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| 第19話 運命の舞踏会:Aパート | 目次 |
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1月 20日 水曜日
朝、新聞を広げる前にTV欄を確認した。
例のドラマがある日だ。
同時に、舞踏会がある日でもある。
「遅くなるだろうからビデオ録画するか?」
祐一がそう言うと名雪は寝ぼけ眼を擦りながら喜んでくれた。
今日は舞踏会のある日だ。
祐一は朝から機嫌が、良かった。
午前中は一応通常通りの授業が行われたが、誰一人真面目に聞いていなかったと言ってもいいだろう。
みんなそわそわと落ち着かない様子だ。
下らない、だるい、つまらない、と表向きは不平不満を並べていた者達も、本音は楽しみなのだろう、いつも以上に落ち着きがない。
会場となる体育館は祐一や名雪がいつも使っているところで、祐一の席からは中庭に面する裏口だけが見えた。
そこを見る限りは、体育館はいつもと同じように見えた。
栞と名雪と三人で作った小さな雪だるまがぽつんと立っていた。
(もっと作れば良かったな…。)
祐一は視線を落とした。
これから始まることを考えよう。
そうすれば、気分が良くなる。
祐一は俯いたまま、口の端に笑顔を漏らした。
会場となる体育館を前にして、祐一は唖然として立ち尽くした。
これがいつもの体育館なんだろうか。
祐一は目を疑った。
確かに前日から丸一日かけて準備するなど、そういう雰囲気はあったが、ここまで完璧に手を施すとは…。
体育館に続く廊下には赤い絨毯が敷かれている。
寒々とした木張りの床には一面カーペットが敷き詰められている。
その上には真っ白なクロスを羽織った丸テーブルが幾つも並べられている。
壁際にはグラスを満載したテーブルや飲み物、食べ物が置かれたテーブルが設置され、その一つ一つに黒服を着た担当の生徒が立っている。
その場で調理をすることの出来る小さなテーブルも置いてあるが、その前に立っているのはさすがに本職の料理人だろう。
もっとも、それを準備することが既に常識外れなのだが…。
その間をちらほらと行き交う人々も皆、盛装に身を包み、談笑に時を忘れている。
もともと転校してきたばかりで顔馴染みも少ないのだが、見かけたような顔も着飾られると誰だか判らず、いつも以上に孤独を感じてしまう。
「相沢君。」
だから、そんな声がかかった時は嬉しかった。
祐一は香里の方に顔を向けた。
「お前らは制服でいいのか?」
香里は普通の制服だった。
名雪も同じようにいつもと変わらない格好だ。
「まぁ、普通の人は直前に着替えるのよ。あの人達はスタッフも兼ねているから早めに着替えているの。で、相沢君、あなた達クラス代表にも早めに着替えてもらうんだけど、あなた達は着替えてしまうと壇上で呼び出されるまで控え室にいないといけないからね。」
「それに、大抵の人は制服だよ。」
名雪は香里の説明が終わった後、ようやく祐一の質問に答えた。
良く考えたら、名雪も去年参加しているのだから佐祐理に聞かなくても名雪に聞けば良かったのだ。
だが、それがやりにくかったのは隣にいる委員長が余計な入れ知恵をしたからだ。
「あら?でも、踊る気のある人はドレスを着て来るわよ。名雪、あんた、去年みたいに苺ケーキの前から一歩も動かないつもりじゃないでしょうね?」
香里は呆れたように名雪を見た。
その視線の中に、不満そうに唇を尖らせる名雪がいる。
どうやら校内が色めき立つ舞踏会も、名雪にとっては苺ケーキ食べ放題のイベントに過ぎないらしい。
道理で舞踏会のようなイベントに無関心な名雪があんなに楽しみにしていたはずだ。
それと同時に、香里が名雪に余計なことを吹き込んでいないことが判って嬉しかった。
