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| 第11話 闇の終焉:Dパート | 目次 |
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「家の人は一弥が外に出かけた理由が判らず、足跡もまっすぐ川に向かっていたため、この件は事故ではなく、自殺として処理されました。」
”日頃から厳しい躾があった”という証言がどこからともなく表に出て、それが一番納得できる動機として浮上したからだ。佐祐理もそう思いこむことで自分を騙していたが、久瀬によって過去を正しく認識するようになって変わったという。
「それ以来、自分のことを、他人のように、客観的にしか捉えられなくなりました。”佐祐理”という人はそんな人だから、と別の自分が言っているなら、楽でしたから……。男の人に対して敬語を使うのも、同じ理由です。」
「何だ……それじゃ、佐祐理さんのお父さんは何も悪く無いじゃないか。」
祐一は精一杯明るく笑い飛ばした。
そうでもしないと重苦しい空気に押し潰されて、自分の中からも抑えていた何かが湧き出してきそうだった。
「そんなことありませんよ。だって、佐祐理の父はその気になれば親戚からいくらでもお金を出してもらうことが出来たのに、それをしなかったんですから。挙げ句に、今みたいなとんでもない病院作って……。」
「それ、誰に聞いたの?」
病院の中身には敢えて触れず、祐一はある種の確信を持って訊ねた。
久瀬さんに……という言葉が出たとき、祐一はやっぱりな、と内心で納得した。
この、しょっちゅう出てくる久瀬という男は、何らかの理由で佐祐理の気を惹きたいらしい。
そのためには何か気の利いたことを言うか、衝撃的なことを言うか。
久瀬という男は後者のようだ。
親の方の久瀬は、そういう自虐的な言葉の中に暗喩を込めている場合がほとんどなのだが、ある程度の知識がないとそれが皮肉なのか本音なのか判らない。
が、幼い頃からそれを聞いてきた息子の方は、刺激的で悪意に満ちた表現こそが周囲に受ける、と信じているのだろう。
勿論祐一にはそこまでは判らないが、久瀬のほとんど悪意の助言を素直に信じている佐祐理に無性に腹が立った。
「佐祐理さん、悪いけど、そんな佐祐理さんは嫌いだな。」
「えっ!そんなっ!?祐一さん、ひどいです。」
佐祐理は大きく目を開いて身体を震わせた。
その仕草が、弟のものと酷似していると認識することも出来ずに……。
「だって、自分が直接したことは悪くなくて、お父さんが間接的にやったことは悪いなんて、そんな理屈あるもんか。佐祐理さんのお父さんが悪いって言うなら、佐祐理さんはもっと悪いじゃないか。」
「そ、それは判っているんです…だけど、父は今も病院を続けているし……。」
「でも、倉田総合病院の方が評判がいいって言うじゃないか。」
祐一はわざと佐祐理から離れるふりをした。
佐祐理は掴んでいた祐一の制服の裾をより強く握り直した。
「だ、だけど、それは料金が安いからで、システムは同じですよ。程度の良い診療を受けたい人は高い料金になるのは一緒なんです。」
その差額はどこから来るのか。
当然生ずる疑問も、今は薄々判る。
「政治家絡みか……。」
祐一は自分がさっきまで眠っていたベッドを中心に、ホテル並の”病室”を見回した。
ここは久瀬総合病院だからここに入院するのは一般の病人である可能性もある。
だが、これだけの部屋を一人で占有するためには、ある一定以上の収入が必要だ。
とりあえず、疑惑をかけられた代議士達が”入院”して”病気療養する”部屋のように使われるのだろう。
倉田総合病院でも同じシステムなのだから、親や親類に多くの政治家を持つ倉田家の方がその頻度が高いに違いない。場合によっては病院に”寄付”することで政治家としての好感度を上げたり、寄付した額の差額を裏金に回したりできる隠れ蓑になることもあるだろう。
そうすることを受け入れたために、初め久瀬と共同で作るはずだった総合病院を、倉田がすんなりと自前で作ることが出来たのだ。倉田が方針を変えた理由は祐一には判らないが、結果から考えて佐祐理の母や弟の死が契機になったのはまず間違いないだろう。
「そうだとしても、佐祐理さんのお父さんは自分のやり方を曲げてでも、自分がいつも患者の傍にいられる病院を作り上げたじゃないか。どうしてそれが判らないの?」
項垂れたままの佐祐理に、更に声をかけようとしたとき、祐一の視界に白い手が伸びてきた。
