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| 第23話 変化の兆し:Bパート | 目次 |
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「またやってるな?」
「お前、あれはイカサマなんだぞ。」
子供達に囲まれて、身動きできないでいる少女は、それでも恐れることなく周囲を睨み付けていた。
その眼光はとても鋭くて、多少物分かりの良い者なら危険を感じるだろうが、子供達は生憎そこまで場慣れていなかった。
「あれか?」
祐一は名雪に確認すると、迷うことなくその集団に近寄っていった。
そこに見覚えのある傷を見かけて思わず苦笑する。
「君ら、本当に懲りないみたいだねぇ?」
祐一はそう話しかけた。
うるさそうに振り向いた男の子の表情が一変する。
「うわっ!」
「また出たっ!」
まるで幽霊でも見たかのように飛び上がると、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
逃げ遅れた一人は砂利に足を取られて転んでしまった。
昨日のことが余程怖かったのだろう。
助け起こそうとする名雪をすら恐れている。
子供達のことは従姉妹に任せて、祐一は輪の中心にいた女の子に話しかけた。
「やぁ。」
「……。」
ぎろっという目で睨み返されたが、その視線が祐一の胸にぶつかってくるりと回る。
そのやりとりを見ていた名雪が祐一をたしなめた。
「駄目だよ、祐一。最初は”初めまして”だよ。」
名雪の突っ込みはいつものように軽く流して、祐一は自己紹介を始めた。
「俺は相沢祐一。で、こいつが水瀬名雪。俺の従姉妹。」
「初めまして。えと、私のことはなゆちゃんでいいよ。」
「おい、なんだそれ?」
「だって、昨日祐一それで良いって言ったもん。」
「言ってない。」
「言った。」
「言ってないって。」
「言ったってば。」
いつものように不毛な喧嘩を始めた二人を完全に無視して、女の子は無言で祐一の胸から兎を奪い取った。
背中に背負っていた木剣を抜き放つ。
「お?」
「え?」
驚く二人を後目に女の子は、口の中で何事かもごもごと呟きながら、白く輝く木剣で兎の傷の上をなぞった。
兎の身体全体が一瞬白く光ったかと思うと、兎は元気に飛び跳ねながら去っていった。
と、予想以上に遠く離れたところから頭を上げてこちらを窺う。
「ふふ。ありがとうって言ってるみたい。」
「そうだな。いや、ありがとう。本当に。え〜と…。」
祐一は嬉しそうに笑う従姉妹に頷いてから、不審の目を捨てない女の子に話しかけた。
だが、少女は黙ったまま応えない。
「じゃ、いいや。お前は”ちゆ”だ。これからちゆって呼ぶからな。」
「…違う。」
「ちゆだ。」
「違う。」
「ちゆ。」
「違う。」
「ちゆじゃない。」
「違う。」
「よし。」
祐一は一方的に話を切り上げた。
”ちゆ”に決まった女の子は口をぱくぱくさせて抗議しようとして、そして微笑んだ。
「うん、笑った方がいいぞ。ちゆ。」
「違うのに…。」
「私はなゆちゃんでいいよ。」
横から名雪も顔を出す。
「ね、ちゆちゃん、遊ぼうよ。」
「ほら、ちゆ、遊ぶぞ。」
名雪と祐一が交互に”ちゆ”に話しかける。
ちゆは根負けしたように頷いた。
「判った。」
ぱっと名雪の顔が輝く。
その間に祐一はちゆが持っていた木剣を、ひょい、と取り上げた。
想像以上に軽いそれは古びた木で出来ていて、表面も裏面も滑らかだ。
驚いたことに、柄から刃先まで継ぎ目の無い一枚板で出来ている。柄の先の細かな文様や精巧な飾りまで、まるで木からそのまま掘り出したように年輪が通っている。
「あっ!」
祐一が剣を持っていることに気付いたちゆが慌てたような声を出したので、少し驚く。
「あ、ごめんごめん。……なぁ、これで遊んで良いか?」
「だめだよ。これはおもちゃじゃないんだよ。」
「おもちゃじゃないのか?危ないなぁ。」
「危なくないよ。大事なんだよ。」
ちゆは必死の表情で祐一に訴えかけている。
その勢いに圧倒された祐一が木剣を返すと、ちゆの顔がようやく和らいだ。
「ごめん。そんなに大事なものだとは思わなかった。」
「ううん、あたしが目を離したのも悪かったし…。」
祐一がすんなり剣を返してくれたことで安心したのか、ちゆは先ほどの形相からは想像も出来ないほどあっさりと機嫌を直してくれた。
「祐一、兎さんを助けてくれてありがとう。」
ちゆはそう言ってぺこりと頭を下げた。
さっきまでの厳しい表情とは打って変わった明るい表情は、見る者全てを幸せにしてくれそうだ。
