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| 第11話 闇の終焉:Cパート | 目次 |
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「おかけになった電話番号は、現在使われておりません……。」
倉田は呆然としたまま、受話器を離すことが出来ずにいた。
ようやく掴みかけた救世主が、逃げていった……。
そんな無常感が彼の心を占める。
「先生?」
いつからいたのか、看護婦が首を傾げている。
音声を伝える以外に能のない電話を持ったまま一言も話さない人を見たならば、怪訝に思う方が自然だ。
倉田はようやく我に返ると、深いため息とともにのろのろと受話器を下ろした。
両手で顔を覆い、落胆の表情を隠す。
「何だ?」
心持ち不機嫌そうに尋ねる。
看護婦はおどおどしながら、今日の回診のスケジュールを説明した。
(今日は止める……。)
そう言いかけて、口をつぐむ。
『百人の貧乏な患者を診るより、大富豪一人を死ぬまで看取った方が儲かるぞ。』
そんな、おおよそ道徳観のない久瀬に。
『一人の患者に拘っていると百人の患者を殺すぞ?』
そんなことを言っていたのは自分では無かったか?
『あなたにとっては百人の患者さんかもしれませんが、患者さんにとってはあなたがたった一人のお医者様なんです。』
そう言われたのはいつだったか?
「行くぞ。」
倉田は自分に向けて一声かけてから立ち上がった。
看護婦は自分に言われたものと思ったのか、少し不満そうな顔をしながらついていった。
とても良い薫りがして目が覚めた。
普段使っている枕よりも柔らかな感触。
そして、大きな瞳……?
「あ、気がつかれましたね〜。」
瞳が急に笑い出したので、祐一の意識は完全に覚醒した。
「うわっ!ご、ごめん……。」
倒れかけた祐一を支えてくれたのが佐祐理だったのだろう。
祐一は佐祐理の膝の上に頭を乗せたまま眠っていたのだ。
「謝らなくても良いですよ〜。とっても幸せそうに眠ってらしたから…。」
佐祐理はいつもと変わらない態度で接しているが、祐一にとっては件の占いの人だ。
意識するなという方が無理だ。
まして、ここは病院。
佐祐理の父が回診にでもやってきて、娘の膝で眠る祐一を見つけていたら血相を変えていたことだろう。
祐一がそのことを佐祐理に話した時、佐祐理は不思議そうな顔で首を傾げた。
「ふぇ?どうしてですか?」
「だって、佐祐理さんのお父さんはここのお医者さんだろう?」
「いいえ。違いますよ。」
佐祐理はきっぱりと否定したが、これだけ見え見えの嘘も珍しい。
祐一は苦笑しながら再度問いただした。
「だって、佐祐理さんのお父さんはお医者さんだろう?」
「はい、そうですよ。」
「そしてここは病院だろ?」
「はい、そうです。」
「だったら、佐祐理さんのお父さんが回診に来るかもしれないじゃないか……。」
「来ませんよ。」
意外と強情な佐祐理の態度に閉口した祐一は、少し呆れたようにため息をついた。
その様子を見た佐祐理の方も、判ってもらえないことに少し困ったような表情をして説明を加えた。
「だって、ここは久瀬総合病院ですもの……。」
「え?何だって?」
祐一は自分の耳を疑った。
扱いが非道いと聞いていたがとんでもない。
病院とは思えないふかふかのベッドやホテルの一室のような色使いの壁、清潔な上に豪華なシーツ……。
これで評判が悪いとすれば考えられるのは一つしかない。
「い、いくらかかるんだ、これ……。」
「佐祐理の友達ですって言ったら、無料にしてくれましたから安心して良いですよ。」
声が震えている祐一を安心させるように、佐祐理はにっこり微笑んだ。
それを聞いてとりあえずは安心する。
「だけど、どうして倉田病院じゃなくてこっちなの?」
祐一としては当然の疑問だ。
だが、佐祐理にしてみれば不当な疑問だった。
「だって、佐祐理の父では信用できませんから。」
祐一は佐祐理が冗談を言っているのではないかと思って苦笑いをした。
だが、彼女の表情は真剣そのもので、瞳には微かに憎しみの炎が灯っている。
冗談や謙遜で言っているのでは無さそうだった。
とはいうものの、祐一はそんな話を聞き流したりできる性格でもない。
つくづく損な性格だ、と内心で自嘲しながら、祐一はベッドに座り直した。
「佐祐理さん、そんなこと言うものじゃないよ。」