その手は佐祐理の肩に優しくかけられた。
「誰かを憎み続けていないとどうにかなってしまいそうだったのよ。そうよね?」
こく、と頷いた佐祐理は堪えきれなくなって泣き出してしまった。
優しい手の持ち主は、どこまでも優しく、佐祐理をあやすように抱き締めていた。
「大丈夫。祐一さんは優しい人だから、お父さんと仲直りしてくれば許してくれますよ。」
そうよね?と言われて、祐一はようやっとの思いで頷いた。
もとよりそのつもりだが、それ以上に逆らうことの出来ない圧力に圧倒されていた。
「ど、ど、どうしてここに?」
「名雪に学校から電話が来ましたから。」
秋子はにっこり微笑んだ。
非常にまずい立場にあるような気がする。
こんなに遅くまで人気のない病室で二人っきりで何していたの、などと直接聞かれた方がましなのかもしれない。
何も責めない秋子の方が迫力があった。
「い、いや、その、あの……。」
「聞いてますよ。学校で急に倒れられたんですよね?祐一さん、明日は大事をとってお休みしましょうか?」
秋子はいつもの調子で微笑んでいる。
だが、祐一の方は生きた心地もしない。
「い、いえっ!し、試験が近いので学校で真面目に授業を受けないといけないんじゃないかと思うのであります。」
どこまで聞いているのかしらん。
佐祐理が救急車を呼んだことだろうか?
佐祐理が一緒に救急車に乗り込んだことだろうか?
それ以前に、いつ頃から話を聞いていたのだろうか?
美汐の予言のせいで赤くなっているところを見られてはいないだろうか?
ああ、そうだった。
明後日から試験だというのに、すっかり忘れていた……。
色々な思いが駆けめぐっている。
秋子の無言の微笑にこんな圧力があるなんて知らなかった。
普段なら、名雪が隣でぼ〜っとしているから、”おい名雪”などと話を振ってしまえば良かった。
いなくなって初めて気付く、名雪の無用の用……。
そうだ、名雪……。
「そ、そうだ!!名雪は一緒じゃないんですか?」
祐一は無理矢理に従姉妹を引き合いに出した。
案の定、秋子の圧力がほんの少しだけ軽くなった。
「名雪は病院の正面玄関にいますよ。猫を見つけてしまって……。アレルギーが出るから駄目よって止めたんですけど……。」
見舞客の誰かが連れてきた猫なのだろう。
だが、猫アレルギーが解消した名雪を遮るものは何もない。
名雪はもうてこでも動かなかった。
「ああなったらいくら言っても無駄ですから。」
「寝てるときと猫を見てるときの名雪は手強いなんてもんじゃないですからね……。」
腕の中にいた佐祐理の震えが止まったのを確認して、秋子は立ち上がった。
『一人でいける?ちゃんと謝れる?』と何度も問いかける姿は、これから父親に怒られに行く娘を気遣う母親のそれに似ていた。そして、秋子の手をしっかり握って離さない佐祐理は、迷子になった後に母親と再会した娘のように、すっかり安心しているように見えた。
「じゃ、俺、名雪を説得に行って来ます。」
祐一は二人の先に立って病室を出た。
なんとなく佐祐理と秋子を二人っきりにしてあげたかったのだ。
そして待合室で顔中を真っ赤に腫らしている名雪を見つけて、病室に舞い戻る羽目になった。
二人の実力テストの行方は非常に暗澹としていた。
電話が鳴り響いた。
そろそろ来る頃だとは思っていたが、うちにもきたか……。
倉田は受話器を取った。
「倉田先生、北洋新聞がどうしても話を聞きたいというのですが……。」
「うちにはそういう患者はいないと説明しろ。」
話の内容は判っている。
倉田は受話器を置いた。
TVの中ではニュースが流れている。
その中で踊っている文句が電話の内容だ。
『あらたの会、被害者の会』が結成され、信者と思われる患者を受け入れた病院のリストが挙げられている。
それがいい加減なリストであることは、そんなものに頼らなくても良いはずの倉田総合病院の名前が入っていることから明らかだが、いつの世も世の中はエキセントリックなものの方を信じる。
誰が作ったリストかは知らないが、久瀬が注進してくれたように、自分の評判は医者の間では悪かったから誰かが意図的に紛れ込ませたに違いない。
こうなってしまうともう収拾がつかない。
『そんな者を受け入れた事はない』と説明しても、『患者のプライバシーに関わることなので患者のリストは渡せない』と明らかに常識的な説明をしても、一度疑われてしまえばそれで終わるのだ。
だいたい、倉田の説明と、『倉田医師は嘘を言っている』『隠しリストがあるに違いない』という根も葉もない噂と、どちらを載せた方が部数が稼げるだろう?
