破片を祐一に見せた。
「この実、どうするんですか?」
怒っているわけではない、と言われても、洗濯機の惨状を見ればなかなかそうは思えない。
祐一は恐る恐る、真琴に食べさせる、と説明した。
「まぁ、それは…。」
秋子は口を開きかけて、中途で言い淀んだ。
いや、この子が、この狐が”そう”でないとは言えない。
むしろ、一年もの長い間名前を呼び続けられれば、その素養があった場合、”そう”なってしまうことは充分考えられる。
「そうですね。それじゃあ、集めた木の実を持ってきて下さい。私はその間に電気屋さんに電話しますから。」
秋子は子供達にそう言って洗面所を離れた。
「どうするの?」
名雪が不思議そうについて来る。
「洗濯機が壊れたから修理してもらおうと思って。」
変に勘繰られて子供達が気にしないように、秋子は出来るだけ何も気にしていないように答えた。
「そうじゃなくって、その、木の実をどうするの…?」
おや、と秋子は娘の顔を見た。
その質問から察するに、名雪は洗濯機を壊したことで怒られることよりも、木の実を取り上げられることの方を恐れているようだ。まるでこの木の実の持つ力を知っているかのように。
(血が喚んだのかしら?)
伝承した力を秋子がまだ引き継いでいないため、名雪にまだ能力はないはずだが、正当な継承者である名雪には潜在的な能力がある。神木の力が込められた木の実を前にして、”語りかける”能力の発露があっても不思議はない。
「それ、舞ちゃんのエネルギーなんだって。だから、まこちゃんにも食べさせたいの。」
舞?
ああ、確か、いつも遊んでいるって言っていた子…。
もしかしたら、川澄の?抗う者の継承者……。
「判りました。それじゃあ、食べやすいようにジャムにしますからね。」
「あ、うんっ!やったぁ。」
名雪は大喜びで駆け戻っていった。
それがこの先長きに渡って彼女を苦しめる存在になろうとは、名雪には知る由もなかった。
権三の話を聞き終わった麗は困ったように眉根を寄せた。
症例としては難しいものでも珍しいものでもない。
ただ、麗には不適切だというだけだ。
「猫田様、大変申し上げにくいのですが、このお話は私の手に余ります。」
「そこを何とか……。」
権三はすかさず二の矢を継いだ。
佐祐理の病気を公にしたくない。
親が医者なのだから、倉田に診てもらえば良いのだが、佐祐理が父親を拒否しているため、他の医者に診せなければならない。
だが、他の医療機関に頼めば必ず訝しがられる。
ただでさえ医師会の妬みを買っている状態で娘が父親を嫌っていることが判れば、何を言われるか判らない。
医者は人気商売の一面を持っている。
自前の医院を開設しようと目論んでいる現在、悪い風評が立つことは可能な限り避けなければならない。
こうした二つの要求を同時に満たすためには、医師会に属していない、麗のような立場の人間が適任なのだ。
「そう言われましても……。」
麗は頬に手をやって考え込んだ。
麗としても何とかしてやりたい気持ちは山々だ。
自分の娘と同い年の子供を何とかしてやりたいという親としての思いもある。
だが、麗は適任ではない、というよりも、はっきり不適だ。
話を聞く限り、佐祐理が鬱ぎ込んでいる原因は罪の意識。
贖罪になるものを与えてやれば前向きになるはずだが、それをするために自分の所に来れば、弟を自分の所に送ったという罪の意識が増幅される。
「お願いします。お力を貸してください。」
権三は深々と頭を下げた。
彼は知らない。
自分達の力に課せられた厳しい条件を。
他の多くの人と同様、治療が成功する条件を知らない。
だが、目の前にいるこの依頼者の願いは、断るには余りにも純粋で小さな願いだった。
「判りました。ただ、条件があります。」
麗はしばらく考えた後、口を開いた。
佐祐理を麗が治療するためには幾つかの工夫が必要だ。
その最も重要なものの一つ、それを手に入れなければならない。
「どんなことですか?私どもに出来ることならば何でも…。」
権三は勢い込んで尋ねた。
その勢いに押された麗は慌てて手を振って権三を振り払った。
「いえ、猫田さんや佐祐理さんではないのです。佐祐理さんのお父様と同じ場所で働かれている、え〜と……確か、雨宮さん?…の協力が必要なんです。まず、彼女に診てもらって下さい。」
麗は娘から聞いた”あの日の協力者”の名前を記憶の中から呼びだした。
その後の出来事から察するに、彼女が”動かす者”であることは確実だ。
それも、相当強い力を持っている。
何しろ、”麗の意志に関係なく”生き返らせることが出来るほどなのだから。
彼女の力ならきっと……。
「判りました。雨宮は二人いたはずですが、どちらでしょうか?」
え?
