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| 第16話 大きなのっぽの雪だるま:Dパート | 目次 |
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「ただいま〜。」
雪像作成隊3人は連れ立って水瀬家の玄関をくぐった。
ところどころ雪がついているのは祐一が悪ふざけをして雪合戦を始めたからだ。
「あゆは随分濡れたな。」
「それは祐一君がボクばっかり狙うからだよっ!」
「少し違うな。あゆだけが当たるんだ。」
名雪は雪の上でも足が速いので当たらないが、あゆは雪が無くても転ぶので当てやすいのだ。
祐一は悠然とコートを脱いだ。
「当て過ぎ、だよ。」
名雪が髪の先から水を垂らしながら不満を言う。
如何に名雪といえども雪の上では直線運動が主体になるので当て難いながら当たらないことはなかった。
「物理の復習だ。」
「それは中学校まで戻るよ。」
「歪んだ愛情表現だ。」
「歪まなくても良いよ。」
疲れたような名雪の顔が全てを象徴している。
ここは一つ、まともな愛情表現も見せてやらなければなるまい。
祐一は名雪とあゆのマフラーをコートかけにかけ、あゆの毛糸の帽子の裾を広げて天辺にかけた。
雪球攻撃で少し濡れていたからだ。
「あれ?あゆ、帽子間違えたのか?」
縫い取りのイニシャルが「A.K.」になっている。
それを見た名雪は小さく『ぁ。』と言って台所に駆けていった。
「??」
祐一は何のことか皆目見当もつかない。
そんな名雪の行動に気を取られていたので、
「違うよ。それはボクのだよ。」
とあゆが言ったとき、一瞬反応が遅れてしまった。
「ん?あぁ?何だっけ?」
「祐一君が帽子間違えた?って聞いたんだよ!」
あゆは不満そうに頬を膨らませた。
「あぁ、悪い悪い。で?これは間違いなくお前のなのか?」
「うん。秋子さんは、ボクがもう少し大人になったら教えてくれるって。」
そりゃ無理だ、とからかおうとして思い留まる。
今のあゆにはそれを受け止めるだけの心の余裕が無さそうだ。
「そうか。じゃあ、ここに乾かしておくから、使うときはいつでも呼んでくれ。」
「うん、ありがと、祐一君。」
あゆは祐一の不安を払いのけるような元気な笑顔を見せて部屋に戻っていった。
残された祐一は選択の岐路に立つ。
部屋に戻ってぴろと対策を話すか、キッチンに行って名雪を問い詰めるか。
(そりゃ、名雪だろ。)
あっさりと答えを出してキッチンに向かう。
ぴろが部屋にいるかどうかは判らないし、第一気になる。
「名雪〜。」
軽い調子でキッチンに繋がるダイニングに向かった祐一は、そこでぱたりと足を止めた。
いつもにこやかな秋子が真剣な顔で名雪と話をしているのが見えたからだ。
小声で話しているので話の内容は聞こえないが、大事な話であることは雰囲気からも想像がつく。
「あ、祐一さん、何でしょう?」
祐一に気がついた秋子が普段通りの笑顔を向けるが、祐一としてはそれ以上近づくことは憚られた。
「いえ、良いんです。宿題のことでちょっと…急ぎじゃないんで後から聞きます。」
適当に誤魔化してその場を離れる。
いくら秋子が祐一と家族同様に接してくれているとはいえ、いや、だからこそ、家族の会話に立ち入るわけにはいかない。
親しき仲にも礼儀あり。
こちらは居候に過ぎないのだから。
話の内容は気になるが、頼まれたのならいざ知らずしたり顔でずかずかと相談に混ざることは出来ない。
祐一は足早に階段を上った。
「おや?」
ぴろは部屋に入るなり首を傾げた。
机の上に置いてあるはずのものがなかったからだ。
「何だ、ぴろか。」
祐一はベッドの上から身体を起こして侵入者を確認し、大儀そうにまた身体を横にした。
ぴろは勢いよく飛び上がると全体重をかけてベッドの上に着地した。
いや、より正確には、ベッドの上の祐一の腹の上だ。
「ぐぇっ!」
祐一は呻き声とともに再び起きあがった。
その反動でぴろがはじき飛ばされる。
「げほっげほっ!何しやがるっ!」
「何を呑気にしておるんじゃっ!」
二人はお互いに自分の主張をぶつけ合った。
祐一は咳き込みながら、ぴろは肩で息をしながら息を整え、もう一度互いが抱える問題点を確認してみた。
「何がしたいんだ?」
「無いんじゃ。嬢ちゃんが持って来とったはずの黒琥珀がないんじゃ。」
