Canon 〜外典〜前話
  by Ophanim次話
 第16話 大きなのっぽの雪だるま:Aパート目次





1月 17日 日曜日



 微睡みの中にいる。

 それは判っていた。

 判っている、今は夢を見ている。

 それなのに、涙が出た。

 涙が流れぬようにと見上げた空が朱に染まっていた。

 視点が勝手に動いていく。

 夢ならではの演出がとても憎らしい。

 聞こえない。

 何と言っているのか、聞こえない。

 自分の声なのに、自分の耳に届かない。

 ただ。

 ”どうして”

 口の動きはそう言っているように思える。

 離れていく視界の中で、自分がどんどん小さくなっていく。

 その風景もごつごつと微妙に揺れ動く。

 どうやら身体が空に向かって真っ直ぐに飛び上がっていっているようだ。

 木の枝にごんごんと当たる音がする。

 ……音が、聞こえる。

 祐一はうっすらと目を開けた。

 今日は日曜日のはずだ。

 目覚ましはかけていない。

 なのに、目が覚めた。

 自然にではなく、明らかに外部の力によって目が覚まされた。

 何故だ?

 祐一はとろんとした頭で考えた。

 こんこん、と扉がノックされて、謎はすぐに解決した。

 目を開けると既に高くなっている日差しが眩しい。

 祐一はノックに答える前にまず目を慣らすために身体を起こした。

 しばらくして再び遠慮がちに、辛抱強く続けられる、呼び出しのアピール。

 夢の中で聞こえていたものとは雲泥の差がある、今にも消えそうな音。

 それでも目を覚ましたのは、その音が耳ではなく心に響いたからに他ならない。

 祐一はのっそりと身体をベッドから引きずり出した。

 寝覚めは最悪だったがこれ以上待たせるわけには行かない。

 夢の中でも微かに聞こえていたのだから、相当長い間外で待っているに違いないのだ。

 「あゆ、どうした?」

 着替えながら扉に向けて声をかける。

 「わ、どうして判ったの?」

 「ノックの意味を分かってないのはお前くらいだ。」

 実際にはノックの音や調子で判るのだが、祐一はあゆをからかってそう言った。

 もっとも、中にいる人に気を遣って、聞こえないようにノックするのはあゆくらいだろう。

 秋子はノックすることの意味を分かっているので問題外とすると、真琴ならノックすらせずに突っ込んでくるし、名雪は名雪でノックする以前にどうしようかと廊下で騒ぐ。

 唯一あゆと見分けがつかないのは美汐だが、美汐はこんな時間には来ないし返事がなければ帰る。

 よって、ノックはするがその効果を判っていないのはあゆ一人と言うことになる。

 「そんなことないもんっ!

 「そうかぁ?」

 着替えを終えて扉を開ける。

 祐一の姿を見たあゆは少し複雑な表情をした。

 「え、えと……?祐一君、今日忙しいの?」

 「あぁ、忙しい。」

 あゆの次の言葉を待たずに階段を下りる。

 その後ろを、遠慮がちについてくる足音がある。

 「そ、そっか……。」

 「あぁ、忙しい忙しい。」

 祐一は台所には向かわずに直接玄関に出た。

 夢見が悪くて食欲が湧かない。

 あゆはその祐一に続いて玄関に出てきた。

 祐一は洋服かけからあゆの毛糸の帽子を取ると、ひょいっとあゆに被せた。

 「え?」

 「俺は忙しいんだ。あゆと一緒に探し物しないといけないからな。」

 目をぱちくりとさせているあゆに向かってそう言った祐一の身体には、トレーナーの上にセーターが重ねられ、厳重な防寒対策が為されている。

 この間の轍を踏むつもりはない。

 「なんだ?マフラーもいるか?秋子さんのプレゼントの?」

 「う、うんっ!!

