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| 第22話 禁忌:Aパート | 目次 |
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1月23日 土曜日
こんこん、というノックの音に反応する。
まだ少し頭痛が治まらない感触はあるが、体調はそれほど悪くない。
祐一はゆっくり身体を起こした。
午後から全身麻酔をする予定なので起きていられる時間はもうほとんど無い。
人生最期になるかも知れない日を無駄に寝過ごしたくなかった。
「こんにちわ。」
静かな声とともに部屋に滑り込んできたのは美汐だった。
その後ろから真琴が顔を出し、真琴が手に持っていた手提げ鞄の中からぴろも顔を出す。
「気分はどうじゃ?」
「余り良くない。」
祐一は不機嫌そうに答えた。
実際、身体を起こしたら頭痛が一層激しくなったのだ。
「じゃろうな。」
ぴろは口の中でそう言ったつもりだったが、静かな病室の中ではそれが祐一の耳に届いたのも無理はなかった。
「ん?どういうことだ?」
祐一は訝しげに問いかけた。
とはいえ、ここは祐一の部屋ではなく、扉一つで一般に開放された空間だ。
いつ人が訪れるか判らない。
しかも、今ぴろが実践して見せたように、意外と声が響く。
そんな時には弟子が役に立つ。真琴はぴろを抱き上げ、美汐の肩に乗せた。
その耳元にぴろが囁きかける。
「お師匠様は、力のバランスが崩れようとしている、と言っております。」
美汐はぴろの言葉を祐一に伝えた。
面倒な方法ではあるが安全だ。
真琴が言っても良いが、普段からそう言ったオカルトめいたことを言っている美汐がそんな話し方をしている方が自然だ。
「それって、もしかして、俺の命を吸い取るとかそう言う奴だっけ?」
「似たようなもの、と言っております。吸い取ったものが違うだけで、力を吸収したという意味では同じだそうです。」
その結果、紡ぐ者の力が一時的に強まり、いつでも移動できる状態にあるという。
「移動?」
「はい。紡ぐ者は、今のところ力の供給源を絶たれているので、貯蔵されている力のみで生き延びるため、出来る限り生命活動を止めております。当然、移動することもままならなかったのですが、勝負を賭けてきたということらしいです。」
祐一の居場所が分かったら即座に飛んでくるだろう。
以前ならば網の目のように張られた情報網によって神出鬼没だったものだが、今の彼にはそれは出来ない。
だから、祐一の居場所を知るためには、祐一が運命を動かすことが必須条件だ。
「そうか。良かった。栞は助けられそうだな。」
祐一はにっこり微笑んだ。
手術前に命を奪われては何も出来ないが、運命を動かすためには手術が必要だろう。
栞が助かるかどうかは倉田次第、という点は変わりないが、最低でも手術には漕ぎ着けられそうだ。
そう考えると、祐一の頭痛も少し治まったような気がする。
「それにしても、どうして俺が命を狙われるんだろうなぁ……?」
祐一の呟きに、ぴろと真琴は困ったような顔で互いの顔を見合わせた。
真琴にぴろが首を振る。
「その件は、また後で、だそうです。」
「ん〜、…出来るだけ早くな。」
祐一はまたぶり返してきた頭痛に苦しみながら、そう答えた。
ぴろや真琴の顔が一層心配そうに沈む。
「それじゃあ、私は学校があるのでこの辺で……。相沢さん、頑張って下さい。」
「ああ、わざわざありがとうな、美汐……あ、待った。」
歩きかけた美汐を呼び止める。
「学校に行ったら、俺のクラスに行って北川って奴に伝言を頼む。」
”話をするのが手術後になってしまってすみません”って、北川の親父さんに伝えるように言ってくれ。
祐一のその伝言を聞いてぴろがほっとしたように頷く。
大丈夫、彼は手術の成功を疑っていない。
この手術で命を落とすとは夢にも思っていないようだ。
彼はやはり、最上級の”動かす者”であった。
「お邪魔しま〜す。」
佐祐理の元気な挨拶が部屋に飛び込んでくる。