二人いた?
麗は困って首を捻った。
自分にはあの時の記憶がほとんど無い。
もっとも、”死んで”いたのだから仕方がないのだが……。
「あたし判るよ。」
不意に声がしたので二人は驚いて扉の方を見た。
ポケットを木の実で膨らませた舞が立っている。
「娘さんですか。」
「はい、そちらの佐祐理さんと同い年になります。舞と言います。」
麗の紹介に、権三は立ち上がって舞にも丁寧に頭を下げた。
そのついでに、他言なさらないようにお願いします、と付け加えるのも忘れない。
「舞、それじゃあ今度一緒に来てくれる?」
舞は静かに頷いた。
彼女は運命に抗う者だった。
あれ?
祐一は身体を起こした。
いつの間に眠っていたのか?
確かあの後秋子さんが木の実をジャムにしてくれて…綺麗なオレンジ色の美味しいジャムになって…それから、そのジャムのサンドイッチを食べて……。
(あれれ?)
…自分の家に戻った記憶がない。
二日酔いっていうのはこういうものなのだろうか?
「起きた?」
「え?」
聞き慣れない声が聞こえて、祐一は驚いて首を回した。
目の前に、見知らぬ女の子が立っていた。
「いつもありがと。」
「あ、ああ、うん。」
髪は栗色で腰まであるほど長く、艶があってとても綺麗だ。
顔つきから同い年ぐらいだと思えるが、体つきはモデルのように腰が細く、すらりとした足がスカートから伸びている。
「見て、ほら。祐一のおかげでこんなに良くなったよ。」
女の子はくるくるとバレリーナのように回って見せた。
髪に止められた鈴がちりちりと鳴って、とても幻想的な雰囲気を醸し出している。
「そっか。良かったな。」
「うん、祐一のおかげ。ありがとう。」
女の子はぺこりと頭を下げた。
「別に良いって。それに、僕一人じゃなくて名雪だって色々やってくれてたっしょ?」
いつの間にか”見知らぬ女の子”という意識はなくなり、昔から知っている子のように思えていた。
彼女が名雪のことを知っているのは当然だと思えたし、彼女も当然のように頷いた。
「そうだけど、やっぱり祐一が最初に助けてくれたし、祐一が色々骨折ってくれたんだもん。うん。祐一のおかげだよ。」
女の子は不服そうに唇を尖らせながら感謝の言葉を述べた。
「そうか。判った、ありがとう。」
不満げにお礼を言われるとちょっと損した気分になるので、祐一はとっとと納得することにした。
女の子は満足そうに微笑んで、くるっとまた一つ一回転した。
「それじゃ、あたし、帰るね。」
「ああ。」
祐一は女の子に向けて軽く手を振った。
二人はいつの間にか広い野原に来ていた。
(ああ、そう言えば、ここで初めて会ったんだっけか…。)
祐一がそんな感傷に浸っている間に、女の子は山に向かって歩いていた。
歩いている、と判るほどゆっくりに見えるのに、彼女はどんどん小さくなっていく。
「なぁ。」
聞こえるはずがない、と思ったが声をかけてみた。
驚いたことに、”なぁに”と返事が返ってきた。
米粒のような姿になっているのに、結構大きな声がする。
「また遊びに来いよ。」
「うんっ!勿論っ!」
不意に大きな声がして、女の子が戻ってきた。
が、姿は見えない。
気配だけが彼女が近くにいると教えてくれている。
「ねぇ、祐一。」
気配が話しかける。
祐一はただ黙って頷いた。
「あたし、一人前になったら、祐一とけーやくするからね。」
「けーやく?」
「うん、約束みたいなものだよ。」
「判ったよ。それまで待ってる。」
真琴。
気配はそれっきり無くなった。
名乗られることもなく、その名前を呼べたことで、何故かそれが夢だと判ってしまった。
朝になれば、現実の世界でも真琴が家を出ていることに気付くだろう。
だから今は何も言わずに見送ろう。
祐一はその場にごろりと横になった。
見上げれば空はどこまでも高く、青く続いていた。
<続き>