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| 第14話 絆:Aパート | 目次 |
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1月 15日 金曜日(成人の日)
昔々、あるところに、正直者で働き者の男がおった。
野山を歩いて獣を狩ってその日の飯にしておった。
ある日のこと。
男は山で人の罠にかかった狐の子を見つけた。
早速その日の獲物にしようかと思うたが、村の婆の言葉をはたと思い出して手を止めた。
”狐様は大切にせねばならん”。
村の誰もがそんなことは無い、狐は人を化かすよって悪い獣じゃ、と言っておった。
だが、男は婆の言葉を信じておったので、狐を懐に入れて大事に抱えて家に戻った。
狐の子はすっかり弱っていて今にも死にそうだったが、男はじっと看病を続けた。
朝、起きれば、牛の乳をぬくめて飲ませ。
昼、日が昇れば日差しを避け。
夜、寒ければ抱いて眠った。
もともと貧しかった男の暮らしは一層苦しうなった。
それでも男は自分の食い扶持を減らしてでも狐の子に食わせておった。
一年が過ぎた。
男の看病の甲斐あって、狐の子は日増しに元気になっていった。
家の中を跳ねて回るほどになった頃、男は狐を山に帰してやることにした。
村の者に見つからぬよう、新月の夜にそっと家を出た男は、狐に言い聞かせた。
「もう二度と、罠にかかるんじゃねぇぞ。村に近寄ったらいかんぞ。」
狐は何度も何度も振り返りながら山に戻った。
男の暮らしは元に戻った。
ただ、獣を捕ることは止めた。
野山を歩いてきのこや木の実を集めることにした。
芋を掘って木の根を囓った。
冬になった。
獣を捕らなくなった男の飯は無くなった。
それでも男は獣を食おうとしなかった。
村の者が心配して見舞いに来たが、男は床に伏せったまま笑っておった。
雪の夜。
男が目を覚ますと、囲炉裏の上に温かい食い物が出来ておった。
どろりとした汁は何とも言えず良い薫りがした。
男はゆっくりとそれを口にした。
途端に力が漲ってきて男は元気になった。
元気になった男は、竃の前に佇む女を見つけた。
「お加減は如何ですか?」
女は天女のような美しい女だった。
どうか嫁に貰ってくださいと頼む女の願いを男は二つ返事で引き受けた。
男の暮らしは変わった。
山を歩けば筍が採れ、庭を掘れば泉が湧き、畑を耕せば豆がなった。
だが、「食うに困らぬだけあれば金は要らぬ」と言う正直さだけは変わらなかった。
二人では食べ切れぬほど採れたときには、村のものに分け与えた。
もともと真面目で正直な男はいつしか村の長者となり、村人から信頼を集めるようになった。
そんな幸せな生活の中でも、不安はあった。
男は女の顔色が日増しに悪くなっていくことに勘付いておった。
飯が合わぬのか、と問うても、里が恋しいか、と問うても女は微笑んで頭を振るだけじゃった。
薬師を呼んで診てもろうたがとんと理由が判らぬ。
女の身を案じた男は夜もまんじりと眠れず、とうとう男も床に伏せってしもうた。
月夜の晩。
男の枕元に女が現れた。
女は床にすりつけんばかりに頭を下げた。
「これ以上ここにいてはあなたも参ってしまいます。お世話になりました。」
男は驚いて起きあがった。
「何を言う。お主が愛しいからこそ、心配もするのじゃ。こんなものは屁でもない。どうかそんなことを言わないでおくれ。」
だが、女はただ静かに頭を振った。
「いいえ。私はもう山に帰らねばなりません。実を申せば、私はあなたに助けられたあの狐なのです。」
今宵狐の姿に戻らねば、一生人の姿で過ごさねばなりませぬ、という。
男は女の手を取って言った。
「構わぬではないか。お主がここで過ごすのに、何の問題があろうか?」
それでも女は首を振った。
「そうしたいのは山々でございますが、それではこの心の臓が耐えられぬのでございます。」
人となって死に別れるか、狐に戻って生き別れるか、どちらか。
男は落胆のあまり崩れ落ちた。
その様があまりにも気の毒だったので、女はほろりと涙を落とした。
「一つ、手があります。」
女は月を見ながらそう呟いた。
小さな声だったが、男が聞き逃すはずはなかった。
「何じゃ?申せ。申してくれろ。」
女の肩にすがるように抱きついて、男は懇願した。
男にほだされるように、女はようよう次の言葉を言った。
「玉の緒があれば、生き長らえます。」
それは歳を経た霊木の中で産まれる命の源で、非常に稀な宝だった。
手に入れるには命がけで山という山を探し回らねばならぬ。
そしてそれをするには残された時が余りに短かった。
ふと、男は村の庄屋が見せてくれた宝を思い出した。
もしやあれではなかろうか?
