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| 第12話 妖狐〜北の守り神〜:Bパート | 目次 |
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がらっ!
一瞬何が起こったのか判らないでいる真琴を完全に無視して、祐一はむんず、と真琴の頭からぴろを剥ぎ取った。
「あ、ああ、ああ、あああ……。」
「あ、悪いな、真琴。ちょっとこの野郎にきっつく言ってやらないといけないんでな。」
じたばたと暴れる猫の首根っこをしっかりと抑え付けながら、祐一はくるりと踵を返した。
「…きゃあああああああああああぁぁぁぁぁぁーーーーっっ!!」
バシャバシャバシャーーーーーーッ!!
「うお、な、なんだなんだっ!?」
叫び声の後を追うように、石鹸やらシャンプーやら桶が飛んでくる。
それらを投げるためにはどう考えても湯船の外に出なければならず、かえって”危険な状態”になるはずなのに、真琴にはそれすら判っていないようだった。
祐一は身を守るためと真琴の姿を視界から消すための両方の理由で、後ろ手に扉を閉めた。
「静かにしろって。俺はぴろを探しに来ただけだ。」
「だからってお風呂に入って来ないでよ〜〜っ!!!!」
なおも叫ぶ真琴をそのままにして自分の部屋に戻る。
右手に掴んでいた猫を左手に持ち替えると同時に自分の方を向かせ、右手ででこぴんを一発かましてやる。
「痛っ!なにすんじゃっ!」
「お仕置きだ、このエロ狐っ!」
その言葉が終わるか終わらないうちに、ぼわん、と漫画のような音がして、猫だったものは狐に姿を変えた。
立派な尻尾から判断するに、相当年の行った古狐に違いない。
「儂は何もしとらんじゃろうが?」
「何もしてないから怒ってんだろが。」
相手の口調を真似して返してやる。
それが気に入ったのか、狐はふふんと一つ笑ってから素直に謝った。
「なるほどな。それはすまんかったの。さすがは動かす者、言うことが違うわい。」
いつ気付いた?と狐…ぴろの方から訊ねてくる。
「そうだな、名雪がアレルギーを起こさない時点で変だな、とは思っていたな。」
名雪が猫の存在に気付いてから、ではない。
猫が水瀬家に入ってきた時点で、名雪が少しもアレルギー反応を起こさないのは不自然だ。
名雪のアレルギーは一種の猫レーダーのようなものだから、本人が猫を認識するかどうかに関わらず、一定範囲の中に猫がいたならば発生しなければならないのだ。
「ふむぅ、あの小娘にそんな能力があったとはなぁ……。」
それではこの家に忍び込むのは初めから無理があった、というわけじゃな、とぴろは一人腕を組みながら納得した。
アレルギーを能力と呼んでもらえるなら、花粉症も”花粉を検知する能力”と呼んでもらえるだろうな、と考えている祐一とは、考えている内容にかなりの開きがある。
「昨日玄関の鍵を閉めたのもお前だな?」
「そうじゃ。寒かったからな。」
偉そうに返事をする狐がくそ憎らしい。
「だいたいだな、何の用があってここに来たのか知らないが、用が済んだら帰ればいいのに図々しく居座りやがって……あまつさえ、うちの女性陣と一緒に風呂に入るとは不届き千万だ。」
「自分だってさっき入ってきたくせに……。」
「う、うるさいっ!!」
ごちっともう一発でこぴんをくれてやると、またしてもぼわん、という音とともに猫に戻る。
「いたたた…。」
「だいたい、”ぴろ”、なんて可愛らしい名前に似合わない言葉を遣いやがって。お前なんか”えろ”で充分だ。」
「祐一〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
どかどかと激しい足音が階段を駆け上がってくる。
祐一は慌ててぴろを解放した。
「祐一っ!」
ばんっ!!
