Canon 〜外典〜前話
  by Ophanim次話
 第12話 妖狐〜北の守り神〜:Aパート目次





1月 13日 水曜日



 結局の所、みんなが喜ぶ方向に話が進むのか……。

 祐一は憂鬱な表情を浮かべて席を立った。

 昨日倒れた祐一の所に名雪が来なかった、だが、最後には祐一の所に出かけて倒れた。

 看病疲れに違いない。

 いくら祐一が”名雪の自爆だ”と口を酸っぱくして説明しても無駄だった。

 祐一はこの若さにして倉田と同じことを悟っていた。

 「で、見舞いに行くんだな?」

 「そう言うことになったのは誰のせいだ?ん?北川。」

 カエルの子はカエルと言えば、いや、それはオタマジャクシだろう、と突っ込んできそうなこの男。

 さすがにマスコミ関係者の息子だけあってスクープを入手するのは早かった。

 もっとも、情報源として香里を握られていては最初から祐一に勝ち目がなかったが……。

 「ただのアレルギーだ。見舞いじゃなくて迎えに行くのと同じことだよ。」

 もう治っている頃だろう。

 一日安静にしていればすぐ治る。

 昔治らなかったのはアレルギーのくせに猫を抱いて寝たからだ。

 祐一は過去の記憶を引き出しながらそう話した。

 「猫アレルギー、治ったって言ってなかったか?」

 「多分名雪の勘違いだ。」

 だいたいあいつは昔から気合いが足りない、とまたネタになりそうなことを呟いてしまう。

 相沢の傍にいれば飽きなさそうだ、と皮算用をする北川に向けて、祐一は香里の行方を尋ねた。

 「ん?美坂は優等生だから明日の試験の準備に帰ったんじゃないのか?」

 「もうそんなものどうでも良くなったよ…。」

 実力テストは期末試験と違って進級に関係がないと知った時点で祐一のやる気は失せていた。

 こういうときは『俺はそんなもの最初からどうでも良いぞ』と不謹慎な相槌を打つ北川がいるのが嬉しい。

 「まぁ、美坂にとっては大事なんだろうさ。これで美坂がビデオの予約を忘れたから帰った、とか言ったら、俺はそっちの方が驚きだよ。」

 それもそうだ、と祐一は頷いた。

 その拍子に、今日は件のドラマの放映日だと気がついた。

 うっかりその話題にならないようにしないと、と自戒する。

 「じゃ、お大事に、って伝えてくれ。」

 「まだ行かないよ。」

 その前に、もっと大事なことがある。

 「なんだ?」

 「飯だ。」

 午前授業なのに何でだ?と不思議がる北川をおいて、祐一は教室を後にした。



 「はい、祐一さんの分ですよ〜。」

 「……。」

 音量的に凸凹な二人を前にして、祐一は疲れた表情を見せた。

 佐祐理は何というか、切り替えが早過ぎる。

 「舞、どうしたの?元気ないね?」

 「…祐一、すまなかった…。」

 そして舞は切り替えが遅過ぎた。

 この間の祐一の手を打った一件を今でも引きずっているのだ。

 「それはもう良いだろ?随分経ってるし…。」

 祐一は呆れたように舞を見た。

 そうすることで舞に”気にしていない”ことをアピールする狙いもある。

 「祐一、来るのが遅すぎ。」

 舞が不機嫌そうに唇を尖らせた。

 「…そうか。それはそうだな。」

 そう言われてみれば、あれ以来会っていなかった。

 わざわざ会おうとしない限り接点のない彼らにとって、こうして一緒に食事でも摂らない限り会うことはない。

 3年生には実力テストはおろか授業までなく、冬休み明けの登校は自由意志なのだが、二人は揃って登校している。

 成績に何の不安もない二人がお弁当まで準備していたところから考えて、課外でも取ったに違いない。

 祐一が秋子から預かってきた弁当を加えて一層豪華さを増した昼食に赴いたのには、二人に一緒に名雪を迎えに行ってほしい、という頼みがあったからだ。

 そしてその頼みを二つ返事で引き受けた二人とともに昼食を取っているというわけだ。

 だが、祐一が舞に向かって”すまない”と言うと、舞は激しく首を振った。

 「私のことより、佐祐理のこと。」

 「え?」

 突然話が飛んできた佐祐理も驚いて箸を止める。

 「佐祐理、毎日お弁当3人分作って待ってた。」

 「あはは〜。舞、それはいいんだよ。佐祐理は祐一さんがいつ来られてもいいように準備していただけなんだもの。」

 とんでもなく重いことをさりげなく言う。

 本人に悪気はないのかも知れないが、祐一にとっては非常に申し訳ない。

 「ご、ごめん。佐祐理さん……。」

 「あはは〜。毎日舞がお腹一杯になってました。」

 舞は箸を口に入れたまま頷いた。

 あり得ない方向に曲げられた箸が口の中で悲鳴を上げている。

 「そ、そういえば、俺の手。あれはちゆが治してくれたんだろ?」

 祐一は話題を変えるついでに鎌を掛けてみた。

 昨日の佐祐理の告白に出てきた名前が気になっていた。

 川澄、麗……。

 彼女は舞の母親ではないだろうか?

