Canon 〜外典〜前話
  by Ophanim次話
 第12話 妖狐〜北の守り神〜:Cパート目次





 暖房の音だけが部屋の中に響いている。

 祐一が何の反応も示さないので焦れてきた美汐は、更に身を乗り出してきた。

 「相沢さん、私のお財布を持っていた人は、あの人ですよね?」

 「…何の証拠があって……。」

 祐一の声は少しだけ震えていた。

 自分の言葉を自分で信じられていないのだ。

 「証拠も何も…あ、ほら、相沢さんの噛まれた痕だって、人間の噛み痕とは違うでしょう?」

 美汐は嬉しそうに祐一の手を取った。

 そこに残る傷跡は人間の歯形ではなく、明らかに獣の噛み傷だ。

 「いや、これは……何でもないよ……。」

 祐一は美汐の手を振り解くようにして手を隠した。

 薄々勘付いてはいた。

 沢渡真琴の家に電話をかけたときから。

 美汐からあの伝承を借りて読んだときから。

 名雪のアレルギーが完治していないと知ったときから…。

 実際にこの目で確かめたとき、ぴろを狐と認めたときに、疑惑はほぼ確信に変わっていた。

 「何でもないことはないですよ。相沢さん、私には隠さなくても良いんです。実は、私もかつて人に変化(へんげ)した妖狐とお付き合いがあったのです。」

 美汐はにこにこしながら上着の胸元を少し引いて、首に下げたお守りを祐一に示した。

 サイズは大きめのビー玉といったところか?

 その黒い珠の鈍い輝きは、どこか曰くありげに思える。

 「その珠とそいつと何か関係があるのか?」

 「はい。これは彼が私の元を去るときに、”とても大事なものでいつか必ず必要になる物だから、それまで大切に持っているように”と預けてくれたものなんです。」

 そう言うと、美汐は右手を胸の前に当てて、何かを思い出すように目を閉じた。

 言われてみれば、彼女はよくこんな風に胸の前に手を置いて話すことがあるが、それはこの珠を意識してのことなのだろう。

 「そんな大切なものだったら、何でそいつが持っておかないんだ?」

 祐一は多少意地悪にそう尋ねてみた。

 美汐はちょっと答えにくそうに俯き加減に言い淀んだが、決心したように顔を上げ直して答えた。

 「実は彼の寿命が尽きかけていたのです。私のせいで……。」

 「どう言うことだ?」

 美汐をからかうつもりで言った言葉が、意外に深いところを突いてしまった。

 祐一は大いに反省しながら続きを促した。

 「多分、詳しいことはこの口伝のどれかには書いてあると思います。が、相沢さんならお判りでしょう。ここに住んでいらしたのでしょうから……。」

 おや?と祐一は首を傾げた。

 自分の生い立ちを美汐に話したことなどあっただろうか?

 (いや、俺は昔の話はしてないぞ。)

 それなのに、美汐は確信を持ってそう言った。

 何故だ?

 だが、その疑問の前にまず最初の疑問が解消されなければならない。

 それは祐一一人の問題ではないのだ。

 「妖狐と人間との交流が描かれた伝承のほとんどが悲劇や別れに終わっている理由が判りますか?」

 祐一はつまらなそうに首を振った。

 「詳しくは判らないけどさ。何て言うか、民話ってそういうもんなんじゃないのか?」

 狐狸の類が出てくる話はその大半が、欲に目のくらんだ人間が騙される寓話的なもの、人間の知恵が狐狸の悪知恵を上回るもの、恩義を受けた狐狸の恩返し、で占められている。

 これが鶴や亀、兎などといったどちらかと言えば”普通の動物”になると極端に”恩返しもの”の割合が増えるので、狐狸は多少立場が悪いと言ったところだろうか?