扉が乱暴に開かれて、濡れた髪から水滴を滴らせた真琴が飛び込んできた。
ぴろを取り戻しに来たのだろう。
祐一はぴろの方を指さした。
その視界が黒く染まる。
顔面を蹴り飛ばされた祐一は背中から転がってベッドに叩き付けられた。
その後に容赦のない蹴りが追い打ちをかける。
「えっちっ!スケベっ!信じらんないっっ!!」
「ま、待て待てっ!俺はお前達のためを思ってだな……。」
祐一は必死で真琴の蹴りを避けながら、弁明した。
その話を聞いてみる気になったというよりは、蹴り疲れで真琴の攻撃が止む。
「なんでよ〜?」
「だから、こいつは実は猫じゃなくてだな……今証拠を見せてやるから待ってろ。」
祐一はぴろを真琴から奪い取ると、びしっとでこぴんをかました。
「うにゃっ!」
しかし、今度はぴろは全く変化(へんげ)しない。
祐一は首を傾げながら、もう一度でこぴんをくれてやったが、ぴろはうにゃうにゃ喚くばかりだ。
真琴の視線が段々痛くなってくる。
「ふぅん?」
「い、いや、ちょ、ちょっと待て。こいつめ、やせ我慢しやがって……。だ、だいたい、こんな明るいうちからのんびり風呂に入っているお前にも問題があるぞ。」
秋子に聞いたのが間違いの元だったかも、と思いながら、祐一はなんとか責任を免れようと弁解した。
あの猫はどこにいます?と聞いたら、お風呂ですよ、としか答えなかったのだ。
相手が真琴だからこの程度で済んでいるが、これが名雪やあゆだったらどうなっていたことか……。
それを考えると、どれだけ蹴られても泣き出されないだけましだった。
「祐一の馬ぁ鹿っ!」
最後に強烈な後ろ回し蹴りを見舞って、真琴はぴろを抱いて部屋の外に出ていった。
扉を閉め際に思いっ切り舌を出してあかんべをしていくことも忘れない。
祐一はしばらく床の上に大の字に転がって、痛みが和らぐのを待っていた。
暖房が入っているとはいえ、さすがに北国の冬の床は冷えるが、そのひんやりとした感触の中に、ある種の懐かしさを覚える。
そう言えば、今日の昼には”ちゆ”の名前の由来を思い出した。
自分は確かに、昔ここに住んでいたことがあるのだ。
(最初から無口だったからな……。)
祐一は目を閉じて、舞と出会った日のことを思い出していた。
人見知りをしていたのか、それとも、今日のように照れていたのか…。
打ち切りになった”治癒の少女”のように動物の治療をしている姿を見かけたのが始まりだったと思う。
『あれはイカサマなんだぞ』とか『偽物』とか言われている、人の輪の中の少女を名雪が見つけだして、三人で遊びに行ったのを思い出した。
祐一と名雪が自己紹介をし、名雪がいつものように『なゆちゃんで良いよ』と言った。
それでも舞が黙ったままだったので、祐一が『じゃ、お前はちゆだ』と呼んだのだ。
記憶の中のちゆ…川澄舞…は、無口な少女ではなかった。
むしろ良く笑い、良く泣く、快活な少女だった。
町中よりは森の中を好み、草原を走ることをこよなく愛する、男の子のような女の子だった。
父を亡くしてから、一人になると沈み勝ちだった名雪を実の妹のように可愛がり、いつも一緒に遊んでいた。
舞を追ううちに名雪も元気になり、足が速くなっていった。
陸上部にいても不思議はなかった。
こんこん、というノックの音で目が覚めた。
(夢?)
想い出ではなかったのか?
俺の希望した…夢…だったのか?
祐一は朦朧とした頭を振って身体を起こした。
すっかり冷えた身体を震わせて、暖房の設定温度を一度上げる。
こんこん、と再びノックの音がする。
そうだった、その音で目が覚めたんだった…。
「相沢さん、いらっしゃらないんですか?」
声の主は意外な人物だった。
少なくとも、水瀬家にいるはずのない人物だ。
「美汐?」
「はい。中に入ってもよろしかったでしょうか?」
祐一はまだぼうっとした頭で生返事を返した。
恐る恐る扉が開かれる。
「相沢さんご所望の本を借りて参りました…きゃっ!」
美汐は鞄を取り落として、いつでも逃げ出せるように扉のすぐ近くに飛び退った。
真っ赤にした顔をそむけ、祐一と視線を合わせないようにしている。
「ああ、そう言えば頼んでたっけか……。」
「ち、近寄らないで下さいっ!!」
祐一が美汐の鞄を取ろうと近づくと、美汐は必死の形相で拒絶の意思を表した。
訳が判らない祐一は自分の姿を見下ろしてみた。
