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| 第24話 契約の夜:Cパート | 目次 |
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鬱蒼と茂る、森の木々の狭間。
そう呼ぶのがふさわしいほど、木と木の間に子供が一人やっと通れるような、そんな隙間があった。
その空間に存在する物は、複雑に枝を絡ませた、木々。
「本当にここなの?」
祐一は、出来れば名雪の間違いであって欲しいと願いながらそう尋ねた。
が、その期待は瞬時に横に振られた名雪の首によって打ち消された。
「だって、道があるのはここだけだよ。」
何故か強気の名雪が主張したように、他の何処を見渡しても獣道一つない。
おまけに舞がしっかり頷いている。
祐一は覚悟を決めて森の中に足を踏み入れた。
今の気分にぴったりなほど細い小径に一歩を踏み出す。
道なき道…。
そんな言葉が一番しっくりとくる。
「道は合ってるんだよね?」
一本しかない道なのに、不安になる。
「うん…。」
消えそうな舞の声が心細くてつい後ろを振り向いてしまう。
左右から草木が枝を伸ばしているので、祐一が立ち止まると隊列全てに影響が出る。
急に止まった祐一の背中に、ぽすっと名雪がぶつかってきた。
「何?何かあったの?」
不思議そうに見上げる名雪には、祐一の気分が判らないのだろう。
名雪には祐一の背中が見えているのだから。
祐一の前には森しかない。
大きく黒い口を開けている、得体の知れない森しかない。
後ろの人間が気持ちを変えて逃げ出したとしても、祐一は気付かない。
一人取り残されても判らない。
道はどんどん狭くなる。
森はますます暗くなる。
街がだんだん遠くなる…。
(…そっか…。)
一人は、確かに、辛い。
いくら言葉で”そんなこと無い”と伝えても、それは気休めにしかならない。
何かもっと別の言葉があったはずだ。
考えなくては。
祐一は手近にあった枯れ枝を一つ手に取ると、一つ深呼吸をして再び歩き始めた。
後に続く名雪や舞のために邪魔な枝を出来るだけ取り除けていく。
だが、黙々と歩く祐一の頭に、良い考えはなかなか浮かんでこなかった。
…やがて…。
その場所は、目の前にあった…。
ぽっかりと開いた場所だった。
そこに、大人が20人両手を繋ぎあっても一回りできるかどうかというほど大きな老木が、天を目指して伸びていた。
「…凄い…。」
祐一の声に引かれるように、その肩越しに覗き込んだ名雪もその風景を見て感嘆のため息をついた。
ここに来るまでの道はずっと、昼でも暗い森の中にあったのに、ここだけは光が射し込んでいる。
大木の周辺には他の木の枝も伸びてこられないのか、光に彩られたこの空間で、老木だけが浮き上がっているように見える。
老木の周辺には丈の短い草が、まるで手入れの行き届いた芝生のように一面に生えていた。
同じ高さに刈り揃えられているかのようなその草地は、大人でもごろりと横になってひなたぼっこをしたくなるほど快適そうだった。
これだけ条件が揃っていれば当然、好奇心旺盛な子供達にとって、格好の遊び場になりそうだ。
「ここ、僕らの秘密基地にしようかな…。」
祐一はぽつりとそう呟いた。
小さな声だったが、森の静寂の中、女の子二人に届くには充分だった。
「秘密……基地?」
舞は複雑な表情で首をひねった。
その対応は、諸手をあげて賛成した名雪と大きな隔たりがある。
「うん。ここで木に登ったり昼寝したり、お菓子食べたり…。」
友達と遊んだり、と言いかけて、祐一は何とか思い留まった。
舞に自分達以外の友達はいるのだろうか?
一人は辛い、という舞の言葉が気にかかる。
『もう来ないかもしれない』だとか、『祐一が特別だ』という言葉は、舞が常に一人きりで過ごしていることを示しているのではないだろうか?
怖がられている、という舞の言葉は、そんなことはない、と否定できた。
何と言っても舞の力は、怪我を治してくれる力なのだから。
だが、それがもし、「気味悪がられている」のならば?
残念ながら、それを否定は出来ない。
舞の力をどう思うかは、それを見る人間によって違う。
そのことは、テレビ放送されたあの沢渡真琴の治癒の力でさえ、万人には受け入れられなかったことからも明らかだ。
何より、舞と最初に出会った時の子供達の反応が全てを物語っていたではないか。
もはや舞が同年代の子供たちから受け入れられていないことは間違いない。
祐一は慎重に言葉を選んだ。
「僕と、名雪と、ちゆの、秘密基地だよ。」
祐一は前の言葉を打ち消すように、ゆっくりと言い直した。
舞の不安を取り除けるように。
「何のための基地?」
舞は首を傾げたままでそう聞いた。
一瞬言葉に詰まる。
気の利いたことを言ったつもりが墓穴を掘った。
頭が真っ白になった。
が、何か言わなければならない。
何を言おう?
