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| 第21話 失うもの達:Dパート | 目次 |
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「また?」
香里の声にもさすがに疲れが見える。
箱の中から次々に箱が現れて、とうとう小さな紙袋になってしまったのだ。
厳重に守られていた甲斐あって、紙袋はこれだけの雪の下でも水に濡れることなく納められていた。
「はっきり言えるのは、これを埋めたのは月宮じゃなくて相沢だって事だな。」
「そうね。間違いないわ。」
香里は苛立たしそうに頬を膨らませた。
短い付き合いではあるが、あゆが素直な良い子だと言うことは判る。
だが、目の前で繰り広げられる光景は明らかに”性格のひねくれた”人間の所作だ。
箱を開ける度に”外れ”だの”惜しい”だのと書かれた紙が入っていて、見ているだけでも神経が逆撫でされる。
香里は今すぐにでも病院に取って返して祐一の首を締め上げたい気持ちでいっぱいだった。
「さすがにこれが最後のようね。」
香里は小さな紙袋を丁寧に開いて、そっと中身を取り出した。
「なんだこりゃ……?」
北川は薄っぺらい金属を手にとってしげしげと眺めた。
あれだけ厳重にされていた割りに、中身はがらくただ。
「人形みたいね。おみくじについてくる…。」
香里の説明で、ただの金属だったものは北川の意識の中で福禄寿に変わった。
袋の中には更に一体、寿老人の人形が入っている。
「おみくじもあるわ…あら、大吉じゃない…。」
香里は納得がいった、と大きく頷いた。
つきみやあゆ、と書かれたおみくじには、「家内安全」の文字が、あいざわゆういち、と書かれた方には「長寿」の文字が見える。しかも、そろって大吉。
宝物にするには充分な動機だ。
「これで間違いないわね?」
香里が問いかけたとき、答える声は無かった。
「あれ……月宮さんは?」
「ちょっと……疲れたみたいです。」
北川に答えたのは真琴だった。
その手にはあゆの時計が握られている。
二人の手元を照らしていたのは、真琴だったのだ。
その背中には、すやすやと眠っているあゆがいる。
「あらあら…。でも、名前も書いてあるから、間違いないと思うわ。今日は帰りましょうか。」
香里はそう言って立ち上がった。
「疲れたら代わるから。」
北川が真琴にそう申し出る。
「大丈夫です。凄く軽いですから。」
真琴は笑顔で応えた。
だが、その心の中では、背中の軽さが伝える危険におののいていた。
「ま、復学したところで留年は間違いないな。」
「わ、わ、そんなこという人嫌いです〜。」
祐一はすっかり調子を取り戻した栞をからかって遊んでいた。
今の話題は栞が学校に戻ったら困ること、だ。
「栞もあゆと同じ高校にしておけば良かったのにな。」
「え?どんな高校ですか?」
きょとんとしている栞に、祐一はあゆの通う夢のような高校のことを話して聞かせた。
遅刻も試験も無い、行きたいときに行けばよい……。
「良いですね〜。」
そう言いながらも、栞は少しだけ迷うような素振りを見せた。
が、今の祐一にはその意味を正確に把握出来る。
「大丈夫だって。いざとなれば香里の方が栞のいる方に転校してきてくれるさ。」
祐一がそう言うと栞はぱっと表情を明るくした。
確かに、香里ならまず間違いなくそうするだろう。
「その高校、どこにあるんですか?」
栞はうきうきとした表情で問いかけてきた。
そうなるとこの付近の地理を知らない祐一はちょっと困ってしまう。
「え……っとぉ…判らないけど、この街のはずだぞ。」
祐一は記憶を辿りながら答えた。
一度だけ、あゆと一緒に登校したことがある。
あの時あゆが曲がったのはどこだったか…?