寝起きなだけに多少シャツに皺が寄ってめくれているが、別段失礼に当たるとかそう言うレベルではない、と判断できる。
チャックか?と思ってジーパンに手をやっても、別に開いている様子もない。
だが、その瞬間に美汐が再び叫んだのでその理由は判った。
「おいおい、それはあんまりにも過敏じゃないのか?」
祐一は呆れたように両手を挙げたが、経緯はどうあれ女性の叫び声が男性の部屋でしたのである。
階段が割れんばかりの爆音が轟いても不思議はなかった。
「祐一っ!!」
真琴が悪魔のような形相で駆け込んできた。
一番まずいもんが飛んできてしまった、と、祐一は内心頭を抱えた。
それでも身体は素早く動いて真琴の首根っこを押さえ、口を手で塞ぐ。
より状況を悪化させるような言葉が飛び出してくる前にけりを付けなくてはならない。
「美汐〜、こんくらいで仰々しい声出すなよな。ただシャツがめくれてるだけじゃないか……。」
「す、すみません。殿方の肌をこんなところで見るのはどうも……。」
自らの過剰反応が何やら大事を引き起こしそうだった、とようやく気付いて、美汐は恥ずかしそうに俯いた。
一安心したのも束の間、祐一の指に強烈な痛みが走った。
「いって〜〜〜っ!」
「ぷはっ!」
ようやく息を出来た真琴がぜぇぜぇ言っている。
鼻も口も押さえられてしまった真琴が苦し紛れに祐一の指に噛みついたのだ。
その頭に、いつの間にか先日の猫耳がついている。
「ゆ、祐一のばぁかっ!そうやっていつも女の人連れ込んでるんでしょっ!?」
「えっ!」
部屋から逃げ帰る間際に、余計な一言を言っていく。
折角警戒心を解いた美汐が、またそわそわと落ち着かなくなっている。
「んなわけあるかっ!」
とにもかくにも、誤解は早い段階で解いておいた方がいい。
祐一は部屋の入り口まで飛び出して真琴に言葉を投げつけ、美汐をこれ以上警戒させないように気遣って扉を開いたままにして戻ってきた。
「悪いな、美汐。実は少し眠ってたらしくて……。」
真琴に噛まれたおかげで寝ぼけていた頭がようやく目覚めたような気がする。
確かに、年頃の女の子が初めて男の部屋に入って、シャツをはだけた男が待っていたらぎょっとするだろう。
祐一は素直に謝った。
だが、美汐の反応は祐一には考えもつかないものだった。
「あの、扉、締めてもらってもよろしいですか?」
抑制の利いた、静かで落ち着いた声が祐一の足を止める。
祐一は俯いたままの美汐をまじまじと見つめた。
「へ?締めるの?」
「はい、お願いします。」
美汐は今度ははっきりと祐一を見つめ返してそう言った。
その顔は相変わらず赤く火照ったままだ。
だが、その目には何やら、さっきまでとは別の光があるような気もする。
何かを期待するような、嬉しそうな、楽しそうな…そんな瞳の輝き…。
祐一は首を傾げながら、ゆっくりと扉を閉めた。
「相沢さん、大事なお話があります。」
扉が閉まるのを待ちきれないように、美汐は祐一の方を見据えながら話を切りだした。
いつの間にか主客がすっかり入れ替わっている。
「いや、それよりも、まず……いいのか?締め切っちゃって?」
「構いません。相沢さんは信用できる人らしいですから…。」
美汐は目を輝かせて頷いた。
最初に部屋に足を踏み入れたときとは、まるで別人のような態度だ。
さもなくば、ほんの数秒で信用されてしまったらしい。
その余りの豹変ぶりに祐一の方が心理的に引いてしまっていた。
「ま、まぁ、座ったら?そのうち名雪か秋子さんが何か温かい飲み物でも運んでくると思うから。」
それでも念のため安心できる根拠を伝えておいて、とりあえず、勉強机から椅子を引っ張ってくる。
美汐には椅子を勧め、自分は美汐と向かい合うようにベッドに座ることにした。
「ありがとうございます。では、単刀直入に申し上げます。」
美汐は椅子に座るなり身を乗り出すようにして話を始めた。
祐一の言葉を、『早く話を始めなければ人が来る』と判断したらしい。
乗り出してきた美汐の身体が風がそよがせた。
美汐は化粧などしていない。
にも関わらず、ふわっとした上品な薫りが祐一の鼻腔をくすぐった。
思わず目を逸らした。
そのおかげで。
耳が美汐の正面を向く形になった。
囁くように潜められた美汐の声も、はっきりと聞こえた。
信じられない言葉が飛び込んできた。
「今の子は、妖狐です。」
美汐の嬉しそうな声と、その言葉を受け入れたくない祐一の思いには、千丈の隔たりがあった。
<続き>