今度は意志の疎通に成功した祐一の取った行動は、しかし、同じようなものだった。
祐一は再び身体を横たえ、本を手に取った。
「何だ、そのことか。それだったらさっき電話があったんだよ。」
「何じゃと?何と言っておったのじゃ?」
ぴろが電話の機能を知っていたことに少なからず驚かせられながら、祐一は美汐の電話の内容を説明した。
「つまり、この前の訪問と同じ事情だ。美汐が借りた本はこの前来た返却期限までに返さないといけないから大急ぎで返したわけだ。俺の分はまだ時間があるけど、どっちにしろ返さないといけないだろ?だけど、お前が宝珠を使ってしまったら本を返せなくなるかもしれないじゃないか。お前、この前そのことは保証しなかったからな。」
祐一は本に目を戻しながら説明を終えた。
ぴろは不満そうに祐一の腹の上に戻ってきた。
「そんなもの、借りっぱなしにしてしまえばよい。返す当てはいくらでもあるんじゃから。例えば、儂が代わりに返しに行くとかなんとか……。」
「そうはいかんだろ。美汐にしてみれば、借りたのは美汐なんだから、美汐の手で直接返したいんだと思うぜ。その気持ちは俺にもよく判るしな。」
借り賃が僅か数円という、その気になればいつでも踏み倒しできる条件にあっても律儀に期限を守って返却している美汐だ。
いくら師匠の命令とはいえ借りっ放しにするのは気が引けるのだろう。
「第一、真琴の命に別状がないんだったら急ぐ必要ないだろ?」
「じゃが、早いに越したことは無いんじゃが…。」
ぴろはもごもごと口ごもった。
どうやら真琴のこと以外にも事情があるらしい。
「判ってるって。だからこうしてクソ面白くもない口伝を一冊一冊読んでるんだろうが。」
期限より早く返す分には何の問題もない。
祐一が完読すれば美汐も心おきなく本を返しに行ける。
そうすれば黒琥珀だって喜んで提供してくれるだろう。
祐一の考え方は、この件に関して極めて合理的だった。
「面白くないとは何事じゃ。失敬な。」
「あ〜、面白い面白い、面白いから邪魔すんな。気が散る。」
祐一はうるさそうにぴろを跳ね飛ばした。
ただでさえ古文は苦手な部類に入るのに、特殊な用語が出てきて読みにくい。
試験勉強よりも集中が必要だった。
(通訳とは言わないまでも、辞書が欲しいよなぁ……。)
「そんな軽い気持ちで読んで判るものではないのじゃ。そもそもお主は動かす者としては少し威厳に欠けるところが……。」
祐一は目の前でぶつくさと小言を繰り返しているぴろをしげしげと眺めた。
構わず話を続けていたぴろも、祐一のもの言いたげな視線に気がついて口をつぐむ。
「何じゃ?」
「お前、美汐よりも詳しいって自慢してたよな?」
口伝のことについて、美汐より妖狐の方が詳しいに決まっている。
だが、そこまで聞いただけでぴろは首を振って拒否の姿勢を示した。
「駄目じゃ。それはお主が自分で学び取らねばならぬことじゃ…。」
ぴろの言葉を遮るように手を上げる。
「まぁ、待てよ。読むのは俺が読むから。お前は辞書になってくれればいい。」
判らない単語や言い回しが出てきたときに辞書代わりに解説する。
それがあるか無いかで進み方に雲泥の差が出る。
「しかしじゃな…。」
「ちょっと待った。更に言えば、お前の主人って誰だ?ん?」
祐一はぴろの首を掴んで持ち上げた。
ぴろは困ったように腕を組みながら首を傾げた。
「あ、そう来よるか?そうか…そうじゃな……ふ〜む……。」
口の中でああでもないこうでもないとしばらく考えた末に、ぴろはようやく首を縦に振った。
祐一は満足げに頷いた。
これで差し当たって残された問題は、毎日のように名雪との間で繰り広げられるぴろの取り合いだけだった。
報道陣の間に焦りの色が濃くなっていた。
新しい情報が入らない。
警察が動く様子もない。
病院側の動きもない。
が、そんなことはこの種の話題では常のことだ。
それには慣れている。
問題に感じているのは、これだけのスキャンダルにも関わらず、新規の患者の数が変わらないことだ。
増えていない分だけ報道が与えている影響はあるのかも知れない。
だが、患者の反応がおかしい。
普通なのが、おかしい。
「そうですか。でも、ここの病院が一番良いので…。」
誰もが皆、笑顔で外来の門をくぐる。
通院する患者が取材に迷惑そうな顔を向ける。
これはいつものことだ。
