| Canon 〜外典〜 | 前話 |
| by Ophanim | 次話 |
| 第21話 失うもの達:Bパート | 目次 |
-
「そうそう、そんな話もあったよな。」
「です〜。」
祐一は栞とドラマの話で盛り上がっていた。
内容的には陳腐この上なく、周囲に他の人間がいれば『どうしてそんな下らないことで笑えるんだ?』と疑問に思うほど、二人のテンションは異様に高い。
ともに手術を目前に控えた不安感の共有が多分に影響している。
何かを話していないと、笑っていないと、予告も無しに訪れるどうしようもない空虚感に打ち負かされそうだ。
そして、今は祐一がまさにそうだった。
「…やっぱり、少し怖いです…。」
栞が祐一の言いたかった言葉を口にしたので、思わず息を飲んでしまった。
思ってはいけない、と思うほど、信じなければならないと思うほど、逆方向に向かう感情に流されそうになる。
そして、それを口に出来る相手は、同じ死の恐怖に立ち向かっている同士でなければならなかった。
そんな安心感が栞の本音を出させたのだろう。
だが、祐一はそれを口にするわけには行かないのだ。
(結構辛い能力だな…。)
「そうか?手術できるってことは、もう治る一歩手前じゃないか。」
祐一は内心で苦笑いをしながら、努めて明るくそう言った。
だが、栞はゆっくりと頭を横に振った。
「違います〜。私じゃないです。」
たは、と小さく笑いながら、そんなことを言う。
その先を聞かないように、と目を逸らしたが、栞の声は容赦なく祐一の鼓膜を揺すぶった。
『祐一さんのことが心配なんです。』
「私は、小さい頃に自分の身体のことを知ってから、ずっとこうなることは覚悟していたんです。だから、辛い現実から逃げるように、ドラマに感情移入したり、自分は幸せなんだって嘘をついたり、反対に自分をもっと悲しい状況に置いたことを考えたりして、出来るだけ考えないようにしてきたんです。そうすれば、辛い現実もいつの間にか嘘になってくれるんじゃないかって、そう思っていたんです。」
だが、現実の存在感はやはり圧倒的だった。
ドラマや映画で充分気持ちを慣らしてきたと思っていたが、最後の年に入った途端に抑えが効かなくなった。
そして、あの日。
窓から外を見ていた栞の視線に、病院の外に向かって走っていく小さな人影が割り込んできたとき、栞は居ても立ってもいられなくなって、病室を飛び出した。倉田の寛大な措置もあって首尾良く外に出られた栞は、焦りを伝えたくて、あるいは、優しい言葉を求めて、姉に電話をかけた。
姉は冷たかった。
今までの姉からは想像も出来ない拒絶の言葉に、栞は虚構の世界に戻ることすら忘れた。
「あれは勘違いだったって、香里が言ってたぞ。」
「えぇ。もう、良いんです。姉の立場も考えずに突然かけた私も悪かったんです。」
栞は恥ずかしそうにそう言って頬を染めた。
その姿からは大手術を控えているとは、とても想像できない。
「ま、仲直りできたのは良かったよな。」
「えぇ。そのまま死んでしまうよりも、ずっと良いです。」
またそんなことを言って、とたしなめようとした祐一は、栞の真剣な眼差しに出会って言葉を飲み込んだ。
愁いを含んだその瞳は、抵抗を許さない力強さを持っていて、見れば見るほど逃げ場が無くなる思いがした。
「祐一さん。」
栞の呼びかけに逆らうことが出来ず、祐一はゆっくりと頷いた。
その無防備な祐一めがけて、栞は言葉を紡ぎだした。
「私、この手術、とりやめにして欲しいんです。」
栞の声は小さかったが、その言葉はとても重くて、受け止めた祐一は身動き一つ出来なかった。
もうすぐ真琴が何か暖かいものを持って戻ってくるだろう。
香里、北川、あゆの3人は、商店街の隅に設けられたベンチで一休みをすることにした。
名雪は今日は部活が終わっても何か大事な用事があると言っていたから、今日の捜索は4人だ。
「なぁ、美坂。この雪を除けながら探すのは気が遠くなる仕事だぞ?」
北川はすっかり火照った身体と冷たく凍るような指先を持て余しながらそう言った。