考えが浮かばない。
何も思いつかない。
だから。
祐一は、頭に浮かんだ言葉をそのまま口にした。
「そんなの紡ぐ者と戦うための基地に決まってるっしょ。」
祐一の言葉を聞いた舞は顔を上げた。
驚いたような顔で祐一を見ている。
驚いているのは祐一も同じだ。
だが、恐らくその感覚は正しい。
「一緒に…戦ってくれるの?」
「勿論。」
祐一の答えに、舞の顔が一瞬綻びかけて、そしてまた、沈んだ。
「でも、多分他のみんなには、判ってもらえないと思う…。」
私の力のこと判らないから…。
結局孤立する。
そこに祐一を巻き込みたくなかった。
不思議な力を持つ神秘の少女。
大人達は有り難がったかも知れない。
が、そのことは舞の苦痛を増しこそすれ減らしはしなかった。
それは、彼女が常に、彼女を囲む同年代の子供達からの奇異の目と、大人達からの過大なまでの畏怖の念とを背負い続ける環境の中に身をおかなければならないことを意味していたからだ。
のしかかる重圧で眠れない夜もあった。
治せたときは良いが、治せなかったときには今まで以上に冷たい視線が待っていた。
しかも、治したとしても感謝されるのはその時だけで、それ以外はやはり人は近寄ってきてはくれなかった。
医者とはそう言うものだと。
患者は医者の所に来ないときが一番健康なんだと。
そう母親に教わってきた。
だが、それは彼女が同年代の子供達から受けてきた仕打ちには説明がつかない。
少女の頃は、町の子供たちが集まるような場所を避け、人知れずひとりきりで遊ぶようにしていたものだ。
それでも彼らは追ってくる。
そんなに嫌なら来なければいいのに、わざわざ追ってきてまで侮蔑の目を向ける。
だが、ひとたび怪我をしようものなら、彼女の力を知る彼らの親によって、彼女の所にやって来ては治してくれろと叫ぶのだ。
治療が成功するためにはそんな彼らとも気持ちを通わせなければならない。
その矛盾。
その辛さ。
それから避けるために、舞は心を隔てる術を身につけた。
治療に必要なだけ心を切り分け、平然と怪我を治す。
確かに舞の治療は上手くなった。
が、その弊害は確実に舞の心を蝕んでいる。
切り分けるばかりで補充されることのない心からは、代償のように感情がどんどん消えていく。
いずれ感情の全てが消えてしまうのではないだろうか?
そうなったら、自分のことを理解してくれる人がいなくなってしまうのではないだろうか?
いや、自分そのものが消えてしまうのではないだろうか?
自分で自分を認識することすら出来ない、生ける屍。
しかも、今のままではそうなっても誰も自分のことを覚えていてくれないだろう。
自分は一体なんのために、辛い思いをしてまで患者を治すのだろう?
襲い来る無力感。
絶望的なまでの孤独。
失いたくないものを、捉えきれない焦燥感。
それら全てから助け出してくれる、暖かい希望。
飛びついても良さそうなその申し出を前に、舞は躊躇した。
彼を頼るのは良い。
だがもし、今後彼に拒絶されたら、自分は生きていけるのだろうか?
