Canon 〜外典〜前話
  by Ophanim次話
 第17話 家族の肖像:Cパート目次





 「びっくりしました。」

 「そりゃこっちの台詞だ。」

 祐一は栞の額を指先でつついた。

 点滴が刺さっている関係で身動きできない栞は、子供扱いされたことに対して頬を膨らませて抗議の意を表明した。

 そのベッドの脇に椅子を持ち込んで安心したように微笑む祐一がいる。

 栞の病状は祐一が”集中治療室”の文字から判断していたよりもずっと軽そうだった。

 病室に祐一が飛び込んできたとき、部屋の中には着替えをしている栞とその介助をしている看護婦の二人しかおらず、何事が起こったのかときょとんとした表情で祐一を眺めていた。

 「悲鳴をあげるのも忘れてましたから。」

 「そのまま忘れていてくれ。」

 あはは、と栞が楽しそうに笑う。

 それだけで病室が明るくなる。

 「また風邪がぶり返したんだろ?これでまた退院が遅れるじゃないか。」

 「そうですね。」

 明るい気分に乗せて文句を言った祐一に、栞が殊勝に答える。

 傍から見ると確かに恋人同士が会話しているように見えなくもない。

 「それにしても、祐一さん、どうやってここに入ってきたんですか?」

 栞は如何にも不思議だというように首を傾げた。

 「どうやってって、……普通にドアを開けて入ってきたに決まってる。」

 「うわ、そういうこと言う人嫌いです〜。」

 栞は困ったように苦笑いを浮かべた。

 点滴の針が刺さっているので動きが制限される。

 いつものように唇に指を当てようとしても出来ないのだ。

 「どう言うことだ?」

 「だって、ここは親戚の方しか入れないんですよ?」

 言った栞は、少し寂しげな表情を浮かべた。

 その言葉の裏に『だから、誰も来てくれないと思ってました』という言葉を感じる。

 祐一はそれには気がつかない振りをして、出来るだけ平然と答えた。

 「栞、俺は”遠慮なくお兄ちゃんと呼んで良い”って言ったはずだぞ?」

 だから俺は栞の親戚だ。

 祐一は精一杯の笑顔を作ってみせた。

 栞は口を小さくぱくぱくさせて驚いているようだ。

 「どうした?栞?格好いい台詞でびっくりしたか?」

 茶化すようにそう言って笑う。

 栞は枕の上で静かに首を横に振った。

 「祐一さん……。」

 次の言葉がなかなか出てこない。

 栞はゆっくりと目蓋を閉じた。

 「そういうこと言う人嫌い……じゃないです……。」



 家に帰ると従姉妹が拗ねていた。

 「祐一先に帰っちゃうんだもん。」

 「誰が悪いんだ、誰が?」

 祐一は名雪に、名雪がとった行動が起こした諸々の問題点を矢継ぎ早に指摘した。

 その説明を理解したのか、それとも単にスピードについて来られなかっただけなのか、ともかくも従姉妹の機嫌はそれ以上悪くなることもなく、かといって好転するわけでもなく、互いに自分の主張を繰り返しながら夕食の食卓についた。

 「あらあら。仲が良いわね…。」

 「…どうしてそうなるのか教えてもらえませんか?」

 祐一は脱力しながら秋子に尋ねた。

 秋子は『どうしてもですよ』と、禅問答のような答えを残して去っていった。

 はっきり判ったのは、どんな状態でも秋子には楽しいものに見えるらしいと言うことだ。

 「うん。本当に仲が悪かったら、口もきかないと思うからね。」

 あゆが珍しく秋子の言葉を解説した。

 しかも、非常に良く行間を読んでいるように思える。

 「なるほどなぁ。あゆ、たまには良いこと言うな。」

 「そうかな?えへへ…って、たまにじゃないよっ!

 一瞬笑いかけてすぐまたぷんぷんと音を立てて怒る。

 女心とあゆの顔。

 すぐに変わって面白いのは誰が何と言おうと後者の方だ。

 「はぁ、あゆに人生を教えられる日が来るとはなぁ…。」

 祐一はわざとらしく大きなため息をついた。

 あゆの隣の名雪も反省しているようだ。

 寝ぼけ眼の真琴が起きてきたところで夕食が始まる。その最中に、祐一はいつの間にか祐一と名雪の間の喧嘩も収まっていたことに気がついた。

 あゆが二人の間に入ってくれたおかげだ。

 この感触は約一週間前、誕生パーティの時にも感じたことだ。

 あゆはバランスを取ろうと躍起になっている。

 一体何が彼女をそうさせているのか?