彼の視線の先には、形ばかり取り除けられた雪が山と積もっている。
しかも、場合によっては、今後たった今除けた雪の下をも探索しなければならない可能性がある。
士気が上がるわけがない。
「そうね…それじゃあ…。基本に戻って聞き取り調査かしらね…。」
香里はちらっとあゆの顔を見た。
あゆは申し訳なさそうに首を振った。
新しい情報は無い、という意味だ。
だが、香里は別段動じる様子もなくあゆに話しかけた。
「月宮さん。あなたが探しているものは、本当に落としたものなのかしら?」
その言葉に、あゆの目が大きく見開かれた。
その目にはどことなく恐れの色が混じっている。
「え?落としてないのか?」
北川は驚いて尋ね返した。
その声に非難の臭いが含まれていたとしても、北川を責めることは出来ないだろう。
何しろ今日でもう3日目だ。
商店街をぞろぞろと歩く様子を咎めるような奇異の視線に晒されたり、雪を掘り返している最中に散歩中の犬に吠えかけられたりした。何より、この寒い中貴重な時間を無駄に過ごした徒労感は筆舌に尽くしがたい。
「ち、違…ぼ、ボク…。」
あゆは早くも目を潤ませながら懸命に首を振った。
だが、それもすぐに止まり、諦めたように視線を落として項垂れてしまう。
何を言っても無駄だと、諦観しているようだった。
そんなあゆの様子を見た香里は慌てて首を振った。
「ううん、責めているわけでも、あなたが嘘をついているって疑っているわけでもないの。ただ、確認したかっただけ。」
押し黙ってしまったあゆを宥めるように、優しく肩をさすったり頭を撫でたりして機嫌を取る。
相手がこういう行動を取ったとき、香里にはどうすればいいのかはっきり判っている。
それは栞を相手に何度も繰り返してきたことだ。
その甲斐あって、あゆはようやく堅い口を開き、ぽつりぽつりと呟いた。
「ボク……無くしたんだよ。信じてもらえないかもしれないけど……間違いないんだよ。」
「だよなぁ。ここまで探して勘違いだったらそりゃあ…。」
罪悪感も手伝って、北川は、あゆが何を言っても出来るだけ明るく笑い飛ばすことに決めていた。
だが、その言葉さえ、香里の鋭い叱責に消されてしまった。
「ちょっと待って!」
その激しさに、再びあゆの身が固くなる。
あゆだけではなく、北川もまた驚きで身を固くしてしまうほどだった。
それほど、香里の言葉は激しく、また、希望に満ちていた。
「無くしたのと落としたのは凄く違うわよ?」
香里はあゆの頭を優しく撫でながら北川に説明した。
不思議そうに見上げるあゆに、”良くやったわね”と賞賛の言葉を注ぎかける。
「何だって?」
「だから、違うのよ。無くしたのと落としたのは…。」
香里は焦れったそうに物分かりの悪い北川をなじった。
だが、北川にも言い分はある。
「だけど、月宮さんは落としたって言って…。」
「言ってないわ。あの時説明してたのは相沢君よ。」
香里は探し物をしている二人に会ったときのことを思い出しながら言った。
あゆを高校生だと思わなければ、もっと簡単だった。
身長なりの小さな学年の子供だと思って話を聞いていれば良かったのだ。
その年代の子供達にはまだ語彙が少ない。
自分の言いたいことを全て表現することは困難だ。
だから、父親なり母親なりが”〜〜なんだよね?”だとか”〜〜したいのかな?”などと様々な言葉で誘導して本人の意思を確認することが多い。それを悪用すれば、子供の気持ちと自分達の思惑の妥協点を計ることも出来る。
香里は栞の”通訳”だった。
良くできた通訳になるにはそれなりの時間を要したが、今でもあの年代の子供の気持ちを正確に把握できる自信がある。
だが、通訳の腕が悪かったら、それは事実の誤認に繋がる。
「ねぇ、月宮さん。月宮さんは相沢君に何て言って探し物を頼んだのか、思い出してもらえる?」
香里は確信を持って尋ねた。
案の定、あゆは”捜し物があるから一緒に探して”欲しかったと言った。
「どう?北川君。今月宮さんは”落としものを探して”って言ったかしら?」
