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| 第23話 変化の兆し:Dパート | 目次 |
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「邪魔するよ。」
倉田の居室にノックも無しに飛び込んでくる男は、一人しかいない。
「やぁ、久瀬。どうした…?」
振り返った倉田は久瀬の口許に見慣れないものを見かけて唖然とした。
「煙草禁止みたいだからな。葉巻にしてみた。」
悠然と葉巻に火を付けようとした久瀬の手から、ライターをすんでの所で掴み取る。
「子供っぽい真似をするな!」
「冗談だって。」
葉巻に変えるのは本当だけどな、と久瀬は倉田の手からライターを取り返しながら言った。
「どうだ?気分が落ち着いただろう?」
「ああ。変な気分だが、焦りはなくなった。」
多少秋子の言う通りにしたからと言って、彼女からの要求が減るわけではない。
この間も『佐々木さんはクリスチャンですから13号室から移してください』などと言ってきた。
患者の病室を決めるのは倉田の仕事でも無ければ、雇われ勤務医の倉田の権限でどうこうできるものでもないのだが、秋子の要求には容赦がない。
「困ったものだよ、彼女には。」
とはいえ、そう言う倉田の顔には笑顔すら浮かんでいて、以前のように追い詰められたような表情ではなくなった。
秋子とのやりとりを楽しんでいるようにすら思える。
「まぁ、要するに、”さっさと自前の病院を作れ”ってことだろ?」
「あぁ。それが一番だ。」
倉田のその言葉を聞いた久瀬は満足そうに頷いた。
親友の表情から気負いや焦りが消え、秋子の要求をいなせるようになっている。
あれほど頑なだったのが嘘のようだ。
「良かったな。」
「ん?何がだ?」
久瀬の独り言を聞きつけた倉田がにこにこと笑いながら聞く。
全く自覚の無い親友の顔を、久瀬はまじまじと見つめた。
(…ま、折角良い気分になっているところに水を差すことないか。)
余計なことをして馬に蹴られるのも馬鹿馬鹿しい。
久瀬は種明かしをするのを止めた。
「何でもないよ。」
「そうか。ところで、例の計画だけどな…。」
上機嫌で話を続ける親友を眺めながら、久瀬は一つの決意を固めていた。
来客を告げるチャイムの音が、楽しい時間の流れを止めた。
「誰かしら…?」
麗は訝しげに首を傾げたが、見上げた時計が新たな現実を告げた。
「あら!いけない。もうこんな時間…。舞、お友達を送っていってもらえるかしら?」
「うんっ!」
舞は大きな声で返事をすると、子供達を引き連れて家の外に出ていった。
子供達が出ていくと、麗は彼らと反対側の扉から別の棟に続く廊下へと足を進めた。
こちら側への来客を迎えるとき、彼女は”従う者”の顔になる。
「お待たせいたしました。」
待合室に姿を現した麗は、屈強そうな男に挟まれて品のない笑顔を浮かべている男を一瞥するなり用件を悟った。
「これはこれは、川澄さん。いつもいつもお美しい……。」
「丸山さん、ご用件を伺いましょうか。」
大病院に勤めたことがある、ということだけが取り柄の医者。
それが彼だ。
折角の社会勉強も、歯の浮くような営業用の台詞を身につけただけに終わったようで、しかも、これだけ見事に心のこもらない棒読みをされるのでは営業をされる方もさせる方も困ったことだろう。
困っていないのは役に立たない自尊心を身につけた本人だけだ。
「いや、どうもすみませんね。実は私、今度こちらに開業しようと思っているものですから、ご挨拶をしようかと。」
丸山は笑いながらそう言った。
つくづく嘘の付けない男だ、と麗は少し哀れに思った。
顔は笑っているのに目が笑っていない。
それに、お世辞を言うときと同様、言葉に少しも謙虚さがない。
単純に挨拶をしに来たわけではないことが言葉以外の全てから読みとれてしまう。
「…そうですか、それはどうも…。」
無難にその場を収めようと、麗は型どおりに挨拶をした。
本当に挨拶だけのつもりならこれで充分のはずだ。
だが、麗が先刻察知した通り、丸山はそれだけでは不満だ、と身体中から不機嫌を発散した。
「いいえ。こちらこそ。ところで、川澄さん。この辺りが”医者要らず”の地だという話はご存知ですよね?」
やはり来た、と麗は観念したように思った。
子供達を帰らせた後で良かった。
特にあの男の子…祐一には聞かせられない。
要するに、”医者ではない麗が病人を治すのは営業妨害だから出ていけ”と言いたいのだ。
これが、『治せるからこそ嫌がられること』だ。
医者が直接来るケースは珍しいが、医者でなくても、えせ宗教だと糾弾する寺社・教会や人心を惑わすと難癖を付ける政治家や警察、教育団体など、風の吹いてくる源には枚挙の暇がない。