男は夜道を庄屋の元へ急いだ。
どうか譲ってはもらえまいか。
そう切り出した男に、腹黒の庄屋は男の全ての財産と引き替えることを要求した。
もとより金に執着のない男、二つ返事で引き受けると喜び勇んで家に舞い戻った。
だが、女は首を振った。
「残念ですが、それは玉の緒ではありませぬ。」
どこまでも腹黒の庄屋は男に偽物を渡しておった。
途方に暮れた男は月に願った。
女がどうしても山に帰らねばならぬのなら、自分も狐になりたい、と。
明くる日、腹黒の庄屋が早くも男を追い出そうと家にやってきたとき、男の姿は既に無かった。
村人達が探しても男の姿は何処にも見当たらなかった。
庄屋はほくほく顔で男の家屋敷を奪ったが、その日から男の庭の泉は枯れてしまった。
畑は石のように固くなり、作物は何一つならなかった。
そればかりか庄屋の家では病が流行り、家人がばたばたと倒れていった。
一月も経つころには庄屋はすっかり落ちぶれて、とうとう玉の緒も手放さねばならなくなってしもうた。
通いの商人(あきんど)に売ろうと箱を開けた。
…開いたのは二人の口だった。
中身はいつの間にか空になっておった。
怒った商人は借金の形に庄屋の家屋敷を取り上げて、その日のうちに追い出してしもうた。
途方に暮れた庄屋が見上げる夜空には月が光っていた。
山の上では、その月に向かって仲良く吠える一組の狐夫婦がおった。
どっとはらい。
これは比較的幸せな話だな。
祐一は大きく息を吐きながら本を閉じた。
美汐が指摘したように、口伝に含まれる妖狐の伝承の多くは悲劇的な結末を迎えるものが多く、それらを読み進めるのは精神的にかなりの重労働だ。
…昔話と割り切って読むには全てが余りにも身近だった。
(このところ耳が見えたりしたのも、力が弱まってるせいなのかな…。)
食べるときは相変わらず手を使うし、夜中もちょこまかと小うるさいが、たまに出かけていて静かだと妙に寂しくなる。
真琴はそんな魅力を持っていた。
(なんとか…ならないのか…?)
こんこん、という遠慮がちなノックの音で祐一は我に返った。
「開いてるぞ〜。」
そう言っても開けてこないので、誰が扉の向こうにいるのか判る。
「あゆ、入っても良いんだぞ。」
祐一が苦笑しながらそう言ってようやく扉が開かれた。
「あの、祐一君、今、時間ある?」
恐る恐る尋ねてくる。
忙しいと言えば忙しいと言えた。
この膨大な量の口伝のどこかに、”人の里に下りてきたけれども命を長らえた妖狐の話”があるかもしれない。
それを見つけるためには時間はいくらあっても足りない。
だが、そこには何もないかも知れないと思えば、費やす時間は無駄でしかない。
(……ま、ちょっとくらいは良いだろ。)
いざとなればぴろをふんじばって何か良い方法を白状させればいい。
祐一は快く頷いて、あゆに部屋の中に入るように手招いた。
が、あゆは入り口から動かずに祐一に声をかけた。
「あのね、ボク、ちょっと捜し物があるんだけど、一緒に探してもらえないかな?」
「何だ?食い物か?」
「…違うよ。」
いつものようにあゆをからかおうと思って軽口を叩いたが、あゆの反応はいつものものではなかった。
普段なら、”違うよっ!”と元気に答えそうなものだが、今日はそんな元気が見られない。
どことなく表情が沈んでいるようにも見える。
「……じゃ、何だ?大事なものか?」
「うん…。大切な物…。」
そう呟いたあゆの表情は今にも消えそうなほど儚げで、とてもからかうような雰囲気ではなかった。
祐一は椅子から立ち上がった。
「家の中か外か?」
「えっ!?手伝ってくれるの?」
頼みに来ておいていかにも意外そうな顔をする。
余程信頼されていないのか、と日頃の行いを反省しながら、苦笑混じりに頷く。
「多分外だと思うんだ。」
「何だ、落としたのか?」
「多分……。」
あゆは自信無さそうに俯いた。
元気が無いのはそれだけ無くしたものが大事だったのだろう。
祐一はシャツの上に着るセーターを出しながら部屋を出た。
(……気分転換も、たまにはいいよな?)
