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| 第22話 禁忌:Dパート | 目次 |
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「今の”語りかける者”の力は、本来はその娘が継承すべきものなの。」
口をつぐんで応えない狐達に代わって、舞が祐一に説明をした。
つまり、今は亡き秋子の夫が先代の”語りかける者”だったということだ。
そう言うことなら他のケースよりも理解は可能だ。
恐らく彼は定め通り、名雪に力を継承させようとしたのだろう。
だが、秋子はまだ幼い名雪に”語りかける者”の過酷な運命を担わせることを不憫に思い、自らが伝承することを申し出たに違いない。
「そうか…立ち入ったことを聞いて悪かったな。」
祐一はぴろが躊躇った理由を推測して謝罪した。
言葉は悪いが、形の上では力を奪ったことになってしまう。
「いや、まぁ、それもあるんじゃが、そのために儂らが被った害を思うとな…。複雑な気分になるんじゃよ。」
ぴろは顔を俯かせてそう呟いた。
真琴も申し訳なさそうに、それでもどこか辛そうに頷いた。
「どういう…ことだ?」
「どれだけ理不尽でも、語りかける者の力は簡単に伝承して良いものではないのよ。」
舞もまた厳しい表情でそう言った。
能力を持つものが紡ぐ者…神木の影響を受けるのは自明だが、神木に屈しない限りはむしろ神木に対抗する力としてその能力を発揮する。動かす者や妖狐は「紡いだ命」を狩る役割だし、抗う者や従う者は「潰える命」を救う役割を持つ。
だが、縄張りを離れて力を失ったり、黒琥珀を取られてしまった妖狐や、神木に宝珠を作られて命運を握られてしまった動かす者は「紡ぐ者」に逆らうことが出来ず、神木の先兵として働くことになる。
「ところが、語りかける者は、本来最初から神木の影響を受けないのよ。」
この力は神木の決定に対して正面から異議を唱えることができる特異な力で、神木の意志とは別の意志で生殺与奪の決定を下す必要があることから、最初から神木の影響下に無い。逆に、簡単に影響されるようだと神木の独裁に陥りかねない。
従って、語りかける者に要求されるのは抜群のバランス感覚に加え、「何があっても動じない」意志の力が必要になる。
「と、いうわけで、語りかける者が神木に本名を知られるのはまずいことなのじゃよ。」
人は自分の本当の名で呼ばれるとどうしても反応してしまう。
それを防ぐために、それぞれの地域の『語りかける者』は生まれたときに役所に届ける名前の他に『自分の本当の名前』を持っているのが普通である。
「秋子さんにはそれがないんです。だから、紡ぐ者との交渉の時にどうしても不利で、そうなると私達妖狐が狩るべき命が神木の気分によって左右されてしまうんです。」
妖狐として迷惑をかけられた、という思い以上に、真琴としてお世話になった、という想いが強いのだろう。
師匠への遠慮からそう説明したものの、真琴の言葉には力がない。
「それにしても、勝手に力を奪うなど言語道断じゃ。嬢ちゃんに残したものを奪い取るなど…。」
「取っていませんよ。」
不意に会話に入り込んできた声の主は、怒るどころかいつも以上ににこにことしていた。
「あっ!えっ!えっと、その…。」
一番聞かれたくない相手に聞かれた、と思った真琴は顔を真っ赤にして口ごもった。
秋子の後ろからついてきて、そんな真琴を見た春香は笑いながら、
「緊張しなくてもいいけど、ちょっと変化が甘いわね。そんなだとまた秋子に”おでん種”って言われちゃうわよ。」
と言って真琴の鼻をつついた。
少しだけ黒くなっていた鼻の頭が人の肌の色に戻る。
「お、おでん種?」
「秋子は昔から狐のことをそう言うのよね。」
春香は悪戯っぽい顔をしながらそう言った。
言われた妹の方は軽く首を傾げただけだ。
「え?だって、狐は油揚げが好物なんでしょう?」
「秋子、それは言い伝えに過ぎないわよ。」
「そうじゃ。儂らはもともと肉食じゃ。」
春香とぴろは揃って秋子に異議を唱えた。
お稲荷様の狐は、油揚げが好きと昔から言われているが、実は狐が好きだったという油揚げは、ネズミを油で揚げたものらという説が有力だ。狐への供え物の由来は、お稲荷様の道案内をする狐へのご機嫌取り、と言われているが、そのためにわざわざネズミを揚げる人間も少ないだろうから、普通の油揚げで済ませた、と言うのが真実だろう。油揚げの色が狐の毛皮に似ているのも理由の一つとみえる。