また引っ越しをすることになる、と麗は考えた。
そしてまた嫌がる舞を宥めなければならないだろう。
母娘とはいえ、二人は相反する力…運命に従う者と抗う者なのだから。
だが、今回は事情が異なる。
折角友達が出来た舞の反発は、これまで以上に激しいものになるだろう…。
「おい。」
麗が躊躇していると、丸山の隣にいた男達が堪えきれなくなって口を開いた。
「物分かりの悪い女だな。」
「丸山さんはお前に出ていけって言ってるんだよ。」
「いや、何も無理にとは……。」
「勝手に作ればいいじゃん。」
したり顔で『示談に…』と得意分野に持ち込もうとした丸山の耳に、幼いながらも凛とした声が響いた。
「な、何だ何だ?」
「だからさ。別に作りたかったら勝手に作ればいいじゃん?病院なんて、あればあるだけ助かるっしょ?どうして出ていかないといけないのさ?」
祐一は怒るでもなく、恐れるでもなく、率直な気持ちをただ真っ直ぐにぶつけた。
ぶつけられた丸山の方は突然現れた難敵におろおろと左右を見回すが、大男達も子供相手に怒鳴るわけにも行かず、雇い主の出方を待つより他無い。
言われてみれば、何故彼が病院を開くのに川澄麗を追い出す必要があるというのだろう?
妙な沈黙が流れた。
もともと自分の意見に自信のない男だ。
しっかりとした回答を求められて即答できるはずもない。
「そ、そうですね。では、え〜、今後ともよろしくどうぞ……。」
丸山は急にへこへこと頭を下げながら帰っていった。
首を傾げる祐一の背後で扉が開く。
「お待たせ〜。」
トイレから顔を出した名雪の姿を見て、麗は何が起きたのかを瞬時に理解した。
外が寒かったためか、家を出てすぐにトイレに行きたくなって戻ってきたのだ。
家族用のトイレには舞が入るので、二人を外来患者用のトイレに案内した、というわけだ。
「牛乳までお代わりするからだ。」
「だって、牛乳がないとイチゴミルクにならないんだよ…。」
「当たり前だ。」
子供っぽい会話をする祐一の姿を見ていると、さっきの会話が嘘のようだ。
だが、彼がいなければ自分達は再び流浪の民と化すところだった。
それを救ってくれたのは、彼の一言……。
一言?
(一言で運命を変えた…やっぱり、この子は相当強い”動かす者”なのでは?)
「あ、思い出した。丸山って、確か隣町で凄く評判が悪くて病院が潰れたとか何とかお袋が言ってたな…あいつか…。」
祐一は急に話を切り返すと麗の方に向き直った。
「大丈夫です。ああいう人はそのうち自分の言った言葉で自分の首を絞めてしまうものですから。」
それは、川澄親子のこの街への定住と、後の丸山医院の行く末が同時に確定された瞬間だった。
「暗い夜道も3人並べば怖くないもんだな。」
祐一は悟ったようなことを呟いた。
「だったらもうちょっと離れて。」
舞は窮屈そうに身を縮めながら文句を言った。
名雪は舞にすがるようにして歩いているし、その反対側では祐一が舞の持つ懐中電灯の灯りにどんどん近寄っている。結果として、名雪と祐一の二人は舞を挟むようにしてくっつきながら歩くことになり、舞はとても歩きにくい。
「ね、帰り大丈夫?」
名雪は舞の帰り道を心配してそう言った。
舞は嬉しそうに頷きながら、
「大丈夫、これがあるから。」
と、懐中電灯を振り回した。
「うわっ!」
「わ〜〜〜っ!」
祐一が大声を出したので、名雪も釣られて大きな叫び声をあげてしまった。
そのままへなへなとその場に座り込んでしまう。
「ゆ、祐一〜。驚かさないでよ……。」
名雪は恨めしそうな声で文句を言った。
「わ、悪い悪い。だけど、今ちゆが懐中電灯振り回したとき、あの辺に何か緑の光が……。」
「え?え?嘘でしょ?ね、ね…。」
名雪の震える声に答える祐一の声はなかった。
ゆっくりと首を振り、光の見えた方向を見据えている。
だが、警戒する祐一を嘲笑うように、舞はずんずんとその光の方に向かって歩いていった。
真相を確かめるため、というよりは、彼女が持っている光に置いて行かれないために、祐一は早足で舞を追う。
一人取り残されてはたまらない名雪もまた足をもつれさせながらついていく。
「確かこの辺……。」
「しっ。」
祐一が話しかけようとするところを、舞が素早く止める。
何を思ったか、そのまま懐中電灯のスイッチを切ってしまった。
鼻をつままれても判らないような闇が3人を包む。
「何考えてん…!」
『黙って!』
祐一が抗議しようとしたその口を押さえて、舞がその場に座り込む。
視界を失った名雪もその場に身を屈める他無い。
3人が息を殺して座っていると、耳が痛くなるほどの沈黙が襲ってくる。
舞にしっかり抑え付けられて身動き出来ずにいた祐一だったが、不意に抵抗を止めた。
(お?)