 「そう。」

 別に隠すことではない、とばかりに頷くと、再び舞の口の中で箸が鳴いた。

 「ちゆって何ですか?」

 佐祐理がじれったそうに話に割り込んでくる。

 そして、その問いに今の祐一には答えることが出来た。

 「あ、俺がこいつと初めて会った時、こいつは色々な動物を治していたんだ。だから、あの頃流行っていた治癒の少女の”ちゆ”だけもらってつけたんだよ。」

 美汐から奪った本にもそうした超常の力を持つ人々のことが載っていた。

 占いを信じない祐一も、実際に目にしたことのあるこうした力については素直に信じることが出来る。

 「なぁんだ、佐祐理に会う前に舞は祐一さんに会っていたんですね〜。」

 佐祐理の言葉にこく、と頷いて、舞は口の中に突き刺さった箸を取り出した。

 たり〜っと口の端に血が流れる。

 「痛い……。」

 「当たり前だ。」

 自分で治せ、と祐一は木剣を舞に手渡した。

 舞は不思議そうな顔で首を傾げた。

 その角度に合わせて血の流れる方向が変わる。

 少々ホラーっぽい。

 「治せる?」

 「治せるに決まってるだろ。」

 祐一は呆れたように舞を小突いた。

 治せるから”ちゆ”と呼んだのだ。

 治せなければそうは呼ばない。

 舞はひょいっと自分に向けて木剣を振るった。

 相変わらず血は流れているが、その源は塞がっているはずだ。

 「ほれ、口を開けて上を見ろ。」

 「うん。」

 「うん、じゃ口が閉じるだろ。」

 「ふぁい。」

 かぱっと口を開けて上を見上げる舞の口に顔を寄せてみる……前に、佐祐理の場所を確認する。

 「佐祐理さん、そこで何をしてるんですか?」

 「ふ、ふぁっ!

 悪戯を仕掛けようと舞の背後に回っていた佐祐理が素っ頓狂な声を挙げる。

 「押さないで下さいね!

 念を押してからもう一度舞の口に顔を近づける。

 まさか引くとは思わずに……。



 「舞、ごめんね〜。」

 顔を真っ赤にして先に立って歩いている舞に、佐祐理が声をかける。

 聞いているのかいないのか、ずんずんずん、と激しい足音を立てながら、ほとんど早歩きで歩み去っていく。

 と、ぴたっと足を止めてきょろきょろ、と首を回す。

 「あ、そこ左だからね〜。」

 佐祐理は充分追いついてから方向指示を出した。

 舞は相変わらず顔を染めたまま歩み去っていく。

 「佐祐理さん、俺にも謝って欲しいんだけど。」

 祐一は顔に出来た平手打ちの跡を押さえながらそう抗議した。

 佐祐理が舞を勢いよく引いた結果とはいえ、結果的に舞を押し倒す格好になってしまった。

 また、舞を引っ張ったために出来た空間的なずれは、顔に当てていた手がちょうど胸に当たる距離に相当していた。

 怒り狂った舞がしたことは祐一の顔を張ることだけで、佐祐理には一切手を出さなかった。

 不条理である。

 「あはは〜。祐一さんはいいんですよ〜。」

 「…良くない…。」

 いいはずがない。

 はぁっとため息をついたとき、祐一の顔の前を風が通り過ぎていった。

 いや、風というのは適当ではない。

 突風に近いスピードと、かまいたちのような切れを持っていたのだから。

 「治した。」

 「…治した、じゃねぇっ!!

 一瞬の放心の後、反発するような恐怖心が込み上げる。

 歩く速度をちょっとでも速めていたら首が落ちているところだ。

 「あはは〜、舞、照れない照れない。」

 「照れ隠しで殺されてたまるか〜っ!

 ぴょん、ぴょん、とまた二人の先になって走り去っていく舞に、それぞれ異なる声をかけた。

 道行く人が何事か?と振り返るが、佐祐理の屈託のない笑顔を見て、犬も食わないと言う奴か、と納得したように首を振っていく。

 かくいう祐一でさえ、佐祐理の心からの笑顔に”自分は良いことをした”と実感できていた。

 佐祐理の心に潜んでいた心の闇は、終焉に向けて歩み始めている。

 いつか必ず、名前を呼び捨てることの出来る男性を見つけられるだろう。

 少し寂しいような気もするが、それが佐祐理の幸せならばそれが最善の道に違いない。

 「それそれ!その病院!

 昼間に来ると意外に遠かった久瀬総合病院は、なるほど、倉田総合病院とほとんど同じ作りだった。

 その待合室に名雪がいる。

 「……最悪だ……。」

 祐一はそのだらしのない姿を見て頭を抱えた。

 待ち疲れたのか名雪は幸せそうに眠っていた。

 そう、……眠っていた。

 これでは背負って帰るほか無いではないか。

 「仕方ない。舞、名雪を負ぶってやってくれ。」

 「嫌。」

 そうだよな……。

 非常に判りやすい返事が返ってきて泣きたくなる。

 すると、またしても噂のたねを撒き散らしながら帰ることになるのか……。

 祐一がため息をつきかけた、次の瞬間。

 「水瀬さん、帰りますよ。」

 「はいっ!!!!!

