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| 第20話 海の向こう:Bパート | 目次 |
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1月 21日 木曜日
どたばたした1日がようやく半分過ぎた。
朝、学校に行って事情を説明すると、校長が何も言わずに握手をしてくれた。
祐一が何も言わなくても、期末試験の免除や補修授業の手配、来季の学費減免措置など、祐一の予想以上に手厚いアフターケアが取られた。
校長は栞の病気のことは知っていたらしい。
倉田との間に何か約束があったのかもしれない、と祐一は考えた。
祐一は健康診断を受ける関係で食事をとれないため、名雪や佐祐理、舞を置いて一人で下校してきた。
家には真琴が一人で留守番をしていた。
「あれ?秋子さんとあゆは?」
「お昼ご飯の準備をするためにお買い物に行っています。」
あ、そ、と軽く答えて部屋に戻ろうとした祐一は、不意に違和感に気がついて階段を踏み外した。
真琴が丁寧語を使えている??
祐一は大慌てでリビングに戻って真琴の額に手を当てた。
「どうなさったんですか?」
「どうって……熱は無いな?お前、何か変なもの食ったか?」
「食ったというより食わせたな。」
ぴょこ、と真琴の頭の上にぴろが顔を乗せた。
その手には綺麗な琥珀色に輝く珠が握られている。
「あ、そうか。黒琥珀の力をやったのか、お前。」
「そういうことじゃ。苦労したぞい。何しろこやつ、なかなか一人にならんし、儂のことも覚えておらんから儂を捕まえて暴れるしな。」
にっこり笑うぴろの下で、真琴が申し訳なさそうに俯いた。
祐一は呆れたような顔でぴろを見下ろした。
「…あのな…お前が一回人間に化け直せば済む事じゃあなかったのか?」
「あ……。」
祐一の余りに適切な指摘にぴろは口を開けて呆けたような顔を作った。
自分の苦労は何だったのか、とすっかり放心しているようだ。
そんな師匠を頭に乗せたまま、真琴は呟くように切り出した。
「すみません。…やっぱり、先生の言った通り、あたしには何も出来ませんでした……。」
真琴の目に涙が浮かんだ。
悲しいとか口惜しいとか、そういう類の感情を凌駕する無力感。
それが真琴の心を支配していた。
ぽん、と肩に手を置かれて、真琴は顔を上げた。
「…まぁ、過ぎたことはいいだろ?それはそうと、何が起きたのかくらいは話してくれるだろうね?」
肩に置かれた祐一の手の温かさを感じて、真琴はまた涙を加えた。
変化の講義を受けている最中に、空気が震えた。
空気が懐かしい薫りを運んできた。
帰ってきたんだ。
そう思った。
あの人が、帰ってきた……。
楽しかった想い出が泉のように湧きあがり、それに続いて悲しみの薫りがその強さを増した。
だが、行かなければ。
帰ってきたのならば、行かなければならない。
そして、彼女の無事と危険を伝えなければならない。
それは自分にとって命を懸けたものになるかも知れない。
彼が相手にしたものは途轍もなく大きな存在だ。
自分のような小さな存在は目にも入らない。
触れるだけで消されてしまうかも知れない。
それでも。
「行かなくちゃ…。」
思わず武者震いが出た。
彼を助けるためならば、たとえこの身が滅ぶとも…。
「何しに行くと言うのだ?」
変化の講義をしていた先生が首を掴んだ。
その問いかけで、先生も誰が来たのか気付いているらしいと判った。
引き戻されながら、嬉しくなる。
彼はそれほど大きい。
「今のお前に出来ることなぞ無いわ。」
先生の否定は優しさの現れだった。
その通りだ。
未熟な今の自分に何が出来るというのか?
今行っても、彼は自分を覚えていない。
彼と話すことさえ出来ない。
だけど、行きたい。
行ってまた撫でられたい。
一緒に遊びたい。
彼の力になりたい。
力が及ばなくても、一緒に立ち向かいたい。
意を決した。
一度だけ、不完全ながら人に化けられたことがあった。
あの時は半信半疑だったし、気持ちも不安定だった。
今は違う。
主と決めた人を守らなければならない、という使命感に燃えている。
今なら何とかなるかも知れない。
首にかけられた手に目がいった。
かぷっ!