今は良い。
だが、彼が将来に渡って自分を支え続けてくれるのかどうか自信がない。
舞は今、自分の命を奪いかねないほどの難病を相手にしたとき以上に不安だった。
「僕は、判ったよ。」
なかなか舞からの返事が来ないので、祐一はゆっくりとそう言った。
舞がはっとしたように祐一を見たので、視線を逸らさずにゆっくり頷いた。
「僕は、動かす者なんだろ?」
祐一は舞がゆっくり頷くのを待って、それからまた口を開いた。
「だったら、僕は特別じゃないはずだよな。でも、判ったんだ。」
不思議な感触だった。
さっきはいくら考えても出てこなかった言葉が、今度はすらすら出てくる。
頭に浮かんだ言葉を口にしているだけで、少しも頭を使っていないのに…。
ふわふわとした気持ちになりながら、祐一は伝えたいことだけを心に浮かべた。
誰もが判らないわけではない。
少なくとも、祐一は判った。
だからもう、一人じゃない。
いつかきっと、同じように判る人が増えていくはずだ。
そう伝えたかった。
相変わらず舞は黙っている。
聞こえているかどうかも判らない。
それでも、伝わったことは判った。
舞の瞳から湧き出た泉が、いつの間にか乾いていたから。
「そうだねっ!」
不意に元気な声が一つしたかと思うと、風が一陣、祐一を追い越していった。
擦れ違いざまに祐一の頬に微かに水の飛沫がかかった気がした。
恐らく舞の瞳を彩っていただろうその飛沫は、今度はとても暖かかった。
舞の周りに手の平が4つ伸びてきた。
手の平一杯に山盛りにされた木の実は、舞の考えていた量より遥かに多い。
「う〜ん。多すぎるかも…。」
「家に持って帰って使えばいいよ。」
名雪は自分のことのように嬉しそうに微笑みながら、収穫した木の実を舞に突き出した。
舞は押しつけられては困ると言わんばかりに祐一の方を見たが、祐一もそうそういつも舞の味方というわけでは無さそうだった。
「そうそう、患者さんを治すのにも使うんでしょ?エネルギー補充で。」
と、好意で言ってくる祐一の記憶力も馬鹿にならない。
舞は自分で墓穴を掘っていたことを後悔した。
こんなにたくさん食べさせられたら、今夜は眠れなくなってしまう。
いや、悪くすれば急激な霊力上昇で気絶してしまうかもしれない。
今必要なのはせいぜい一片程度。
取れたてが一つあればそれで足りるというのに……。
舞は困ったように眉を顰めながら、祐一と名雪が拾ってきた木の実を見つめた。
その途端、格好の逃げ道が見つかった。
「あ、ほら、あたしは今、生で食べるから新鮮じゃないといけないのよ。」
舞はそう言って自分で見つけた木の実を二人の前に見せた。
まだみずみずしいその実は二人が集めてきた実とは一線を画している。
「え〜、そうなんだ…。」
名雪は困ったように眉を顰めた。
確かに彼女が集めた実の中に、舞が持っているような新鮮な実は見当たらない。
名雪は実を求めて空を見上げた。
「ね、祐一。あれ取って。」
名雪の視線の先に、確かに新鮮な実がたわわに実っている枝がある。
だがそれは、視力が余程良くなければ見えないほど高いところにある。
「無理だよ。僕は高いところも木登りも苦手だよ。」
名雪と祐一は途方に暮れたように頭上を見上げた。
そびえるような木の幹にはところどころ手をかけられそうなでっぱりはあるが、しっかり掴める枝はない。
「いいわよ。そんなにいつも霊力不足って訳でもないし、これでも充分足りるのよ。」
舞は器用に爪を立てて固い殻をはがすと、中から柔らかい果肉を取り出して口に放り込んだ。
瞬間、思わず吐き出しそうになる。
分量はいつも通りだが、何と言っても新鮮さが違う。
その余りに強烈なエネルギー量に身体が拒否反応を起こしたのだ。
が、そこを乗り越えると甘美な味が口の中いっぱいに広がっていくのを感じた。
あの日、老人がくれた飴を舐めたときのように、体が芯から暖まっていく。
舞は眩しいほどに煌々と白い輝きを放ち出した木剣を手に立ち上がった。
前触れもなく訪れた別れの時。
心の準備の出来ていない真琴に向けて舞の木剣がしなった。
柄から伸びる太い光の筋が真琴の足に吸い込まれ、真琴の足が真っ直ぐに戻る。
別れの準備は、誰の予想よりも短い時間で整った。
「じゃあな、真琴。森に帰るんだ。」
「さようなら。」
別れの言葉が次々にかけられる。
言葉が通じていなくても雰囲気で判るのか、真琴はどこか神妙な顔つきになっていた。
そして彼らが見守る中、真琴はゆっくりと歩きだした。
……ひょこひょこと。
「…治ってない。」
名雪は嬉しそうな哀しそうな、複雑な声を出した。
「ううん、治ってるわ。」
舞の言葉通り、折れて曲がっていたはずの真琴の足は真っ直ぐに伸びている。
だが、その足の使い方がぎこちない。
「…一年は長過ぎたかも。」
舞は真琴の足の使い方を観察して、真琴が”曲がった足を使った歩き方”に馴染んでしまっていることに気がついた。
このままでは速く走れない。
それは野生動物にとっては死活問題だ。
「…ってことは?」
「うん。」
舞の返事を待たず、名雪は飛び跳ねながら真琴を抱き上げていた。
真琴の首の鈴もまた、別れの時が延びたことを喜ぶように、嬉しそうな音を立てていた。
<続き>