「まぁ。それじゃあ、豆腐団子も良くなかったかしらねぇ…。」
「あ、お、美味しかったので、構わないです。」
真琴は歓迎会で食べた肉団子もどきと自分のテーブルマナーを思い出して顔を赤くした。
同時に、秋子がことある毎に『大丈夫』と声がけしてくれていたのを思い出す。
あれは真琴ではなく、自分…狐のままの自分に向かってかけられていたのだ。
「ところで、祐ちゃんは真琴さんと一緒に住むのはどうなの?」
「俺は散歩に行くっ!」
唐突な母親の混ぜ返しに、祐一は弾かれたように飛び上がった。
そのまま有無を言わさず部屋を飛び出す。
「あっ!待って。私も佐祐理の様子を見に行く。」
大急ぎで飛び出してきたのは、当事者ではなく、舞だった。
二人は『麻酔の準備が始まる前には戻るのよ』という、おおよそ母親らしくない春香の声に送られて部屋を出ていった。
病院の待合室は一階にあることが多く、一階は人通りが多い。
患者を搬送するのにいちいち人通りの多い一階を経由しなくても良いようにするには、幾つかの階に棟と棟を結ぶ連絡通路を設ける必要がある。
倉田総合病院のA棟とB棟の間には1,3,5…と隔階に連絡通路が設けてあるが、C棟は特殊な棟なので3階にしか連絡通路がない。
二人は今、三階を目指すエレベーターの中にいた。
「秋子さんがそんなことをしていたなんてな…。」
祐一はぽつりと呟いた。
おっとりしているように見えて大胆なことをする。
「それだけ名雪さんのことを大事に思っていらっしゃるってことですね。」
舞はそう言ってにっこり笑った。
瞬間、祐一は自分が置かれている危険な状況に気がついた。
舞は、綺麗だった。
もともと鼻筋の通った綺麗な顔立ちなのだが、今の舞にはそれに加えて表情を豊かに変えるだけの余裕がある。
彼女の視線を受けた世の男性は、どれだけ心拍数を上げるのだろう?
その上昇度は殺人的なので、彼女の笑顔はもはや凶器だ。
「さ、佐祐理さん、大丈夫かな?」
微笑み殺されては堪らない。
祐一は舞から視線を逸らすように、頭上で光るエレベーターの階数表示を見ていた。
「佐祐理は我慢強いから…あれを食べても吐き出さないように頑張っちゃったのね。」
「そっか。…舞も、その、何だ。小さい頃から神木の実を食べたりしてたのか?」
舞はいつもより饒舌に親友の性格や倒れてしまった経緯を詳細に説明してくれる。
彼女自身が自分の変化に気づいていないためだろう。余りに無防備に魅力を振りまいている。
余り思い出したくない味ではあるが、共通の話題の方が幾分気楽に話せる。
「ううん。昔はそんなことをしなくても良かった。」
そう言うと、舞は静かに俯いた。
話しかけられても緊張するが、黙られても気まずい。
祐一は落ち着かない気分を隠すように、ひたすら階数表示に集中する。
エレベーターは、壊れているのではないかと思うほど、ゆったりとしか動いてくれない。
「祐一……、もしかして、私邪魔かな?」
「そっ!そんなことはないぞっ!」
突然の舞の言葉に、祐一は飛び上がってきた心臓を飲み込みながら答えた。
確かに、今まで舞が一緒にいるにも関わらず、佐祐理ばかりに気を取られていたように思われていたかもしれない。
佐祐理に起きていた問題が大きなものであった所為もあるが、舞はそう言うことに拘らないだろうと甘えていた面があることは否めない。
祐一は必死に”全然邪魔じゃない”と繰り返した。
良かった、という舞の笑顔に照らされて、祐一の心に幸福感が沸き上がる。
これまでの舞が名月の煌めきだったとすれば、今の彼女はまるで太陽のようだ。
「う、うん。た、確かに佐祐理さんは可愛いけど、舞は…その、綺麗だし…。邪魔なんてことは全然ないぞ。うん。」
「え?」
舞は不思議そうに首を傾げながら、あたふたと慌てて言い訳をする祐一を見ていた。
何の前触れもなく、舞が弾けたように笑い出した。
「あはははは。違うよ、祐一、違う。ううん、嬉しいけど、そう言うことじゃあないの。」
じゃあ何だ、と聞き返そうとしたとき、エレベーターの扉が開いた。
先に立って歩き出した舞について行く形になる。
「おいおい、誰かに道聞いた方が良くないか?俺、この前来たとき迷って…。」