頭痛に響きそうな大声でも不快に思わないのは、彼女がもたらしてくれる元気がそれを上回るほど大きいからだろう。
「やぁ、佐祐理さん。勉強進んでる?」
「おかげさまで。」
「嘘ばっか…。」
否定しようとした舞の口をすかさず塞ぐ素早さは、さすがに運動部だけのことはある。
どうして、と聞こうとしてやめておく。
佐祐理の笑顔の下から心配そうに祐一を見つめる瞳を掘り出したからだ。
今回の手術がどれほど困難で危険なものなのか、素人の祐一や栞にも判っている。
まして、医者の娘ならなおのことだ。
そしてそれこそまさに、佐祐理が無理をしてでも笑顔を作らなければならない理由でもある。
彼女がいつまでも不安そうにしていては患者に良い影響を与えるはずがない。
「駄目だなぁ。二次試験、もう少しだろ?頑張ってね。」
「は、はい。判りました〜。」
祐一の心配ばかりでなく、自分の進路についても心配をしなければならない。
特に今は正念場。
本来ならここにいるべきではないだろう。
それを身体で示すように、後ろからついてきた舞の方はさっさと勉強道具を広げている。
「あら、今日も早いわね。」
にこにこと笑顔を広げながら、バスケットを抱えた秋子が二日ぶりに顔を見せた。
当然のように、春香が後ろからついてくる。
「祐一さん、いよいよ明日ですね。」
「祐ちゃんの元気が出るように、お弁当作ってきたわ。」
余計に頭が痛くなりそうなことを言うな、と怒鳴りそうになって、頭痛が消えていることに気がついた。
あれほどの痛みが無くなったのに少しも気付かなかったのは、その痛みの消え方が余りに突然だったからだ。
「え〜、お弁当って、いつも祐一さんが持ってきている、あれですか?」
佐祐理は指をくわえながら、恨めしそうに秋子を見つめた。
「心配しなくても、あなた達の分もちゃんとありますよ。」
秋子は微笑みながらぱっとバスケットを広げた。
ベッドにいる祐一には中身は見えないが、春香が風呂敷を持っていることから類推するに、秋子が洋食、春香が和食を作って持ってきたようだ。
「わ〜…随分たくさん作ってきたわね?在庫あった?」
「この間お給金を頂いたんです。それで作りました。」
春香が感嘆の声を挙げると、秋子も嬉しそうに微笑む。
何か匂いの良いものを使っているようで、バスケットの中を見るまでもなく、良い薫りが容赦なく鼻をくすぐってくる。
二人の会話から、祐一は秋子がどこかで働いていたことを察して一安心していた。
迷惑をかけていたことには変わりないのだが、秋子の蓄えを減らしていたわけでは無さそうだ。
そんな祐一の気分を台無しにする、母親の一言。
「抜け目無いわねぇ。多分、それが最後の木の実よ?」
給金、という古風な言い方も気になるが、それ以上に春香の言ったことが引っかかる。
木の実、とはなんだろう?
「おふくろ〜。馬鹿なこと言うなよな。給料が木の実なわけないだろう。」
祐一は母親をたしなめるようにそう言った。
そう言いながら、同意を求めるように秋子の方を見たのは、やはり一抹の不安があったからだ。
そしてその不安は
「いえ、本当ですよ。」
という秋子の言葉で的中する。
”とても珍しいものですから”と、心底嬉しそうに笑う秋子に、もう怒る気力もない。
「…どこまでお人好しなんですか……。お金貰った方がいいに決まってるじゃないですか。」
そうすれば、珍しい木の実だろうがなんだろうが手に入る。
生活雑貨も買えるかも知れない。
だが、逆は成り立たない。
木の実は生活費にならないのだ。
「まぁまぁ。まずは祐ちゃんも食べてみたら?納得するから。」
春香に促されて、秋子はバスケットの中のものをとりだした。
一見普通のサンドイッチのようだが、それが普通でないことは、これまで何があっても集中力を保っていた舞が、その匂いで思わず顔を上げたことからも窺い知れる。
「舞ちゃんもどうぞ。久しぶりじゃない?」
春香の呼びかけにぶんぶん、と頷きながら近寄ってくる。
そうまでされると食べてみないわけには行かない。
祐一は礼を言いながらサンドイッチを一つ手に取った。
「いただきま〜す。」
佐祐理が大きな声で宣言する。
その声はとても朗らかだった。