「兎、好きだったの?」
「うん、好き…。動物は全部好きだけど…兎さんが一番大好き。」
「私も兎好きだよ〜!」
名雪もこれまでで一番の笑顔を輝かせた。
女の子二人はお互いに顔を見合わせて、にっこりと笑った。
「313号はもう駄目だ。延命に切り替えろ。」
倉田は部屋に戻ってくるなりそう告げた。
難しい手術だったこともあって、いつも以上に疲れた。
しかも、上手く行かなかったとなれば苛々が募る。
そして、聞こえるか聞こえないかの小さなため息がそれをさらに助長する。
「何だ?雨宮?文句でもあるのか?」
「ありますわ。」
こういうときの倉田にも平然と答えることの出来る人間はそうそういない。
他の看護婦は自分の仕事がある風を装いながら、そそくさと逃げていった。
「313号、ではなくて、佐々木さん、でしょう?」
「患者の名前なんていちいち覚えていられるかっ!」
「覚えてください。」
それから、私は雨宮ではなくて水瀬です、と付け加える。
馬鹿にしているかのように平然とするその素振りが、倉田は嫌いだった。
彼女を見ていると何故か苛々する。
「患者の名前を呼ばないのにはちゃんと理由がある。」
「情が移らないように、ですよね?」
ちょうどいい八つ当たり先を見つけた、とばかりに不平をぶつける倉田を、これまた平然と受け流す。
言いくるめようとした、その根拠を先に言われてしまってまた苛々を募らせる。
だいたい、こいつは何だ。
こいつに”奇跡”を見せられたから、頑張って独立しようとしているというのに、人の気分を害することばかりする。
「判ってたら、さっさと仕事に戻れ。患者が待っているだろう。」
「そうですね。」
素直に頷かれて拍子抜けがする。
だが、秋子が部屋を出る様子はない。
「どうした?」
「佐々木さんが待っているのは先生です。」
秋子は笑顔でそう言った。
その顔には何も意図していないようで、それでいて倉田の心を激しくかき乱す。
またか。
倉田は呆れたようにため息をついた。
結局の所、この女には倉田の気持ちが伝わっていないのだ。
「あのなぁ、雨宮。一人の患者を救うことに拘っていると、結果的に100人の患者を殺すことになるんだぞ?」
倉田は自分を納得させるように頷きながらそう言った。
一人の患者の治療に医者を一人専任させることで、他の患者に関わる時間や人員は必然的に減少する。
従って、患者一人に複数の専門医が関わるのが普通だ。
医師の分業は必要悪であり、専任の悪影響はそのメリットを上回る。
患者の引継の際には、患者を取り違える危険性を減らす目的で、患者に番号を振ったり部屋番号で呼んだりすることが望ましい。患者の名前には同姓同名や聞き違えやすい名前が存在するからだ。
だが、倉田の説明を聞いた秋子から聞かれた言葉は、倉田を更に苛立たせるものでしかなかった。
「あなたにとっては100人の患者さんかもしれませんが、患者さんにとってはあなたがたった一人のお医者様なんです。患者の皆さんは先生を待っています。佐々木さんも、向井さんも…。」
倉田はぴくっと眉根を寄せた。
聞き慣れない名前だ。
向井?
そんな患者がいたか?
「ああ、あの人か。あの人は何の病気で入院してたんだっけかな?」
倉田は秋子に見られないよう、さりげなくカルテの束に目を移した。
そこにはやはり秋子が綺麗にファイリングした患者のカルテがある。
幸いにも向井はその一番上にあった。
「向井さんは…。」
「判ってる。腫瘍だろう?悪性だったか?」
説明しかけた秋子の機先を制して、倉田は得意げにそう言った。
カルテの文字を盗み見た時、腫瘍の文字が見えた。腫瘍で入院なら悪性の可能性が高い。
患者を番号で呼んでいても患者の状態は把握できている、という姿勢を見せれば、さすがの秋子も納得するに違いない。
「いえ、向井さんは術後の腫瘍の状態をレントゲンで見るんです。通院です。」
あ、という声が自分の口から漏れたことを確認する。
倉田は自分の敗北を認める他無かった。
話の流れから当然、患者と言えば入院患者のことだろうと思いこんでいた。
秋子から引っかけてやろう、という意志が感じられなかったことも原因の一つだ。
実際、彼女の頭にはそんな底意地の悪い考えは微塵もないに違いない。
そしてそのことが倉田を一層惨めな気分に落とし込む。
「そ、そういうことを管理するのがお前達の仕事だっ!」
結局、今日も倉田は秋子を怒鳴りつける以外に窮地を脱する術を持たなかった。
「なゆ〜、次はなゆが鬼だよ〜。」
舞の元気な声が草原に響く。
大声を上げているのは、その声を受け取る人間がずっと遠くにいるからだ。
「え〜、私、もう走れない。」
