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| 第12話 妖狐〜北の守り神〜:Dパート | 目次 |
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扉を閉めてこほん、と咳払いを一つする。
「え〜と、こいつも、妖狐なんだ。」
「そうじゃ。」
祐一の説明に偉そうにふんぞり返るぴろの前に、椅子から滑り落ちてぺたんと腰を抜かしている美汐がいた。
スカートがめくれて下着が見えそうになっているが、それすら気がついていない。
「ね、ね、ねこ?猫?猫?」
ぴろを指差す指が小刻みに揺れている。
妖狐の存在を知っていながら、妖狐が人間以外のものに化けられるとは知らなかったらしい。
人の言葉を話す猫を見てぶるぶると震えている。
「美汐、相手は妖狐だぞ?動物に化けても不思議はないんじゃないのか?」
べしっ!
「ぶっ!」
ぴろが尻尾で器用に”平手(尻尾?)打ち”をくれた。
人間に叩かれるのと違って、細かい毛が飛び散るので余計にたちが悪い。
「確かに省エネのつもりじゃが、この方が高度な変化の術を使っておるのじゃ。不謹慎なことを申すな。」
ぴろは猫の姿のままで仰々しく説明した。
「どこがだよ?その方があからさまに楽そうだぞ?」
祐一は仕返しとばかりにぴろの胸に裏拳を一発かました。
「げほげほっ!ちゃうわっ!猫に化けながらにして人語を話すところが高度なんじゃ。」
威張りくさって胸を張っていたぴろは、予想外の攻撃に咳き込みながら”難易度の高さ”をアピールした。
なるほど、そう言われてみれば、猫の声帯で人の言葉を出すのは難しそうだ。
「あの、お願いがあるんですが……。」
美汐は居住まいを正しながらぴろの顔を見つめた。
「なんじゃ?人の子?」
ぴろは煩そうに美汐を見る。
「私を弟子にして下さい。」
ずるっ。
突拍子もない申し出にずっこけたのは、しかし、祐一一人だった。
「構わんが、条件がある。」
「なんでしょう?」
二人の間では何やら会話が成立しているようだ。
特に美汐は目を輝かせてぴろの次の言葉を待っている。
今ならどんな条件でも飲みそうだった。
「この未熟者にこれ以上世の中の仕組みを教えるでない。まだその時ではない。」
ぴろは偉そうにそう言うと、尻尾の先をしっかりと祐一に向けた。
その尻尾を掴もうとしてかわされたが、返す手でしっかりとぴろの首根っこを掴み上げる。
「ぐぇ……。」
「誰が未熟だ?誰が?」
ぴろの顔を自分の目の前に持ってきて凄んでみせる。
がすっ!どすっ!
顔の前と後ろに強烈な衝撃が走った。
美汐が本で祐一を叩いたのと、ぴろがねこキックをかましてきたのが同時だったのだ。
「お師匠様になんてことをするんですか。未熟者。」
床に伸びている祐一に向かって、美汐がトドメの言葉を放つ。
ぴろは倒れている祐一を放っておいて、美汐に向かって話し始めた。
「ときに嬢ちゃん。お主、面白いものを持っておるの?」
「あ、判りますか?」
美汐は嬉しそうに顔を綻ばせた。
先ほどまで恐ろしがっていたのがまるで嘘のような変貌ぶりに、祐一はため息をつきながら身体を起こした。
祐一の背中に視界を遮られたぴろは、容赦なく爪を立ててその背中を駆け上がった。
「痛ててて。」
祐一の悲鳴を全く意に介さず、ぴろは迷うことなく祐一の頭の上に居場所を定めた。
「どれ、一つ見せてくれんか?」
自分の頭の上から声がするのは奇妙な感じがする。
そればかりか、猫の腹を通じて声の振動が伝わってくるので、脳に直接話しかけられているような錯覚を覚える。
「おい、重いぞ。降りろ。」
「む?それは…黒琥珀…?」
祐一の言葉を全く無視して、ぴろは美汐の宝珠を見ようと身を乗り出した。
頭が前の方に倒れかかる。
「馬鹿!重い……って……。」
ぴろが気になって上だけを見ていた祐一だったが、重みで前を見た瞬間、声が凍った。
白い、きめの細かそうな美汐の肌が目の前にあった。
露わになっているのは首筋だけなのだが、普段しっかりと着込んでいる美汐だけに、息を飲むような新鮮さがある。