 待合室中に響き渡るような大声とともに、名雪が跳ね上がった。

 寝起きであるにもかかわらず、普段の3倍速で動き回っている。 

 「な、なんだなんだ?知り合いだったのか。」

 「はいっ!

 びしっと最敬礼をする名雪。

 目もぱっちりと開かれていてとても普段の姿を想像できない。

 というか、事の始まりから見ていなければ、はっきり他人だった。

 「家まで帰れる?走って帰ると丁度良いかもしれないわよ?」

 「はいっ!

 ぴっぴっと音が出そうなほど踵を中心に回転すると、名雪はその場で足踏みを2,3回して走り去った。

 難儀に思えた”名雪を迎えに行って下さいね”という秋子の依頼は、やはり秋子の”昨日の女の子と一緒に行けば話が早いですよ”というアドバイスによってあっさりクリアされた。

 なんだって秋子さんは話を面倒にするんだろう、と思っていた祐一の疑問は氷解し、新しい疑問を産み出した。

 この二人、一体どういう関係なんだろうか?

 「さて、佐祐理達も帰りますね〜。」

 「今週は、もう来ないから……。」

 のんびりした口調からはとても信じられないが、佐祐理達にも今週末に試験がある。

 校内の実力テストなどと言った生温いものではなく、大学受験には欠かせなくなっているセンター試験だ。

 こういうイベントがないとなかなか学年の差を感じられない二人だが、こうしてみるとやはり一年上なのだと実感できる。

 「あ、ああ。舞、佐祐理さん、頑張ってね。」

 「…判った。」

 「あはは〜、祐一さんのお弁当食べたから大丈夫ですよ〜。」

 二人は何度も振り返りながら帰っていった。

 センター試験を受けると言うことは、二人とも大学受験をするのだろう。

 何か目標があるに違いない。

 舞も佐祐理も医者になるのかも知れない。

 それが合っているようにも思える。

 さて、翻って自分を考えたとき、自分は一体何になりたいのだろう?

 「判らないな……。」

 祐一は自嘲気味に呟いた。

 何かしなくては、という使命感にとらわれたこともある。

 何をしているんだ、と焦燥感に駆られたこともある。

 だが、どうでもいいや、とか、どうにかなる、と思ったことはなかった。

 自分は何かを為すために産まれてきて、そして死ぬのだ、と漠然と考えていた。

 決断の日がいつ来るのか、余り深く考えたことはなかった。

 「ま、とりあえずは。」

 家に帰ってとっちめないといけない奴がいる。

 お仕置きが終わってから考えても遅くはない。

 祐一は従姉妹が全速力で消えた道をのんびりと辿り始めた。



 「やはり、来たか。」

 美汐が本とともに現れたとき、老人は当たり前に思える言葉を発した。

 借りた本を返しに来るのは当然だと思っていた美汐は首を傾げたが、老人は意に介しない。

 「求めるものはそこにある。」

 老人が発した言葉の真の意味を理解したとき、美汐は思わず感動で震えていた。

 彼は美汐が借りたいと、いや、祐一から借りてこいと命令された本を既に準備していたのだ。

 本棚に並べてある、口伝の全集。

 数は相当量あったが、無理をすれば運べないこともない。

 だが、祐一が美汐に渡した金は僅かだ。

 これで足りるのだろうか?

 「代金はそれでいい。」

 美汐が祐一から預かった料金を置こうとしたとき、老人は美汐のバッグに入っている小さな赤いガラス球を示した。

 祐一が面白半分に美汐にプレゼントした安物だ。

 「こんなもので……?」

 「素手で触れるな!

 美汐がガラス球を取り出そうとしたとき、老人は初めて大声をあげた。

 老人のそんな声を聞いたのは初めてだったので、美汐は思わず身をすくめた。

 そのため。

 そのガラス球が自然の法則に逆らって、自ら浮かび上がって床に落ちたことに気がつかなかった。

 「そのままでいい。」

 老人の言葉に従って本をバッグに入れようとして初めて、ガラス球がバッグから消えていることに気がついた。

 (あれ?いつの間に?)

 音がしていないのに…と不思議に思いながらも、自らの足下にガラス球を認めた美汐は、自分が身をすくめた拍子にバッグから飛び出したのだろうと判断した。

 だが、美汐が本をバッグに詰めている間に、ガラス球が老人の方向に……上に向かって転がっていったことについては、どうしても説明がつかなかった。

 美汐が貸本屋を後にしてから数時間後。

 いつの間にか、ガラス球だったものは小さな胎動を始めていた。

 「儂も切り札を手に入れたぞ。語りかける者よ。」 

 ガラス球だったものを手にした老人は嬉しそうにほくそ笑んだ。

 その瞬間。

 ごろりと、空気が動き出した。

 始まったかな、と、どこかで誰かが感じ取っていた。


<続き>


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