だが、敵意の籠もった目で見られるのは、滅多にないことだ。
そして何よりも、あの北川がこの場にいない。
誰よりも早く情報を入手して、いつも先んじて取材の場にいるあの北川がいない。
初めは『猿も木から落ちるんだな』とか『勘が鈍ってきているのかもな』と笑っていた連中も、今はその動きの無さがかえって気味悪かった。
こうした場合、取材から手を引くべきか更に取材を進めるべきか、その判断が重要になる。
そして、往々にして人はそれまでに投下された資材の額によって行く先を定める。
そこにあった人は全て常識的な判断をした。
その結果。
そこには撤退を決めた人間はいなかった。
報道陣の間をすり抜けてきたときにはすっかり門限に遅れてしまっていた。
だが、今の倉田病院には遅れてきた栞を見てもそれを咎めるものはなかった。
「良く抜けてこられたわねぇ。入院患者だと判ったら大変だったわよ。」
看護婦の一人が栞のおでこを撫でて、そして悲鳴を上げた。
手で触ってそれと判るほどの高熱。
入院患者を外に出して風邪を引かせたとなれば、ただでさえ厳しい立場の病院はいよいよ逃げ場が無くなる。
元来、栞の病気は安静にしていなければならないものなのだ。
「美坂さん、無理しないでそこに掛けてください。今車椅子かストレッチャー探してきますから。」
看護婦が慌ただしく走っていく。
栞は彼女の指示通りに待合室のソファーに腰を落ち着けた。
「あれ?地震です〜。」
座っているはずなのにふらふらと世界が揺れている。
栞は身体を落ち着けるためにソファーに身体を寝かせた。
振動は収まらない。
結構大きな地震のようだ。
遠くで看護婦が車輪を軋ませながらストレッチャーを押してくる音がする。
「地震の時に走ったら危ないですよ〜…。」
栞の講義を聞き流しながら、看護婦達が栞の身体をストレッチャーに載せて走っていく。
「倉田先生に連絡を!」
「しましたっ!」
「じゃあ、次は点滴の準備、急いでっ!」
「氷嚢あったかしら?3つ準備して下さい。」
地震の時は、姿勢を低くして広いところに……。
栞の意識は次第に遠くなっていった。
「なるほど、そうか。」
祐一はぽんと膝を叩いた。
横になっていた身体がいつの間にか起きあがっていた。
話に引き込まれるというか、判らなかったものが判っていく楽しみがあった。
それが自分の持っている、いや、持っていたかもしれない力について判っていくのだとしたら尚更だ。
「そういうことじゃ。儂が笑った理由が判ってきたかの?」
ぴろは嬉しそうに微笑みながら、それでも慎重に問いかけた。
対する祐一もまた慎重に答える。
「いや、もう少しだ。もどかしいだろうが、我慢してくれ。俺が勘違いして口にしてしまうとまずそうだ。」
祐一の答えはぴろをいたく喜ばせたようだ。
ぴろはその喜びを何とか表現しようと飛び上がって一回転をした。
「そうじゃそうじゃ!」
「おっと、これ以上はまずいな。後は明日だ。明日の昼間、俺は俺の考えをまとめてみる。それを紙に書いて来るから、お前それを見て違うとか違わないとか言ってみろ。それでいいか?」
「いや、書くときは儂の前がよいじゃろ。途中で止められるからな。」
ここは慎重に行くべきじゃ、とぴろは念を押す。
こんこん、とかなり大きなノックの音がした。
「あ、名雪だ。ぴろ、隠れろ。」
祐一は小さな声で指示を出して扉を開けた。
「祐一、ぴろ来てない?」
名雪は扉が半分開いただけで部屋の中に潜り込んできた。
祐一は素知らぬ顔で首を傾げる。
「さぁな。あいつはいつの間にか入ってきてるからなぁ。」
「祐一の部屋、暖かいからねぇ。わたしも部屋を暖めようかな…。」
名雪はベッドの下からぴろを引きずり出しながらそう呟いた。
「朝起きられなくなるぞ。」
「最近起きてるよ。」
名雪はにっこりと微笑を浮かべながら再び祐一の前を通り過ぎる。
「祐一が来てから、朝早起きできるようになったよ。ありがと。」
その言葉通り、最近の名雪は目覚まし要らずだ。
眠りが深いのは相変わらずだが、食生活が充実してきて生活のリズムが一定になっている。
「俺は何もしてないぞ。」
「そうだね。でも、祐一のおかげだよ。」
満足そうな笑顔は変わらない。
釈然としない祐一に向かってぺこりと一つお辞儀をして、名雪が廊下に消えていく。
祐一は、居心地の悪い感謝の念は忘れることにして、自分も夢の世界に旅立つことにした。
<続き>