祐一はとても機嫌が良かった。
控え室に押し込められた祐一は佐祐理に借りたスーツに身を包んでいた。
香里には一切説明してもらってなかったが、代表になることのメリットの一つに、代表に振る舞われる豪華なディナーがあったようだ。確かに、ここにいてはパーティ会場に置いてある料理は何一つ口に出来ない。壇上から降りてすぐに食べ物の方に走っていく様は見苦しいものがある。
祐一は信じられないような厚みを持つくせに口の中でとろけるようなステーキや歯応えがあるのに後味がまろやかな魚料理に舌鼓を打ったが、食事を楽しむ様子も見せず、まるで普通の夕食を取ったかのように席を辞した。
誰よりも早く皿を平らげたくせに追加を断る祐一を、他の代表は驚いた様子で見ている。
『こんな美味いものを…。』
その目が一様にそう言っているのが判るが、残念ながら祐一は”美味い料理”なら食べ慣れている。
素材が同じなら秋子の料理はこれらに引けを取らないだろう。
思うに、母の料理も同じだったのかもしれない。
この年頃にありがちな反発心が味覚を狂わせていたとしか思えない。
豪勢な料理を見れば見るほど、母親の作ってくれる平凡な食事が恋しかった。
死を意識してからは尚更だ。
控え室の扉から漏れてくるざわざわという声が一際大きくなった。
そろそろ開演の時間なのだろう。
一年生から順繰りに呼ばれるので、祐一の出番はまだ先だった。
しかも、お定まりの校長挨拶や理事長挨拶、生徒会の講演などがあるらしく実際に始まるのはずっと後になるだろう。
祐一は目を閉じて考えを巡らせることにした。
動かす者、についてだ。
喉に刺さった小骨のように気にかかっていた問題があった。
それは、”動かす者”は”人間”を意味する、ということだ。
そんな一般的な能力なら、舞がわざわざ『祐一は動かす者』などと指名した理由が判らない。
それとも、何の力もない、という意味だろうか?
いや、そうだとするとぴろがあれほど喜んだ理由が判らない。
一体どう言うことなのだろう?
わ〜〜っという歓声で体育館が揺れ、祐一の思考は中断された。
予想よりも早く開演するらしい。
トップバッターの一年生が飛び上がって直立不動の姿勢をとった。
こちらから見ても緊張しているのが判る。
(無理もないか……。)
これから行うのは公開告白に近い。
上手く行けば良いが、断られたりしたら面目丸潰れだし、盛り下がることこの上ない。
(あ。そうか。)
祐一はそこで初めて香里の配慮に気がついた。
転校してきたばかりでまだ知り合いの少ない祐一が名雪を指名するのは、ある意味自然な流れだ。
しかも、名雪が断ることはまず無い。
周囲はいいように囃し立てるだろうが、ほとぼりが冷めたら『あれは従姉妹以外に知り合いがいなかったからだ』と言い訳をすることが出来る。
では逆に、何故祐一でなければならなかったかというと、これは香里が土曜日曜の仕返しをまとめてするためにはどうしても必要だった…と単純に結論するわけにも行かない。
クラスの代表は”必ず一人以上”は選ばなければならない。
運良く、”玉砕覚悟で立候補する者”や、既に公認の”相思相愛のカップル”がいる場合はいい。
それらがいなかった場合、代表を指名するのはクラス委員である香里の役割になる。
自薦者がいない以上、誰を選んでも恨み言を言われるわけで、それなら名雪という格好の逃げ場のある祐一を選んでおけば角が立たない。他に自薦してくる者があれば、それを拒む必要がないだけのことだ。
祐一が香里の助言に従わずに玉砕したとしても、それは香里の預かり知らぬこと。
同じ仕返しをするにしても二重三重に考え抜かれた配慮がされていて、単なる仕返しに終わらせない。
香里の厳しさと優しさが良く現れているように感じられる。
(まぁ、意表突いて美汐でも選んでみるかな?)