 あゆは元気な返事を返した。

 今日は楽しい捜索隊を出せそうだった。



 試験は終わった。

 これで自分の一生が決まると思うと不思議な感触がする。

 確かに、戦争という名称がしっくりくる面もある。

 狭き門をくぐるために、例えば無二の親友である舞をも蹴落とさなければならない、シビアな世界だ。

 ちょっとした気の緩みや油断が命取り、念には念を入れて慎重に事に当たらなければならない。

 が、一方でそれで、命を取られるわけでもない。

 いくらでもやり直しがきく点は、戦争とはかけ離れている。

 だから、簡単に気持ちを切り替えることが出来る。

 佐祐理は模範解答の中から数点自分の解答と異なる点を見つけだしていたが、予想以上に気軽に振り返ることが出来た。

 ということは、彼女の鏡である親友の方は思い気持ちになっているはずだ。

 案の定、舞は難しい顔で解答速報と睨めっこしていた。

 「舞、忘れよう。もう終わったことだし。」

 無駄とは思いつつも、舞の顔はそう声をかけずにはいられなくなるほど辛そうに歪んでいた。

 だが、やはり親友の首は横に振られた。

 「佐祐理……すまない……駄目かも……。」

 掠れそうな声でそう嘆く。

 「何が駄目なの?」

 舞の言葉が意味するものは判っているが、佐祐理は敢えて出来るだけ軽い調子で聞いてみた。

 「同じ大学、行けないかもしれない……。」

 そう言って舞は肩を落とした。

 それは二人の夢でもあり、目標でもあった。

 二人で同じ大学の医学部を受け、それぞれ違う分野を専攻し、同じ病院に勤務する。

 そこで二人が得た知識を交換しあって二人が二人分以上の力を発揮する。

 そんなことが出来たらどんなに良いだろう。

 二人の希望はとても純粋なものだった。

 そしてそれがために互いが互いの足枷手枷となりうる、とても辛い受験戦争になっていた。

 「大丈夫だよ。絶対大丈夫。」

 佐祐理は舞にも自分にも言い聞かせるようにそう言った。

 だが、当然舞の方ではそんな言葉では納得しない。

 ますます落ち込むだけだ。

 こういうとき一体どうすればいいのか、佐祐理にはなかなか思いつかない。

 …これまでは。

 今の佐祐理には頼れる人がいた。

 「ね、祐一さんに聞いてみようよ。明日お昼に間に合うように帰って……。」

 佐祐理は元気に微笑みながらそう言った。

 ”駄目だな”とか”大丈夫じゃないかも知れないかもな”とか、意地悪なことを言うかもしれないが、彼に言われたことなら舞は軽く流せる。

 いやもっと楽観的に、”そんなに点取っておいて贅沢抜かすな”とか”俺に半分よこせ”とか、独特の言い回しで舞を元気づけてくれる。

 それに何より、彼の名前を聞いた舞は、既に顔を上げている。

 「祐一……?」

 舞は真っ直ぐに佐祐理を見つめていた。

 「そう、祐一さん。」

 佐祐理はもう一度繰り返した。

 その目の前で、舞が首を振る。

 「駄目…だと思う……。」

 「ど、どうして?」

 佐祐理は驚いて親友の顔を見た。

 彼まで否定されたら佐祐理にはもう切り札がない。

 だが、舞の顔は俯いてはいなかった。

 「お弁当作る時間がない。」

 舞の頬が微かに揺れた。

 それは笑顔と呼んでも差し支えのないものだった。

 「あ、そっか〜。あはは〜。」

 佐祐理は自分で自分の頭を小突いた。

 作り笑いではない、本当の笑顔が出る。

 「佐祐理、馬鹿だから……。」

 「そんなことない。」

 舞は佐祐理の言葉を即座に否定する。

 もうすっかりいつもの舞に戻っている。

 「でも、馬鹿だから。」

 「それでもいいから、ご飯。」

 「あはは〜。そうだね〜、ご飯にしようね〜。」

 佐祐理は嬉しかった。

 舞が元気になったことが嬉しかった。

 心の何処にも陰りが無く、心全体で笑えることが、嬉しかった。



 「あゆ、どうだ?ありそうか?」

 祐一は何軒目かの店の前であゆを振り返った。

 あゆは祐一に数歩遅れてついてくる。

 店と店の間も慎重に探しながら歩いているのでペースが上がらないのだ。

 祐一はそれを辛抱強く待っている。

 ようやくあゆが追いついたとき、祐一は再び同じ質問をしてみた。

 「うーん…。ない…と思う。」

 真剣な眼差しで周りを見回した後、あゆは力無く首を振った。

 もうかれこれ数時間探し回っている。

 あゆの疲労も限界だろう。

 「ちょっと休憩するか?」

 祐一はため息をついているあゆに話しかけた。

 折しも通りの一つを調べ終えたところだ。

 休んで仕切り直すには丁度良い。

 「うん。そうだね。」

 あゆは嬉しそうに頷いた。

 相当疲れていたのだろう。

 口から出る息が真っ白になっている。

 「この間と同じ店で良いか?他に行きたいところあるか?」

 祐一は座って話し込んでも良さそうな店を探しながら聞いた。

 この間のファーストフード店はここからは遠いし、レストランのような所では長居できない。

 「どこでもいいけど、美味しいたい焼きがあるところ!