「まさか。そんなはず無いです。そんな高校ありませんよ。」
栞の興味は急速に薄れた。
祐一にからかわれたと思っているようだ。
「いや、嘘じゃないって。秋子さんだって……。」
「そんな高校あったら、お姉ちゃんだって最初からそこにしてたはずです〜。」
祐一の言葉に被せられた栞の言葉が、中途だった祐一の思考を打ち砕いた。
その通りだ。
栞が自分で探したならいざ知らず、あのしっかり者の香里がそんな”美味しい”高校を見逃すはずがない。
あゆの言った通りのカリキュラムなら、栞も香里も揃って”登校”出来るはずだ。
百歩譲って今年開校したのだとしても、彼女なら何をおいてもそこに転校していたに違いない。
祐一の頭の中は混乱に陥った。
「ごめん、栞。今日は帰るよ。明日また来るから。」
「あ、は、はい〜。」
祐一はよろめくようにして栞の病室を出た。
さっきから一つの記憶が祐一の頭蓋を破鐘のように叩いている。
秋子はあゆが『学校』としか言っていないにも関わらず、それが『高校』だと判っていた。
夜。
目を覚ました栞は寝返りを打とうとして、そしてそれを諦めた。
今までは一人だった。
だが今は、その手を握る人がいる。
両親から離れて暮らすことに決まったとき、ただ一人ついてきてくれた姉。
中学卒業後、姉と同じ制服を着て同じ高校に通いたかった、という呟きを聞き逃さず、秘密に校長と掛けあってくれた姉。
それが発覚して激しい叱責を受け、二度と妹と連絡を取らないことを条件にここに留まることを許された、と聞いたときは安心して涙が出た。
別れ際に姉から贈られたストールは今も大事な宝物だ。
それからは大人しく部屋に留まるようにしていたが、遠縁だという「神坂」が栞の好みそうなドラマのビデオを届けてくれるので退屈ではなかった。香里が「神に逆らう」という皮肉を込めてそう名乗っているのだろう、と薄々感じていたが、気付かない振りをしていた。
だが、あの日。
元気に外に飛び出していく人影を見た栞は、それと同じことが自分にも出来ると思って外に出かけた。
軽々と駆けていった彼女の足跡は既に見当たらず、栞は新雪の中を苦労しながら歩いた。
姉に予想外の拒絶を受けると、神坂の存在すら疑うようになっていた。
絶望的になって自殺すら考えていた。
それを実行しなかったのは何故だっただろう?
『明日必ずお見舞いに行くから』
『風邪治ったら学校で一緒に昼飯食おうな?』
そう誘ってくれた人が居たからではないか?
雪だるまを一緒に作ってくれた。
姉をここに連れてきてくれた。
そして今、自分を生き長らえさせるために命を賭けてくれている。
(あんな人がお兄ちゃんだったらいいのに…。)
いや。
今でも彼は「遠慮なくお兄ちゃんと呼べ」と言っている。
それとも、”本当の”兄になって欲しいのだろうか?
しかし、自分は彼が姉と結びつくことを想像できるだろうか?
栞は小さく首を傾げた。
胸の痛みは想像以上だった。
だから、今以上を求めるにはその先が必要になる。
もっと大事な存在へ。
もしかしたら、姉と競うことになるかも知れない。
(…ドラマみたいになってきました…。)
栞はにっこり微笑んだ。
偽りのヒロインはその仮面を捨て、真の幸福を掴むために羽を広げつつあった。
夜中に不意に目を覚ました香里は、隣に愛する妹の安らかな寝息を感じて胸を撫で下ろした。
たった一年違いの姉妹だったが、香里と栞は大きく異なる人生を歩んできた。
健康優良で快活だった姉と対照的に、栞は半死の状態で産まれてきた。
香里が幼稚園に通うのを羨ましそうに見ながら、栞は病院に通院した。
妹や弟が産まれた場合、姉や兄は親の愛情を取られることを恐れて喧嘩をするのが一般的だが、栞の通院に付き添ったのが母親ではなく使用人だったこともあって、香里の栞への愛情は母親が娘に対して感じるのとほとんど同等だったと言って良い。
栞の奇病が明らかになってからは、香里はますます栞に傾注していった。
病院の外の世界を知らない栞のために、小説や旅行記などをせっせと運び込んだ。
その中で栞が好んだのは、やはり、どんなドタバタ劇があっても結局はハッピーエンドに終わる「マカロニホームドラマ」だった。辛い現実から逃れるように、時々突拍子もないことを言い出す夢見がちな少女ではあったが、現実に対しても強い願望があったのだろう。テレビを置ける個室に移ってからは、検査のために見られないこともあろうかと、録画したりレンタル店に通ったりして栞の元に足繁く届けた。
栞を倉田総合病院に入院させる、と親が決定したとき、「一緒に行かせなければ栞のことをばらす」と脅迫まがいの恫喝をしたのが響いて、ここでの生活は地元での生活に比べて経済的にも家族構成的にも、とても寂しいものになってしまったが、栞がいればそれで良かった。
唯一心が痛むのは、友人を家に連れてくることすら出来ないことで、栞のことを親友の名雪にも話をしたことはなかった。
栞が入院させられてからは、栞の元に以前のようにドラマのビデオを届けることも出来なかった。
直接栞に会うことは危険すぎた。
栞の病室に行くためには名簿に名前を書かなければならず、名前を書けば証拠が残ってしまう。偽名を使うしかなかったので、それが親戚だと栞に認めてもらうため、それとなく判るような名前にしたつもりだった。
困ったことは他にもあった。
この辺りは放送局が少ない影響で放送時間がずれたり、遅れたりする上に、録画が出来なくてもそれを補えるレンタルビデオ店が無かった。
そこでテレビ局に勤める親がいる北川に頼み込んで、ドラマのビデオを手に入れたのだが、CMなどが入っていない放送局用の編集版だったため、それが栞のお気に入りになってしまった。
北川からそう言ったビデオを手に入れるため、人一倍勉強をする必要が出てしまったのだが、それでも香里は少しも面倒とは思わなかった。
もともと世話を焼くのは大好きだ。
可能なら栞の箸の上げ下げまで手伝ってやりたいくらいだった。
栞と会うことを禁じられている今では、あゆのように困っている少女を見ると思わず手助けをしてやりたくて仕方がなくなる。彼女が17歳にしては低すぎるあゆの身長を見てもさして驚かなかったのは、同じような体格の栞を見慣れているからだ。
(そうだわ…月宮さん…。大丈夫かしら?)
