Canon 〜外典〜前話
  by Ophanim次話
 第18話 hundred-billionth:Dパート目次





 「何て言われたんですか?」

 青い顔をした佐祐理が迫ってくる。

 これはこれで怖い。

 「別に何も言われてないよ。ただ、俺が栞を助けられる骨髄の持ち主だって。」

 「だからって、祐一さんが命の危険に晒される必要はないはずですっ!佐祐理、断ってきますっ!

 一息にそう言うと佐祐理は部屋を飛び出しそうにした。

 祐一は笑いながらその腕を握って座らせる。

 「祐一さ…!

 「佐祐理さん、この部屋、普通っぽくていいね。俺もっと豪華なのをイメージしてたよ…。」

 頭に血が上っているくせに顔色の悪い佐祐理に、全く関係ない話をして落ち着かせる。

 祐一は佐祐理が佐祐理の部屋に運ばれた後、佐祐理が気がつくまでずっとその隣にいたのだ。

 「すみません、祐一さん…佐祐理、あんまりにも驚いたり怒ったり悲しかったりして…。」

 「いいって。俺も佐祐理さんに看病してもらったしさ。」

 救急車は呼べなかったけど、と言うとようやく佐祐理は微笑んでくれた。 

 「あ〜、いいねぇ。やっぱり佐祐理さんは笑ってないと…。」

 「もう、そんなことばっかり言って…。」

 佐祐理は照れたように俯いた。

 その顔にじわじわと血色が戻ってくる。

 「元気になったみたいだね。良かった。」

 祐一は安心してふぅっと大きく息をした。

 相手が自分を見失っているときにタイミング良くその矛先をずらす。

 それは祐一の母親が良くやっていた会話法だった。

 そう言えば、元気でやっているかな、と祐一は海の向こうにいるだろう母親のことを思った。

 死を意識すると、人は父親よりも母親のことを思い出すとよく言われるが、本当だったんだ、と妙な感動を覚える。

 「親に話しておかないとな…。」

 ことがことだけに祐一の一存では決めかねる。

 秋子にも話さねばなるまい。

 祐一の呟きを耳敏く聞きつけた佐祐理が跳ね上がった。

 「駄目っ!駄目駄目駄目っ!!

 「え?佐祐理さん?」

 祐一は驚いて佐祐理の顔を見た。

 佐祐理が敬語を使わない…。

 「駄目ったら駄目っ!祐一さんを危険に晒す訳にはいきません。父と直談判してきますっ!

 有無を言わさぬ剣幕で立ち上がる。

 祐一は苦笑しながら佐祐理の腰を抱き留めた。

 体が弱っている佐祐理を引き留めることなど訳もないことだ。

 佐祐理はじたばたと両手両足をばたつかせてもがいた。

 「もう、困った人だなぁ、佐祐理さんは……お父さんそっくりだよ。」

 祐一の言葉は佐祐理の気に入らなかったらしい。

 「ど、どこがっ!?あんな人、大っ嫌いっ!

 「こら。もう一回そう言うことを言ったら絶交だからね。」

 祐一の声は佐祐理の声の半分にも満たない音量だったが、言葉の重みは圧倒的だった。

 佐祐理は一瞬のうちに身体を強張らせて大人しくなった。

 「いい?佐祐理さんのお父さんは、医者としての道を貫いている。そのために自分の奥さんや子供達の気持ちすら特別扱いしてない。佐祐理さんは、俺のことを心配してくれている。そのことは有り難いんだけど、俺の気持ちすら考えてくれない。どう?似てるでしょ?」