彼女が足を進めてきた理由が祐一にも届いた。
微かだが何かがいる気配がする。
祐一は舞の腕の中で彼女と同じように耳を澄ませた。
……くん……。
(あ、やっぱり…。)
押し殺されるような沈黙の重圧の下から、恐る恐る圧力を持ち上げる音がする。
目を凝らすと草むらの中に僅かに動く影がある。
風に揺れる草の流れとは異なる動きをしているそれは、確かに生きているもののようだ。
『ね、ね、どうしたの?』
一人会話から取り残されていた名雪が二人に躙り寄ってきた。
舞が名雪を抑えようと祐一を解放した瞬間、祐一は立ち上がってその物体に向かって歩き出した。
「おい、大丈夫か?」
まるで人間に話しかけるように自然に話しかけているが、相手は勿論人間ではない。
脅えた目つきで見上げるのは、まだ小さな子狐だ。
「ゆ、祐一、駄目……。」
「あ。何か引っかかってる。ちゆ、ちょっと剣貸して。」
祐一は子狐の足を捉えていたビニール紐を持ち上げながら舞を呼んだ。
「何するの?」
訝しげに尋ねながら、いつも肌身離さず持ち歩いている木剣を背中から抜く。
祐一は舞から木剣を受け取りながら、
「紐を切る。」
と答えた。
「ば、馬鹿ぁ!」
途端に舞は祐一から剣を奪い返し、ついでに祐一の頭をぽかりと一つひっぱたいていった。
「な、何すんだよぉ。それ、おもちゃじゃないって言ったじゃないかぁ…。」
「大事だっても言った。」
舞は木剣を撫でながらぷりぷりと怒り、大事そうに背中にしまった。
「だいたい、木でビニール紐を切ろうなんて無理だよ。」
「じゃ、どうすんだよ、これ。何だか足先がもう冷たくなってきてるぞ?」
祐一が言った通り、子狐の足にしっかりと食い込んでいる紐が血管を圧迫していて、狐はそこを触られても何の反応も示さなくなっている。
「祐一、じゃ、これ使って。」
名雪がポケットから小さな折り畳みハサミを取り出した。
ゲームセンターの景品の一種で、祐一が目的のものを取り損なった副作用で獲得したものだったが、名雪が欲しそうにしていたのであげたという経緯がある。
「そんな小さいので大丈夫かな?」
「祐一、気合いだよ。」
「う〜ん。気合いでどうなるものでも…。」
「じゃ、変身だよっ!」
「出来るかっ!」
「急げば?」
緊張感のないやりとりに呆れてか、舞は極めて現実的な意見を述べた。
祐一は胸にすがりついてくる狐を抱くようにして、困難な作業に取りかかった。
夜とはいえ、夏の盛りだ。
祐一の額に汗が浮かんでいく。
その汗が手元を濡らす頃、ぷつん、という乾いた音がした。
「…折れた。」
祐一は呆けたような声を出した。
おおよそ金属とは思えないような情けない音と共に、ハサミの刃を合わせていた中央のネジが折れてどこかへ飛んでいってしまったのだ。
紐の方は多少ささくれてきたものの、まだまだ健在だ。
「こうなったら、足にくっついている方は後回しにして、この紐だけでも千切ってしまおう。」
舞の家からは随分来てしまっているが、ここからなら大急ぎで家に帰れば、まだ間に合うかも知れない。
紐を切る道具が二つになったので、一つを祐一が、もう一つを名雪と舞が変わりばんこに使ってめったやたらに突き刺していく。3人がかりの攻撃にさすがの丈夫な紐もぶつっという野太い音と共に遂に陥落した。
「ちゆ、急いで治してくれ。」
「無理。」
「そうか、助かる…って、何でだ〜?」
当然了解されると思っていた祐一は肩透かしを食ってずっこけた。
だが、いつまでもそうしているわけにも行かない。
「どうしてかって言うと…。」
「説明は後回しだ!じゃあ、大急ぎで家に帰るぞっ!」
祐一は狐を抱き抱えて従姉妹を振り向いた。
名雪は半分になったハサミを持って立ち上がった。
「祐一、ハサミ壊した…。」
「…それも後にしろ。」
祐一は二人の先に立って走り出した。
舞は祐一の背中を照らしながら、懐中電灯の存在意義について深く頭を悩ませていた。
<続き>