どのくらい朗らかかと言えば。
サンドイッチといえばパンで出来ていること。
パンといえばジャムが付いていること。
ジャムといえば、あの、一口食べるだけで人間の本能が警鐘を鳴らすような形容しがたい味を持つ、秋子謹製の”あのジャム”である危険性が高いことを。
忘れさせるには充分すぎる、朗らかさだった。
「それで、佐祐理さんは大丈夫だったんですか?」
栞は目を丸くしながら祐一の話を聞いた。
あのジャムに予備知識がなかった佐祐理は、秋子の勧めを断り切れずに次々にサンドイッチを口に運び、突然倒れたのだ。
「あの味じゃあ気絶もするって。香里から聞いていると思うけど、栞も気を付けろよ。あのジャムだけは、秋子さんからいくら勧められても食べちゃ駄目だぞ。」
「気の毒にねぇ…。」
香里が心底同情したような声を出す。
ある種共通の認識を持つことが出来るようになるためか、互いの身を案じ合うためか、いづれにせよ、あの苦しみを味わった者はおしなべて仲が良くなる。
佐祐理にどこか警戒感を持っていた香里も今回の出来事ですっかり気を許してくれたようだ。
「判りました。食べないようにします。」
「ああ。そうしてくれ。蓼食う虫も好きずきっていうけど、あれは経験する必要はないぞ。」
と、言う割に、祐一も今回は首を傾げざるを得ない。
祐一自身もあの味を味わっているはずなのに、今回は佐祐理が倒れるまでそれと気付かずに結構自然に食べていた。
特に舞は、そのジャムがそれだと気付いてからも好んでサンドイッチを食べていた。
あのジャムには何か意味があるのだろうか?
「祐一さん。それでは、私は先に準備して待ってますね。」
栞はまるで遊園地にでも出かけるような口振りでそう告げると、するりとベッドを抜け出して立ち上がった。
術衣の裾がひらりと翻って、ほっそりとした足が露わになる。
栞は少しだけ顔を赤く染めると、入り口の所で祐一に向かって深々と頭を下げた。
「行って参ります。」
「ああ。また後でな。」
そう言われてはっとした栞は、少し潤んだ瞳で祐一を見つめた。
帰って来られない確率は祐一の方が高いというのに、自分を励ましてくれる……。
「ちょ、ちょっと。栞は時間だから、先に行ってなさい。」
妹の瞳に不穏な力を感じた香里は、如何にも不自然なタイミングで二人の視線の間に身体を入れた。
さもなければ栞が祐一に抱きついていきそうだ。
ちょっとしたクライマックスを邪魔された栞は不機嫌そうに頬を膨らませた。
背を向けていてそんな妹に気付かない姉は、祐一に向かって栞と同じように深々と頭を下げた。
「相沢君、この度は、本当にお世話になって……。」
「お姉ちゃん、そんな縁起でもない挨拶するくらいなら、早く行った方が良いと思います。」
栞は香里が挨拶を終えてすぐに、去り際のキスでも敢行していきそうな気配を読みとって、挨拶の中途で邪魔に入った。
そして、顔を上げた香里が不機嫌そうなのは栞の読みが当たっていたからだ。
「ちょっと栞。あなたはもう手術準備に行かないといけないって、自分で言ったじゃないの。」
「お姉ちゃんこそ、私に付き添ってくれる約束なのに、どうして先に行かせようとするんですか。」
「あたしは相沢君に栞のお礼を言わないといけないのっ。」
「私だって、祐一さんにお礼を言いたいんです〜っ。」
「あたしはお願いする立場だから先に言わないといけないのっ!あなたは手術が終わってから言いなさいよっ!!」
「私だって麻酔が覚めるのいつになるか判らないんだもんっ!」
む〜〜っという音が出そうな表情で向き合う二人は、昨日までの、まるで母娘を思わせるような仲睦まじい姉妹の姿からは程遠い。とはいえ、どちらかと言えば、この方が互いの力が抜けていて自然な感じがする。
「……どうでもいいけど、姉妹喧嘩は手術が終わってからにしてくれよ。」
祐一は目の前で繰り広げられる微笑ましい光景に苦笑いするしかなかった。
今の二人の気持ちをどちらも損ないたくない。
二人のやりとりには祐一に関する話は出ても、栞の身体に関する話は一切出ていない。
二人は今、手術の成功を少しも疑っていなかった。
<続き>