 あゆはそれが当然というように両手を上げた。

 そう言えば、この前はたい焼きを食べられなかった。

 祐一は苦笑いしながら近くの甘味屋ののれんをくぐった。

 「じゃあ、今日はボクが奢るよ。」

 あゆはにこにこしながらそう言った。

 「そっか。ありがと、秋子さん。」

 「うぐぅ……。」

 祐一の返事にあゆが困ったような顔をする。

 「なんだ?出所は同じなんだから秋子さんに感謝するのが筋だろ?」

 「うぐぅ……でも、ボクが……。」

 複雑な表情をしているあゆの背中を押すようにして甘味屋のテーブルに移動する。

 他から隔離されている一番奥の特等席、落ち着ける場所を占拠して簡単に注文をしてしまう。

 これでしばらく長居しても大丈夫だ。

 「結局秋子さんと一緒にいることにしたんだな?」

 「う、うん……。」

 あゆは照れて赤くなった頬を両手で隠した。

 大山鳴動鼠一匹。

 大騒ぎした割りに元の鞘に収まったカップルのような、妙な心地になるのだろう。

 あゆは心の動きが全て表情に出るので見ていて飽きない。

 また、そういうあゆを見ていると安心する。

 何しろこの間は今にも死にそうな雰囲気を漂わせていた。

 (やっぱりあゆは元気でないとな。)

 祐一はそう思いながらあゆの顔を見つめた。

 「な、なに?」

 見つめられた方はまだ赤い顔を持て余すように首を傾げた。

 「別に。あゆは可愛いなって思ってな。」

 「ほんと?えへへ…。」

 「冗談だ。」

 「うぐぅ!祐一君、ひどいよっ!

 祐一の軽口にもいちいち律儀に力一杯の反応をする。

 やはりこうでなくてはあゆと話をしている気がしない。

 注文の品が来るまでの間、祐一はあゆをからかいながら時間を過ごした。

 この店は注文が来てから仕上げをするので、品物が届くまで時間がかかる。

 その分味はすこぶるつきだが客層は高めに限られており、あゆや祐一の年代の客が来ることは稀だ。

 同級生が来ることはまずあるまい、と思っていると、あにはからんや、やって来たカップルがある。

 「何だぁ?相沢かぁ…。」

 「珍しいわね?」

 北川と香里が目敏く二人を見つけて近づいてきた。

 隔離されている場所なので座る場所は狭い。

 祐一とあゆは少し中に詰めて二人に場所を提供した。

 「すまんな、相沢。」

 「いいって。今日は何だ?」

 北川との会話は簡潔で済む。

 言いたいことや主語を省いても解り合える。

 ちなみに今の会話は『二人で居るところを邪魔してすまんな、相沢。』『そんなんじゃないって。それより、今日は何が欲しくて香里と一緒に居るんだ?』という会話の省略だ。

 「数学の宿題だ。やったか?」

 「そんなのあったか?」

 宿題の存在すら判らない。

 残念ながら今回の北川の説明は祐一にはちんぷんかんぷんだった。

 「おいおい、この間の実力テストの話だろ?間違えた問題を解きなおしてくるって言うのが宿題だ。」

 「そうだったのか?」

 祐一は頭を捻って記憶を探った。

 どうしてもそんなことを言われた覚えがない。

 「無理よ。相沢君は病院に運ばれていたもの。」

 香里は叩き付けるような厳しさでそう言った。

 どうもまだ祐一のことを怒っているらしい。

 「あ〜、あの時か。そりゃあ判らないわけだ。」

 祐一は頭を掻きながらそう言った。

 忘れていたわけではないと判って一安心だ。

 「おいおい?随分余裕あるなぁ?ひょっとして相沢って数学得意か?」

 もともとの点数が高ければ宿題の量は減る。

 数学の苦手な人間であればあるほど解かなければならない問題が増える寸法だ。

 北川が祐一に”得意なのか”と聞いたのはそれが理由だ。

 「ああ。多分10問くらい解けば良いんじゃないか?」

 祐一は余裕たっぷりに答えた。

 北川は得たりとばかりににやりと微笑む。

 「全部で10問なんだけど。」

 香里の言葉は何処までも冷たく冷静だった。


<続き>


MailCanon IndexTSO Index