Canon 〜外典〜前話
  by Ophanim次話
 第19話 運命の舞踏会:Bパート目次





 おおおおお、という地響きが体育館を揺らした。

 珍しく一年生の間でペアが成立したらしい。

 祐一の予想に反して、舞踏会は公開処刑のようなものではなく、実に紳士的なものだった。

 上手く行かなかった男子生徒には慰めの言葉がかけられ、逆に今のように首尾良く行った場合には惜しみない賞賛と祝福の嵐が巻き起こる。

 (それもそうか。)

 祐一は一人納得した。

 それが余りに悲惨なものだったらとうの昔に廃止されているだろう。

 そうならないように努力した結果、受けを狙っても許されるような緩やかな統制と、派手な衣装で非日常を演出して勇気を引き起こさせる仕組みに洗練されていったに違いない。

 ただ、各クラス一名以上という条件はいただけない。

 これが昨年久瀬が生徒会長に就任してからの制度だと聞いて、祐一は怒りを通り越して呆気にとられた。彼がこの舞踏会の主旨を理解していないのは明らかだった。だが、今はそれを利用させてもらう。

 祐一は自分の番が来て立ち上がった。

 前の人間が首尾良く行った結果、今体育館の中央ではスポットライトに照らされた二人によるダンスが行われている。

 ダンスといっても正式なものではなく、二人で軽く抱き合ってくるくる回る程度のものだ。

 音楽が続く間ずっと回り続けなければならないのなら大変だろうな、と祐一はくすくす笑った。

 「だ、大丈夫ですか?」

 係りの者が驚いて祐一を見る。

 緊張の余りおかしくなったと思われたのだ。

 「いえ、大丈夫です。ただ、楽しみなだけです。」

 「…そうですか、羨ましいですね。」

 祐一の言葉を額面通りに受け取った係員は微笑みながらそう言った。

 否定するのも面倒なのでただ頷いておく。

 会場の照明が落とされた。

 いよいよ祐一の出番だ。

 司会の男が祐一の名前を呼び上げたとき、会場の反応はこれまでよりも少なかった。

 ”誰?”という声がそこかしこから聞こえてくる。

 (転校してきてから、まだ10日くらいしか学校来ていないからな。)

 無理もない。

 まぁその方が狙い通りに行くだろう。

 祐一はリラックスした風情で壇上に上がった。

 「こんばんわ。」

 祐一は挨拶に続いて簡単に自己紹介をした。

 会場を渦巻いていた疑問の渦が納得と好奇心の波に押し潰されていく。

 彼は誰を選ぶのだろう?

 いや、きっと従姉妹に決まっている。

 部長に決まっている。

 そんな様々な想いが交錯する中、祐一は司会の声を待った。

 「それでは、相沢祐一さん、最初に踊る女性を一人ご指名下さい。」

 ざわついていた会場がしんと静まりかえった。

 祐一は背筋をピンと張って迷わず宣言した。

 「美坂香里さん。」

 会場にはさっきまで以上に様々な想いが交錯していた。



 「さぁ、相沢さんの指名は美坂香里さんです。美坂さん、お誘いを受ける場合は壇上へどうぞ。制限時間は3分です。」

 祐一が相手への想いや切々と語られる心の内、冗長な誉め言葉などを一切省略して名前だけを挙げたため、かなり長い制限時間が与えられた。

 そんな時間を待つまでもなく、顔を真っ赤にした香里が階段を上がってくる。

 勘違いした観衆が祝福の声をあげていた。

 祐一は会場の端を見やった。

 従姉妹が苺ケーキを口にしたまま固まっていた。

 その奥の方に黙々と食べ続ける舞を見つけた。舞の隣にはいつものように佐祐理がいてこちらを見ていた。ドレスを着た二人は光り輝いていて、壇上からでもその表情まではっきり判った。佐祐理の顔は自分の出番を待って少し緊張気味だった。

 「ちょっと。」

 声をかけられて祐一は我に返った。

 目の前には顔を真っ赤にした香里がいた。

 勿論、怒りで。

 「ああ、香里か?どうしたんだ?」

 祐一は呑気な声を出した。

 その態度に香里がますます顔を赤くする。

 勿論、怒りで。

 「おめでとうございま〜す。

 司会の明るい声が響く中、二人は見つめ合っていた。

 一人は怒りに燃える目で。

 一人はこの上なく面白そうな目で。

 「どうしたんだ、じゃないわよ。相沢君、あんた、何てことすんのよ。これで仕返しの仕返しでもしたつもり?馬鹿じゃないの?あたしが来なかったらどうする気だったのよっ!