まずここにはいないだろうけど、と、祐一は一人苦笑していた。
祐一のその考えは正しかった。
彼が控え室に牽かれていった頃、美汐は水瀬家を訪ね、秋子に言伝と預けものをして出てくるところだった。
「嬢ちゃんや。」
囁くような、それでいて不機嫌な声が美汐の頭に降り注いだ。
美汐は水瀬家の二階のベランダから顔を覗かせているぴろを認めて驚いた。
寒さ嫌いの彼が進んで雪の上にいるとは…。
「ど、どうなすったんですか?」
「話があるんじゃが、入っていかないのかの?」
ぴろは困ったようにそう言った後、くしゃん、と一つくしゃみをした。
美汐は苦笑いしながら師匠を手招きした。
猫らしくなく恐る恐る美汐の胸に飛びついたぴろは、すぐにコートの内側に身を納めた。
「相沢さんがいないから入れませんの。すみません。」
「左様か。…難儀じゃの。」
胸元に向かって声をかけると、コートの中からくぐもった声が聞こえる。
美汐はぎょっとしてきょろきょろと辺りを見回した。
幸い、ぴろの声は美汐のコートの分厚い生地に阻まれて、胸元の合わせ目からしか聞こえないようだ。
ぴろは美汐のコートの中でどうにか身体を落ち着けようともぞもぞもがいた。
美汐の居心地は名雪のそれとは決定的に違う。
ようやく足を落ち着ける場所を確保すると、疲れた声を出した。
「嬢ちゃんや。もう少し胸を大きくした方がいいぞ。」
「お、大きなお世話ですっ!」
今度は通行人がぎょっとして美汐を見る番だった。
美汐は顔を赤くして首を引っ込め、出来るだけコートの中に向かって声を送った。
「これじゃあ、私、頭のおかしな人のようです…。」
寒い中に立ち尽くしながら独り言を言い続ける女の子。
周囲からはそう見えるだろう。
「大して変わらん。」
「わっ!何てことを言うんですか…。」
思わず大声をあげてしまってから、恥ずかしそうに身体を丸める。
「どうして昨日来なかったのじゃ?」
ぴろの声は非難の色が濃かった。
祐一が美汐に本を返したのは昨日だ。
当然昨日のうちに美汐は本を返せたはずだ。
ぴろが美汐が言いつけ通りに来なかったことを”頭がおかしくなったのではないか”と責めていたのだ。
それに気がついた美汐は、申し訳なく思いながら正直に事情を説明した。
「…可哀想かな、って思ったんですが、でも、そうしたら、『悠長なことだ』って言われてしまいまして…。」
「なんじゃと?」
ぴろは美汐の発言に即座に反応した。
その声がこれまでになく厳しいものだったので、美汐は思わず口をつぐんだ。
「…嬢ちゃん。これまでに何か本以外に奴に渡したものはないか?」
ぴろの声は真剣そのものだ。
美汐は記憶を辿りながら、首を振った。
「本とお金。それだけです…。あ…。」
美汐はふと思い出したことがあった。
祐一のために本を借りたとき、お金の代わりに渡したガラス球があったはずだ。
「どうしたんじゃ?」
ぴろの声は相変わらず真剣だったが、今ではそれに明らかな不安の臭いが混じっていた。
美汐は恐る恐るその話をした。
「貸本屋の方が、今日の代金はそれで言いって仰って、…そう言えば、その時も変でした。触るな、とか仰られていましたし…。」
「それはいつのことじゃ?」
美汐は記憶を辿りながら、ちょうど先週のことだ、と答えた。
「…あの時か…。」
ぐらり、とぴろの首が力無く項垂れた。
気の流れが変わったような気がしていたのだ。
もしかしたら始まったのかもしれない、と思いながらも、首尾良く運命の歯車の中心に身を据えることが出来た安心感が、抗う者が授けてくれた治療が、秋子が出してくれる餌の美味さが、ぴろから警戒心を奪っていた。
無為に真琴の成長を監視し続けた結果、動かす者の自発的な覚醒を待った結果、そして、疲労を回復してから、という言い訳がずるずる続いた結果、致命的な時間を相手に与えてしまっていた。
美汐が黒琥珀を持っていたことが幸いだったが、それにすっかり安心しきっていた。
ぴろの様子を見た美汐がおろおろと謝っているが、それも耳に入らないように見える。
「いや、嬢ちゃんを責めるのは筋違いじゃ。儂の失敗じゃ…動かす者の怒りは正しかった。儂が何もしていなかったことが問題だったのじゃ…。」
祐一は知らず知らずのうちに危険を察知していたのかも知れない。
あの時、動かす者の指示に従って、止めていた動きを動かしていれば…。
少なくとも、動かす者の覚醒を促す動きをしていれば…。
(すまぬ、動かす者…わが主よ。この失策は命に換えても取り戻しまする…。)
ぴろは心で深く謝罪した。
その頃、すっかり買い被られた祐一はいよいよ迫ってくる自分の出番に心を沸き立たせていた。
<続き>