だがそんなことよりも、自分が如何に誤解を招きやすい状況にあるかが認識できた。
二人きりで、扉を閉めた部屋の中、女子高生のはだけた胸元を覗き込んでいる、男子高校生……。
『誤解だ!』と、身を翻す前に、
「駄目だよ〜!!」
と、叫びながら飛んでくるあゆの顔が、既に祐一の顔の前まで来ていた。
ずず〜っと、意味もなく大きめの音を出してお茶をすする。
その後で、はぁっとため息をつく。
「あ、え、えっと、何かお茶菓子欲しい?祐一君?」
あゆの顔には引きつった笑顔がくっついている。
気を遣っているふりをして、さりげなくこの場から立ち去ろうとしているようだ。
「いや、別に良いよ。」
「あ、そ、そうなんだ〜。あははは……。」
乾いた笑い声が部屋から消えると、居間はまた沈黙に覆われた。
「で、だ。何であゆが吹っ飛んでくるんだ?」
祐一は床に正座しているあゆを威圧するように腕組みをした。
美汐はあの後すぐに家に帰っていった。
もっとも、あゆが飛び込んでこなくても、美汐を帰した方が無難なことには間違いなかった。
あんな状況をあゆではなく、秋子に見られていたら……。
ぶるっと身震いをした祐一に促されたように、あゆが口を開いた。
「え、えっと、それは、その…なんとなく……だよ。」
「”なんとなく”で顔面に頭突きかまされてたまるかっ!」
ぽかっ!とあゆの頭を叩きそうになって、思い留まる。
あゆは逃げるでも避けるでもなく、ただじっと目を閉じて身を固くしていた。
嵐を避ける一番の方法は嵐が過ぎるまで待つことだ、と信じているかのように。
その姿は絶望的に悲しい。
「…まぁ、いい。その、なんだ。跳び蹴りとか頭突きは危ないから顔にしたら駄目だぞ。」
なんだかよく判らない説教をするに止めておく。
冷静になってみれば、既にしゅんとなっているあゆをこれ以上責めても仕方がない。
「え?……もう、怒ってないの?」
「あぁ。”なんとなく”、な…。」
少し気障っぽくそう言ってやると、あゆは安心したように『ほぉっ』とため息をついた。
「良かった〜。ボク、祐一君に嫌われるかと思ったよ……。でも、ごめんね、祐一君。」
万引きは平気なのにか、とからかおうとして止めておく。
これ以上話をかき回すと収拾がつかなくなりそうだ。
だが、”覗き見”などという悪趣味な行為は二度と起こさないようにさせなければならない。
「なんでそんなことしたんだ?」
「だ、だって、心配だったんだよ……。」
俯いて呟くあゆを見て、祐一は苦笑してしまった。
小さいからつい忘れがちだが、あゆも祐一と同い年だった。
こんな”子供にするような説教”を大人しく聞いてくれるだけでも珍しいのに、面識もない”美汐の心配”をしてくれたのだ。
そう考えれば、確かに軽率な行動だった。
祐一は顔を苦笑に歪ませながら説明した。
「いや、俺は別に美汐をどうこうするつもりはなかったからな……っていうか、単に”覗き見”は趣味が悪いって……。」
「違うよ。」
あゆは俯いたまま、祐一の言葉を否定した。
「何言ってるんだよ?あゆはさっき覗き見してたって自分で言ったじゃないか……。」
祐一は首を傾げて問いかけた。
だが、あゆは再びきっぱりと首を横に振った。
「違うよ。ボクが心配したのは祐一君のことだよ。」
睨み付けるように厳しい、あゆの表情。
それは振り払っても沸き上がってくる別の感情と必死で戦っているものに思えた。
「…どういう…?」
「あれ?どうしたの?」
祐一が更に話を聞こうとしたとき、居間に名雪が入ってきた。
名雪は二人とテレビを代わる代わる見ている。
そういえば、今日は件のドラマの放映日だ。
「あ、悪い悪い。ビデオの予約か?」
祐一は立ち上がってテレビの前からビデオテープを取り出した。
勿論、放送にはまだ早いが、明日が実力テストではリアルタイムに見るわけにもいかない。
予約の仕方が判らない秋子や名雪が住人だったので、水瀬家のビデオは典型的な”あるだけ機械”だった。
祐一が配線から時間合わせまで全て引き受けて使えるようにしたものの、これだけ田舎になるとそもそもチャンネルが少ないので、見たい番組の時間枠が重なるというケースそのものが少ない。