 司会に聞こえないように注意しながら、香里は怒りの言葉をぶちまけた。

 さりげなくクラス委員として祐一を任命した責任感でここにいる、という言外の意味を含ませている。

 祐一も同じように囁き返した。

 「そんなつもりはないよ。俺は本気で美坂香里を呼んだんだ。」

 香里の顔に怒りとは別の色の赤が混じった。

 「ば、ば、馬鹿なこと言ってると蹴るわよ?な、なんであたしなんか…名雪はどうすんのよ?」

 香里は罰が悪そうに後ろを振り向いた。

 苺ケーキの横には人だかりが出来ている。

 祐一も知っている顔があるからあれは陸上部員だろう。

 どっちにしろ明日からの部活は大変そうだ。

 「名雪は関係ないだろう?」

 祐一は人だかりの中で名雪がどんな顔をしているか見てみたいと思った。

 「あの…、恋人同士の語らいはそのくらいにして、そろそろ踊っていただけないものでしょうか?」

 司会が恭しくそう申し出た。

 祐一は司会の方を振り返って尋ねた。

 「今何分だ?」

 「は?」

 司会は祐一の言葉の意味が判らずに首を傾げた。

 「今、何分経った?」

 祐一はもう一度同じ質問を繰り返した。

 「2分ばかりですが…それが何か?」

 赤かった香里の顔が急激に青ざめる。

 祐一は香里が引き返さないよう、素早くその手を取った。

 「まぁ、待てよ。香里。お前も見たいだろう?同姓同名の美坂香里をさ。」

 「も、もう、来ないかもしれないわよ?ほら、あたしが勘違いしてここに来ちゃったから。」

 祐一と香里の会話を聞いた司会が合点がいったように会場に声をかけた。

 ”もう一人の美坂香里”は現れなかった。

 「ひょっとしたら、今日は休んでいるのかもよ?」

 「そうか?じゃあ、諦めて俺と踊れ。」

 「そ、そうねぇ…あは、あは。あたしって時々先走ってしまうから…。」

 祐一は足が震えている香里の腰を持ち上げるようにして会場の真ん中に移動した。

 力が抜けている香里は運びにくかった。

 「今日は名雪のためにビデオ録画したんだ。」

 踊りながら耳元でそう囁く。

 香里の腰は折れそうなほど細かった。

 「そ、そう。仲が良いわね。」

 「ドラマ、まだ続いてるんだよな。」

 香里の顔が引きつる。

 動きが止まりそうな香里を、祐一は強引に振り回した。

 「栞は最終回を知っていたなぁ…。」

 「そ、そう?誰かしら?」

 「お前は北川から見もしないドラマのビデオ借りたよなぁ?」

 香里は思わず祐一から視線を逸らした。

 祐一はそれを誤魔化すために香里をしっかり抱き締めた。

 柔らかい身体に一瞬どきりとするが、構わずその耳元に囁き続ける。

 「栞にお前のことを話したとき、同姓同名の姉がいるだけだ、と答えた。」

 「ほ、ほら。ね。」

 香里は安心したような微笑みを顔に浮かべた。

 その瞬間を逃さず香里の身体を回転させ、再びしっかり抱き留める。

 沸き上がった歓声に紛れて耳元に口を付けて囁く。

 「だけど、この間雪だるま作りで会ったとき、そんな名前の知り合いはいない、と答えた。何か隠しているのは間違いないんだよ。」

 「そ、そう?でも、それってあたしじゃないわよ。」

 香里は泳ぐ目を誤魔化そうと上を向いた。

 祐一はそれにあわせて体を離し、香里の身体を突き放した。

 手はしっかり繋がれていたのでまるでダンスをしているように香里の身体が一瞬上を向く。

 驚いて身体を起こそうとした香里の腕を引っ張って再び抱き留める。

 ふにゅっという感触がしたが、香里はそれどころではないようだ。

 「強情言ってると協力しないぞ。」

 一見見事なダンスに会場が大いに湧いている。

 だが、香里の頭の中にはそんな祐一の声が頭の中で響いていた。



 「後輩達にからかわれると部活するときだって大変だろ?何たって名雪は部長さんなんだからな。」

 「う〜、…うん…。」

 祐一は名雪に表面的な事情を説明した。

 その隣には顔を紅潮させた香里が立っている。

 「そ、そうなのよ。だから、相沢君はあたしがクラス委員権限で指名したから、自分に恥はかかせないだろうって。」

 「うん。そうだね。」

 名雪は笑顔で頷いた。

 ほっとする香里の顔を見られないように、祐一が素早く間に入る。

 「まぁ、そう言うわけで俺達は残らないといけないけど、名雪、先に帰ってるか?待ってるか?」

 成立したカップルは記念写真を撮るらしい。

 そんな条件は知らなかったが、その辺は香里の自業自得だ。

 「私、もう眠いから帰るよ。」

 名雪は欠伸をしながらそう言った。

 苺ケーキをお腹いっぱい食べられてとても満足そうだ。

 これは部活を引退したら食餌制限だな、と祐一は心に決めた。

 祐一達が作り上げた大きな雪だるまの前は照明もロマンティックでそちらに人だかりが出来ている。飾り付けのない中庭は寂し過ぎて、今日のような日でさえ愛を語るには使われていない。