力一杯噛みついた。
先生の手が解ける。
今だ!
必死に変化の呪術を用いた。
頭が真っ白になった。
肝心の使命を忘れるほど……。
意味も判らず惰性で走り続けた。
町の灯が遠くに見えていた。
「まぁ、そういうわけでものみの丘を飛び出したこやつを追いかけるのが遅くなった訳じゃ。」
ぴろはそう言って祐一に手を見せた。
目を凝らしてみると、確かに毛が生え揃っていない部分があるように見える。
だが、それも言われてみれば、という程度だ。
が、ふと思いついたことを口にしてみた。
「それは…舞に治してもらったのか?」
「その通りじゃ。儂がこ奴を追ってようやく町の見えるところまで来たとき、抗う者に出会ってな。狐の姿のまま運ばれてしまったんじゃ。じゃが、儂のことが判らんようじゃったから、運ばれた先で猫に化けて治してもらったんじゃよ。」
そんな余計なことをしなくても舞だったら治してくれたんじゃないか、と祐一は苦笑した。
しかも、話を聞いていくとそこに一緒にいたのはどうも佐祐理らしい。
それならなおのこと、狐のままでいても無事に山に返してもらえただろう。
そう話すとぴろはまた口惜しそうに口を歪めた。
「なんと…そこでも時間を無駄にしておったのか…。じゃが、その時の抗う者は本当に力を失っておったが……。」
彼女が持っていた木剣は申し訳程度にしか輝かなかった。
あれでは治療に集中している間、他の者の存在を感じることは出来ないだろう。
もはや彼女も長くないな、可哀想に、と思っていた。
それが今ではぴろ自身が彼女の存在を感じられるほど強い力を発揮している。
一体何が違っているというのか……。
不思議そうに首を傾げていたぴろは、ぽん、と手を叩いた。
「そうか!お主じゃな?お主、何か言うたであろう?」
「俺が?」
「そうじゃ。」
祐一は驚いてぴろを見つめた。
舞に何か言ったことがあっただろうか?
「……会ってすぐに、か…。」
祐一は舞と会った日のことを思い出してみた。
”会わせる顔がない”
舞はそう言って俯いていた。
初対面だと主張する祐一に対して、木剣を祐一に渡して『刺しても殴ってもいい』などと物騒なことを言った。
そして…。
「許してくれるのか。」
「ん?」
祐一の言葉にぴろが首を傾げた。
それには構わず言葉を続ける。
「あいつは『許してくれるのか?』って言った。俺は『許すも何もない』って言った。そのことか?」
「…ふむ…まぁ、そうじゃろうな。お主は判らんじゃろうが…。」
ぴろは納得して満足げに頷いた。
取り残された祐一は面白くない。
面白くないのでもうしばらく考えてみることにした。
『相沢、祐一、動かすもの』
そう、祐一はその時初めて自分の称号を聞いたのだった。
そして舞と10年前に初めて会ったことを聞かされ、舞をちゆと呼んでいたことを思い出したのだ。
(ん?)
祐一は思わず首を傾げた。
予想よりもはっきりと思い出すことが出来ている。
それはその逆よりも喜ばしいことだ。
だが今はそれ以上の意味を持っている。
(あの時、俺は何故自分が”ちゆ”と呼んでいたのか思い出せなかったはずだぞ?)
それがいつの間にか思い出せるようになっていた。
佐祐理に”ちゆって何ですか”と聞かれたとき、自然に答えていたではないか。
いや、それだけではない。
ここに来た時は昔のことを思い出すことが出来なかったのに、次第に以前のことを思い出せるようになっている。
だが、過去のある一時期のことを思い出そうとすると、気分が悪くなったり眩暈がしたり、気絶して病院に運ばれたりしてしまう。
そこに何があったのか?
