Canon 〜外典〜前話
  by Ophanim次話
 第15話 すれ違い、行き違い:Aパート目次





1月 16日 土曜日



 自分の身体の節々から煙が上がってくる。

 「そこらじゅうから煙が出てくるなんて、壊れた機械人間みたいだな。」

 「湯気、だよ〜。」

 判ってるわぃ、と名雪の脳天に軽くちょっぷをくれておいて、祐一はタオルで顔から流れる汗を拭いた。

 午前で授業は終了したのに、まだ学校に残っているという違和感は最初だけだった。

 ひょっこり顔を出した祐一を不思議そうに眺めていた顧問は、祐一が幽霊部員でなかったことを知ると大喜びで早速適性テストを始めた。

 顧問は、祐一が短距離を一通り終える頃には祐一の選手登録を決めていたようで、長距離適性審査に入ると同時に体育館から姿を消していた。

 余計なことを一つしてから……。

 「よりによって名雪にペースメーカーを頼んでいくなんて、なんて鬼な顧問だ…。」

 祐一は、はぁはぁとため息をつきながらそう呟いた。

 「でも、わたしはちゃんとゆっくり走ったよ。」

 名雪は困ったように首を傾げた。

 どうやら周囲の冷やかすような視線に気がついていないらしい。

 頭を抱える祐一にマネージャーが近づいてくる。

 「相沢さん、お疲れさま。初心者にしてはなかなかの走りじゃないですか?」

 どうやら走り終えた後の心拍数を計るらしいが、その”何を言いたいのか言わないでも判る”ようなにやにや笑いをしながら計られたら、まともな計測が出来るはずがない。

 「そうですか?」

 祐一は適当に答えてすぐに腕を計測器に通した。

 こういう時はとっとと退散するに限る。

 「うわ、ひどいよ、マネージャー。そこは”前の学校で何かやってたの?”って聞かないと……。」

 名雪が唇を尖らせながら祐一を庇うが、はっきり申し上げてありがた迷惑。

 祐一は顔を背けて関知しない作戦に出た。

 「さすがに庇うわねぇ。部長、妬けるぅ〜。」

 「そ、そ、そんなのじゃなくて…。」

 名雪が思わず手を胸に当てた、その仕草が、祐一の昨日の記憶を鮮明に呼び覚ました。

 秋子が言った一言。

 『だって、月宮あゆちゃんは、私が確かにお腹を痛めた子供ですから。』

 そう言った秋子に、

 「え?ええっ!?ほんとですか?

と、祐一は驚いて聞いた。

 「ええ。胸も痛みましたけど。」

 その時、

 そう言って秋子も、今の名雪と同じように胸に手を当てた。

 さすがに母娘だけあって、ちょっとした仕草まで似ている。

 (子供を産むときって、胸も使うのか……初めて知った…。)

 そう言えば、産まれてすぐに母の乳を求めるとかなんとかいう話があったような無かったような…。

 いや、それは動物の話だったか?

 待て待て、人間も動物の一種だから…。

 などと考えを巡らせながら、祐一は何の気無しに名雪を眺めていた。

 「相沢さん、さっきから何処見ているんですか?」

 マネージャーがにやにやと笑いながらそんなことを言った。

 「「え?何が?」」

 祐一と名雪は異口同音に尋ねた。

 いや、マネージャーの質問は余りにも話の流れから外れたものだったから、聞き返したと言うよりも自然に口をついて出た、と言った方がいいかもしれない。

 「相沢さん、部長の胸ばっかり見てましたから。」

 「ぶぁっ、ばっ、馬鹿なこと言うな〜っ!

 祐一は思わず立ち上がって反論した。

 腕に取り付けられた計測器が一緒に持ち上がる。

 確かに言われてみればその通りなのだが、それは名雪の仕草を見ていたから自然に胸に目がいったわけで、全くの誤解だ。

 だが、この状況下で集中力を欠いた祐一の失敗には間違いない。

 「あぁ、もう。これじゃあ全然心拍数が計れないじゃないですか……。」

 「誰のせいだ、誰の〜っ!

 真っ赤になって言葉も出ない名雪を後目に、マネージャーと祐一二人の間で激しい突っ込みの応酬が繰り広げられる。

 そうこうしているうちに顧問が戻ってきてしまった。

 「やばぁいっ!相沢さん、腕抜いて、腕!