「地図がある。」
祐一の忠告を気にも留めず、舞は壁の一角を指差した。
そこには病院の見取り図がある。
祐一が迷ったのが馬鹿馬鹿しくなるほど、現在地から部屋番号、消火器の場所や避難路などが明記してある。
こんなものも自力で見つけられなかったのだから、如何に自分が世間知らずだったのかが判る。
(もっとも、あの時は名雪も一緒だったからな。)
名雪にもいつか世間の荒波という奴を教えてやらないといけないな、と祐一はちょっと父親の気分になる。
「あれ?間違ってるぞ、これ。」
祐一は地図の一部を指差した。
308号室の隣が310号室になっている。
「それは間違いじゃない。」
舞は笑いながら、9は苦、4は死を連想させるから無いんだ、と説明した。
ホテルや旅館などでも設けていないところもある、と追加の説明も加える。
「…そりゃおかしいぞ?9は寛ぎ、4は幸せとか、もっと良いことを考えればいいだけのことだろう?」
祐一は自分の世間知らずを棚に上げて、そんなことを言った。
「そんな風に考えられるのは祐一くらいだ。」
「逆に、5はご臨終とか3は散々とか、こじつければいくらでも出て来ちゃうじゃないか。要するに気の持ちようだろ?」
「祐一、うるさい。」
舞は祐一の脳天にちょっぷを喰らわした。
こういうところは昔の舞と変わりない。
「みんなが祐一のように前向きに物事を考えられるわけじゃないわ。まして、ここにいつまでもいたら気が滅入ってくるのはもう感じたでしょう?」
舞はそう言って祐一をたしなめた。
一般的に禁忌とされる数字を避けて、縁起を共有する。
そうすることで患者達が完治を信じて希望を持つことが出来る。
「そっか。」
祐一は今度は素直に同意した。
舞の勢いに押されたわけではなく、自分の経験に照らして納得できたからだ。
が、舞の方は祐一の心変わりをすぐには信用できなかったようだ。
「本当に判ってる?祐一、昔から意固地だから…。」
「判ってる判ってる。相変わらず舞の突っ込みは厳しいな。」
祐一のからかうような口振りに、舞は不機嫌そうに頬を膨らませた。
膨れる舞の表情はいつもよりも確かに綺麗で輝いている。
だが、その奥にある舞の素顔はいつものままだ。
それなら、恐れることは何もない。
「突っ込みじゃないってば。」
「へいへい。」
「違うってばっ!」
「ほいほい。」
むきになる舞をひらひらとかわす。
そう言えば以前にもこんなことがあったような気がする。
みんなが恐れる舞を引き連れて、楽しく歩いていたときがあったと思う。
それが出来るのは、舞の持つ力や上辺に囚われない、真に理解し合える友人だからだ。
祐一は窓の外を見た。
残念ながら、外の風景に見覚えはなかった。
思い返せば数週間前、ここに戻ってきたとき、『あ〜、帰ってきた』というあの独特の感じが無かった。
近代化された町並みは何処の街とも変わり映えがせず、開発されて山の形まで変わった風景には何の郷愁も感じられなかった。
だが、今。
こうして舞をからかってふざけあうやりとりに、何を意識しなくても自然に湧き上がる郷愁がある。
(いつだったのか、思い出せないのに…。)
祐一の頭を再びあの頭痛が襲う。
過去の一時期を思い出そうとすると起きる、あの頭痛だ。
だが、それを凌駕してやまない郷愁の念は、このやりとりがその昔確実にあったことを示している。
「祐一、佐祐理の所に行くよ。」
「あ、うん。」
舞に促されてようやく我に返った祐一は春なお遠き病院の廊下を、暖かい気分で歩き出した。
「そうか。だから、304も無くて303の隣が……。」
一瞬、その文字列が祐一の視界を横切った。
その後、祐一の目が305号室に向けられることはなかった。
病室の前には、その病室にいる患者の名前が書いてある。
祐一の目は302号室の名札に釘付けになっていた。
「あっ!」
壁をも劈く舞の叫びは、しかし、祐一の耳に届いていなかった。
「あゆ……月宮……あゆ…。」
見覚えのある名前を読みながら、崩れ落ちるように膝を折っていく祐一を抱きとめる腕がある。
走ってきたのだろう、息が切れている。
優しく祐一の身体を横たえながら、秋子はため息混じりに呟いた。
「間に合いませんでした…。」
「でも、おかげで麻酔をかけるのが簡単になったわ。」
姉妹の会話は、やはり、肉親の言葉と言うよりは看護婦のそれだった。
<続き>