「でも、本当なんです。」
「それでもダメだ。」
「でも、ダメなんです。」
「ダメって言ったらダメだ!」
「でもっ!」
「佐祐理さんっ!!」
びくっと身体を振るわせて、佐祐理は口をつぐんだ。
唇を噛み締めて何かに耐えている姿を見ると、そうさせた当人である祐一でさえも、”ごめん、悪かった”と謝ってしまいたくなる。
だが、ここは絶対に引いてはならなかった。
祐一は気持ちを奮い起こして、敢えて厳しい声を出した。
「何があったかは知らないけど、自分のお父さんをそんな風に言うもんじゃないよ。家族だろ?」
返答はない。
祐一も今日初めて知ったが、意外に強情な側面を持つ佐祐理のことだ。
こうなることは充分に予想されたことだが、それでも言わずにいられなかった。
「…じゃ、俺、もう大……。」
「………てもですか?」
大丈夫だから、と言って立ち上がろうと、少し身を乗り出したのが幸いして、佐祐理の囁くような言葉を聞き取ることが出来た。
いや、聞こえてしまった。
「何だって?」
「自分の妻や子を見殺しにしてもですか?それでも、自分の親だから尊敬しろって言うんですか?」
佐祐理は目に涙をためて、そしてその奥に怒りの炎を燃やして、祐一を真っ直ぐ見つめた。
その視線の強さにちょっとたじろいだものの、祐一は幾ばくかの迷いを認めて更に強く見つめ返した。
案の定、佐祐理の視線は徐々に揺らいでいき、最後には俯いて視線を逸らしてしまった。
あれほど強く見えた佐祐理が、今は小さくしぼんでいるのが判る。
「……ごめんなさい……祐一さんには関係のない話でしたね……。」
「逃げないでよ、佐祐理さん。それを言うなら、最初からしなくても良い話だよ……。」
祐一は優しく諭すようにそう呟いた。
佐祐理の頭が静かに頷かれたのを確認して、言葉を繋ぐ。
「あのね、俺はよく知らないけど、医者にも色々あるんだろ?外科とか内科とか、病院持ってる医者とか、勤務医とかさ。」
ドラマや小説程度の知識しか持っていないながら、祐一は必死で自分の持っている知識を総動員した。
例えば、大学の工学部の学生にだって色々な専門がある。
電気の分野に進んだからと言って誰もがご家庭のテレビを直せるものではないし、機械に進んだからと言って誰もがロボットを使いこなせるわけでもない。
しかし、外から見れば”専門家”なわけで、その分野のことなら何でも知っていると勘違いしてしまう。
それが医者ならば尚更だ。
「だから、専門が違ったらとか、時間が合わなかったら、とか、色々事情はあるもんなんじゃないの?」
佐祐理の父が何を専門としているのかは知らない。
だが、例えば佐祐理の母や兄弟が交通事故にあったとして、佐祐理の父が精神科医だった場合、佐祐理の父が何も出来ずにいたとしても責められるものではないだろう。
祐一は言葉を尽くして佐祐理の心を解きほぐそうとした。
「……でも……。」
思わず苦笑いが漏れる。
今日知っただけでは何とも言えないが、佐祐理は相当強情なようだ。
あるいは、祐一が言ったことが全て的外れになるような深い事情があるのかも知れない。
祐一は諦めたように天を仰いで、それからもう一度、俯いたままの佐祐理を見下ろした。
「急がなくても良いけど、いつか話してもらえるかな?」
佐祐理が再び頷いたのを確認して立ち上がる。
ぴくりとも動かない佐祐理が少しだけ心配だ。
足を踏み出そうとしてふらついた。
まだ体調が良くないのかと思ったら、なんのことはない、佐祐理が祐一の制服の裾をしっかり握っていたのだ。
祐一は苦笑いしながら体重を少し佐祐理の側に寄せた。
「佐祐理さん、悪戯しないで……。」
「祐一さん…。」
祐一の言葉を遮って、羽の震えるような佐祐理の声がした。
その声は余りにか細くて、どちらが病院に運び込まれたか判らないくらいだ。
「なに?」
「祐一さん、佐祐理のこと、嫌いにならないで下さい。」
何があっても、何を聞いても、嫌いにならないで下さい。
何度も何度も念を押した後、佐祐理はぽつりぽつりと語り始めた。
自分の、罪を…。
佐祐理の母は病の床に伏していた。
弟の一弥を産んでからずっとこうだ。
それでも父は帰らない。
家には佐祐理の面倒を見てくれる侍女や執事がいたから物質的な不自由はなかったが、精神的には常に不自由だった。
倉田家は由緒ある家柄だ。
政治家も多数出している。
たとえ倉田一人が反発して医学を目指していても、そう言ったものを背負っている以上、佐祐理や一弥も厳しいしつけから逃れることは出来ない。
