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〜外典〜
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Ophanim
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第18話 hundred-billionth:Cパート
目次
祐一は佐祐理の身体をそっとソファーに横たえた。
目の前には彼女の父でもある名医がいる。
彼が慌てていないのだから祐一が慌てる必要はない。
祐一は優しく佐祐理の髪を撫でてから自らの居場所を落ち着けた。
「道理で早く戻ってらしたわけですね。」
開口一番、祐一は自分の感想を述べた。
訝しげに首を傾げる倉田に対し、病院を空けてまで自分と会う時間を作っていた、その理由が判ったのだ、と説明した。
「さて、どういうことか、説明してもらいましょう。俺が…失礼しました。私が、栞を助けられるとは?」
まさかあなたまで
”運命を動かせ”
などと宣うんじゃあないでしょうね?
言外にそんな皮肉を滲ませながら、祐一は倉田に尋ねた。
「相沢さん、美坂さんの病状を説明する前に、まず、絶対に秘密を守るという約束をして下さい。」
倉田の言葉に祐一は一も二もなく頷いた。
ただ、こちらから尋ねることもやはり止められなかった。
「勿論ですが、その前に一つ。そのことは、栞の家族は知っているんですか?」
敢えて家族と言った。
倉田に聞けば全てが氷解するはずだが、既に充分追い詰めてある。
彼を巻き込みたくなかった。
「ああ。自慢ではないですが、インフォームドコンセントは倉田総合病院のモットーでもあります。」
倉田はそう言って胸を張った。
インフォームドコンセントとは、「説明を受けたうえの同意」と訳されている現代医療の新しい動きだ。治療の目的や方法、予想される効果や起こりうる副作用、患者の知る権利や知りたくない権利などについて説明し、充分理解してもらった上で治療を行うことに同意してもらう、という基本コンセプトがある。
「判りました。それで、栞の病気は?私は風邪だと聞いてましたが?」
「それは家族の皆さんの
”本人に報せたくない権利”
が尊重された結果です。彼らはまた
”この件に関して関わりたくない権利”
も主張していますので、今後の治療法は栞さん本人と私との間で決定されます。」
がつん
、と音がした。
祐一が顔の前で拳と拳をぶつけ合わせた音だ。
「……続けて下さい。」
「ええ。」
倉田は機嫌を損ねることなく頷いた。
栞の病気は遺伝子性の難病だった。
骨髄移植以外に助かる道は無いのだが、困ったことに、日本人に特有の血液以外を受け付けない遺伝子的な脆弱性も兼ね備えていた。これと同じ血液種は日本の他に南洋の一部の部族とアフリカの少数民族以外にない。また、化学物質種として少しずつ歳を取る部位が含まれているので、栞が本来の寿命を全うするためには、ドナーの年齢によっても制限を受ける。
従って栞の骨髄ドナーには同じ血液型、同じ血液種、同年代の日本人で、かつ、病に打ち勝つ強靱な遺伝的特性を持った上で、栞が持つ遺伝子的な脆弱性を損なわない繊細さが要求されることになる。
加えて、成年と未成年の解釈が国ごとに違った結果、
”16歳”
には施術出来る国が存在しない。
「栞さんの病状は現在のところ安定していて、明日をも知れぬ命というわけではありません。しかし、2月1日。目前に迫ったその日が来れば、彼女は16歳になります。その1年間を耐え抜くだけの保証は出来ません。」
「極秘に治療すればいいのでは?」
祐一は咄嗟にそう問いかけた。
それが倉田の立場を危うくすると気付いて思わず顔を歪めたが、倉田は何も気にした様子はなかった。
「無論、いざというときはそのつもりです。長く美坂さんの外出を許可しなかったのはそのためです。手術をすることを知られたくないですから。」
しかし、先日どうしても外に出たがる栞に外出許可を与えてしまった。が、風邪だと言い含めてあったので、彼女が自分の病気を口外することは無かったと信じている。
「確かに、栞は風邪だと言い張っていました。」
祐一は自分は風邪だと必死に主張していた栞の様子を思い出していた。
それを聞いた倉田は、祐一の期待に反して苦しそうな表情を作った。
「…そう、ですか…。彼女は…女優ですね…。」
倉田は目頭を押さえながら一歩進んだ説明をしてくれた。
美坂と言えば、ある選挙区ではそれなりに名の知れた政治家だ。
親族にそんな遺伝的欠陥があるものがいたとなると、政治家としてのイメージダウンは避けられない。
通常の骨髄移植なら親兄弟のパターンが一致することもあるだろう。
そうすればそのことを逆手にとり、敢えて公表した上で自らドナーを申し出てみるなどして社会派をアピールしたり、移植推進協議会などに携わって地盤を広げることも良い作戦だろう。
だが、栞の場合は特殊なケースなのでそれが叶わなかった。
「美坂さんの存在は一族の中でも一部しか知らない、極秘事項です。両親とは遠く離れたこの地で、世話役の人と一緒にひっそりと暮らしていました。中学卒業後は速やかにここに入院するはずでした。」
それなのに高校に進学したと聞いた親は烈火の如く怒り、早急に入院させてしまった。
だから、栞は倉田総合病院にいる。
政治家の避難場所として確固たる地位を確保しており、機密の漏洩を心配することなく預けられる。金さえ払えば死ぬまで面倒を見てくれる。あわよくば治療をしてくれるかもしれない。
「そう言うわけで、美坂さんのご家族は栞さんのことを知られたくないのです。公にドナーを求めることも出来ませんので助かる確率は下がる、と説明したのですが、もともとが低い以上、余り効果的な説得にはなりませんでした。私も、ドナーがいない以上は何も出来ませんから…。」
ドナーの見つかる確率が低すぎた。
1000億分の1とは…。
まずあり得ない。
もう栞は助からない。
みんな何と思うのだろう?