香里の顔は暮れ始めた空には関係なく明るくなっていた。
「似たようなものじゃないのか?」
「全然違うわよ。”無くしもの”と”落としもの”は違うの。いい?北川君が通学中とか帰宅中にノートを落とすのは、”落としもの”。喫茶店や家に置き忘れるのは、”忘れ物”。そして、『どこにしまったか判らなくなってしまう』のが”無くしもの”。」
だが、逆方向から見ればそれらを表現できる共通の言葉がある。
それが”探し物”だ。
「恐らく、相沢君が”落とした”と早とちりして”落とし物を探す”と思いこんだのよ。相沢君の所に行ったとき、彼は何か他のことを考えていたんだわ、きっと。」
香里には経験がある。
あの時、ただでさえ触れられたくないことを触れられて苛々していたために、あれほど大事に思っていた妹の声を聞き分けることが出来なかった。自分が逆の立場だったら世を儚んでしまいそうな言葉を浴びせられて、どんなにか心細かっただろう。
人はそれほど器用に出来ていない。
二つのことを同時に考えられるのは限られた人間だ。
きっと祐一もその時別のことを考えていたのだ。
”落とす”に関係する何かを……。
「もしもあたしの考え通りなら全て上手く説明できるの。例えば、そのスコップとか。多分月宮さんには漠然とだけど、埋まっているはずのものっていう感じがあるんじゃない?」
香里に話しかけられたあゆは、スコップを睨んで眉で八の字を作った。
返事を待つ香里に、あゆは
「ばくぜんって何?」
と問いかけてきた。
なんとなく、と言う意味だ、と説明すると、やっと首を激しく縦に振る。
「そうだよっ!うんっ!ボク、埋めた気がするよっ!!」
記憶の海にかかる雲が晴れていったあゆの顔は、満面に広がる笑顔で眩しいくらいだ。
「ほらね。”雪”に埋もれてるなんて言ったの、多分…いいえ、きっと相沢君よ。」
そう指摘する香里の瞳は希望に輝いていた。
それでも、北川には一抹の不安がある。
北川は恐る恐る口を開いた。
「なぁ……それが判ったのは良いとして…探すのが大変になっただけじゃないのか?」
落とし物なら、雪の中にあったとしても、少なくとも土の上にはあるだろう。祐一の判断は先入観があったことを割り引いても、常識的ではある。
案の定、あゆの顔に浮かんだ晴れ間は忽ちのうちに消えた。
それは北川を後悔させるには充分な笑顔だった。
だが。
もう一人の瞳からは輝きが消えない。
そればかりか、なお増したように思える。
「何言ってるのよ、北川君。全然逆よ。」
楽になったのよ、と香里は笑った。
「いや、でもなぁ…土の中にあったら掘るのも大変だし……。」
「確かに掘るのは大変だけど、探すのは楽になったわよ。」
香里は胸を張った。
ほどよくウェーブのかかった髪がそれに従って揺らぐ。
「だって、そんな大事なものを埋めるのに、何の目印も無しに埋めるはずがないでしょう?それも、ちょっとしたことで無くなったりしない、はっきりした目印よ。だからあたし達は月宮さんが残した目印を探せばいいのよ。」
香里は力強くそう断言した。
そこにいつもの強い彼女の姿を見つけて、北川は安心したように頷いた。
「ねぇ、あたし、ここに昔から住んでいる訳じゃないから…。北川君、この辺りに昔からあるもので、目印になりそうなもの知らない?」
香里は周囲を見回しながら、北川に問いかけた。
「さぁ?俺だって覚えてないよ、そんな昔のこと…。月宮さん、知らない?」
北川は返答に困ってあゆに返答を求めた。
確かに北川は香里よりも前からここに住んではいるが、その当時は知り合いも少なくて外を出歩くこともほとんど無く、従って人がどんな場所で待ち合わせるかなど知る必要がなかったのだ。
「え?ボク?」
あゆが驚いて目を見開いた。
「馬鹿ねぇ。それが判ったら最初から無くしてないわよ。」
香里が呆れてため息をついた。
思い出せないあゆの代わりに他の人間から手懸かりを得られる可能性があったのだが、これではどうにもならない。
折角掴んだ進展のきっかけを失って、さすがの香里も途方に暮れてしまった。
<続き>