階段を下りるとき、真琴が寝ている部屋に向かって、心の中でそう言った。
「先生、どうしましょう?」
看護婦がおろおろとしている。
当然だ。
容態が急激に悪くなっている。
手術を行う他選択肢はないだろう。
だが、今倉田総合病院が置かれている状況は最悪だった。
周囲をマスコミに包囲され、ほんの些細な動向すら格好の取材の的にされる。
こんな状況ではとても平常心で手術は出来ない。
ミスでもしようものなら、もはやこの病院は立ち直れない。
患者を他の病院に移送するのが最善の方法だが、残念ながらこの患者は曰く付きだった。
意識がない状態が数年続いている上、その面倒を見るべき親族の見舞いは入院してから今まで一切無い。
入院費治療費ベッド代、その全てが倉田が集める裏金で賄われている。
今、この患者を他の病院に移送し、その治療費を倉田が出していることが発覚すれば、致命的な証拠を与えてしまうことになる。
が、倉田が考えていたのは全く他のことだった。
「手術室へ。」
「え?」
看護婦は耳を疑った。
この状況で何を……。
「聞こえなかったか?手術を行う。」
「でも、先生、この患者さんは…。」
「名前。」
倉田は看護婦にいつもの台詞を言った。
どうもこの看護婦は物覚えが悪い……。
「は、はい。気をつけます。ですが、今もし失敗したら……。」
「手術でミスを出来ないのはいつものことだ。何も問題はない。」
倉田はきっぱりと答えた。
数日前の、自信を喪失しつつあった倉田の姿はそこにはない。
娘と和解できたことが、この難局を乗り越える糧になっている。
どういうきっかけで彼女が折れたのか、この週末、試験が終わって帰ってきたらそれとなく聞いてみよう。
なおも心配そうな看護婦に、少し表情を緩めて説明する。
「4,5年前ならいざ知らず、今は機械も進歩している。あの時危険で出来なかった手術も今なら出来る。大丈夫だ。心配するな。」
倉田の説明で、ようやく看護婦の顔に少しばかりの安堵の表情が浮かんだ。
いや、そんな説明よりも、倉田の態度がいつも通りなことに安堵しているのかも知れない。
「判りました。では患者さんを…。」
「だから、名前。」
倉田は折角緩めた顔をしかめた。
この子は…。
どうして一度言われたことをすぐに忘れてしまうのか?
「でも先生。私も先生から名前を呼んで貰ってないですもの。」
看護婦はそう言って悪意のない、少し無邪気な微笑を湛えた。
倉田の顔が一瞬呆けて、それから笑顔に形を変える。
「……そうか、それは一本取られたな……。」
倉田はぽりぽりと頭を掻いた。
前の婦長が長い休みを取り、後任を置かなくなってから看護婦の名前を呼ぶ習慣が無くなってしまっていた。
これでは看護婦達に”患者の名前を呼べ”と言ってもなかなかしめしがつかない。
看護婦の主張は至極当然だった。
それにしても、病院で笑顔を見せたのはいつ以来だろう?
張りつめていた緊張感までもが緩んでいく。
大丈夫。
この状態は長くは続かない。
もともと根も葉もない噂から出たトラブルだ。
そんな噂にこれ以上花が咲くことはない。
「判った。行こうか。安藤君。」
「はい、倉田先生。」
安藤と呼ばれた看護婦は嬉しそうに返事を返した。
”名前を呼べ”と言うのは”倉田の名前”ではなく”患者の名前だ”と指摘するのを忘れた、と倉田が気付くのは、安藤がその場を離れてずっと経ってからのことだった。
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