 だが、あゆにバランスを取ってもらっている立場の祐一にはそれを理解することは出来なかった。



 「お手紙が届いております。」

 あ、と思わず顔をしかめた。

 大仕事を一つ成し遂げた達成感に気分を高揚させたまま戻ってきた、あの笑顔に似た表情を見られてしまっただろうか?

 「ありがとう、権爺。でも、もういいの。」

 佐祐理は手紙を捨てるように指示を出した。

 一人籠もる部屋で、僅かでもと人の温もりを求めていた日々は去った。気が進まないながらも生徒会への勧誘を明確に断らなかったのは、自分を必要だと言ってくれる者達の存在を少しでも多く感じたかったからだ。憎しみの炎を絶やさぬよう、手紙の中に少しずつ含まれる久瀬の告発を心待ちにしていたからだ。

 今は離れていても父の温もりを感じられる。

 心の温もりの代わりに怒りや憎しみの炎で心を暖める必要もない。

 生徒会への勧誘ははっきり断るつもりでいた。

 だから、もう手紙を読む必要さえない。

 「……お手紙が届いております。」

 権爺は同じ言葉を繰り返した。

 佐祐理が手紙を受け取らない限り次の台詞には行けないらしい。

 良く言えば実直、悪く言えば頑固。

 佐祐理はこの男を嫌っていない。

 いや、むしろ、かつては父の帰らぬ家で佐祐理の我が儘を聞いてくれる格好の相手として一番よく懐いていた。

 融通の利かないこの性格を逆手にとって、よく悪戯をしたものだった。

 そして、そのために。

 何故母親が病床にあるのか、一弥の出産との因果関係を聞き出してしまったのだ。

 それ以来、佐祐理は権爺とまともに顔をあわせることが出来ない。

 そしてその理由を問われるのが怖くて、必要以上の会話をしない。

 権爺もまた必要以上の詮索をしない。

 そんな関係が10年来続いていたのに…。

 「いいの、捨ててよ、権爺。」

 「お手紙が届いております。」

 これまで彼が佐祐理に反抗するように言葉を重ねてきたことはなかった。

 佐祐理は不愉快を通り越して不思議そうに権爺を見つめた。

 そして見た。

 彼の目尻に浮かぶ涙を。

 「判ったわ。」

 「お食事になさいますか?それとも、湯浴みなさいますか?」

 注意して聞くと、少し震えているのが判る声。

 ゆっくりと手紙の山を見る。

 見慣れた生徒会の封筒に混じって、皺くちゃの紙が見える。

 「……食事を……部屋で……。」

 佐祐理は歩き出した。

 走り出したい気分と、止まってしまいたい気分が混じり合っている。

 動いていると言うことは、少しだけ走りたい気分が勝っているのだろう。

 ただ、その身体が震えているのを止めることは出来なかった。



 「どうだ?」

 「正解じゃ。」

 ぴろは嬉しそうに”寿命”と書かれた紙を持ち上げた。

 「良かったよ。ところで、どうしてそんなことを俺が直接知らないといけないんだ?」

 祐一は難関をクリアした喜びを隠さずにそう尋ねた。

 「もともと、この世界に住む生きとし生けるものは全て、生まれ落ちたときから死ぬまでの間が運命によって定められて生きている、というのはいいじゃろう?」

 「いや、そんな……。」べしっ!

 …いや、そんなことはないだろう?と言おうとした祐一の手に、尻尾で器用に”平手(尻尾?)打ち”をくれて、『まぁ待て』としたり顔に呟く、小生意気な化け猫が一匹……。

 化け猫は不満そうな祐一を無視して語り始めた。


命あるものは全て、運命に従って産まれ、死ぬ。

その生の中には命あるまま襲われて殺されるものもあれば生を全うするものもある。

優雅に生を謳歌するものあれば病に倒れて苦しむものもある。

それら全てが、定められた運命のレールの上にある。


 「じゃが、お主ら”人間”は例外じゃ。お主らは運命の流れを変える力を持っておる。他の生物の運命の流れを刻んで自らの命に変える以外に、無為にそれを変えるものもあるじゃろ?」