香里は、帰宅途中一度も目を覚まさなかったあゆを気遣った。
余程軽いのか、疲れたら代わる、と言っていたものの、真琴が北川に役目を代わる場面は訪れなかった。
だが、彼女の”大事な探しもの”を見つけだせたのは重畳だった。
目を覚ましたときの彼女の喜ぶ顔を見てみたいものだ。
それにしても、”長寿のお守り”とは、今の祐一にふさわしいものではないだろうか?
(彼…相沢…くん…。)
名前を心の中で呟いただけで、驚くほど体が温まった。
始めは変な人だと思うだけだった。
親友の従兄弟にして憧れの人らしいが、不思議な人だと聞いていた。
初対面の印象は”どこにでもいる普通の人”だったが、何一つ戸惑わせることなく、あっと言う間に”そこにいるのが普通の人”に変わっていた。
占いの件で名雪をなじったときには『気楽な立場の人はいいわね』とため息をついたものだった。
が、こうして振り返ってみると、自分はあの時から既に惹かれ始めていたのだろう。
今の香里は、『栞を助けて欲しい』という思いの陰に、『祐一に無事に戻ってきてもらいたい』という願いが育っていることに気付いている。
彼に『香里は栞の所に行かせないために、あゆの捜索を手伝っている』と誤解された時はとても辛かった。
あの時、『”暇”なら、手伝ってくれ』と言われたとき、思わず目を逸らしてしまった。
香里は常に暇ではない。
栞のためにビデオを集めたり、彼女が帰ってきたときのために授業のノートを整理したり、次の検査の時に時間を作るために課題を早めに済ませたり、と、栞のためにやらなければならないことは山とあった。
あの時それをしなかったのは、確かに”現実逃避”に他ならない。
それを指摘されたような気がしたのだ。
また、祐一は『お前がその気でも、俺はそうじゃない』と言い残した。
香里にはそれが『あゆは栞の代わりではない』と言われたような気がして目の前が暗くなったものだった。
だから、北川から「雪だるま作ってるみたいだぞ」と報告を受け、祐一の言葉が「栞に待ちぼうけを食わせるつもりはない」という意味に過ぎなかったと気付いたときには、腹が立って仕方がなかった。
腹いせのつもりで仕掛けた仕返しは、しかし、その何倍にもなって自分に跳ね返ってきた。
恩寵として。
(だから、彼のために出来ることをしなければならないわ。)
香里は唇を噛んだ。
身体を投げ出しても良い、と思ったが、やんわり流されてしまった。
それを少し残念に感じたのは、やはり自分が彼に惹かれているからだろう。
その祐一の反応に腹を立てることはなく、むしろより一層好きになってしまったようだ。
急いではいけない。
問題もある。
(名雪…困ったわ…。)
彼女の親友が彼を気に入っていることは痛いほど判る。
だが、何故彼女が彼を好きなのか、その理由を体感している今では余計に譲れない。
女の友情は脆い、と達観するには香里は余りにも繊細だった。
彼女が常に他人に見せている姿は精一杯の虚勢だ。決断の時にはいつもくよくよと悩むし、常に最悪の結末を考えて自ら更に悩みを深めてしまう傾向がある。それを”大人びている”と評してくれるのは他人だけだ。
そんな時、栞の存在がどれほど助けになることか。彼女が見せる”希望を信じて前向きに考える”姿勢が、如何に他人から”夢ばかりを見ている”となじられていたとしても、それを出来ない香里からすれば栞こそが希望なのだ。
香里はもう一度、世界で唯一人の妹に目を移した。
祐一の存在は、妹にもきっと良い影響を与えてくれるに違いない。
香里は微笑みかけて、そして息を止めた。
(…栞も彼に懐いていたらどうしよう…。)
彼女の”常に最悪の結末を考える”性癖は、しかし、今回は正鵠を射ているようだった。
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