 マネージャーは祐一がもたもたしている間も惜しんで記録をつけた。

 いや、記録をつけた、というのは正しくない。

 祐一の動悸は長い距離を走った後の自然な増加に加えて、名雪との関係を突っ込まれた精神的な増加が加わっていて正しい記録にはならない。

 ならないので、マネージャーが取った行動は、と言うと。

 「あら、凄いじゃない。相沢君。これだけ長い距離を走っても心拍数が平常なのね。」

 男子部員が少ないため、女子と一まとめにされている陸上部の顧問は女性だった。

 女性ならみんな生徒の身体の異常には目敏いだろう、という祐一の思いこみは確かに思いこみでしかなかった。

 依然として真っ赤な顔をして額から汗を流している祐一の表情よりは、マネージャーが”このくらいは名雪のことでどきどきしている分”と奮発して削減してある数値データの方を信用した。

 (捏造すんなよ……。)

 祐一は意図的に息を荒げてみせながらマネージャーを睨んだ。

 走り終えて数秒で平常の心拍数に戻る、というとんでもない改竄をしたマネージャーは、祐一の視線を感じてか、舌を出して笑っている。

 もともと層が薄かった中長距離用の選手として祐一が登録されたのは、それからものの数分も経たない間の出来事だった。



 初日の試験は上々の出来だった、と思う。

 佐祐理は試験場の前で配られていた予備校の解答速報と睨めっこしながら、自己採点を終えた。

 終わったことについて採点するのを時間の無駄、と考える人もあるだろうが、佐祐理としては今日の出来を把握した上で明日の試験に臨みたかった。

 その方が試験結果が気にならないし、もしも悪かった場合にはより慎重に問題に対峙できる気がする。逆に良かった場合にはより効率的に問題に当たることが出来ると思う。

 佐祐理は舞を振り返った。

 舞の方は採点しない主義らしい。

 その割にはくよくよと悩んでいるような雰囲気だ。

 普段は切り替えが早いのが佐祐理の方で拘るのが舞の方なのに、こういった点では普段と全く逆の行動を取る二人が面白い。

 「あ…。」

 テレビを見ていた舞が小さな声を上げてチャンネルを変えた。

 それだけで何が映っていたのか判ってしまう。

 「いいよ、舞。佐祐理も知りたいんだ。」

 佐祐理は親友にそう話しかけて、自らチャンネルを元に戻した。

 サブタイトルは”倉田病院、今度は緊急患者をたらい回し”とされている。

 途中からなのでよく判らないが、どうも昨日倉田病院に運ばれてきた患者が直前でキャンセルされて久瀬病院に回されたということがあったらしい。

 だが、佐祐理にはそれが何故大きく報道されているのか判らなかった。

 緊急治療室がいっぱいだから他に回した、ということではないだろうか?

 いつもなら大した問題にもならない日常の光景だが、今は時期が悪い、何をやっても裏目に出る、とはこのことか?

 (それにしても、変ですね?)

 佐祐理は首を傾げた。

 救急治療室は確かにそれほど数が多くないが、倉田病院は今新規の患者受け入れを自粛しているはずで、久瀬病院に頼らなければならないほど混み合っているとも思えない。

 「…医師としての姿勢が問われるところではないでしょうか?」

 しゃんっ!

 佐祐理は激しい金属音に飛び上がった。

 その隣に、目を爛々と輝かせている舞がいる。

 憎しみのこもった視線をテレビの中に送っている、その手に、青白く輝く木剣が握られていた。

 佐祐理は慌てて舞の右手を押さえた。

 「舞、やめて。佐祐理は大丈夫だから……。」

 佐祐理の行動は間一髪のところでテレビの命を救った。

 舞の力は佐祐理の身体を持ち上げるほど強く、テレビ一台を叩き壊すくらい何でもないからだ。

 収まりきらない舞は、腕をぶるぶると震わせながら怒りを鎮めようと努力していた。



 「暑いな〜。」

 祐一のものとは思えない言葉に名雪が『そうだね』と答える。

 部活を終えてすぐに体育館の外に出てきた祐一の身体はまだ少し汗ばんでいた。

 ふと校舎の裏庭に目を移した祐一は、そこにあり得ないものを見かけて絶句した。

 「…あ。祐一さん、名雪さん、お久しぶりです〜。」

 「わ、栞ちゃん、風邪治ったの?」

 ぺこりと頭を下げる栞を見て、名雪は単純に喜んで駆け寄った。

 薄いストールを巻き付けた栞の身体はいつもよりも更に細く、小さくなったように見える。

 祐一は名雪の後に続いて栞に近づくと、腕組みをしながら話しかけた。

 「栞、治ったって言われたのか?」

 祐一の言葉に、栞の表情は急速に硬くなった。

 照れたような笑顔を張り付けたまま、考え込むように俯いてしまった。

 「栞ちゃん、治ってないの??」

 「え、え〜っと……。」

 名雪に質問されて顔を上げるが、祐一の怒った顔を見つけてまた下を向いてしまう。 

 「…治ってないんだな?」

 祐一の確認に、ゆっくりと首を縦に振る。

 「駄目じゃないか!大人しくして、早く治さないと……。」

 「祐一!ちょっと待ってよ!