 レジャーと称して鳥を撃つ、事故と称してカエルを轢く、開発と称して木々を切る……それら全てが、彼らの本来の運命を変え、かつ何も残さない。

 祐一はいつの間にか下を向いていた。

 その通り。

 生き物の息吹すら感じることの出来ない都会で息苦しい思いをしてきた祐一は、今ようやく、自分があそこで感じていた漠然とした不満の正体に気がついた。

 あそこの人々は、自分たちの足下に他の生き物の屍が埋まっていることなど想像すらしていない。

 自分たちが生きるために命を奪われたもの達に対する配慮がない。

 そんな人間達に対して何一つ言えなかった無力感、虚無感、そして、罪悪感……。

 「まぁ、そういうわけじゃから、お主ら人間はそのもともとからして”運命を動かす者”なのじゃよ。」

 ぴろは元気を無くした祐一を慰めるように優しく話しかけた。

 ”同時代に複数いても構わない、ある力”とは、動かす者の力なのだ。

 「じゃが、お主に嬢ちゃんがそれを教えようとしたのを止めたのには訳がある。お主がそう言われて納得するかどうかが一種の賭けじゃからの…。」

 「いや、納得はするよ。その説明には無理がない。言われてみれば自然の生き物は運命に従って生きているし、俺達は”その気になれば運命は変えられる”って気張ってるからな……。」

 祐一の返事に、ぴろは安心したように頷いた。

 「その通りじゃ!さすがは動かす者!

 ぽん、と手を叩いて喝采する。

 余りに嬉しそうな声に祐一は不思議そうに首を傾げた。

 「おい、何だよ?人間が全て”運命を動かす者”なら、俺だって当然そうだろ?何でそれがそんなに嬉しいんだ?」

 べしっ!

 「まぁ、聞け。」

 聞くのは良いが、いちいち叩かれるのは割に合わないな、と祐一は心の中でぼやいた。


人間は基本的に全て”動かす者”なのだが、ほとんどは”結果として動かしてしまった”という程度のものでしかない。

”能動的に動かす”ために、一般的には”動かす能力”を放棄して別の力を手に入れる手段を取る。


 「これが”運命に抗う者””運命に語りかける者”、そして”運命に従う者”の力じゃ。」

 「待て待て。従ったら意味無いじゃないか。」

 べしっ!

 …後で絶対仕返ししてやる、と祐一は心に誓った。

 「判らない奴じゃの。意のままに動かすために従うのじゃ。仕方ない、話がずれるが少し説明してやろう。」


従う者、抗う者、の力は基本的に同じ。

不慮の事態で定められた寿命よりも早く命を落とした者を助ける力。

だが、両者には決定的な差がある。


 「従う者は自らの寿命を削って助ける。その分、充分に長い寿命が与えられているから、後継者が出来るまで死ぬことはまずないじゃろ。但し、後継者が見つかったらそのものに寿命を分け与えねばならぬ。その引継の際に最も多くの寿命を消費するのじゃ。そこでだいたいは命を落とすわけじゃ。」

 抗う者は文字通り、その運命に抗う。

 寿命が残っている者が重い怪我や病に倒れても、運命の執行者たる死に神が回収に来ない限り死ぬことはない。

 「その死に神に抗うのが抗う者の役目じゃ。」

 術者の力が及ばなければ命を落とすこともあるし、その覚悟を失ったとき、力も失う。

 抗う者に必要なのは、”運命を絶対に信じない”という強い信念だ。

 「例えばその者に成功の筋書きが見えた時、それを”自分は運が良い”などと思ってしまったら駄目じゃ。自ら切り開いたものだ、と信じること、平たく言えば、自信を持つことじゃな。」

 だが、これらの力を得られるのは同時代に一人きり。

 そしてそれを受け継ぐには資格が必要で、資格試験のようなものがある。

 「もっとも、親子の間で引き継がれる『継承』の場合は自然継承されるから必要ないがの。親と違うものを新たに受け継ぐ『伝承』の場合は試験があるのじゃ。」

 「筆記か?」

 「ちゃうわっ!

 べしっ!

 正確な裏拳が突き刺さる。

 「”紡ぐ者”が候補者全てに聞き取って回るんじゃ。この紡ぐ者、これが同時に死に神じゃから、お主や儂らが闘う相手でもあるわけじゃ。」

 寿命が紡がれ、受け渡され、使われる。

 その流れが人生。

 それが不慮の事故で傷つけられなどして動かされるのが、怪我であり病。

 そしてそれを治すのが、抗う者であり、従う者。

 今、祐一の頭の中で、不可思議だったキーワードが整然と繋がりつつあった。


<続き>


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