 頑ななところが、と微笑みかける。

 佐祐理は恥ずかしがって顔を俯かせた。

 倉田は祐一に肯定の言葉を求めている。

 同じように佐祐理は祐一に否定の言葉を求めている。

 だが、どちらにしろ”祐一本人が決めること”という大前提を通り越した状態では議論が進まないはずなのだ。

 年季の分だけ倉田には辛抱強く待つことが出来ている、ということだ。

 「まぁ、そう言うわけで、佐祐理さんのお父さんにも言ったんだけど、少し考えさせてもらえないかな?」

 「……駄目です。」

 佐祐理は力無く首を振った。

 祐一はため息をついた。

 「どうしてさ?」

 「だって、祐一さんは引き受けてしまうもの…。きっと、引き受けてしまうもの……。」

 佐祐理の目に涙が浮かんで、あっと言う間に流れ落ちた。

 見透かされてるな、と祐一は苦笑するしかなかった。

 「大丈夫。手術が成功すればみんなが幸せになるじゃない。」

 父親を信じることに慣れていない娘は、父の失敗だけは疑わないようだ。

 祐一に弟の姿を重ねている姉がそこにいる。

 弟を見殺しにしたように、彼も礎にしか思っていないと疑っている。

 ならば、なおのこと。

 倉田に失地回復の機会を与える意味でも、なおのこと断れない。

 ただ、勇気だけが欲しい。

 「でも、もし失敗したら…。」

 佐祐理はそこまで言って、自分の心に浮かぶ悲惨な結末の想像に耐えられなくなった。

 幼い日。

 自らの罪を責めて泣きじゃくっていたあの日のように、涙が止まらない。

 祐一は優しく肩を抱いた。

 「大丈夫だって。約束したもんな。」

 「…?」

 言葉を出すことも出来ずに、真っ赤になった目で訴えかける。

 何を?

 どんな?

 「約束したじゃないか。栞が退院したらみんなでお昼ご飯食べるって。」

 あの踊り場で。

 栞も一緒に。

 みんなで仲良く…。

 「…そう…でした…。」

 佐祐理、馬鹿だから…と泣き笑いの表情になる。

 「大事な事じゃないか、忘れるなよ。もう…。」

 明日の舞踏会も忘れるな、と付け加える。

 「その後で、一緒に来てもらいたいところもあるんだ。」

 祐一の言葉の意味を考えることもなく、佐祐理は頷いていた。

 祐一と一緒にいれば安心できるから…。



 「そういうわけで、親と連絡取りたいんですけども。」

 「まぁ…。」

 さすがに驚くだろうと思っていたが、意外に反応は普通だった。

 そういう状況に慣れているのだろうか?

 「判りました。急ぐでしょうから電話が良いでしょうね。」

 「すみません…。」

 国際電話料金がいくらかかるのか判らないが、居候の身には肩身が狭かった。

 コレクトコールでいいです、と申し出る祐一に、掛け方が判らないから、と微笑んで返す。

 「良いですよ。」

 ダイヤルを終えた秋子から受話器を受け取る。

 呼び出し音が長いのはやはり国際電話だからだろうか?

 「もしもし??」

 ……間違いない、母親だ。

 何処にいるのか知らないが、外国にいやがるくせにいきなり日本語ぶちかますとは…。

 祐一は呆れながら、それでいて何と言ったらいいのか判らなかった。

 知恵を絞ってひねり出した言葉。

 「……ifif?」

 「…は?」

 間違えたみたいだ。

 「え〜、何って言うか、久しぶり。おふくろ。」

 「あ、祐ちゃん?」

 声のトーンが更に一オクターブ上がる。

 そのついでに祐一の神経をこれでもかと言うほど逆撫でしていった。

 「…だからその言い方止めぇって言ってんだろうがっ!

 「あはあは、ごめんなさいねぇ、なんだかとっても懐かしくって…。幾つになった?」

 「まだ二週間しか経ってねぇっ!

 あっと言う間に元の親子に戻った二人を感じて、秋子は安心したようににっこり笑ってその場を離れた。

 やはり実の親子というのはよいものだ。

 悪態をついているようで、祐一の表情は水瀬家に来てから一番リラックスした顔をしている。

 しかも、親子と言うよりは親しい友人同士のような会話。

 つくづく姉が羨ましくなる瞬間だ。

 「おやじは元気か?」

 「まだ仕事だって。最近忙しいみたいね。」

 時に一ヶ月も家の中にいたかと思うと逆に一ヶ月も家を空けたりする。

 そんな不規則な生活は、しかし、祐一から目を離せないほど幼い頃は良かった面もあったが、学校に上がるようになると不便だった。だから好きでもない”宮仕え”をしてるんだ、とかなんとか言っていたような気がする。