家族なのに助けられない自分達を、冷たい家族だと思うのだろうか?
見殺しにしたと言われるのだろうか?
政治生命に著しく悪影響を及ぼすのではないだろうか?
それなら、最初からいなかったことにしよう。
知らなかったことにしよう。
そのためには、病気なんか知らない。
栞なんか知らない。
そんな妹は、いない。
「……馬鹿野郎……。」
祐一はいつもかりかりと怒っている委員長に向かって呟いた。
彼女は祐一が名雪に占いのくだらなさを蕩々と語る横で、それは何人になる、何分の一になる、と素早く計算をしていた。
その時は単に『頭の良い奴』としか思わなかったが、今にして思えば、香里はその種の計算をやり慣れていたのだろう。
血液型が一致するのは何人に一人、そのうちで血液種も一致する確率は何%、更に遺伝子が一致する可能性が……。
演じるまでもなく、栞は悲劇のヒロインだった。
悲しい嘘を重ね続ける、偽りのヒロイン。
そして、そのヒロインを、偽りを、陰から支える助演女優が彼女だったのだ。
「どうかしましたか?」
倉田が聞き咎めて尋ねた。
その顔が不快に歪むのではなく同情に満ちているのは、祐一の心情を思いやってのことだろう。
祐一は静かに首を振った。
「いいえ。何でもありません。だいたい判りました。」
「そう言うことです。相沢祐一さん。あなたの骨髄が、あなたが、美坂栞さんの骨髄と一致する1000億分の1の確率の人なんです。」
久瀬が持ってきた資料にたまたまあったこの血液のデータを見つけたときは、天にも昇る心地だった。
これで助かる。
助けられる。
それが電話が通じなかった時には絶望に変わった。
どうにか関東の大都市に引っ越したところまでは調べたが、そこからまた引っ越してしまったらしい。
それ以上の追跡は、これだけマスコミに囲まれた中では難しかった。
だが、今、彼はそこにいる。
目の前にいる。
しかし、問題点は一つ。
何故、この救世主が愛娘の想い人なのか?
別人であって欲しいと願った。
折角手の中にある救世主だが、今度ばかりはいつものようにぬか喜びであって欲しいと願った。
だが、昔はこの近くに住んでいたこと、最近引っ越してきたばかりであること、川澄舞の知り合いであることなど、全てが彼に符合する。
親として、医者として、ぎりぎりの選択を迫られた倉田がとった選択は、やはり彼らしいものだった。
「倉田さん。もう一つ、教えないといけないことがあるでしょう?でないと、佐祐理さんがこうして倒れている説明がつきませんから。」
祐一は意外と冷静な自分に少し驚いていた。
これもぴろのおかげだろうか?
「えぇ…。大変申し上げにくいことですが、その手術のドナーを担っていただける方にも、相応のリスクがあるのです。それも、生命にかなりの危険を伴うリスクが…。」
倉田は沈痛な面持ちでそう言った。
確かに、適合者さえ見つかれば、すぐに手術に入れる準備はしてあった。
手術道具もそれ専用に揃えてあったし、信頼できるスタッフにも声がかけてある。
だが、適合者、ドナー自身の合意がなければ何にもならない。
美坂家の面々が諦めた点もまさにそこにあった。
栞と一致する適合者は親族ですら稀な存在だ。だが、親族に適合者が見当たらなかった以上、赤の他人に頼らざるを得ない。しかし、何の繋がりもない者が命の危険を冒してまで骨髄の提供を申し出てくれるだろうか?