聞こえるように声を張り上げるだけでも大変だ。
名雪はその場に座り込んでしまった。
すると、まるで遠近法を無視したような間合いで、遠くに見えていた舞が名雪の前に現れた。
「頑張れば大丈夫だよ。」
「そうだぞ、頑張れ名雪。」
「祐一も頑張るんだよ。」
家の中に引きこもっていた名雪に負けず劣らず、祐一も肩で息をしている。
要するに、二人が運動不足なのではなく、舞が速過ぎるのだ。
ちゆ…川澄舞…は、打ち解けてみると無口な少女ではなかった。
むしろ良く笑い、良く泣く、快活な少女だった。
そして何より、舞も名雪と同じように父を亡くした女の子だった。
父親もいて男でもある祐一では判らない、繊細な名雪の心を癒してくれる姉のような存在。
舞はまさに名雪の天使だった。
「疲れたなぁ…。」
「そう?あたしはそうでもないけど…?」
祐一と名雪の顔を見比べながら、舞は寂しそうに口をつぐんだ。
いつも三人で遊んでいるものの、別れの時が来れば祐一と名雪は連れだって帰り、舞は一人残される。
楽しい時が長いほど、一人になる時間が寂しいのだろう。
そして、今日のように二人が疲れるのが早ければ、別れの時も早くやってくることに気付いたようだった。
「……なぁ、ちゆ。ちゆの家ってこの近くか?」
祐一は黙ったままの舞に話しかけた。
舞は静かに頷くと、自分の家の方角を指で指し示した。
「そこで休んで良いか?休んだらまた遊ぼう。」
祐一の申し出に、舞の顔がぱっと明るくなって、そしてまた沈んだ。
「…でも、あたしの家、みんなが嫌がるから……。」
消え入りそうな声でそう呟いた舞は、寂しそうに俯いた。
祐一はそんな舞の様子を、首を傾げながら見つめた。
舞の家の話は聞いている。
父親がいなくなった後、母、川澄麗とともに二人で暮らしている。
そして、その麗は舞と似た不思議な力を持っている。
舞が主に怪我などを治すのに対し、麗は主に病気を治すという違いはあるものの、それはとても素晴らしい力であるとしか思えない。何故、”みんなが嫌がる”などと言うのだろう?
「まずは行ってみようよ。嫌かどうかはそれから考えてもいいと思うよ。」
一休みして少し元気を取り戻した名雪の言葉で方針が決まる。
三人は連れだって舞の家を目指した。
「おっと。邪魔するよ。」
久瀬は倉田の部屋から秋子が出ていくのを見送りながらそう言った。
行き違いになったのは好都合だ。
あれがいるとおちおち煙草も吸えない。
「お疲れさん。」
久瀬は面白がるような口調で倉田に声をかけた。
倉田は顔だけでなく全身から『負けました』というサインを送っていた。
「ああ、疲れた。」
久瀬の言葉に応えた、というよりは、意識せずに口をついて出る疲労。
秋子と接することがこんなに疲れるのは自分だけなのだろうか?
倉田がそう尋ねてみると、久瀬は苦笑いを浮かべた。
「倉田。お前も少し遊んだ方がいいかもしれないな。」
胸ポケットから煙草を一本取り出す。
もう少し裕福になったら葉巻にするつもりだが、今はとりあえず口寂しさを埋めてくれればそれで良い。
「どういうことだ?」
「ん〜、判らないようなら良い。ま、俺も水瀬は苦手だけど、多分俺はお前ほど疲れてないと思うぞ。」
久瀬は判ったような判らないような、曖昧な言い回しをした。
「どうしたらいいんだ?」
倉田は半分以上諦めながら尋ねた。
こういう時の彼は”よく判っている”のだ。
そして、同時に決してそのことを教えてくれない。
そう知っていても、倉田は問いかけずにはいられなかった。
「そうだな…。試しに、一度水瀬の言う通りにしてみたらどうだ?何でも良い。そしてそれを伝えてみろ。」
珍しく。
いや、記憶にある限りでは、初めて。
久瀬が倉田に答えをくれた。
倉田の顔が余程疲れていたのだろうか。
「そんなことで?」
「試すだけならただだろう?騙されたと思ってやってみろ。」
倉田は不承不承頷いた。
それをみた久瀬は満足そうににやにや笑いながら、煙草を口にくわえてポケットを探った。
「ん?あれ?ライター…どこに置き忘れたかな…?ま、いいや。倉田。火貸してくれ。」
「駄目だ。」
倉田は差し伸べられた手にガムを載せた。
久瀬は目をぱちくりと瞬(しばたた)せ、首を捻った。
理解できないでいる久瀬に、倉田は、
「あの雨宮の言う通りにするんだろう?だったら、今からここは禁煙だ。」
と、面白そうに告げた。
返す言葉の無くなった久瀬は、一本取られた、とばかりに上機嫌で帰っていった。
二人はやはり親友だった。
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