 「いえ、その、日本の伝承じゃなくて、この地域の伝承の話です。」

 美汐は困ったように眉根を寄せた。

 どうして話が通じないのだろう?とでも言いたげな表情だ。

 「判らないな。どうしてだ?」

 「それは、彼らが人間の形を取っていると彼らの寿命を著しく縮めるからです。」

 美汐は無念そうに唇を噛んだ。

 如何に人ならぬものとはいえ、妖狐も生きている以上は寿命というものがある。

 さすがに人よりも寿命は長いが、無限ではない以上いつかは終焉を迎える。

 「私たちと触れ合うために、彼らは命のエネルギーを削って姿を変えるのです。私は浅はかにも彼を引き留めてしまいました。」

 子供は余り後先を考えずにはしゃぎ回り、突然ぱったりと疲れて眠る。

 妖狐の中でも度が過ぎて人懐こいものは、自分の命を顧みずできる限り人の傍にあろうとする。

 あるいは、余りに情が移りすぎて帰るのが辛くなってしまうものもあるだろう。

 逆に妖狐の里に帰ることを選んだ場合も、身を引き裂かれるような別れの痛みを伴う。

 結果として、妖狐が絡む伝承には別れや悲劇が多いことになる。

 全て人の言葉を解するが故の悲劇だ。

 「なるほどな……それでか…。」

 美汐の問いを理解した祐一は、その顔に憂いの光を灯した。

 最近真琴が見せる猫のような耳。

 あれが”生命のエネルギー”が無くなってきていることを示しているとしたら?

 変化(へんげ)を維持するのに必要なエネルギーが減って正体が現れかけているとしたら?

 納得のいくことばかりで嫌になる。

 「もし、相沢さんが彼女から何か伝言を受け取っていたなら、もう里に帰してあげた方が彼女のためです。」

 美汐は切実に、そしてどこか嬉しそうに、祐一に訴えた。

 悲しい経験ではあったが、自分の経験が一頭の妖狐の命を救える。

 そんな喜びが美汐にあるのかもしれない。

 「…残念だけど、まだだ。何しろ、ここに来たときはあいつは記憶を失っていたからな。」

 「そう…ですか……。」

 祐一が首を横に振ると、美汐は力無く目を伏せた。

 そんな美汐を、祐一は別の思いで見ていた。

 (意外に表情が豊かだな?)

 初対面の時の冷たい印象は無くなり、今の美汐は素直に自分の気持ちを表情に出している。

 本来はこういう性格だったのかもしれない。

 もし、妖狐との別れが抑揚のない性格を生み出したのだとすると、その別れの辛さたるや想像するだに恐ろしい。

 無理もない。

 言葉を交わすことの出来ないペットとの死別ですら”ペットロス”なる深刻な病を生み出すのだ。

 まして、意志の疎通の出来る相手とならば……。

 (あり得ることかも知れないな……。)

 祐一は真琴の姿を思い浮かべながら、何かを通してこちらを見ているような美汐の表情を見ていた。

 「いや、もういいよ。結構あいつも限界っぽいから、こっちから”もういいんだ”って伝えるよ。」

 祐一はため息混じりにそう言った。

 何しろ、ここに来るまでに忘れてしまうくらいだ。

 どうせ重要な知らせでもないんだろう。

 お騒がせ小狐は山に帰りましたとさ、という幸せな御伽噺で終わりにしよう。

 それで良いではないか。

 「駄目ですっ!そんなことをしたら、あっと言う間に力を失いますよ!

 美汐は驚くほど大きな声を出しながら祐一の肩を揺すった。

 彼らはそのメッセージを伝えるために、危険を冒して人里に降りてきている。

 その緊張感が突然途切れたなら、急激に力を失う可能性がある。

 現状の真琴の状態から考えて、それは致命的な脱力を招くだろう、と美汐は説明した。

 「だから、狐だと言うことがばれても駄目です。相沢さんは出来るだけこれまでと変わらずに接しながら、何とか早くメッセージを受け取って下さい。」

 ……だったら、ネタ晴らししない方がいいじゃないかっ!と怒鳴りたくなるのを辛うじて堪えた。

 実際、こういった事情を知らなかったら、何かのきっかけで”おい、耳が見えてるぞ”などとからかってしまいそうだった。

 幼い頃、”正体がばれると山に帰らなければなりません”というお約束の”条件”を、どうしてあんなにも多くの人が破ってしまうのか不思議でならなかったが、現実に自分がそういう状態に置かれると、これがどうしてなかなか、難しいものだ。

 「待てよ。だったら、どうしてお前は引き留めたることが出来たんだ?」

 「彼は非常に強い霊力を持っていましたし、その頃はこの街にも霊力を補充することが出来る場所があったそうなんです。それがある日突然無くなってしまったんですが、その頃の私はそれに気付くことが出来ず、彼はずっと一緒にいてくれる、と信じていたんです。」