というわけで、水瀬母子の経験値はいつまでも上がらず、二人がビデオを撮りたいときには祐一に頼らざるを得ない状況だ。
「ううん、違うよ。夕ご飯まで時間があるから暇つぶしに来ただけだよ〜。」
そう言って、名雪は祐一の座っていたソファーにとすん、と腰をかけた。
ぽんぽん、とソファーの隣の席を叩いて、あゆを呼び寄せる。
あゆは嬉しそうに名雪の隣に腰掛けた。
「なんだ?あんなに楽しみにしていたのに、もういいのか?」
「祐一が悪いんだよ。」
唇を尖らせてそう言うと、名雪はリモコンでテレビのスイッチを入れた。
地域のニュースや天気予報が集中的に流れているだけの時間帯だった。
「何でだよ?俺は何も……。」
「だって、お話の粗筋から内容、おしまいまで全部言っちゃうんだもん。もう見てもつまらないよ。」
名雪は心底つまらなそうに足を放り出した。
わざとテーブルに足をぶつけていじけている。
「そ、それは…悪いことをしたな…。」
素直に謝っておかないと夕飯にジャムをかけられてしまう。
祐一は速やかに自分の非を認めて名雪に謝った。
「と、ところで、名雪は明日の勉強してたのか?」
話が途切れたところで、すぐに話題を変える。
蒸し返されないようにとの配慮だ。
「違うよ〜。疲れたから横になってたんだよ〜。」
と、言うと名雪は再び唇を尖らせた。
「祐一が先輩を連れてくるから……。」
「あ、そうか。そういえば、名雪と佐祐理さんは知り合いなのか?」
聞いてから、祐一は何か決定的にまずいことをしたようだ、と悟った。
名雪の顔はこれ以上ないほど不機嫌そうだ。
「知り合いも何も、倉田先輩はわたしの前の部長さんだよ。」
名雪の視線には怨念がこもっていそうな程厳しかった。
なるほど、と祐一は病院での出来事の背景を理解した。
陸上部に入部する前に『陸上部の練習はきつくないか?』と聞いたとき、『前の部長の時よりはましな方だよ。』と複雑な表情で答えられたことがある。
走るのが好きな名雪がそこまで言うほど厳しい部長、倉田佐祐理…。
その笑顔の仮面の下に何が隠れているのか…。
(っていうか、脳天気に容赦ないだけか……。)
祐一は苦笑混じりにその様子を想像した。
『先輩、ダッシュ10周終わりました!』
『じゃ、もう10周行ってみましょう!』
『え゛!?』
『あはは〜。じゃ、行くよ〜。』
……ありうる。
名雪には悪いが、佐祐理には全く悪気がなかったと断言できる。
彼女はただ『部活動をしている以上、みんなも速くなりたいに違いない』と信じていただけだ。
名雪の代になって”ただ単に名義だけ欲しくて入部しただけ”の幽霊部員が増加したのも”前の部長に比べて優しい(常識的)”という安心感から起きたことで、別に名雪がなめられているわけではない。
だが、現実は現実。
名雪にしてみれば(鬼の)前部長から『ところで、水瀬さん。今の陸上部の惨状は何?』と咎め立てされかねない状況だったわけで、ダッシュで逃げ帰ったのも頷ける。
「そうか。じゃあ、今度俺の方から佐祐理さんに練習これ以上厳しくしないように頼んでみるよ。」
「そんなの……。」
名雪がむくれて立ち上がりかけたとき、名雪の手がリモコンに触れてテレビの音が大きくなった。
いつの間にか地方のニュースは終わり、全国のニュースが流れていた。
「ところで、この『あらたの会』の代表、新谷真(あらたにまこと)容疑者の名前は教団が用いていた尊称です。」
しまった、と祐一は名雪からリモコンを奪い取ろうとした。
無音(ミュート)機能を使えば即座に音を消せる。
だが、こういうときに限って、人は自分で何とかしようともがいてしまうものらしい。
名雪は自分で音を元に戻そうとして、リモコンを祐一に渡さなかった。
「これに対し、視聴者の皆様から”尊称を使うのはおかしい”というご意見が多数寄せられました。当番組では、これからは本名で『沢渡真琴(さわたりまこと)』容疑者と呼ぶことにします。ご了承下さい。」
(ご了承できるかよ……。)
祐一がぎりっと奥歯を噛んだ音は、ようやく元に戻ったテレビの音よりも少しだけ高く居間に響き渡った。
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