 自分達の行動がもたらした予想外の効果に感謝しながら、祐一は香里を連れて人気のない中庭に移動した。

 「で、相沢君の作り話には続きがあるの?」

 香里はなおも自分の優位を信じているふりをした。

 そうでもないとすぐに陥落しそうだった。

 「1月8日金曜日。」

 ぴくり、と香里の頬が動いた。

 祐一は構わず続けた。

 「1月13日水曜日。どっちも栞の検査の日だ。お前はかなり急いで帰ったよな。」

 「そ、そう?偶然ねぇ?」

 香里は髪を掻き上げながら答えた。

 足は震えていた。

 寒くはなかったのに。

 だが、祐一の次の言葉は更に香里の全身を震わせた。

 「神坂理緒。」

 「あっ!

 香里は思わず開いてしまった口を隠したが、充分に手遅れだった。

 祐一の顔に満足そうな笑顔が広がる。

 「栞に本やビデオを差し入れしてくれる親切な女性だ。栞が見たがっていたドラマのビデオとか…勿論、お前が北川から借りた奴だよ。」

 「へぇ。親切な人じゃない。」

 「強情だなぁ…。まぁ、いいか。神坂は親族しか入れない集中治療室にも入れる。名簿に名前があった。」

 祐一は先日集中治療室に入らせてもらった際、栞の検査日に必ず訪れる女性の名前を見つけていた。

 しかも、栞に麻酔がかかってから入室し、麻酔から意識を取り戻す前に帰っていく不自然な行動。

 「え、へぇ。そうなの…。」 

 「”みさか かおり”の名前の方から”か”をとって名字の頭に持ってきて見ろ?”かみさか”だろう?残りを入れ替えると、どうなるかな?”りお”になると思うんだが?」

 祐一は香里に”神坂理緒”が栞に送った封筒を手渡した。

 ビデオが送られてきたときのもので、栞が大事に持っていたものだ。

 ミミズ型文字の解読に努めていた祐一にとって、その筆跡が香里のものと同じだと見抜くのに数秒もかからなかった。

 「そうかもしれないわね。でも、それはあたしじゃな…。」

 「香里。お前が理緒でないなら……。」

 「もういいでしょっ!

 香里は急に叫び声をあげた。

 それは普段の理知的な彼女からは想像も出来ないほど、ヒステリックな聞き取りにくい悲鳴だった。

 「判ったわよっ!でも、もう放って置いてよっ!相沢君っ!あんたの作り話は腹が立つのよっ!

 震えが全身に及んでいた。

 怒りの激情で包み込んだ深い悲しみが香里の心の平衡を失わせ、目から溢れさせていた。

 祐一は驚いて呆然と香里を見ていた。

 「どうしろって言うの?あたしが理緒って子でないならなんなのよ?あんたに何が判るのよっ!?

 香里は祐一の胸を突いて叫び続けた。

 祐一はしばらくの間香里のしたいようにさせておいてから口を開いた。

 「……俺には、栞の姉の優しさが判る。」

 香里は一瞬口を開けて、それから目を逸らした。

 その顎を掴んで自分の方を向かせておいて、更に続ける。

 「俺には、栞の気持ちが判る。栞の望みが判る。栞の好きなものが判る。」

 香里は首を振った。

 「そんなの、あんたに判るはず無い…。」

 構わず祐一は続けた。

 「俺には栞の病名が判る。」

 はっとして見上げる香里の顔を真っ直ぐに見つめ返しながら続けた。

 「俺には栞がどうすれば治るかが判る。栞のために俺が何をしなければならないかが判る。栞のために、香里が俺に何を頼まないといけないのかが判る。」

 祐一の声は香里の耳に全て届いているかどうか怪しかった。

 「まさか……。」

 「そうです。」

 悲しそうな声が香里の背中にかけられた。

 振り向いた香里は香里とは別の種類の涙を流している佐祐理を見つけた。

 「美坂さん。あなたが探していた、そして今は探すことを諦めていた希望が、そこにいる祐一さんです。」

 香里の足はその身体を支えることが出来なかった。

 崩れるようにその場に座り込んだ香里は、辛うじて手を伸ばして祐一にすがりついた。

 「お願い……栞を…助けて…。」

 「条件がある。」

 その言葉に一瞬身を固くした香里は、すぐに身体の力を抜いて答えた。

 「何でも……あたしに出来ることなら……。」

 祐一はにやりと笑った。

 「簡単なことだからな。」

 香里に出来たことは力無く頷くことだけだった。


<続き>


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