 悔やんでも悔やみきれない、無知の罪。

 美汐は再び表情を曇らせた。

 「と言いましても、私もこれがないと何も出来ないのですが……。」

 そう言って美汐は再び胸の宝珠を見せた。

 何でも、妖狐が近くにいると宝珠が共鳴し、美汐にその存在を示すことが出来るらしい。

 能力者でもない美汐が真琴の姿を見ることなく、彼女が妖狐だと気がついたのはそのせいだ。

 また、動かす者の到着を感じて里を降りてきた妖狐の気配を感じることが出来たのも、あるいはこの宝珠のおかげかもしれない。

 「何に使うものなのかは知らないのですが、これを使うと占いの精度が上がりますので重宝しています。」

 美汐はそう言って微笑んだ。

 持っているだけで超常の力の恩恵がある、非常に重要な神具……。

 「……って、おい、それって本当に大事なものじゃないか。変な占いに使ったりしない方が良いんじゃないのか?」

 「あ、あはははは……。」

 エネルギーの減少などという言葉に敏感になっていた祐一が一抹の不安を口にすると、美汐は”当たってますよ”と態度で示した。

 宝珠に込められたエネルギーもまた、無限では無さそうだ。

 「おいおい、そんな大事なもの、もしもの時にエネルギー不足だったりしたら、死んでも死にきれんだろうが……。」

 「と、とにかく!祐一さんは彼女から伝言を聞き出して下さいね。祐一さんは私みたいな半端者じゃなくて、正真正銘の”動かす者”なんですから……。」

 美汐は大仰にそう言って自分の立場の悪化を防いだ。

 あの日感じた心の動きは、祐一がこの街に戻ってきたことと関係があるに違いない。

 美汐があの時漠然と感じた”悪い予感”が正しいとするならば、真琴は”均衡の取れていた世界が乱される出来事”に関係のある何かを伝えに来たに違いないのだ。

 「だから、忘れてるって言ったじゃないか…。」

 そう言った拍子に、祐一は心の中で自分の頭を抱えた。

 ”忘れて”いたのは自分も同じだ。

 ここにはもう一人、いや、もう一匹、妖狐がいるではないか。

 いざとなったらあいつから聞き出せばいい。

 祐一は努めて平静を装い、話題を変えてみることにした。

 「まぁ、いいや。それは何とかするとしてだな。そういえば、どうしてお前は俺がここに住んでたことを知ってるんだ?」

 「は?訳の判らないことを言わないで下さい。”動かす者”はこの街に関わる能力者なんだから、この街の出身に決まってるじゃないですか?」

 美汐は不思議そうに首を傾げた。

 どうやらそういうものらしいが、全く納得がいかない。

 「判らないな。第一、何を動かすんだ?川か?山か?海か?そんなの建設会社にでも頼めばいいだろ?……その、だから、なんだ。え〜と、そもそも”動かす者”って何なんだよ?」

 動かすだとか使うだとか、判りにくい表現、回りくどい表現が多すぎる。

 主語がない。

 まずは通じない言葉を翻訳してもらうことが先だ。

 祐一の推理が正しければ、恐らく美汐に頼んだ口伝の中にそう言ったものを説明する手懸かりがあるはずだ。

 だが、美汐が運んできた本の量は祐一の想像を遙かに超えていた。

 さすがに鞄一杯になるほどの量の本を全部読んでいるほど暇ではない。

 それに今は時間がない。

 少しでも関係のありそうなことなら、何でもいいから情報が欲しい。

 祐一は膨大な量の口伝を探す手間と、美汐に弱味を曝すリスクを天秤に掛けて、教えを請う方を選んだ。

 「海なんて……動かそうとしたって動くものでは……。」

 祐一の少しふざけたような態度に美汐が反駁しようとしたその時、がりがりと扉を引っ掻く音が聞こえてきた。

 おあつらえ向きに”もう一匹の方”が向こうの方から飛んできてくれたらしい。

 「あ、ちょっと待ってろ……。」

 立ち上がって扉を開けに行った、その背中に向かって美汐が口を開いた。

 「動かすって言ったら……。」

 扉の向こうから悲鳴のような鳴き声が聞こえてくる。

 引っ掻く音もどんどん激しくなる。

 おかげでとても聞き取りにくい。

 「あ?なんだって?」

 扉を開けながら、祐一はもう一度聞き返した。

 その瞬間。

 「申すなっ!

 激しい叱責の声が部屋の中に轟いた。


<続き>


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