 名雪は祐一が怒鳴りつけるのを見ると、咄嗟にその間に入った。

 両手を広げて、祐一の視線から栞を庇うように身体の位置を調節する。

 「何だよ、名雪…。」

 「栞ちゃんだって、そんなこと判ってると思うよ。だけど、それでもここに来たい理由があったのかもしれないよ。だから、聞いてみようよ。怒るのは、それからだよ。」

 名雪の意見ももっともだ。

 祐一はゆっくり頷いて、校舎から続く階段に寄りかかった。

 「え、えと、今病院が大変なことになってて、それで……。」

 栞は一生懸命説明をした。

 切れ切れの状況説明をつなぎ合わせると、倉田総合病院が今巻き込まれている事件によって栞の退院が遅れる可能性が出てきた、ということらしい。

 そうなると出席日数が足りなくなって退学になる可能性がある。だから、今のうちに一度学校に来ておきたかった、と…。

 「そうなんだ〜。」

 「そうなのか?」

 納得した名雪とは逆に、祐一はかえって疑問が増えた。

 栞の言葉が足りないのかも知れない。

 「どうして?」

 「いいか。退学の前にまず、休学という手段を執れるはずだ。まだ高校一年の栞ならともかく、医者の倉田先生がそれに気を回さないはずがない。それに、倉田病院が今自粛しているのは新しい入院患者の受け入れだろう?既に入院している患者の治療を放り出したら余計に評判が悪くなるじゃないか。それと、これは栞の気持ち一つだけど、その気になればあゆと同じ高校に転校しておけば何も気にせずに学校を休めるはずだ。現にあゆは今日も休んでいるしな。」

 ぽんぽんと続く祐一の指摘に、栞はえぅえぅと涙目になって頭を振った。

 「ほ、ほんとなんです〜。」

 「祐一、栞ちゃんが一番詳しいんだから、信じようよ…。」

 名雪はあたふたと慌てながら二人の顔をかわるがわる見つめた。

 だが、所々要領を得ない栞の説明よりも、祐一の指摘の方が正しく感じられる。

 そうは言っても、涙目になって困っている栞をこれ以上責めることも出来ない。

 長い沈黙が過ぎた後、祐一はそれと同じくらい長いため息をついた。

 「判った。深入りしても仕方ないな。」

 「はい〜。」

 祐一の諦めたような口調に無罪放免されると感じた栞は、ぷは〜っと大きく息を吐いた。

 名雪もほっとしてため息をつく。

 年頃の女の子らしく、栞と名雪はすぐに別の話題で盛り上がろうとしていた。

 「名雪さん、あゆさんって誰ですか?」

 「この前話したよ〜。今わたしの家にいる女の子で……。」

 「こら。」

 祐一はのっそりと二人の肩に手を置いた。

 二人が黙るのを待って、ゆっくりと口を開く。

 「何事もなかったように話し始めるな。栞、一つだけ答えてくれ。」

 「はい〜。なんでしょう?」

 すっかり笑顔に戻った栞が祐一の顔を見上げる。

 大したことは聞かれないだろう、という期待に満ちた視線を正面から受けながら、言葉を吐き出す。

 「何しに来た?」

 「うわっ、そう言うこと言う人嫌いです〜っ!」

 祐一の、予想外に冷たく突き放すような口調に、栞は半泣きで文句を言った。

 「祐一、冷たいよ……。」

 「何でだ?見に来ただけなら帰ればいいだろ?」

 「感傷に浸っていたんです〜。」

 栞は頬を膨らませてぷいっと横を向いた。

 夕暮れの陽光に照らされて、いつもよりも顔が赤く見える。

 「そうか?俺はまた香里を探しているのかと思ったよ。」

 「そんな人知りませんっ!

 「じゃあ、退学が嫌で命乞いに来た、とか?」

 「そんなことないです〜っ!

 栞はムキになって祐一の言葉を否定している。

 今なら何を言っても首を振りそうだ。

 祐一はふぅ、とため息をついた。

 それは、目的のものを手に入れた、満足のため息だった。


<続き>


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