 海外に行ってまた元の気ままな生活に戻ったのだろう。

 「勝手なもんだ。」

 「そう言うこというものじゃありません。」

 さっき佐祐理にしたことと同じことが自分の身に降りかかる。

 やはり親子なんだな、と感じて目頭が熱くなる。

 「おいこら、そこは”そう言うこという人嫌いです〜”って言うところなんだぞ。」

 「え?何それ?」

 初めて聞く祐一の言葉に、母は不思議そうに尋ねた。

 それは…、と説明しかけて、祐一は本来の目的を思い出した。

 「おふくろ、ちょっと真面目に聞いてくれ。それはある女の子の口癖なんだ。」

 「はぁ…。で、何処まで行ってるのかしら?」

 「え?何処までって…病院のことか?」

 「まぁ、何て事…ちゃんと順番は守らないと駄目よ。祐ちゃんの選んだ子ならとやかく言うつもりはないけど、向こうの親御さんにもお話ししないと行けないのに…。」

 そこまで言われてようやく祐一は話がそもそもの最初からずれていることに気がついた。

 「…何か勘違いしてないか?真面目に聞けって言っただろうが?」

 「真面目な話だと思ったから、大変なことになったと思ってるんでしょう?」

 「栞にそんな真似できるかぁっ!あいつは入院しててだな……。」

 祐一は大慌てで自分の口を閉じた。

 栞の病気については秘密を守ると約束したはずだった。

 祐一は一旦気持ちを落ち着かせてから、ゆっくり口を開いた。

 「まぁ、その、なんだ。あいつの病気を治すのに、俺の力が必要なんだってさ。」

 「あぁ、そうなの?じゃあ、力になってあげたら?」

 死ぬかも知れない、とは言えなかった以上、母の言葉に真剣味も何もないのは無理もないことだった。

 だが、詳しい説明は避けなければならない。

 思案の末、祐一は話題を変えてみることにした。

 「なぁ、おふくろ。俺が死んだら、やっぱり辛いか?」

 「祐ちゃん……。」

 母の声は一気に真剣になった。

 これで伝わったはずだ。

 その手術に自分の命がかかっていることを…。

 「祐ちゃん、自殺は身体に悪いわよ。」

 ……。

 「当たり前じゃぼけぇっ!

 身体に良い自殺があるなら教えてもらいたい。

 教えてもらったところで実践する気は更々ないが。

 「祐一。だいたい事情は判ったわ。でも、あなたがどう思っているか、それだけ教えて欲しいの。」

 どすっ、と。

 心の一番深いところに重い球が投げ込まれた。

 これだ。

 この、相手を一旦リラックスさせて本音を聞き出す話術…。

 本家には敵わない。

 祐一は今、咄嗟に頭に浮かんだこと以外には考えられなかった。

 「俺は…栞を助けたい……。」

 手術は確かに怖い。

 だが、自分にしか出来ないと言われていながらそれを断ることは、あたかも患者を見殺しにするかのようで気が引ける。

 まして、患者は知らない者ではない。

 しかも、栞は全く見ず知らずの自分のために、僅かとはいえお金を貸してくれたほど優しい子ではないか。

 「なぁんだ。じゃあ、もう決まっているんじゃない。」

 母親の言葉は祐一の気持ちをよりはっきりさせた。

 悩む問題ではない。

 ならば、何が問題なのだろう?

 「うん…だけど、やっぱり心配だからなぁ…。」

 「そんなこと言わないの。大丈夫だから。」

 母親にそう言われると気が楽になる。

 そう、昔からそうだった。

 母親が”大丈夫”と言ったとき、それが大丈夫でなかったことはなかった。

 勿論、簡単にはいかないこともあったが、結果的には全て上手く行ってきた。

 その理由が今、判ったような気がする。

 「おふくろ……動かす者って…。」

 「ねぇ、祐ちゃん。治ったらその子と何をしたいの?」

 母親が祐一の言葉を遮ったのは偶然なのか意図的なのか…。

 だが、力が継承されるなら、母親も”動かす者”に違いない。

 そしてその彼女が”大丈夫”と言ったのだから、大丈夫なのだ。

 祐一は背筋が伸びる思いがした。

 いつの間にか肩にかかっていた重荷がすうっと消えていったからだ。

 「おいこら、栞とは何の関係も無いって言ってるだろ?」

 いけないと思っても自然に顔がにやけていく。

 極度の緊張が解けた証拠だ。

 「あらあら。そんなこと言っちゃって…。しおり、なんて呼び捨てるくらいの仲なんでしょう?」

 からかうような母親の声がする。

 祐一は苦労して顔をしかめ直した。

 「違うって。そんなんじゃないって。」

 「じゃあ、なんなのよ?」

 息子の甲斐性無しを嘆くような、まだ自分の近くにいることを安心するような、そんな声がする。

 祐一はどうしても緩む頬を抑え付けながら説明した。

 「栞はただの妹だよ。」

 電話の向こうで首を傾げる母親の顔を想像して、祐一はとうとう笑い出してしまった。

 明日が来るのが楽しみだった。


<続き>


MailCanon IndexTSO Index