考え込んでしまった祐一の腹がぐ〜と鳴った。
「うわ、さすがに腹減ったな。」
「うお?お主、全く学習しておらんな?」
ぴろは苦笑しながら祐一を見た。
真琴もつられてくすくすと笑う。
「どういうことだよ?」
「祐一は動かす者なの……ですよ。」
思わず普通に話しかけてしまった真琴は決まり悪そうに語尾だけを変えた。
祐一は苦笑しながら真琴に”調子が狂うから今まで通りにしろ”と言った。
「つまり、お主が自分で”腹が減った”と言えばますます腹が減ったように感じる、ってことじゃ。」
ぴろの説明で祐一は納得したように頷いた。
”自殺は身体に悪い”のだ。
「でも、力を悪用されないためには、このくらい素直な人でないと駄目なのかも知れませんよ。」
真琴がぴろに同意を求めると、ぴろは力強く頷いた。
「その通りじゃ。お主の言葉は口にされた瞬間から力を発揮するからの。」
その時の想いが強ければ強いほどその効果が高い。
それには心が素直でなければならない。
「なるほど、言霊って奴か?」
「その通り〜。」
突然背後から懐かしい声が聞こえてきた。
いや、声自体は昨日一昨日から聞いているから懐かしくないのだが…。
「こら、どうやって入ってきやがった?」
「玄関の鍵持ってるもん。」
ぷ〜、と頬を膨らませる表情には、どことなく従姉妹に似たものを感じてしまう。
妙なところで血の繋がりを感じて、祐一は思わず微笑んでしまった。
その笑顔を見た春香は安堵のため息をついた。
自分の判断は正しかった。
祐一をここに預けたことで、彼は本来の優しさや強さを取り戻しつつある。
そうなるとあの事件を引き起こした力も蘇ってしまうが、今の彼なら大丈夫ではないかと思える。
そんな余裕のある笑顔だった。
「一体どこに住んでるんだ?」
再会の喜びを押し隠して出来るだけ不機嫌そうに言ったつもりだったが、全くの部外者である真琴の目にも祐一が微笑んでいるのが判った。
「う〜…そこの角を曲がってちょっと行ったところ。」
「同じ町内かよっ!」
祐一は飛び上がって文句を言った。
居候する必然性は無かったわけだ。
祐一の脳裏に転校してきてからの冷やかしの日々が蘇った。
同棲疑惑…いや、実際にそうなのだが…をかけられ、脅迫まがいの勧誘を受けて陸上部に入らされ、クラス代表として舞踏会で踊らされ……。
「その全てがなにがしかの救済になっておるんじゃろ?」
驚いたことに、ぴろは春香の前でも平然と言葉を口にした。
そして、春香も別段驚くこともなくそれを受け止めている。
「そうなのか?…そうとは思えないんだが……。」
「お主は既に抗う者を助けている。儂が会ったときのままではあの者は長くなかった。お主が”許す”と言ったから生き長らえたのじゃ。」
そうなのだろうか?
全く気がつかなかったが…。
だが、確かに最近の舞は再会した頃に比べて明るくなってきているような気がする。
そう言えば、記憶の中の舞はもっと元気だった。
これからもっともっと明るくなってくれるのだろうか?
微笑んでくれるのだろうか?
だとすれば、嬉しい。
自分が人の役に立つのなら、嬉しい。
「そうか……だったら、俺が栞を助けるのも自然なことだな?」
祐一はそう言って自分を勇気づけた。
人のために使えるものなら怖くないし、勝算が増えるのは良いことだ。
「まぁもっとも、抗う者が死にかけたのは……。」
ぺしっとぴろの口が閉じられた。
春香がにこやかにぴろの頭を叩いていた。
「余計なこと言うとお仕置きしますよ。」
ぴろの顔があっと言う間に固まる。
真琴も神妙に首を引っ込めていた。
「ふ〜ん……ひぃふぅみぃ…4人は多いわよね……。」
春香は天井を見上げながらそう呟いた。
祐一はそれが何を意味するかすぐにぴんときた。
「そう言うこと!だからとっとと俺を連れてけ!」
もともと二人暮らしの所にあゆ、真琴、祐一と居候が増えて子供が4人になっているのだ。
しかも、祐一には元々居候の必要がなかったとなれば、祐一は速やかに辞去するべきだろう。
「う〜ん…でも、秋子が嫌がると思うし…。」
「そう言う問題じゃねぇっ!」
いくら血縁とはいえ、年頃の息子を同じ年頃の従姉妹と同じ家に住まわせて平気でいる親が何処にいる。
……まぁ、ここにいるのだが。
「う〜。」
「う〜、じゃねぇっ!退院したらそっち行くからな。準備しとけよ。」
春香の一瞬目が丸くなり、それから嬉しそうに頷いた。
笑ったその目は従姉妹のように細かった。
<続き>