佐祐理が外で何かしでかそうものなら、それは佐祐理がしたことではなく”倉田家の親類の娘”がしたことなのだ。
マスコミはこぞってそれを面白おかしく書きたて、結果的に倉田家に悪い方向に進む。
そんな理屈で厳しく躾られてきた佐祐理とは別に、一弥は”倉田家の跡取り”として大事に大事に育てられていた。
産褥で苦しむ母をそっちのけで一弥をちやほやする親類一同を、佐祐理は憎しみの目で見つめていた。
親類が集まっているのは”倉田家の跡取り”なのだから、その視線の先には当然一弥がいる。
佐祐理は自ら意識することなく、自然にこの弟を嫌うようになっていた。
だが、ようやく歩けるようになったばかりの一弥にとって、親戚とはいえ躾や規律を押しつけてくる”大人達”は邪魔でしかない。加えて実母と触れることの出来ないストレスは確実に積もっていく。
何度冷たく振り払われても姉を慕ってついて歩く一弥は、本能的に血の繋がりを求めていたのかも知れない。
その頃。
世間を騒がせる話題に、”治癒の少女”があった。
父親の職業を虚しくさせるこの話題に、当然父は”こんなものはいかさまだ”と不快感を露わにしていた。
逆にそのことが佐祐理の気持ちを強く惹きつけた。
佐祐理も母の病態もそっちのけで仕事に明け暮れる父に対して、強い不満を持っていたからだ。
実際には佐祐理が眠った遙か後に戻ってきた倉田は、誰にも知られぬよう真っ直ぐ妻の元に行っていたのだが、その、体面を重んずる故の余りの慎重さが今の不幸を招くことになった。
ともあれ、佐祐理はそのTVの少女、沢渡真琴に惹かれていく。
父の仕事が無駄になればいいのに、という負の欲求からではあったが、彼女にとってその憧れはほとんど運命的なものであったかも知れない。
だが、相手は有名人。
佐祐理は有力な家庭の娘ではあったが、その父が嫌っている彼女に公に近づくことは出来なかった。
同じ頃、沢渡真琴ほど派手ではないが、呪術的な力で病を治してくれるもう一つの噂があった。
曰く、『全ての者を治せるわけではないが、人によっては治せる』かもしれません。
こんな弱気な謳い文句でもそれなりに人が集まる。
実際には先の北川の証言通り、治癒の少女、沢渡真琴とはいえ常に治せるとは限らないのだからこちらの方が真実を言っていると言えた。
佐祐理はその者の情報を集め始めた。
とはいうものの、小学校に上がったばかりの少女にできることなど高が知れている。
まして主人が嫌っている”呪術的な力”の情報を集めることに、家人が協力するはずがない。
(ううん、一人いる……。)
幼い佐祐理は考えた。
一人だけ、今の倉田家において超法規的な力を持つ男がいる……。
ある冬の日、佐祐理は弟をこっそりと屋敷の外に連れだした。
大好きな姉に構ってもらえると思った一弥は何の疑いもなく佐祐理についてきた。
そこで文字通り致命的な言葉を聞くとも知らずに……。
「一弥、お母さんがどうしてあんな風になってるか知ってる?」
佐祐理は冷たく語りかけた。
首を振る弟に、間髪を入れずに次の言葉を投げつけた。
「一弥を産むのに凄く力を使ったからよ。」
佐祐理はそのことを権爺から聞いていた。今では、知らなければ良かったのに、と思う。
知らなければ、弟を傷つけることもなかっただろう。
だが、現実には佐祐理はそれを知り、そして伝えてしまった。
それを聞いたとき、弟の目は大きく見開かれ、それからがたがたと震えだした。
その時の光景を忘れることは出来ない。
自分のせいで母親が病に伏している、ということは家人が触れなくても薄々気付いていることだった。
それが今明確になった。
泣きじゃくる弟に、佐祐理は更に話しかけた。
父はあんな人だからとても頼りにならない。
かといって、今人気絶頂の沢渡真琴がうちに来てくれるとは限らない。
となれば、もう一人の呪術師、川澄麗(かわすみれい)を頼るしかない……。
「一弥、なんとか川澄さんを連れてきてよ。」
それが、佐祐理が一弥と交わした最後の言葉になった。
川澄麗の住まいは山奥の寂しい一軒家だった。
家人の目を避けて真夜中に家を抜け出した一弥は、そこに至る道で足を滑らせ、川に落ちた。
冬の寒い夜のこと、冷たい水はたちまちに体温を奪った。
発見された時には既に危険な状態で、間もなく息を引き取った。
倉田が当直医でその場に居合わせることが出来なかったのは、既に記した通りである。
<続き>