単純な論理だ。
だが、何も恐れる必要はない。
倉田は胸を張った。
自分は医者だ。
医者の仕事は古今東西患者を救うものと決まっている。
マスコミの対応をしたり損得勘定をしたりするのは別の種類の人間だ。
だが。
張った倉田のその胸に、小さく痛む一点がある。
だが、自分は自分の娘にすら信頼されていないではないか……。
(このまま引退してしまうのも良いか……。)
折角見つけた救世主との連絡は付かない。
彼女ばかりではない。
倉田総合病院には親類はおろか親すら顔を見せない患者がまだまだたくさんいる。
たとえ倉田が手術や治療に失敗したとしても誰もそれを責めない。
報われない。
ただ自分の信念だけが頼りだった。
それが、今揺らごうとしている。
(あぁ……それでか……。)
不意に倉田は微笑んだ。
あの電話は、この事態を予期していたのかも知れない。
いや、きっとそうだ。
何しろ彼女は『語りかける者』なのだから……。
それなら、まだ止まるわけには行かない。
止まれない。
再び電話が鳴った。
倉田は面倒臭そうに受話器を取った。
「今度はどこだ?」
「いえ、その、倉田先生に面会したいと…あ、え、はい。あのっ!ちょ、ちょっとっ……!!」
受話器の向こうで切迫した看護婦の声がした。
やれやれ、強行突破か。
倉田は一日中着ていて疲れ切った白衣を脱ぎ捨てた。
真新しい白衣に着替える。
今は『仕事でよれよれになった』と答えても『経済状態の悪化が垣間見え…』と書かれるだろうし、逆に綺麗な白衣を着ても『どこからこのような余裕が…』と書かれるだろう。
それならばせめて、今いる患者達に不安を与えない方がいい。
病院の経営は健全だ、新たな負担が増える懸念はない、と伝える方が、幾らかましだ。
こんこん、と。
拍子抜けするような控えめなノックの音が倉田の耳に届いた。
「入り給え。」
ナースステーションを強行突破した割りに殊勝だな、などと考えていた倉田の前に、想像もしない人物が姿を現した。
「もう、仕事は終わりですか?」
父親が着替えをしているのを見た佐祐理は静かにそう訊ねた。
倉田は頭の中が真っ白になっていたが、どうにかこうにか頷いた。
「あ、いや。まだ少し残っているが……。」
「そうですか。では、ここで待っていてもよろしいですか?」
「あ、ああ!ああ!!すまん。すぐに片づける……。」
倉田は無造作に積み重ねてあった書類を避け、佐祐理に椅子を勧めた。
娘が何の用でここに来たのかは判らないが、はっきりしているのは、今自分が大きく動揺していることだ。
まるで初恋の女性に会ったかのようにどぎまぎしている。
実際、佐祐理は倉田の妻に似てきていた。
「本当に良かったのですか?」
「あ、ああ……。」
どのみちもう仕事にならない。
頭が恐慌を来して手が震えている。
メスはおろか鉛筆すら持てないだろう。
書きかけの書類もそのままに、倉田は簡単に書類の整理だけを済ませて席を立った。
「終わったぞ。」
「そうですか。」
倉田が佐祐理の前の椅子に座りかけたのと、佐祐理が自分の席から立ち上がりかけたのはほとんど同時だった。
「どうしたのですか?」
「さ、佐祐理こそ、どうしたんだ?何か用があったんじゃないのか?」
娘の名を呼ぶのをこんなに躊躇ったことはない。
倉田は顔中に汗をかきながら立ち上がった。
「別に……用と言いますか…その、……お仕事が終わってらしたら、一緒に帰ろうかと思っただけです。」
「あ、ああそうかそうか……。」
そうか、何も珍しいことではない。
普通の親子の会話だ。
倉田は無意味に背筋を伸ばした。
この親子は普通ではない。
佐祐理が父と一緒に帰ろう、と言ったのは今日が初めてだった。
そして、その背中に向けて『ごめんなさい』と謝ったのも、今日が初めてだった。
それに父が『それは私の言葉だ』と答えたのは、とても自然なことだった。
<続き>