脳死後に臓器の提供を承諾してくれる者もあるが、それでは更に確率が下がる。
娘一人の命を救うために命を賭けて下さい、死んで下さい、とは言えない。
倉田の目の前にいる1000億分の1の男もさすがに表情を歪めていた。
なるほど、多少なりとも医学の知識のある者で、栞の本当の病名を知っている者なら、倉田が口を開いた瞬間に祐一が何者であるかを知るだろう。倉田が何のために彼を呼びたがったかを知るだろう。
祐一はまた、佐祐理と一緒に栞を見舞った後の、佐祐理の不思議な言い回しを思い出した。
『佐祐理、馬鹿だから、祐一さんに遠回しに断られたのかと思いました…』
あの時ぼんやりと考えた悪い考えは当たっていた。
栞に退院の見込みはなかったのだ。
また、栞が本当にかかってしまった風邪を押してまで学校に来て雪だるまを作った理由も判った。
誰も言わなくても、栞は自分がもう助からないと知っているのだろう。あるいは、知りたいと願い、知った後で忘れていたい、と願ったのかもしれない。
どんな気分なのだろう?
恐らくは、今の自分と同じように不安なはずだ。心細いはずだ。
そんな時に、一番頼りになるはずの家族が来ない。
『親戚の方が一人もお見えにならないから心配していたんですよ』
看護婦がそう言ったのも頷ける。
彼女は事情を知らないのだろうが、それくらい、誰もが思う自然な感情だ。
祐一は再び怒りが込み上げてくるのを感じた。
それをどうにか押し殺そうと苦心していると、どうしても表情が歪んでしまう。
だが、祐一の頭の中にあったのは自分の死ではなかった。
どこかにその事実を「他人事」のように冷静に受け止めている自分がいる。
それには昨夜のぴろの説明が役に立っているのかもしれない。
古来より、人間の一番の関心事は
”その寿命がいつ尽きるか”
だった。そこに人智の及ばぬ何かを感じたとき、それを称して『運命』と呼んでいたのではなかったか?いつの頃からか、恐らくは医学の発展に伴って命が潰える仕組みが判ってきた頃から、寿命が尽きる仕組みは不思議ではなくなった。寿命は、神が定めた『運命』としての地位を滑り落ちたのだ。
代わって登場したのが、もっと卑近な『運命』だった。
出会い、事故、幸運、天災などといった偶然の配剤が、それらを凌駕して余りあった関心事、『寿命の問題』の地位が下がるに従ってせり上がっていった。しかし、それらの新しい関心事の間に明瞭な格差が無かった結果、それら全てが十把一絡げに『運命』として認識されるようになった。
その結果。
本来人の生死を占う占星術は恋占いや人生占いに姿を変えた。末期の苦しみを和らげるべき宗教は、人の人生観を諭す教義の方が重要になった。寿命を全うさせるべき医術は、寿命を越えて生きさせることすら出来る技術になっていった。
だが、それは本来あるべき姿ではない。
人はやはり寿命のままに生き、寿命のままに死ぬものなのだ。
「勝手に動かして延ばした分の
”寿命”
はどうしたって他から奪ってこなければならんのじゃ。紡いだ寿命の長さは最初から決まっていて変わらんのじゃから。ちょっと考えれば判るじゃろ?生きるために他の生物の肉を喰らい、繊維を切り刻んで生きとるわけじゃから。」
ぴろはそう言った。
納得のいく説明だった。
だが、それ以上に恐ろしいことも聞いた。
「それでも人の命を延ばすのは並大抵のことでは済まぬ。やはり同じ人の間で奪いあうのが一番良い。じゃから、最近は昔に比べると異様に事故が多いし殺人事件も多い。」
無意識のうちに行われているそれらの事故や事件は、結局は巡り巡って自分の命を縮める結果になる場合もある。
「…まぁ、その話は忘れろ。無闇に動かしたところで必ずしも全てが幸せになるものではないということを言いたかっただけじゃ。お主が心のどこかに止めておけばよい。」
ぴろは祐一を慰めるようにそう言った。
なるほど、そう言うからくりがなければ、
”動かす者”
である人はその気になればいつまででも生き続けられるだろう。
だが、こんな仕組みがあるのなら、不老長寿に成功した人が現れない理由も納得できる。
逆に
”徳を積んだ仙人”
なるものの伝説が無くならない理由も、納得できなくない。
上手く出来ているものだ、とその時は感心したものだった。
「すみません…お聞かせしなければ良かったかもしれません…。」
祐一の表情を見た倉田が恐縮しきった顔をした。
祐一は倉田の顔の中に、悪魔の囁きに耐える男の姿を見た。
『もしも引き受けて下さるなら、うちの娘を差し上げます…』
今にもそう言いだしかねなかった。
佐祐理の話は聞いている。彼ならそう言いだしても不思議はない。そしてそんなことをすれば、折角修復した親娘の絆は完全に崩壊する。今でも娘は父の裏切りに憤っているのだから…。
祐一は自分に今出来る最善の答えをした。
「少しだけ、考える時間を下さい。」
祐一は即答を避けて顔を伏せた。
表情を読みとられないためだ。
「あ…え、えぇ…勿論です。勿論ですとも。ご家族ともご相談下さい。」
倉田はそう言って書類を探しに出ていった。
祐一はため息をついて天井を見上げ、それから傍らに横たわる乙女を見た。
冷静に考える時間が必要だ。
祐一にも、倉田にも。
そして誰より、佐祐理にも…。
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